第五話 さよなら

 氷樹はアルバイトを再開することにした。忙しくしていることで色々考えることもしないで済むし、何より部活や紫の誘いを断る口実にもなると思った。

 恵花たちにとっては部活に来てくれないことは残念に思っていたが、塞ぎ込んでいた氷樹がアルバイトを再開したとのことで、少し安心した部分もあった。

 そして八月の終わりに差し掛かったころ、思いもかけない人物から氷樹のもとに連絡が来た。


『お久しぶりです。今度、会えませんか? お話したいことがあります』


 麻矢からのメッセージだった。彼女とは麻世が亡くなって以来一切の連絡も取っていなければ会ってもいなかった。麻世という存在を失ったことが二人の間に暗い影を落としていた。

 麻矢からのメッセージに、氷樹は以前の生きているという感覚を取り戻した気がした。会いたい――氷樹の心の中に彼女に対する想いが再び込み上げてきていた。

 氷樹は明日のアルバイトの予定を急遽取りやめ、翌日の午前中に待ち合わせの公園に向かった。

 今、勇気を出して彼女に気持ちを伝えたい――全ての繋がりを断とうと思っていた気持ちが、彼女のメッセージで全て変わった。また、彼女と一緒にいたいと思っていた。

 この感覚はあの時と同じだ。麻世と二人だけで生きていくしかないと決意した後に麻矢の姿を見て心を取り戻した時と同じ気持ちだった。


「……先輩」


 麻矢はもうそこにいた。もう、彼女と会うのは数ヶ月ぶりとなる。以前と同じ、その姿で――


「麻矢……」

「来てくれて、ありがとうございます」

「…………」

「私は……」


 麻矢はそう言いかけてしばらく言葉が続かなかった。けど、唇を一瞬かみしめると、紡ぎだすように言葉を続けた。


「これまでずっと……考えていました。私は――麻世ちゃんにひどいことを言ってしまったまま……あんな形で…………。私は氷樹先輩と会うのがとても怖かった――麻世ちゃんから氷樹先輩のことを奪ってしまった」

「そんなことはない――俺は……」

「麻世ちゃんにとって氷樹先輩は、本当に生きがいだったんです。私は親友だと思っていた麻世ちゃんのことをわかっていなかった。理解していなかった。私は私の勝手な想いで彼女を傷つけてしまった。私は……私の罪深さは決して消えることはありません」

「違う、お前は何も悪くない。俺が全ての元凶なんだ――麻世のことを……あいつのことを見てやれなかったから――昔から……」


 氷樹は胸が詰まる思いで気持ちを吐露していた。


「俺は一度でもあいつのことを恐ろしいと思った自分を今では心から憎いと思っている。実の妹を――俺のことをあれだけ慕ってくれたのに……」

「……いいえ、先輩は本当に麻世ちゃんのことを想っていたと、麻世ちゃん自身も感じていました。一緒に学校に行くことができて本当に幸せそうでした」


 すると麻矢は一歩進み出た。


「先輩。私が今日お会いしたかったのは、先輩に改めてお別れを言いたかったからです」

「え……?」

「今日をもって、私たちは本当に会うのをやめましょう。そして連絡も今後取らず、もしすれ違っても、お互い他人同士――ただの同じ学校の一先輩と一後輩として」

「待ってくれ」


 しかし麻矢は首を振った。


「私にできる麻世ちゃんへの償いはこれだけでは済みませんが、先輩への気持ちを終わらせたいんです」


 そう言って麻矢はスマートフォンを取り出した。すると、目の前で連絡先一覧から氷樹の連絡先を削除した。


「麻矢……」


 そして、今度はある写真を見せた――それは、去年の夏休みに部活が休みになって二人で水族館に行ったとき、一緒に写った写真だった。その他にも二人が付き合い始めてからの写真もあった。


「先輩、本当に……私は幸せでした。ありがとう」


 そう言って、全ての写真を消去した。


「さよなら……」


 麻矢は立ちつくす氷樹の横を過ぎて去っていった。

 氷樹は麻矢の後姿を追うこともできず、やがて崩れ落ちるように跪いた。

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