第二話 ずっと一緒にいよ?

 放課後、紫は帰りのホームルームが終わるとすぐに隣の氷樹のクラスに行った。まだホームルーム中だったので廊下で待っていた。

 やがてホームルームが終わり、氷樹が教室から出てくるところで声をかけた。


「氷樹くん」

「宝条……」

「途中まで一緒に帰りましょ」

「……」


 氷樹は何も言わなかった。紫は氷樹に着いていった。

 その時、恵花たちも氷樹の教室の前に来ていた。


「紫さん、やっぱり……」


 翠妃は二人の後姿を見ながら言った。


「けど、氷樹くんと麻世ちゃんのことはやっぱり秘密にしておくべきだと思うの」


 かえでが言った。すると教室から祐輔が出てきて、


「なんだ、氷樹か? 宝条と一緒に帰ったみたいだが」

「……」


 すると祐輔は少し深刻な表情をした。


「……あのさ、氷樹が学校を辞めるって言い出したんだ」

「ええ……知っています」

「……やっぱり、妹の件、だよな」

「……」

「お前らも何か言ってくれよ。あいつ、このままじゃ……」

「……わかってるさ」


 恵花が呟くように言った。



 ◇ ◇ ◇



 氷樹と紫は校門を出て歩いていた。


「俺に構うなと言わなかったか」

「氷樹くん、あなたのことが心配なの。ねえ、麻世ちゃんのことだけど……」

「……」

「麻世ちゃんのことを、もっと知りたいの。私、ほとんど間接的にしか知らなかったし、麻世ちゃんが転入してくる前のこととか……カーチャたちとは仲が良かったみたいだけど……」


 氷樹は立ち止まった。そして、「……なら、うちに来ればいい」と言った。紫は晴れた表情をして氷樹に着いていった。

 希望ヶ丘駅に到着して氷樹の家に向かう。紫が氷樹の家に来るのはこれで二回目だった。


「おじゃまします」

「あら、こんにちは」

「こんにちは」


 紫は氷樹の母親と挨拶をした。

 女の子が家を訪れることはあっても氷樹自身が家に女友達を連れてくるなんて、と氷樹の母親は少し驚いたが、少なくとも無気力な状態の氷樹に変化があったことだと少し安心した。

 二人は二階に上がり、氷樹の部屋に入った。そして氷樹は棚からアルバムを取り出すと、紫に渡した。

 紫はベッドに腰かけてアルバムを開いた。そこには、小学校入学の時の麻世の写真から始まっていた。


「……わあ、可愛い」


 思わず紫が微笑む。「紹蓮女子小学校 入学式」という看板の横で麻世が立っていた。ページを進めていくにつれ、麻世の成長が見られる。


「麻世ちゃん……本当に可愛い」

「……麻世は小学校三年生のころから俺と一緒に学校に行きたいと思っていたと言っていた」


 紫は顔を上げた。


「前にも話したが、俺は周りに対して何もかも興味を失っていた。妹の存在なんか、目の片隅にもなかった」

「……」

「そして麻世が霧ヶ谷大附属に進んで、一緒に学校に行くことにした。これでやっと過去のことも取り返せると思っていた」


 氷樹の表情には影があった。


「お前にも伝えた通り、俺は麻矢と付き合うことにした。けど、麻世は……自分が独りぼっちになると思ったのだろう。麻矢と麻世は親友同士だった。けど、俺が麻矢と付き合うということは、必然的にそうなることになる」

「……」

「俺は自分の気持ちを優先させた。そのせいで、全てが悪い方向にいった。いや、俺がずっと麻世のことを無視していたツケがまわってきたのだろう」


 そして、氷樹は言った。


「妹は――麻世は、俺のことを恋愛対象として見ていた」

「えっ?」


 思わぬ言葉に紫は一瞬、意味が分からなかった。


「麻世は、俺のことを昔から……異性として俺を見て、愛していた」

「えっと……」

「そのまま言葉通りの意味だ」

「…………」


 紫は絶句した。


「麻世がそんな風に俺のことを見ていたなんて全然わからなかった。そのことが原因で麻世は麻矢と絶縁した」

「……!」

「そして麻世はもう俺が自分以外の人間と関わりを持つことを許さなかった。だから彼女は、星蹟学院に転入してきた」


 衝撃的な事実に、紫はただただ何も言えずにいた。


「俺は麻世のことがもはや別人に思えた。けど、それは違う。あいつは、必死だったんだ。昔からあいつは独りだった。色んな期待を背負って――そんな麻世を俺はずっとないがしろに――だから俺はあいつと二人で生きていこうと決めたのに……俺は、結局本心では麻世の心を裏切っていた」


 氷樹は両手で顔を覆って絶望したように言った。紫は想像以上の話にまだ言葉が出なかった。


「俺はあの時、あいつに手を差し伸べてやれなかった。いくら悔やんでも悔やみきれない――俺にはもう、生きている意味なんてないんだ」


 紫は衝撃を受けていたが、ハッとして氷樹のことを抱きしめた。


「そんなことない――そんなこと決して……」


 しかし氷樹は紫から離れた。


「宝条、俺はもう、生きているのに疲れた。俺は償いたい。妹のために」

「氷樹くん……」

「今すぐにでも――あいつのそばに行ってやりたい」

「やめて!」


 紫は氷樹の両手をつかんで立ち上がった。


「お願い、早まらないで」

「麻世のいない世界なんて……生きていても意味がないんだ」

「やめて――そんなこと言わないで」


 紫は瞳に涙を浮かべて必死に言った。


「氷樹くん、お願い……っ! 私、氷樹くんのためならどんなことでもする! お願いだから……」

「……やめた方がいい。俺はお前の気持ちを散々都合よく利用した。俺にとってお前は都合のいい女だったに過ぎない」

「それでもいい! それでも……」


 紫は泣きながら首を振って言った。


「氷樹くんのためならなんだって……氷樹くんが癒されるのなら……」


 紫は氷樹を抱きながらベッドに倒れ込んだ。


「ねえ……氷樹くんはきっと寂しいはず。誰とも関わりたくないなんて嘘。私を見て。私は貴方のためになりたい」

「……」


 二人は見つめ合った。そして紫はきゅっと氷樹の頭を優しく両手で胸元に抱きしめた。


「どうして……どうして誰も俺を放っておいてくれないんだ……」


 氷樹は掠れた声で言った。


「氷樹くん、大丈夫。私なら氷樹くんの寂しさを埋められる。ね、だから……ずっと一緒にいよ?」

「……」


 氷樹は何も言わず、しばらくそのままでいた。

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