第2話 少女もまた戯れる
ふむ。
ふむふむ。
これはまずい状況だ。
はて、しかし────
「なあ見知らぬ人よ、何故こんな事になっている?」
「き、君……何も見てなかったのかい」
やけに震えているではないか。
「今日は大忙しだったのでな、これに乗るなりずっと爆睡しておったのだ」
私もとりあえず声を殺したまま話す。
目覚めて早々だが目の前の状況を理解できない訳ではない。
「1時間前くらいかな、急に乗ってきたんだよ。多分、見るからに強盗だろう」
確かにそのようだ。
映画やドラマで見るような目出し帽に拳銃、おまけに現金が入っているであろう大きめのバッグ────この非武装国家でどうやって物騒な物を手に入れたのかは知らぬが、それらが私たちに向けられていると考えれば非常事態である。
しかしまあ。
「ふふふ」
「こんな時に何笑ってるんだ」
「いやーバスジャックに直面するなど生まれて初めてだったのな………ついウキウキしてしまった」
「ウキウキって、殺されるかもしれないんだぞ」
「怯えてもそれは一緒なのだから楽しんだ方が良いではないか。そんな事よりも今どこらへんを走っているのだ?」
隣の席の男は口をつぐみながら言う。
「詳しい位置は分からないけどさっきから海岸沿いを走ってる。きっと港に逃走手段でもあるんじゃないかな」
「港か………」
地理には詳しくないが、ちらっと外を見た時に知ってる地名が一瞬目の前を過ぎた。
「………ふむ、割と早いかもしれん」
「何が?」
するとバスの前から目出し帽の男がこちらに来る。
「おい、何話してんだ」
「………」
隣の席の男は黙ってしまった。
こらこら、お主に質問してるのだから黙ってはダメだろう。
「私はさっき眠りから目覚めたのでな、こやつには今の状況を説明してもらったのだ」
「ちょっと、君!」
隣の席の男は慌てて私の方を見て言った。
「何か問題でもあるのか? 状況説明した所でこやつらに損も得もないであろうに」
「よく喋るガキだな………自分の状況ってのが分かってないらしい」
目出し帽の男は私に銃口を向ける。
「よく聞け、ガキ。死にたくなきゃ変な気を起こすんじゃねえ、黙って乗ってりゃいいんだよ」
男の目を見ればその言葉に迷いや偽りは無かった。本当に私を殺す覚悟がある目をしていた。
「………分かった。良いことを教えてやるからその物騒な物をしまってはくれぬか?」
「良いこと?」
「そうだ。どうやら近くの港に行くようだが、そこはきっと
それを聞くと、目出し帽の男の表情が一瞬固まる。
「何でその港の名前を知っている」
「ここから近いのが信楽港だからだ。昔からあの近辺は黒い噂で持ちきりなのでな、お主らのような者たちが逃げるにはもってこいの場所であろう」
その会話を聞いていた他の犯人たちも動揺し始める。すると1人だけ身なりの違う男が前から来る。どうやらこやつらのリーダーのようだ。
「見た目の割には物知りだな」
「物知りではない、地元愛というやつだ」
「ふん、まあいい。前の方で聞いてたが『良いこと』ってのを教えてもらおうか」
「………それはな」
──────
────
──
良いこと。
私はこやつらにとって良いことを告げたつもりであったが結果としては良くはなかった。
「信楽港へ行かない方がいい」とハッキリ言ったのだが、それがまずかったのだろうか。
それを聞いたリーダー格の男は怒ったのか、私の隣にいた男の足にナイフを突き立てた。
悲痛の声が虚しくバスに響き、他の乗客たちの恐怖心を煽る結果になった。
抜かれたナイフにはべったりと血が付いており、リーダー格の男はそれを私の顔で拭い取った。
「今度はお前の血でこうなるぞ」
そう言ってリーダー格の男は運転席の方へ行き、そのまま信楽港に行くよう命令したのが聞こえた。
その行動に関して、私の心に感じるものは何もなかった。指示ではなく提示しただけであり、聞くも聞かないもこやつらの自由だからだ。
それよりも隣の男が気になる。
刺された足からは血が滴り落ち、呼吸も荒い。
