最終話 彼と共に
その夜、恵花は夢を見ていた。
氷樹に会いに家を訪れ、翠妃と共に彼の部屋に向かっている夢だった。部屋をノックして中に入ろうとしたが、横を振り向くとそこに麻世が立っていた。見慣れない白の制服姿だった。
『カーチャさん』
麻世は恵花に微笑んでいた。翠妃はもう氷樹の部屋の中に入っていたが、恵花はまだ麻世の方を見ていた。
麻世が微笑んだまま彼女の部屋の中に入っていく。恵花も部屋の中に入った。
きちんと綺麗に教科書類が揃えてしまってある机、そして壁には星蹟学院の制服と麻世のお気に入りだった服がかけてある。
すると麻世は机に飾ってあった写真立てを手に取って恵花に手渡した。麻世は微笑んで何かを言ったが、その言葉は聴き取れなかった。
「……」
恵花は写真立てを受け取ったが、それと同時に目を覚ましていた。
「麻世ちゃん……」
夢の中で麻世が会いに来てくれたのだろうか――そして最後に何を伝えたかったのだろう。
◇ ◇ ◇
その日の放課後、恵花は氷樹と共に学校を出ていた。恵花が氷樹の家を訪れたいと伝えたのだ。正確には、麻世の部屋に行きたかったのだ。あの夢の中で手渡された写真立てがもしあるのなら――
希望ヶ丘までやってきて、氷樹の家に到着した。
「お邪魔します」
恵花が挨拶すると、氷樹の母親が出てきた。
「まあ、カーチャさん。よく来てくれたわね。こんにちは」
恵花はまず最初に麻世に焼香をあげた。
「……」
そして氷樹と二階に上がり、麻世の部屋の前までやってきた。
「いいか?」
恵花が氷樹に尋ねると、「もちろんだ、お前なら」と氷樹は頷いた。
恵花は麻世の部屋のドアを開けた。思えば麻世の私室に入るのは今が初めてだった。
初めてのはずなのに、夢の中で見た部屋そのままだった。壁にかけてあるのは夢の中でそうであったように、最後に通っていた星蹟学院の制服と、麻世のお気に入りだった私服――いつしか一緒に桜の花を見に行った時の服だ。
「…………」
恵花の鼓動が高鳴る。すると、麻世の机にある写真立てに気付いた。夢の中で見た通りだった。
最後に恵花と氷樹、麻世の三人で遊びに行った時の写真だった。
「麻世がわざわざプリントして飾っておきたいと」
氷樹がそう言うと恵花が振り返った。
「とても楽しかったって」
「……!」
胸が詰まる思いだった。恵花は「麻世ちゃん……」と呟くと瞳に涙があふれてきた。
「本当に、お前は麻世にとって最高の姉だった」
「……」
恵花は写真立てを手に取った。麻世を真ん中に、三人で写っている写真だ。写真の中の麻世はとても楽しそうな笑顔だった。
氷樹と二人きりの写真ではなく、自分をこの中に入れてくれたことが恵花にとって何よりも嬉しかった。
「きっと今も天国で……」
すると恵花は何かに気付いた。この写真の裏にもう一枚何かが入れられているようだった。
恵花は慎重に写真立ての表のカバーを外すと中身を取り出した。
「これは……」
◇ ◇ ◇
恵花は氷樹の家を飛び出して麻矢の家に向かっていた。そして彼女の家の前までやってくると、インターホンを押す。
やがて麻矢が出てきた。
「カーチャさん……」
麻矢は少し驚いたように言った。
「麻矢ちゃん……麻世ちゃんは決して麻矢ちゃんのことを恨んではいなかったんだ」
「えっ?」
「麻世ちゃんの部屋の机の上にこの写真が飾られていた」
恵花は写真立てを麻矢に見せた。
「これは……カーチャさんたち?」
「それだけじゃない。その写真の後ろにもう一枚、写真が入っていたんだ」
麻矢が中身を取り出してみると、もう一枚写真が出てきた。それは、麻世と麻矢が一緒に仲良さそうに笑顔で写っている写真だった。いつしか、二人だけで遊びに行ったときの写真――
「麻世ちゃんの机の上に飾ってあった」
「…………」
麻矢はしばらく写真を見つめていたが、
「……いいえ、これは私が氷樹先輩とお付き合いする前の……。きっと私のことが嫌いになってカーチャさんたちと一緒に写っている写真に差し替えたのでしょう」
「いや、そうじゃない」
「え?」
恵花は「裏面を見て」と言った。麻矢が写真を裏返してみると――
『麻矢ちゃんへ
本当にごめんなさい。あなたに謝りたかった
私はあなたと親友でいられて本当に良かったです
どうかお兄ちゃんと幸せになってください
麻世』
麻世の字で、そう書かれていた。
