後編 天界

第一章 死後の世界

第一話 天使との出会い

 桐原きりはら麻世まよは神様の存在を信じていなかった。いや、信じていないというより、神は自分の運命の邪魔をする存在という認識だった。

 運命はあくまでも自分で切り拓くもの――誰にも邪魔はさせない。麻世はそう信じていた。

 けれども自分の目の前にいる女性――自分より二、三歳ほど年上だろうと思われるシルバーブロンドの女の子は自分のことを天の使いだと言う。


「ここはお察しの通り死後の世界。ようこそ、天上世界へ」


 ふざけている。目の前の女性はにっこりと微笑んでそんなことを言っているのだ。


「貴方が警戒するのもわかるわ。桐原麻世さん」

「――! どうして私の名前を……」

「言ったでしょう? 私は天の使いだって」


 ふと気付いた時、麻世は一人大きな神殿のような建物の前に立っていた。自分は見知らぬ制服――というよりローブのような服を着ていて、周りには自分と同じ格好をしている人たちが歩いていた。

 どうして自分がここにいるのかわからずに立ちつくしていると、目の前の女性がやって来たのだ。


「私の名前はアマネ。よろしくね」


 アマネと名乗る女性が右手を差し出してきた。けれども麻世はその手を握らずに「死後の世界ですって?」と訊き返した。


「そうよ。貴方は命を落としてここにやって来たの」

「……」


 ふと、麻世の記憶がよみがえる――すると、途端に胸が苦しくなった。


「思い出したようね」

「……ッ! 私を、どうするつもり?」

「そんなに警戒しないで。ここは天国なのだから。貴方を苦しめるものは、もうないわ」

「天国――神がいるとでもいうの?」

「もちろん。だから私は存在しているの」

「ふざけてるわ。ここが天国だとしたら、私は来るべき場所を間違えているようね」

「間違えている?」

「私が行くべき場所はむしろ地獄でしょう? 私はそれだけのことをやって、しかも自分で自分の命を絶ったのだから」

「……」


 アマネは麻世のことをじっと見つめた。


「何?」

「貴方は自分が地獄へ行くべきだと、そう考えているのね」

「そうよ。私は――私は間違った感情でお兄ちゃんのことを苦しめ、そして……あの子のことも傷付けてしまった……。私の大切な親友を……」


 麻世は唇をかみ、目を伏せるようにして言った。


「だから――私はこの命をもって償おうとした。けどそれは……結局私自身のためでもある。あの世界に私が存在してはならないとわかったの」

「貴方はまだ十四歳だった。そんなことを悟るのにはあまりに若すぎたわ」

「年齢なんて関係ない。私がそう悟った」

「貴方が命を絶ったことで悲しむ人がいる――エカテリーナ・クラムスキーもその一人」

「――っ!」


 麻世はその名前に明らかに動揺した表情を見せた。再び胸に大きな痛みが走る。


「彼女は貴方をうしなって立ち直れなくなりそうなくらいに――」

「やめて!」


 麻世はアマネの言葉を遮るかのように叫んだ。


「……」

「貴方にとって、彼女は特別の存在だったのね」

「……」

「仮に地獄があったとして、貴方が望んでもそこに行きつくことはありえない」

「何故?」

「そのネックレス」


 アマネは麻世のしている銀のネックレスを指した。


「これは……」


 麻世も今初めて自分がネックレスをしていることに気が付いた。このネックレスは――


「カーチャさん……」


 麻世の瞳から涙が流れ落ちる。麻世が命を絶つ前、彼女、そして兄と一緒に遊びに出かけたときに彼女からプレゼントされたものだった。天使の姿を模した銀のネックレス――麻世はぎゅっとそのネックレスを握りしめた。


「そのネックレスには不思議な力が込められている――いいえ、正確にはエカテリーナ・クラムスキーが与えた力なのかもしれない」

「……カーチャさんが?」

「貴方が幸せになってほしいと」

「…………」


 麻世は唇を震わせた。自分が死んだら彼女は悲しむのかもしれない――そんな思いはあった。


「……貴方は」


 麻世は俯いたまま呟いた。


「私が死んだあとのことを……知っているの?」

「ええ」

「…………」

「エカテリーナ・クラムスキーが、貴方の兄が、そして……立花たちばな麻矢まやが、どうなったかも何もかも。全て見てきたわ」

「……っ」


 麻世は麻矢の名前に反応した。


「けど、貴方のことを苦しめるために私が存在しているわけじゃない。この世界で貴方の心が救われることを私は望んでいるの」

「救われる……?」

「貴方の心が、解放されること。生きていた時の罪の意識を貴方は抱えている。それは容易に解消できるものではないことはわかっている。けどね、貴方は自分の命を犠牲にして、そして死後の世界まで苦しむ必要はないの」

「それは私が決めることだわ。むしろ、この世界で罪の意識を感じられるのならそれでいい。私はずっと自分の犯した過ちを悔いてここの世界に居続けても構わない。私には〝罰〟が必要なの」

「貴方の心が今すぐに変わるとは思っていない。まあいいわ。とにかく、今は私に着いてきて」


 そう言うとアマネは歩き始めた。麻世は少し考えたが、何もわからない今は彼女に着いていくことにした。

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