第4話 桔梗が原駅前①

逢瀬廻あわせめぐるが校舎の塀を飛び越える数分前────


「はあ………」


無事、桔梗が原駅に到着したのはいいけど肝心の迎えがいない。きっと遅れているんだろうと心の中で自分自身を励ましているが少しずつ不安になってきた。


というのも姉さんに限って遅刻なんてのはあり得ないからだ。こんな田舎町で渋滞や遅延なんてまず起きないだろうし。


それに連絡も返ってこない。


姉さんの身に何かあったのだろうか。生まれながらのトラブルメーカーだからな、あの人は。


そんな事ばかり考えながら俺はベンチに座っていた。


辺りを見渡すとバス待ちの学生で賑わっている。駅前はバスロータリーになっており、乗り場がいくつかある。学生は各乗り場に散っているが何故か俺のいる所には誰も来ない。


というのも、さっきまで誰もいなかったのでこのベンチに座っていたのだが姉さんを待つ間に段々と人が増えてしまい、俺を避けるようにして近くに学生が集まっている形になっている。


今更「どうぞ」なんて言えない。それに学生らが警戒しているのは俺が彼らと違う制服だからだろう。


着慣れているとはいえ制服で来るんじゃなかった、と後悔しても既に遅い。


さてこの場をどうしようか。


黙って去るのもいいが姉さんをどこで待とう。


「よう、そこの兄ちゃん」


後ろから声を掛けられた。


振り返ると1人の女が立っていた。

黒のショートヘアに凛とした顔つきをみると20代前半って感じだが、身なりが古臭い。


キセルを咥え、紺の着物を羽織り、下駄を履いている。しかし何故か下はジーパンだった。


「俺のことですか?」


「目の前にはアンタしかいないだろう」


それもそうか。

大股広げてベンチに座ってる俺しかいないか。


「座りたいんでね、寄ってくれるかい」


「ああ、すいません。誰もいなかったんで貸し切っちゃいました」


そう言って俺は端に詰めて座った。

元々、誰かが来たら詰めるつもりだったから別にいいが気付いたらこの女がいた。下駄を履いてるってのに話しかけられるまで存在に気付かなかった。


足音を殺して歩くのが癖なのか?


「よっこらせ」だなんて言いながら腰掛ける古風な女。


「アンタさ、見た感じここらへんの人間じゃあないね」


「なんで分かるんです?」


「そんな学ランはこの町の学校にはないからね。ま、こんな町にアンタくらいの年頃が行く学校なんて1つしかない、地元の人間なら案外誰でも分かってしまうことさ」


「そうなんですか」


「ああ、そうさ」


古風な女は咥えたキセルを外し、ぷかぁと煙を吐く。紙タバコや電子タバコが主流のこの世でキセルというレアアイテムをいかにも手馴れた風に扱うのを見ると意外に絵になるというか何というか。