「これは……」
「……きっと、最期に麻世ちゃんが書き遺したんだ。あの日の夜……」
「…………」
写真を手にしている麻矢の手が震える。
「それに、もし本当に麻世ちゃんが麻矢ちゃんのことを憎んでいたとしたら、写真も残していないだろう。きっと、麻世ちゃんは麻矢ちゃんに謝りたかったんだと思う」
「……」
「麻世ちゃんは……麻矢ちゃんのことが大好きだったんだよ」
「麻世ちゃん…………」
麻矢の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。そして写真を手にしながら唇を震わせて跪き、嗚咽を上げた。
「麻世ちゃんにとって麻矢ちゃんは最後まで親友だったんだ。麻矢ちゃんのおかげで……麻世ちゃんは気が付いたんだ」
「麻世ちゃん…………麻世ちゃん……」
「だから……もう苦しまなくていいんだ」
恵花はかがんでそっと麻矢のことを抱きしめた。麻矢はずっと泣き続けていた。
◇ ◇ ◇
麻矢はずっと苦しんでいた。麻世とは最後あのような形で別れ、その日に命を絶ってしまうという最悪な別れ方だった。
そのことでずっと彼女は自責の念に苛まれ、苦しんでいた。自分の罪は一生消えないものと後悔していた。
けれども恵花のおかげで麻世の最後の本当の気持ちを知った麻矢はやっと心が救われたのだ。
「カーチャさん、ありがとう」
麻矢は泣きはらした後、恵花に感謝を込めて言った。
「カーチャさんのおかげで、私は……本当に救われました」
「いや、夢の中で麻世ちゃんが教えてくれたんだ。きっと……麻世ちゃんが見つけられるようにしてくれたのかもしれない」
「……」
「その写真は氷樹が麻矢ちゃんに、って」
そして恵花は改めて言った。
「なあ、すぐには難しいかもしれない。けど……近いうちにまたみんなでビリヤードができたら……」
「…………」
「そしていつか……氷樹とも……」
「……」
麻矢は答えなかったが、その表情は晴れやかだった。
◇ ◇ ◇
麻矢は恵花と別れた後、今度は氷樹の家の前までやってきた。もう、陽も落ちかけている。
そして、氷樹が家から出てきた。
「……カーチャさんから、写真を受け取りました」
「そうか……お前が持っていてくれた方が、麻世もきっと喜ぶと思う」
「ありがとう……ございます」
「……」
すると麻矢は微笑んで、
「カーチャさんは私の心を救ってくれました」
「……ああ、俺も、あいつに救われた。俺は……麻世を喪ってから本当に生きる気力が無くなっていたんだ。けど、あいつはずっと励ましてくれた。あいつだけでなく天女目や、白峰……それに木下や宝条、そして紗香も」
「そうですね……」
「なあ――麻世に焼香をあげてくれないか?」
「……はい」
麻矢は麻世が亡くなって以来、初めて氷樹の家に入った。すると氷樹の母親が出てきた。
「まあ、麻矢ちゃん。こんばんは」
「……本当にあの時はご迷惑をおかけしました。私……本当に今更ですが、どうか麻世ちゃんに……」
「ええ、ずっと待っていたわ。あの子に会ってあげて」
麻矢は家にあがると、麻世の仏壇の前にやってきた。笑顔の麻世の遺影が飾られている。
「…………」
麻矢は黙って焼香をあげた。
(麻世ちゃん……ありがとう。あなたと一緒にいられた時間は本当にかけがえのない時間だった。あなたと一緒にいられて……楽しかった)
焼香をあげた後、麻矢は氷樹の家を後にした。氷樹は家まで彼女を送ることにした。
「送っていただいて、ありがとうございました」
「ああ」
「……」
「……」
一瞬沈黙が走ったが、麻矢は「さよなら」と言って家の中に入ろうとした。
が、氷樹が麻矢の手をつかんだ。
「先輩――」
「あの写真には……麻世の言葉が書かれていた」
「……」
「麻矢」
氷樹はそのまま麻矢を抱き寄せた。
「好きだ」
「……!」
麻矢の瞳から涙があふれ出る。
「もう一度――いや、これからも俺のそばにいてほしい」
「…………」
「麻矢」
「先輩……」
麻矢はあふれる思いを抑えきれなかった。
「今でも好きです……先輩のことが、大好きです――麻世ちゃんがいなくなってしまって、私は……私は……」
「これからも一緒にいよう。ずっと一緒に」
「はい……」
麻矢はぽろぽろと涙を流して言った。
◇ ◇ ◇
そこは麻矢の通っている星蹟学院とは違うキャンパスのようだった。
