第六話 もう一度だけ

 翌日、恵花は今日も氷樹の家の前にやってきた。


「……」


 昨日は氷樹の前で涙を見せてしまった。けれども今日こそは――そんなことを思いながらインターホンを押す。やがて氷樹が出てきた。


「氷樹、おはよう」

「……今日も来るだろうと思っていた」

「行こう、一緒に」

「……」


 二人は歩き始めて駅に向かった。


「……昨日、紗香が家に来た」

「……そうか」

「学校に行ってほしいと、同じことを言われた」

「……」

「けど……ここには麻世がいない。俺の中ではもう……それが全てなんだ」

「氷樹……」

「だから……もう、学校には行っても意味がない」

「みんな氷樹に会いたいんだ」


 恵花は何とか氷樹を説得しながら、やがて星蹟桜ヶ丘駅に到着した。そして、一緒に学校まで行った。


「……」


 高校の校舎の前に立つ。氷樹にとっては久しぶりの学校だった。


「氷樹」


 恵花が促して校舎に入る。そして、氷樹の教室へ向かった。


「氷樹――」


 教室に恵花と入ると、祐輔が氷樹を見てやってきた。祐輔だけでなく、他の友達もやってきた。


「やっと来たか」

「……ああ」

「後はよろしく頼むな」


 恵花はそう言って教室を出て行った。


「随分と間が空いてしまっただろ。授業も進んでいるからな」

「桐原君、もし良かったらノートとか貸すよ」

「氷樹じゃねえか! おい、久しぶりだな」

「授業もだいぶ進んだからな。安心しろ、俺はすでについていけてないからな」


 みんなが氷樹に色々と話しかける。みんな氷樹が妹を亡くしていることはもちろん知っていたし、氷樹もみんなが自分を元気づけてくれていることも分かっていた。



 ◇ ◇ ◇



「氷樹くん、来てるの?」


 恵花が教室に入って氷樹のことを話すと紫が色めき立った。


「ああ。何とか……な」

「良かった――」


 早速紫たち部のマネージャーたち三人が教室を出ていった。


「良かったわね……学校に来てくれて」


 かえでが恵花に言った。


「カーチャさんのおかげですね」


 翠妃も嬉しそうに言った。


「けど……まだ氷樹は心の整理がついていない。学校も辞めるかもしれないと言っている」

「少しでも元気が出てくれるといいのだけれど……」



 ◇ ◇ ◇



 一時間目が終わって休み時間になると、話を聞いた人文科の女子たちもやってきた。


「色々大変だったでしょう……けど、学校に来てくれて嬉しいわ」


 休み時間ごとに色んな友達が氷樹のところに来ていた。けれども氷樹の心はまだ空虚感に満ちていた。


「久しぶりに帰りにどこか行くか?」


 昼休みの時、祐輔が氷樹に言った。


「……いや、今日は家に帰る」

「……そうか。まあそのうち遊びに行こうぜ」


 放課後、氷樹は独り希望ヶ丘まで帰っていた。


「……」


 学校に行ってわかったことは、確かにみんなは自分を温かく受け入れてくれた。きっとこれからもそうだろう。

 けど、自分の隣に麻世がいないということが何よりも氷樹の心をむなしくさせた。

 かえでの言う通り、麻世は必死に生きていた。自分が唯一の心の拠り所だったのだ。あんなに自分を求めていたのに――妹のことを少しでも悪魔のように思ったことがどれだけ残酷なことだったか。彼女にちゃんと愛情を向けてやればあんなことにはならなかったはずだ。全ては自分が麻世を無視し続けていたことが原因なのだ。


「麻世……」


 氷樹はそう呟きながら歯を食いしばった。もう二度と、彼女の声を聴くことはできないのだ。

 きっと天国で幸せに過ごしている――そう信じるしかなかった。そうでなければとてもやりきれない。


(いや――)


 ひょっとしたら向こうで自分のことを待っているのかもしれない――


「……」


 氷樹はしばらくその場で佇んだ。


(麻世……俺も〝そっち〟へ行けば、お前に逢えるのか?)


 ふと周囲の音が聞こえなくなる。氷樹は空を見上げた。


(もしお前に逢えるのなら、俺は――)


 すると、周囲の音がよみがえった。いま、氷樹の心の中に浮かび上がったのは麻矢の顔だった。


(麻矢……)


 氷樹の胸の中に温かい気持ちがこみ上げてくる。短い間だったけれど、麻矢と一緒にいた数ヶ月の間は確かに幸せだった。

 彼女は今、どうしているだろうか――深く傷付いたに違いない。しかし、自分にはもうどうすることもできないのだ。


(そう、全ては俺のせいなんだ……)


 氷樹は再び家に向かって歩いていった。

 氷樹が家に帰ってきて母親は「おかえりなさい」と迎えたものの、氷樹は「ただいま」と一言言っただけですぐに上に上がっていってしまった。再び学校に行くことができただけでも少し安心していたが、母親自身ですらまだ立ち直れていないのだ。


「……」


 氷樹は二階に上がってふと麻世の部屋のドアを見つめた。そしてドアを開けて中に入る。

 麻世の部屋はまだそのままだった。机には教科書類などが整然と並べられており、壁には星蹟学院の制服がかけられている。


 ――お兄ちゃん


 麻世の声が氷樹の頭の中で聴こえる――あんなに自分を慕ってくれた麻世。自分のことを愛していると告白し、その気持ちを真正面からぶつけてきた。

 今となってはこれほどまでに愛おしい――


「麻世……」


 氷樹は跪くと歯を食いしばるように俯いた。


(俺は――これからどうすればいい――お前のいない世界なんて……)


 どうして自分はずっと気付かなかったのだろう。麻世というかけがえのない存在を。三度も自殺未遂を起こしていたのに――どうして俺はわからなかったんだ――自分のことが憎くてたまらない――あの時の俺はどうして麻世を遠ざけようとした?


「ぐっ……!」


 後悔してもしきれない。もう一度呼んでほしい。お兄ちゃん、と――

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