第7話 逢瀬廻について

あの後、廻の親に部屋替えの要求をしようと離れを出た途端、俺を捕まえようと廻が追ってきた。


ホラー映画の美女とクリーチャーのチェイスのように屋敷中を走り回ること数分、何とかめぐるの追跡から逃れることに成功した。


そして今は偶然見つけた空き部屋に身を潜めている。


「何で泥棒みたいな事してるんだ俺は」


しかしよく考えてみろ。


年頃の男女が相部屋なんてダメだろう。


いくら親同士の公認で婚約者フィアンセだからって………廻の親父さんは何考えてんだ。こうなったら説得してもらうしかない。


「こんな所にいたんですね一生いつきくん」


「うわっ!」


襖から顔を覗かせる神室木隗かむろぎかいがいた。


「びっくりするじゃないですか………あの、廻に言わないで下さいよ」


「大丈夫ですよ。お嬢なら諦めて今入浴中ですから」


隗さんは空き部屋の中に入り、パタンと襖を閉めて腰を下ろした。


「しかしダメじゃないですか、あんな感じに距離をとっちゃ………強引とはいえ相手はお年頃の女の子ですよ」


「相部屋はキツイですって」


「それはそうでしょうけど、お嬢はああいう性格でも案外デリケートなんですよ。もっと上手いやり方があったと思いますが」


確かにその意見には一理ある。

驚きのあまりに飛び出してきたからな。


「それと一生いつきくん、この屋敷に来てから違和感は無かったかい?」


「………違和感?」


「走り回ったから薄々気付いているだろうけど、この屋敷内でお嬢と私以外の人間を見たかい?」


神室木隗は続ける。


「────使用人は私だけ。お嬢以外には私しかいないです」


「廻以外………それって」


「うん。両親はもう亡くなっているし、兄弟もいない、親戚もいない。既にお嬢は天涯孤独なんですよ」


「………」


「ましてや、この逢瀬家は近所から変わり者として見られているからね。だからそんなお嬢を見ても手を差し伸べてくれる人なんてのはいないんです」


「何で変わり者として?」


「うーん、私の口から言っていいのか分からないですが………まあ、お嬢を理解する上で必要だから言っておきましょう。それは────」


神室木隗は語り始めた。


──────


─────


────


現在、逢瀬家は朧流闘術おぼろりゅうとうじゅつという現神町に古くからある伝統的武術の分家として名を馳せている。


十数年前までは現在よりも弟子は多く、同じ分家である親戚も同じ現神町内で道場を開いていた。


元締めである宗家はかなり昔にその血縁を絶たれており、それから分家が手を取り合って現代まで復興を続けてきたのだ。


しかしある時、分家である親戚が不慮の事故で亡くなり跡継ぎがいないとのことで敢えなく道場をたたむことになった。


それを皮切りに関係者の事故や事件が多発していき、門下生は離れ、残ったのは逢瀬家の朧流であった。


事故も事件も『ただの偶然』のように思えるが立て続けにして朧流に関わりのある人間が巻き込まれていったので一種の呪いではないかと近所で噂されるようになったのだ。


廻の母親は5年前に事故死、父親は2年前に持病の悪化によりこの世を去った。そんな事があり、いつしか『逢瀬家に関わると死ぬ』とまで噂は一変し、古くから事情を知る大人たちは毛嫌いしている。


噂が立つ以前から神室木隗は使用人として逢瀬家に仕えていたが、それでも廻の孤独を埋めることは出来なかった。


しかし、そんな時に廻を支えたのが俺の姉さんや親父だった。


話によれば、遠い血縁関係であった為に親父や姉さんはこの現神町に帰ってきては逢瀬家と交流していたようだ。


だから廻も姉さんだけでなく親父のことを知っているらしい。直接的な血の繋がりは無くとも親兄弟のように接してきたからこそ姉さんとの生活で廻は元気を取り戻したのだ。


それに姉さんが元々は泊まる際に離れを使っており、廻が押しかける形で相部屋になったとか。


そして1番驚いたのは────


「婚約を決めたのは親父じゃないのか?」


「ええ。あくまでも許可をしただけであって一生くんを選んだのは紛れもなくお嬢です」


「でもあいつは親父たちが決めたって」


「ただの照れ隠しでしょう」


親が決めたのか、子が決めたのかでは大きく意味が変わってくる。真実が後者であった事に俺は少しばかり安堵した。


「しかしお嬢の意思は固いですよ。天涯孤独の今、轍家こそ唯一の繋がりなんですから。それに一生くんの事は昔から好きだったようですし。貴方の父親には『運命』だなんて言ってたのを覚えています」


