第四話 彼のためなら何だって
紫は翠妃のしつこさに憤然としていた――向こうはいままで色々やっていたくせに、私だって――
「……いいのか?」
氷樹が訊いた。
「え?」
「今日は、部活だったんだろ」
「ああ、そのこと」
紫はすぐに微笑んで、
「いいの。私には氷樹くんのことの方が大切。けど、試験が近いのは本当のことじゃない」
「……」
氷樹の家にまた行ける喜びもあった。
再び希望ヶ丘までやって来て、氷樹の家に向かう。ああ――どうして私の家は反対方向なんだろう。ここに住んでいたらすぐに彼の家に行けるのに――それを思うとかえでの存在は脅威だった。期末試験が終わればすぐに夏休みになってしまう。
(ううん――そんなの、私がここに来ればいいだけの話だわ)
距離なんて大した問題じゃない――そんなことを考えていたらいつの間にか氷樹の家に来ていた。
「おじゃまします。こんにちは」
今日も紫は氷樹の母親に挨拶をして氷樹と二階に上がっていった。
そして氷樹の部屋に入ってカバンを置いた途端、氷樹に腕をつかまれベッドに押し倒された。
「あっ――」
「いい加減わからないのか? 俺はお前が思っているような人間じゃない、もう」
そう言うと氷樹は紫の胸をつかんだ。
「あっ」
紫がビクッと反応する。
「お前は身体目的でもいいと言った。けど、その言葉の意味をわかっていない」
氷樹は紫の制服とブラウスのボタンを外し始めた。やがて、紫の下着が露わになる。
「簡単に男に着いてくる、都合のいい女で本当にいいのか?」
「か、氷樹く――あっ」
氷樹は再び紫の胸を揉んだ。
「ここまでしないとわからないのか」
「……っ」
「……」
氷樹は紫を上から見て、やがて彼女のブラジャーを外しにかかった。氷樹の手がかかると、紫はビクッとした。
「心は正直だな。震えている」
「……」
やがてホックを外すと、氷樹は上から紫を見据えた。紫は両目を閉じて耐えているかのようだった。
「これでわかったな。お前は上辺だけだ」
氷樹はそう言って体勢を起こした。しかし――
「待って――! わ、私は……本気で氷樹くんのことを……」
紫は手で押さえていた胸元を震わせながら少しずつ離し始めた。
「……」
やがて、紫の胸が露わになった。まだ異性の他の誰にも見せたことのない裸――紫の顔は耳元まで真っ赤になっていた。
「か、氷樹くんのためなら……大丈夫……」
「……とてもそうには見えない」
「私は……氷樹くんと一緒にいたいから……また学校でも会いたいから」
「……」
再び氷樹が口を開きかけたその時、家のインターホンが鳴った。氷樹はハッとして後ろを向き、
「服を着ろ」
「でも……」
「着るんだ」
「……」
紫は黙って下着を付けなおし、制服を着なおした。
すると、ドア越しに母親の声がした。
「氷樹、紗香ちゃんが来てるわよ」
「……紗香が?」
「紗香って……?」
「……幼馴染だ。そして、天女目の友達だ」
氷樹は部屋を出て玄関に行くと、紗香が立っていた。
「紗香……」
「氷樹くん」
「……」
「今日、家にいるって翠妃に聞いたから……」
「……先客がいる」
「あ、そうなの……ちょっと氷樹くんの顔が見たかったから……」
「……上がりな」
氷樹はそう言って部屋に戻っていった。
「氷樹くん……」
制服を着なおした紫が立っていた。そして、紗香が入ってきた。
「こんにちは」
「こんにちは……」
紫と紗香はお互いに初対面だった。けれども、紗香は紫のことを翠妃から聞いていたし、紫は彼女のことを翠妃の友達と聞いて心が波立った。
「えっと……私、氷樹くんの幼馴染みで……翠妃の友達です」
「そう、なんですか。私は氷樹くんと同じ部のマネージャーです」
「宝条に期末試験の前に休んだ授業の部分を教えてもらおうと」
「そうだったの」
「翠妃ちゃん……から連絡が来たの?」
紫は探るような目つきで紗香に訊いた。
「え?」
「翠妃ちゃんにここに来るように言われたの?」
「いいえ、違うわ――ただ、部活に出ないで家に帰ってしまって心配だって……」
紗香は嘘をついた。本当は翠妃からは氷樹が紫と二人だけになることを懸念するメッセージが来ていたのだ。
「……」
何となく気まずい空気が流れる。
「あ――ご、ごめんね。私――じゃあ、麻世ちゃんに挨拶だけして帰るから」
そう言うと紗香は氷樹の部屋を出ていった。
「……」
すると氷樹はベッドに座り、「……わかった」と言った。
「え……?」
「とりあえず、学校を辞めるということに関しては保留にする」
「氷樹くん……」
「……勉強を教えてくれるんだろ?」
「あ――うん」
紫は微笑んでカバンから教科書などを取り出した。
◇ ◇ ◇
一方恵花たちは部活が終わった後、途中まで一緒に歩いていた。
「紫さん……きっと、私とはもう口をきいてくれないのでしょうね……」
翠妃は落ち込んだ様子で言った。今日の部活の練習も散々で、全くショットが上手くいかなかった。
「大丈夫よ、私たちとはちょっと意見の相違があるだけだわ」
かえでがフォローするように言った。
「けど……やっぱり紫さんのふるまいは間違っています。紫さんは……氷樹くんのためというより自分のために動いています」
「……」
「氷樹のことが……本当に好きなんだろうな」
恵花が呟くように言った。
「私も同じようなことをしていた。いや、それ以上のことかもしれない。私に紫のことを言う資格はない」
「カーチャさんとは違いますよ。カーチャさんはいつも相手のことを考えてくれて……けど紫さんは麻世さんを亡くした氷樹くんに……」
それ以上はさすがに言葉が過ぎるので口にはできなかったが、翠妃の言わんとしていることは恵花たちにもわかっていた。
◇ ◇ ◇
「……さっきはすまなかった」
紫が氷樹に勉強を教えているとき、不意に氷樹が口を開いた。
「えっ?」
「お前のことを傷付ける最低な行為だった」
「そんなこと、ない」
紫は首を振って言った。
「私の覚悟の方が足りなかっただけ……氷樹くんの言う通りだよ」
「違う。俺は――本当に俺は……」
氷樹は左手で頭を抱えるようにして俯いた。
「氷樹くん?」
「どうして……宝条も、カーチャも、天女目も、白峰も――」
どうして俺にここまでしてくれる――? どうして俺を楽にしてくれないんだ?
「……」
紫は氷樹の右手をそっと握って、
「大丈夫。これからは私が氷樹くんのことを見るから。だから、私だけを見て?」
「……」
「だから……夏休みも、一緒にいよ?」
紫は優しく微笑んで、言った。
夕方になり、紫は氷樹の家を後にした。そして帰りの電車でずっと考えていた。
(氷樹くんを支えられるのは私だけ。氷樹くんのそばにいたい)
紫は唇をきゅっとかみしめた。
(……負けない。どんなことがあっても)
そのまなざしの先に、恵花やかえで、そして翠妃がいた。
(紗香さんが来なければ……きっと――)
完全に水を差された気分だった。けれども自分の覚悟がまだ足りていなかったことも自覚していた。
(氷樹くんのためなら何だってできるって思っていたのに……)
けど、もう次は最後まで――
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