空は青空が広がっていて、緑の多いまだ初夏のような季節だった。そして何故か雲が自分と同じくらいの高さに浮いている――まるで天国のようだ。
すると見慣れない白い制服を来た女の子が三人やってきた。そのうちの一人は麻矢にとって見覚えのある人物――
「麻世ちゃん――」
麻矢がそう言葉にしたのと同時に彼女に抱きしめられた。
麻世の話している言葉は聴こえてこなかったが、彼女の温もりは感じられた。
麻矢の瞳から透明な涙がこぼれ落ちる。
「……」
そして茶色の髪をした外国の女の子がいた。年齢も自分たちと同じくらいだろうか。ただただ自分たちを嬉しそうに見て微笑んでいる。更にその後ろの方にはシルバーブロンドの髪をした女の子――自分たちより少し年上の女の子が見守るように見ていた。
そして麻世が再び麻矢に向かって話しかける。彼女は麻矢の両手を握り、涙を流しながら、けれども嬉しそうに話しかけているのがわかる。
『どうか、幸せにね』
声は聴こえないが、そう話しているのがわかった。
麻矢もぽろぽろと涙を流しながら、彼女を抱きしめた――
「…………」
気が付けば自分の部屋の天井が見えていた。抱きしめるように両手を前に突き出していた。そして、涙を流していた。
「麻世……ちゃん……」
今のは夢だろうか――それとも、夢の中で会いに来てくれたのだろうか。
窓のカーテンからは明るい光が差し込んでいる。もう朝だった。
カーテンを少し開けて空を見上げ、麻矢は呟いた。
「麻世ちゃん、逢いに来てくれて、ありがとう」
◇ ◇ ◇
朝、いつも通りかえでと祐輔が氷樹の家に来ていた。氷樹は二人と歩き始める前に口を開いた。
「……二人とも、ありがとう」
「え?」
「俺はもう、これからは前を見て生きていく」
「氷樹くん……」
「だから、これからも学校に行く」
氷樹は昨日のことを二人に話した。麻世の本当の気持ちがわかったこと、そして麻矢とまた一緒になったこと――するとかえでは氷樹に抱き着いて「よかった……!」と涙を流した。そして祐輔も氷樹の肩をたたいて「良かったな」と言った。
すると、麻矢もやってきた。
「麻矢ちゃん……」
「……」
氷樹と麻矢はお互いに見つめ合った。そして氷樹が手を差し出す。
「行こう」
「……はい」
麻矢は氷樹の手を取った。
かえでも祐輔も心が温まる気持ちだった。今こうして、再び二人が一緒になれたことが本当に嬉しかった。
「麻矢ちゃん、また一緒にビリヤードやりましょう」
「立花、同期として部で待ってるからな」
かえでと祐輔が麻矢に明るく言うと、彼女は「はい」と微笑んで頷いた。
◇ ◇ ◇
氷樹は星蹟桜ヶ丘駅前で恵花と翠妃の二人と合流すると、昨日のことを話した。
「そうか……良かった!!」
恵花は麻矢を抱きしめた。
「全部お前のおかげだ。ありがとう」
「私はただ……麻世ちゃんの本当の気持ちを見つけることができただけだ」
「いいえ、カーチャのおかげよ。そうでしょう?」
かえでがそう言うと、恵花も微笑んだ。
「実は……夢を見たんだ。不思議な夢」
「どんな夢だったの?」
「その……とってもおかしなことかもしれない。一人の女の子が私にすごく懐いてきてくれたんだ。それで……その……」
「カーチャ――」
氷樹たちは恵花の顔を見て驚いた。突然彼女の琥珀色の瞳から涙が流れ落ちていた。
「私に花を渡してくれたんだ。その…………私、その子がティファだ、ってわかったんだ」
「ティファって……カーチャさんの……」
すると麻矢は思わず「それは……ひょっとして白い制服を着た栗色の髪の女の子ですか?」と言った。すると恵花は驚いて、
「どうしてそのことを――」
「私も夢で逢ったんです。麻世ちゃんと一緒にいて、同い年くらいで……」
「ああ――少し成長していて……麻世ちゃんと同じくらいだった。あの瞳、あの笑顔、そしてあの感覚……ティファだった」
「じゃあ……あの子がカーチャさんの妹さん……」
氷樹はしばらく恵花を見ていたが、やがて頷いて、
「そうか……麻世は天国で、お前の妹と出会えたんだな」
「嬉しい……」
恵花は再び涙を流しながら言った。
「よかったですね、カーチャさん」
翠妃は微笑んで恵花をそっと抱きしめながら言った。
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