第三話 ティファニア

 翠妃は一時間ほどして恵花の家にやってきた。


「入ってくれ」

「お邪魔しますね」

「……来てくれて、本当にありがとう」


 恵花はそっと翠妃を抱きしめて言った。


「いいえ、こちらこそ」


 翠妃が荷物を部屋に置くと、恵花が紅茶を入れた。


「ありがとうございます」

「……」

「……麻世さんにとって、カーチャさんは本当に心を許せる相手だったんですよ」

「……」

「カーチャさんのことが、大好きだったんです」

「……天女目に見せたい物がある」


 恵花はそう言うと一旦席を離れ、一冊のアルバムを持ってきた。それを翠妃の前に置いた。


「これは……?」

「見てくれ」


 翠妃はアルバムをめくった。すると、恵花がまだ小学生のころと思われる家族写真が色々挟んであった。

「これは、カーチャさんのご家族の……」


 するとそこに一人の幼い女の子も一緒に写っているのに気付いた。栗色の髪をして、恵花と同じ琥珀色の瞳をした女の子――


「この子は……」

「ティファニア――私の、妹だ」

「妹――?」


 翠妃は恵花を見た。


「牧田花蓮かれん。花蓮は『花』に『蓮』だ。エスターライヒにいたころはティファニアと呼ばれていた。私の、三つ年下だった」


「だった」――翠妃はすぐに理解した。


「七歳のときに、交通事故で亡くなったんだ」

「――!」

「ちょっと目を離した隙に……私のために道路の向かい側にある花を摘んで来ようとしたときだった。その時にトラックが……」


 翠妃は初めて知る恵花の妹の存在と過去に言葉を失っていた。


「……妹が亡くなって私は途方に暮れていた。あんなに可愛がっていた妹が突然いなくなってしまうなんて――私の両親も大きなショックで立ち直れそうになかった。けど、それからだった。両親が変わってしまったのは」


 恵花は暗い表情で過去を話し始めた。


「ティファニアを失った悲しみを紛らわすつもりだったんだろう、私への期待とプレッシャーがとてつもないものになった。勉強、習い事、立ち振る舞い、全てにおいて完璧な子を作り上げるような感じで、辛く、とても厳しく私に当たった。それで私は……中三の時に家出をしたんだ」

「そう……だったんですか……」


 恵花が両親との不仲が原因で一人暮らしをしていた経緯は多少聞いていたものの、そこに妹の存在があるとは知らなかった。

 そして今、麻世が自殺する前の恵花の振る舞い――麻世を失うことを異常に恐れていた理由がわかった。


「私は家を出て一人で生きていくと決めていた。それで……私の祖父がオーストリアからわざわざ駆けつけてきてくれた。私が家出から荷物を取りに実家に戻ると祖父がいて、私の全てを受け止めてくれた――それで私が高校に入ってから一人暮らしを始めることになったんだ」

「……」

「……麻世ちゃんをある意味ティファニアと重ねていたんだ。けど、それとは別に私は麻世ちゃん自体に惹かれていた」

「カーチャさんにも妹さんがいらしたんですね……とても可愛らしい……」


 翠妃はアルバムの中の恵花の妹――ティファニアを見つめて言った。


「……引っ込み思案で人見知りな性格だったからな。いつも私のそばを離れなかったんだ」

「可愛いですね」


 翠妃は微笑んで言った。


「もし生きていたら……麻世ちゃんと同じ、今年で十四歳になっていた」

「きっとカーチャさんのそばにいたでしょうね」

「……いつかこの話をしようと思っていた。けど、私はなかなか……過去を乗り越えることができなかった」

「……」

「……けど、その時が来たのかもしれない」


 恵花は立ち上がって窓の方に行った。そして空を眺めながら、


「……きっとティファニアも、麻世ちゃんも、天国に行った後、生まれ変わって幸せになっているはずだ」

「ええ……きっと、そうですよ」


 翠妃も微笑んで言った。

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