最終章 彼女たちが望んだ世界で

第一話 黒髪の女性

 麻世が天界にやってきて体感で一ヶ月ほど経ったころ、麻世は久しぶりにアマネに出会った。


「やっほ~久しぶり」

「お久しぶりです。しばらく見かけませんでしたね」

「まあね~色々と〝仕事〟もあったし?」


 そういえばアマネが別の世界線を創生する能力を持っていることを思い出した。


「パラレル……でしたっけ? その世界に導かれた人たちはみんな幸せになっているの?」

「時には本人の意思とは異なる方向に向かうこともある……一見本人が望んでいた世界であっても、やっぱり元の世界に未練があった、とかね」

「その場合、その人は元の世界に戻ることはできるの?」

「あら? もしもの世界パラレルワールドに興味があるの?」

「……」


 途端に麻世が黙り込んだので、アマネは「冗談だよ~」と慌てて言った。


「いいえ、私はすでに死んでいるからそんなものは無意味――ただ、思ったの。もし私さえ存在していなければ、お兄ちゃんとあの子は何の障害もなく幸せになっていた」

「……つまり、貴方のいない世界線だったのなら、ということ?」

「そうね。いずれにしてもあの二人は出会っていた。私がお兄ちゃんに恋心を抱いたことが全ての過ち」

「まるで……を見ているかのようだわ」

「え?」


 アマネは麻世の横を通り過ぎ、空を見つめ上げながら思い出すように話し始めた。


「とある女の子の話よ。その子には双子の妹がいて、その妹を愛してしまったの。けど、実の妹を愛することは禁忌に触れる。だからその子は想いを封じ込めようとしたの」

「……」

「存在が消える、ということは魂も無かったことになるということ。存在していた記録も何もかも――全てが無になる。いくら天に仕える身とはいえ、存在を消すなんておこがましいことだわ。存在の可否を決めるのは神が唯一決められること」

「…………」


 麻世は黙ってアマネの話を聞いていた。自分と似た境遇のその子はやはり自分と同じ考えに至ったらしい。もし仮に自分も死ぬ直前に今の話のような世界線に飛ばされたら、同じ結末を迎えるだろうと思った。


「ええ、きっと貴方もそう思うと思ったわ」

「その子は想いを抑えて生きていた。けど、私はお兄ちゃんを愛することが当然だと考えていた。そしてそれが過ちだとわかった。だから、私は私の選択で命を絶ったことに今でも後悔はないわ。けど、大切な人を傷付けてしまったことは紛れもない事実。どうしたら罪を償うことができるのか……この世界に来てから一日も忘れることはない」

「その罪の意識を解放できる時がいつかきっと来るわ」


 果たしてそんなときが来るのだろうか――アマネの金色の瞳を見ていると、不思議とそう信じ込もうという気持ちになれる気がした。



 ◇ ◇ ◇



 麻世は今日も礼拝堂へ足を運び、祈り続けた。生前のころから神へ祈りを捧げている人もいるだろう。けれども彼らはこの死後の世界でも神へ祈りを続けている。

 それも少し妙な感じもしたが、むしろそれが当然なのかもしれないと麻世は思った。


(私みたいに神の存在を否定していた人なんてむしろほとんどいなかったでしょうね。私は私の都合のために神に祈ってるようなもの……きっと神は私のことを俗にまみれてると……)


 それでも祈りを捧げ続けるのだ。今、心から祈りたい。みんなの幸せを。

 そのおかげなのか、以前見たような自分の死後と思われる世界の夢を見なくなっていた。


「とても熱心ね」


 後ろから声がして麻世は振り返った。長い黒髪をした女性だった。アマネよりも更に少し年上の女性のようだ。


「私はヒジリ。最近ここで貴方をよく見かけたから」

「桐原麻世です。私はまだここに来て一ヶ月くらいで……」


 不思議な感覚だった。目の前の女性を見ているだけで心が洗われるような、温かい気持ちになれる感覚がした。


「この世界は素敵でしょう?」

「……はい。天国は存在したんだ、と思いました。私……こういう世界をむしろ存在しないって思っていたので……って、すみません。初対面でこんなこと」

「いいえ。私、貴方のことが気になっていたの。ここ一ヶ月、毎日必ずここに来ていたでしょう? きっと特別な思いがあるのかなって思って」

「私は、このような天国に来られるような人間ではなかったので」

「……中にはそう考える人もいるみたいね。けど、貴方がここに存在する以上、神は貴方がここにいるべきと判断したのよ」

「私は神の存在を信じていませんでした。今も心の中では……」

「あら? それなら何故これほどまでに熱心にここへ?」

「……祈りたいからです」


 麻世は真っすぐとした瞳でヒジリを見て言った。


「私が傷付けてしまった人たちがどうか幸せになれるように」

「……」


 麻世は胸元の銀のネックレスを大切そうに手に取りながら言うと、ヒジリが気が付いたように尋ねた。


「貴方にとって思い入れのある物のようね」

「……はい。このネックレスをくれたのは生前、私のことをとても大切に思ってくれて、姉のような人でした」

「生きていた世界からそのままこの天界にまで一緒にやってくるなんて珍しいわね」

「アマネも言っていました。この世界にまで一緒に……すごく嬉しいです。けど……」


 麻世は夢の中で見た自分の死んだ後のことを思い出し、暗い表情になった。


「私が自殺したことできっとあの人のことを傷付けてしまった」

「……そう。貴方は自分で命を絶ってしまったのね」


 ヒジリは悲しげな表情で言った。


「もちろん私の周りにいたみんなもきっと……だから、私はみんなが幸せになってほしいと思って……けど、そんな都合のいいことなんて間違っているのでしょうね」

「そんなことはないわ。本心から祈り続けることに意味はある。きっと貴方の想いは届くでしょう」


 麻世は不思議と目の前のこの女性に魅かれているような――魅了されるような感覚を覚えた。

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