第五話 悲しみと後悔

 恵花は四時間目の終わりに教室へやってきた。


「カーチャさん――」


 翠妃は恵花の姿を見ると真っ先にやってきた。


「連絡したのに――」

「すまない――ちょっとな。けど大丈夫だ。大丈夫っていうか……これから昼だろ? かえでも一緒に」


 恵花はかえでにも声をかけ、いつもの屋上の場所に向かった。


「氷樹に……会ってきた」

「氷樹くんに、ですか? 学校に来たんですか?」


 恵花は首を振った。


「私では……力不足だった」

「氷樹くんの家に行ったの?」

「ああ。それで駅までは来たんだが……。私は無理に行こうとは言わないからって、公園の方を歩いたんだ。でも氷樹はまだ……」

「そうだったんですか……」

「……明日も氷樹を迎えに行こうと思う。おせっかいかもしれない。けど、氷樹には早く……元気になってもらいたいんだ」

「……」

「それと……麻矢ちゃんのことも心配だから……」

「そうね……」

「それなら放課後、麻矢ちゃんのクラスに行ってみませんか? お通夜の時以来お話していませんし……」

「そうだな。麻矢ちゃんもきっと……落ち込んでいると思う。責任を感じているから……そんな必要、ないのに――」


 恵花は麻矢のことも気がかりだった。

 五時間目の授業が終わると恵花たちはすぐに中等部の校舎に行き、麻矢のクラスへ向かった。けれどももう麻矢はいなく、さっき教室を出て行ったとのことだった。


「まだそこまで離れていないはずだ」


 恵花はそう言って校舎の外に向かった。

 そして、麻矢が一人で歩いているのを見つけた。


「麻矢ちゃん――」


 麻矢が振り向いた。


「カーチャさん……それにかえでさんたちまで……」

「麻矢ちゃん、少しお話しないか?」

「え……?」

「その……色々あったから……」

「……」


 恵花たちはさっき恵花と氷樹が歩いていた公園にやって来た。


「……麻矢ちゃんには思うところがたくさんあると思う……けど、麻矢ちゃんが思い詰める必要は絶対にないんだ」

「……」

「そうよ、麻矢ちゃん。貴方は氷樹くんのために私たちができなかったことをしてくれたの。貴方の言葉だからこそ、麻世ちゃんに届いたのよ」


 かえでも言った。けれども麻矢は首を振った。


「……私が麻世ちゃんを追い詰めたことには変わりません」

「けど、麻矢ちゃん。氷樹くんが精神的に限界だったことは知っているでしょう? 貴方ならわかるはず」

「……」

「そうです。氷樹くんはもう限界だったんです。ご両親のこともありましたし、氷樹くんは貴方のためにもと思っていたけれど……やっぱり貴方のことが好きだったんですよ」


 すると麻矢は顔をゆがめて、


「私は……氷樹先輩が苦しんでいる姿を見るのが辛かった。だから……だから……麻世ちゃんにはもうこれ以上氷樹先輩を苦しめないで、って言った……。けど――けど麻世ちゃんもきっと苦しんでいた! 世間では認められない――兄妹で愛し合うだなんて――それができなかった麻世ちゃんはきっと――」


 麻矢は次第に感情を爆発させた。


「麻世ちゃんのことを私は何もわかってなかった! 私が――私が氷樹先輩を麻世ちゃんから奪ったの! 私がもっと麻世ちゃんのことをわかっていれば……きっと死なずに済んだ――私が……私が……」


 それ以上は言葉にならず、麻矢は駆け出していってしまった。


「麻矢ちゃん!」


 三人はどうすることもできず、立ちすくんでいた。


「……麻矢ちゃんの気持ちは痛いほどわかる」


 恵花が唇をかんで言った。


「私だって……あの日、麻世ちゃんが私の家に来たとき……もっとしてあげられることがあったんじゃないか? って……。麻世ちゃんはもうあの時すでに……決断していたんだ。それなのに――私は……」

「カーチャさんまで自分を責めるのはやめてください」


 翠妃が恵花の肩に手を置いて言った。


「そうよ! カーチャはむしろ麻世ちゃんのために一生懸命だった」

「でも……あんな時でも麻世ちゃんは私のことを……」


 恵花は瞳に涙をためて唇を震わせた。麻世は自分のことを最高のお姉さんと言ってくれたのだ。


「どんなに寂しかったか――どんなに不安だったか――それを思うと……やりきれない……!」

「……」

「けど、私は決めたんだ。氷樹と麻矢ちゃんの心を救うって……」


 恵花は涙をぬぐった。


「私の使命なんだって――今、そう感じるんだ」

「そうです。カーチャさんには笑顔が一番似合いますから」

「翠妃ちゃんの言う通りよ。カーチャ、私たちだっているんだから……一人で気負わないで」

「……ありがとう」


 恵花は二人の親友の言葉に心が温かくなった。



 ◇ ◇ ◇



 氷樹の家の前で、紗香が佇んでいた。


「……」


 通夜の日以来、氷樹とは会っていない。翠妃によれば、まだ学校にも来ていないようだった。


(……)


 氷樹の心中を思うといたたまれなかった。氷樹にとってどんなに麻世のことが大切だったか、そして彼女をうしなった痛みはどれほどのものか――

 紗香自身も小さい頃は麻世とも一緒によく遊んでいたのでその喪失感は計り知れなかった。


「……」


 紗香は氷樹の家のインターホンを押した。


『はい』


 氷樹の母親が出た。


「こんにちは。奥平です」

『紗香ちゃん? ちょっと待っててね』


 すぐに氷樹の母親が出てきた。


「こんにちは」

「こんにちは。氷樹くんは……」

「ええ、いるわ。どうぞ、入って」


 紗香は氷樹の家に入り、まず麻世に焼香をあげた。

 そして、氷樹のいる二階に上がった。


「……氷樹くん」


 ドア越しに紗香が声をかけた。すると、ドアが開いて氷樹が出た。制服姿のままだった。


「紗香……」

「……こんにちは」

「……」

「麻世ちゃんに挨拶に来たかったから……」

「……そうか。ありがとう」


 氷樹は紗香を部屋の中に入れた。


「今日、カーチャが家に迎えに来た」

「ええ、翠妃から聞いたわ」

「……だが、行けなかった」

「……」

「生きている意味が、見出せない。あの頃のようだ――いや、あの頃はまだ麻世がいた」

「氷樹くん」


 紗香は氷樹の手を取った。


「確かにそういう時期があったかもしれない。けど、学校で氷樹くんは変われたのでしょう? かえでさんが言っていたわ」

「……」

「ねえ、みんなは氷樹くんのことを待っているはずだわ。学校に、行って」

「……」

「ご両親のためにも……」


 結局氷樹は何も言わなかったが、紗香はきっと気持ちは伝わったはずだと思った。

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