そう言われてもなあ。


例えるなら姪っ子に結婚しようって言われて本気になる叔父がいるのかって話よ。


「すぐに結婚しろという訳ではないんですから、今はただ兄妹きょうだいのように振る舞ってみてはどうかと」


「兄妹か………」


「ささ、そういう事は湯船に浸かりながら考えておいて下さい。男女の風呂は離れているので安心してどうぞ」


そう言われるままに俺は浴場へと向かった。


ある程度予想はしていたが、こんな立派な屋敷なだけあって浴場もかなりの大きさだった。ふと思えば多くの門下生がいたのだからこれくらいあってもおかしくはないのか。


ただ俺だけが使うには何か勿体ない気もする。


洗う音、流す音、浸かる音────


全てが虚しく響き渡る。


『誰かいたらなあ』と湯船に浸かりながら思ったと同時に廻はこういう寂しさをずっと抱えていたのかと考えた。


「全くズルイぜ。姉さんも親父も俺を誘ってくれれば良かったのに………そうすりゃ────」


それから先は自然と口にはしなかった。もしかしたら響き渡る自分の言葉を耳にしたくなかったのかもしれない。


そうすりゃ今日の再会だってまた別のものになってたかもしれないだろう。


俺もまた廻の孤独を理解できる稀有な存在なのだと気づいた。いや気づかされた。


そして「よし」と自分に言い聞かせるようにわざとらしく声を張り上げ、浴場から出る事にした。


──────


─────


────


「おや、なんかいい顔つきになりましたね」


離れ手前の渡り廊下でちょうど神室木隗と鉢合わせた。


「まあ隗さんのおかげだよ」


「お役に立てたのなら幸いです」


「廻は?」


「もう寝ておられます。なので今日は別室でお休みになられてはどうですか?」


そうか。寝ちまったか。


「いや、大丈夫です」


「そうですか………では、おやすみなさい」


母屋に向かう神室木隗の足取りは軽く、その表情はどこか嬉しそうに見えた。


そして俺は部屋の扉を静かに開ける。既に明かりは落ちていたが徐々に目が慣れていく。


よく見ると廻は布団に潜り込み寝息を立てている。そして、その横にはもう一つ布団が敷かれていた。


多分さっきまで事情を知らなかった隗さんが敷いたんだろう。しかし何故ぴったり横づけされてるんだ。『二の字』っつうかこれじゃあ正方形じゃねえか。


普段なら声に出してツッコんでいるがそんな場合ではない。とにかく俺は廻を起こさぬように静かに横たわった。


その時ちょうど廻は寝返りをうち、向かい合わせになり廻の顔が見えた。


「………そんなにだったのか」


目が慣れてきたとはいえハッキリとまではいかないが、確かに廻の目元は赤く腫れていた。


「…て………死んでも……逃がしは………」


「はは、夢の中でも追いかけてやがる」


俺は廻の目元をそっとぬぐった。


まあ………悪い気はしねえか………


「よろしくな、婚約者あいぼう


そう呟き、ゆっくりとまぶたを閉じた。


──────


─────


────


兎にも角にも。


轍一生と逢瀬廻が就寝した頃、逢瀬家のある一室にて────


隗は部屋の隅を見つめていた。


いん………ですか」


少しモヤのかかった何かが話し出した。


「あ、バレました? 流石はかいくん、次期三狼衆みろうしゅう候補なだけあるねえ」


「来る時は知らせろと言ったでしょう。もしも見られて怪しまれたらどうするんですか」


「見られたらって見えないもんをどう見るのさ」


「契約者を侮っちゃダメですよ。ましてや轍家・・の人間なんですから」


「まあねー」


「その時は………もちろん隠も一緒に怒られるんですよね?」


「あー………ちょっと想像したけど無理だわ。陣って手加減しないからさー」


でしょ。次からは気をつけて下さいね」


「はいはいよー………ってかさ、さっき何で嬉しそうな顔してたのよ?」


「あの時から見てたんですね………いやはや、お恥ずかしい。まあ理由としてはあの時『力の片鱗』を見たからですよ、ほんの少しですが」


「へえーそうなんだ」


「質問に答えたのに反応薄いですね………」


「いやあさ、『力』なんて腐る程見てきたから今更ながら一喜一憂する必要なんてないじゃん」


「あの子は別格ですからね」


「隗くんがそこまで言うとはねえ」


「それよりも今日は何用で来たんですか」


「ああ、筆頭からのお届けものでーす。隗と一緒に読めってさ」


いんは封書を取り出し「ほい」とそれを隗に投げ渡す。


「このご時世に封蝋ですか。この古臭い感じ────からの」


「そそっ、預かったのは筆頭からだけど書いたのは大狼なのよ。で、何て書いてあるの?」


「………なるほど」


次に隗が「ほら」と手紙を隠に投げ渡す。


「………ふむふむ、急だねえ」


「それもかなり」


「どっちがやる? アタシ? それとも隗くん?」


「いや、仕込みは既に筆頭が終わらせたようなのでその流れに任せましょう。それでもダメだったら私が動きます」


「さっすがー、頼りになる先輩だよ」


「隠のやり方は雑だから任せてられないんですよ。ほら、用が済んだなら帰って下さい。私にはまだやる事が残ってるんですから」


「はいはーい、帰りますとも」


「ですが、くれぐれも気をつけて下さいよ。シラヌイは既に動き出してますから」


「ああ、分かってるって」


その言葉の直後、部屋の隅にあったモヤは消えた。


「よし。じゃあこれは燃やしておかないとね」


隗はパチパチと音を立てる火鉢に手紙を放り込む。


メラメラと燃えていく手紙には────


『明日、轍一生を信楽港にて殺害せよ』と。

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