第四章 生きよう

第一話 埋められない心の隙間

 期末試験が終わり、終業式も間近となった。

 試験の答案用紙が返却されて周りが一喜一憂する中、氷樹は特に関心もなく返却された答案用紙を見ていた。授業をかなり休んでいた割には成績が良かった。元々今学期で退学を考えていたので期末試験のことなど頭の片隅にもなかったが、紫や恵花がわざわざ自分のために勉強を教えてくれたこと、退学は一旦保留することを約束したので勉強はしていた。


(だが、何の意味がある?)


 良い成績をとることだけが重要ではないことは、生前の麻世が行動で示していた。

 自分と同じ学校に通うためだけに、名門の紹蓮女子、同じく国立の名門の霧ヶ谷大附属から転校してきた。麻世にとっての一番は自分だった――自分にとって何を一番に優先するのか。今の氷樹にはそれがなかった。


(……)


 一瞬、麻矢のことが思い浮かんだ。すると、胸が詰まる感覚がした。

 麻矢も深く傷付いていることは言われなくてもわかっている。ただ、自分が麻世だけでなく麻矢のことも傷付けた罪深さに、氷樹にはまだ向き合える勇気がなかった。

 気付けば帰りのホームルームが終わっていた。すると、祐輔がやってきた。


「氷樹、どうだ? 部活じゃないけど、気分転換に打ちに行かないか?」

「……そうだな。木下とだけなら」


 氷樹はカバンを持って席を立った。すると今度は紫がやってきた。


「氷樹くん――木下くんも」

「よお」

「えっと、二人でどこかに行くの?」

「ああ……氷樹とちょっと打ちに」

「そうなの? 私も混ぜてよ」

「あー……えーと、すまん。実は予約してるところでさ。二人までなんだ」


 祐輔は氷樹が自分とだけなら、と言ったので慌てて言った。


「え? そうなの? どこに行くの?」

「えっと――旗ヶ谷はたがやの方でさ」


 祐輔はわざと遠い場所を言った。


「そうなんだ」

「ごめん。わかっていたらあれだったんだけど」

「そっか。うんわかった。気にしないで」


 そう言って紫は出ていった。


「じゃ、行こうか」


 氷樹と祐輔の二人は教室を出た。


「……すまない」


 氷樹が静かに言った。


「いいから。あまり大人数でいる気分でもないんだろ?」

「……」

「まあ、あながち旗ヶ谷にちょっと老舗のビリヤードの店があるってのは本当なんだ。バイト先の先輩がさ、そこに行ってて」

「そうなのか」

「なら行ってみるか? いっそ」

「ああ」

「よっしゃ、俺も初めてだけどな。キューはいいか。結構荷物になってしまうし。向こうにはストックあるようだから大丈夫だろうと思うけど」

「そうだな」


 二人は駅に向かい、電車に乗った。


「……別に宝条のことが煩わしいわけじゃないんだ」


 電車の中で氷樹が口を開いた。


「ああ、わかってるよ」

「あいつは……色々俺にしてくれる」

「宝条は……氷樹のことが気になっているからな」

「ただ……俺に関わることであいつが犠牲にしていることがたくさんあるんだ」

「……」

「けどやめてくれとは俺は言えない。いや、言わなきゃいけないのかもしれない」

「今はあまり深く考えるなよ。自然と宝条にしてあげたいことがあった時にそうすればいいし」

「……そうだな」


 氷樹は窓の外の景色を見ながら言った。

 旗ヶ谷に到着し、祐輔はスマートフォンの地図で場所を確認しながら歩いた。


「お、ここだ」


 割と古めのビルだった。二階に上がるとビリヤード台がたくさんあった。


「聞いていた通り安い。まぁここまで来なきゃいけないけど」


 料金を払って更に上の階に移動した。


「さてと、キューはこれか」


 二人はキューを取り出して球を試し打ちなどをしてからゲームを開始した。



 ◇ ◇ ◇



 ビリヤードを終えて店を出たころには陽も沈み始めていた。氷樹は本当に久しぶりに友達と外で遊んだ感じだった。


「結構良かったよな? ここも」

「ああ」

「さってと……帰るとするかな。電車込んでるかな」


 二人は商店街を歩いた。


「ここも結構店とかあって面白そうだな。また今度来てみようか」

「そうだな」


 駅から電車に乗り込んで二人は希望ヶ丘に戻った。


「木下」

「なんだ?」

「……ありがとう。今日は」

「ちょっとは気分転換になったろ? 俺もテスト明けで楽しかったぜ」

「……そうだな」

「氷樹。まだお前の中で色々とあると思うけどさ、焦らずいこうぜ。少なくとも今は高二のど真ん中で一番気楽な時期だしな」

「……そうだな」


 そして二人は途中で別れ、氷樹は家に帰った。


「……」


 本当に、自分の周りの友達はみんな自分のことを気にかけてくれる、いい友達なんだ、と氷樹は思った。

 しかし、どうしても同時に麻世のことを考えてしまう。そして、その思いが氷樹の心に穴をあけるのだ。麻世と過ごしたかけがえのない時間。それだけはどうしても埋められなかった。

 後悔の念がよぎる。この繰り返しだった。

 氷樹は家に帰ると麻世の部屋に入った。麻世の机からノートを取り出す。中身を見てみると、とてもきちんとした字で綺麗にまとめられている。

 そして、机には氷樹、そして恵花と三人で一緒に写っている写真が飾られている。麻世が亡くなる前、最後に遊びに行った時の写真だ。


「……」


 とても幸せそうな麻世の笑顔――彼女の本性を知り、妹を見る目が全く変わってしまった自分。何度思い出しても後悔の念に苛まれる。

 どうして――どうして何も言わずに命を絶ってしまったのか――あの時、最後に彼女に声をかけていたら……一緒にいてあげていたら彼女の心を救えたのかもしれない。


(……)


 今度は恵花のことを思い浮かべた。彼女にも妹がいた。あの彼女のことだから本当に妹を可愛がっていたのには違いない。そしてその小さな命を無慈悲に奪われた。

 それでも今は、周りを明るくしてくれる存在――どうしたらお前のようになれる?

 氷樹は心の中で問いかけた。

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