「あの、ええと………」


れんって呼んでくれ」


「れん?」


「何ぼけっとしてるのさ。うちの名前だよ」


続けて古風な女は自分の名を「宇田川蓮うだがわれん」と言った。


「じゃあ宇田川さん」


「なんだい堅苦しいねえ」


「初対面ですから」


「まあいい。それでアンタは?」


胸元から学生手帳を取り出して宇田川さんに見せる。


「ほら、ここ。俺は轍一生わだちいつきって言います」


轍という漢字は普段から見慣れないし、一生ってのも『いっしょう』と呼ばれがちだからこうしてわざとらしく生徒手帳を見せたのだ。


「ふーん、わだち………一生いつきねえ。贅沢な名前じゃないか」


「俺はそうは思いませんが」


「うちの宇田川なんて簡単な漢字ばっかさ。次生まれるならもっとイカした苗字がいいよ」


そんなことを苦笑い気味に言った。


すると俺の携帯電話が鳴る。

どうやらメッセージが届いたようだ。


取り出して確認してみると姉さんからだった。内容としては迎えに来れないとの事だ。


トラブルを起こしたのかと一瞬頭をよぎったが来れない理由も書いてあった。


「どうしたんだい?」


「あ、いや、実はここで姉を待ってたんですけど急な仕事の都合で来れなくなったみたいで」


「なるほど、だからここにいたのかい。でもどうしてこの町に?」


「親父と暮らしてたんですけど『大事な仕事があるからお前は姉の所に行け』だなんて言われて半ば強制的にここに来たんです」


「大人の事情でたらい回しって感じかい。生徒手帳を見た感じあんた高校3年だろう、貴重な青春時代をこんな町で過ごすことになるなんてねえ」


「そこは別に構わないです。ここ現神町は俺の生まれ故郷ですから」


宇田川さんは少し驚いた表情になる。


「なんだ、ここの出身かい………ふふ、なら歓迎するよ」


宇田川さんは屈託のない笑顔で俺にそう言った。


「宇田川さんもここの出身なんですか?」


「いや、出身は違うが現神町との縁はだいぶ長いんでね。住み慣れた我が家って感じさ」


宇田川さんと馴染んだ空気になってはきたが、その間に新たな問題として姉さんが来ない事が分かった。


「行き先は知ってるのかい?」


「いや、全く」


「気の利かないお姉さんじゃないか」


「あ、でもメッセージには『使いをよこす』ってあったんで誰か来るんだと思います」


「でもその誰かも分からないんじゃ手の打ちようがないだろう?」


「言われてみればそうですが、姉さんのことなんでその使いとやらに俺の特徴なりを伝えているとは思うので」


「だといいけどねえ」


宇田川さんは外したキセルをもう一度咥える。


「なあ、イッキくん」


「飲み会みたいな感じで言わないでくださいよ。俺まだ未成年ですよ」


「ああ、いや、こっちの方が自然かなって。いつきなら『一』じゃなくて『五』になるじゃないか」


「そうですけども今のご時世、名前の読みなんて結構自由じゃないですか」


「そう言われると納得せざる得ないねえ。昔はもっと名前には魂を込めて付けていたものじゃないか。ほら、『命名する』って言うだろう」


「それは名前には命が吹き込まれてるって意味でしょう」


「そうかもね。名前を付けるのは親の自由だがそれに意味が無ければ正に画竜点睛を欠くって訳さ」


じゃあ俺の名前は読みやすさを重視した上で決定された『いつき』なのか?

そう考えてしまうとなんか嫌だなあ。


「まあイッキくんの親父さんが本当にそんな理由で『いつき』にしたのか分からないよ」


「とりあえずイッキくんになんですね俺は」


でも宇田川さんの意見も一理ある。

親父は昔から読めない奴だったからな。


「あ、というか何か俺に聞こうとしてましたよね? すいません、俺から話の腰折っちゃって」


「ああ、そんなに大した事じゃあないからさ」


「ほら、あそこ」と言って宇田川さんはベンチの向かい側を指差す。


その方向、約30メートルくらい先で喧騒に紛れて数人が揉めていた。


宇田川さんに言われ、その揉めている現場を注視すると帽子を被った1人がいかつめの男3人に罵倒されていた。それに今にも手が出そうな感じだ。


「見てみな、周りは見てるだけさ」


「俺らもですけどね」


「別にそれが悪いって意味じゃないさ。でもあの状況を見て動画を撮ってる学生もいりゃ物珍しそうに立ち見する大人いるのがよろしくないねえ」


『静かな野次馬たち』────眺めるだけの周囲の人間たちを例えるならその言葉がしっくりくるだろう。


止めもしない、おだてもしない。


目の前で起きている事なのに自然とそこには見えない境界線が引かれていた。


「おいおい、どこ行くんだい?」


宇田川さんのその言葉にハッと我に返る。

ついついベンチから立ち上がり、揉め事が起きている場所に向けて歩き出し始めていた。


「ああいう状況を見ちゃうとほっとけなくなるんです」


「イッキくんを否定するわけじゃないが事の発端も分からないのに第三者が首を突っ込むのはどうなんだい」


「だからいいんじゃないですか」


宇田川さんは難しげな顔をした。


「争いごとなんて結局はワガママのぶつかり合いなんですから。そこに自称トラブルシューターの俺が好奇心で、大きなお世話で、ワガママで首を突っ込むのに問題なんてないんですよ」


「面白い考え方だねえ。あの喧騒を見過ごせないってのがイッキくんの我儘であり正義なのかい」


「そういう事です」


「なら見せてもらおうか………イッキくんの言う正義ってやつをさあ」


その一瞬だけ宇田川さんの目の色が変わったような気がした。視線ならぬ死線、喉元に刃物を突きつけられたような緊張感が走った。


しかし俺の意思が変わることはない。


多勢に無勢、そんな状況を見て黙っていられる俺ではない。それこそが俺の正義であり、揉め事に首を突っ込むのが大好きな俺の我儘である。

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