「大丈夫か?」
「大丈夫そうに見えるか………」
さっきまで怯えていた男の顔は今にも死にそうなくらい疲弊していた。待て待て、それは大袈裟ではないか。
「ああ、見えるぞ。その程度の怪我では死なぬからな」
「そうかもしれないが………でも君が余計なことをしなければこんな事にはならなかったよ」
「………ふむ、私が悪いのか?」
「そう言ったつもりなんだが」
はて、不思議なことを言うなあ。
「では私の隣に座った貴様も悪いではないか、ここを選んだのは貴様であろうに」
隣の男は目を丸くして私を見る。そんな道理があるのか、と目で訴えかけているようだ。
「全く……呆れたものであるな。元を辿れば誰が何が悪い。ジャックされたこのバス会社が悪いのか? それとも犯人たちが悪いのか? そうでなかったらその怪我も私とこうして出会うこともなかったろう」
「それとこれは別だろう。むしろ話の次元が違う。君が犯人たちを逆撫でするような事を言うから………」
「いやいや、貴様はバスジャックされた事は許せても、私のせいで刺された事は許せぬと言うのか? そう都合よく物事は回っておらぬのだから何が起きても責任は己にあると思うのが筋であろう」
「………」
隣の男は黙ってしまった。
少々言い過ぎたな、ならそろそろ頃合いであろうから言ってもよかろう。
「聞くがよい。世の中の全ては『縁』で繋がり、『
その言葉に隣の男は私を見る。
また「何言ってんだ」って顔をしおって。
────ガタンッ
突然、バスが揺れ、天井に何かぶつかったような音がした。
犯人たちはそれを聞き、一斉に天井を見る。
「なんだ、今の音は!」
リーダー格の男がそう声を上げた。
「分かりません。ですが警察ではないでしょう。近づけば人質を殺すと脅してありますから」
リーダー格の男をなだめるように他のメンバーがそう言った。なんせこの車内には既に死体があるからだ。
最後列の窓側に座っている私からは見えづらいが、最前列の席に座っている1人は血まみれで力無い様子だ。バスの揺れに合わせて右へ左へ動く姿を見ると既に生気を感じられない。
バスの周りでパトカーのサイレンやヘリの音がしないのはそのせいかもしれない。私が寝ている間に見せしめとして1人が殺されたのだろう。
犯人たちは天井の音への警戒心が緩んだのか、再び元の位置に戻る。そんな中、リーダー格の男だけが未だに音のした辺りを眺めていた。
概ね、その勘は当たっていた。
音がした時、私は天井ではなく外を見ていた。
その時、オレンジ色の外灯に照らされたバスの影の上には人影があったのだ。
しかし、その瞬間バスはトンネルに差し掛かり影は見えなくなってしまった。
「やはりおかしい」
リーダー格の男がそう呟いた瞬間、再び大きな音がする。
────ズガンッ
先程は比べものにならない大きさ音。
それに重く、少しばかりバスが揺れた気がした、
さすがに異変を感じ取ったのか。リーダー格の男以外のメンバーも一斉にその場に注目した。
今度は音だけでなく、『物』があったからだ。
私はバスの上にいるであろう『誰か』の仕業である事を知っているが、こやつらはまだ知らない。
通路上の天井には1本の鉄パイプが貫通していた。
リーダー格の男の顔に驚きはなかったが、その目には焦りと不安が見えた。『偶然ではない何かが起きている』とでも思っているのだろうか。
「こ、こりゃあ一体………」
リーダー格の男の近くにいた下っ端が恐る恐るに口にすると
「見りゃあ分かるでしょう。鉄パイプだよ」
と突き刺さる鉄パイプの先から女の声がした。
言い終わると同時にリーダー格の男は鉄パイプが突き刺さっている周辺を拳銃で撃つ。
数発の銃声と共に天井には同じ数だけの穴があいた。
しかし、再び女の声が返ってくる。
「あっぶないなー!当たったらどうすんのさ。 アンタに私の葬儀代が払えるの?」
何事もなかったかのような元気な声だった。
それとまたどこか煽るような調子にも聞こえた。
それを聞いた私はバレぬように口元を隠してほくそ笑んでいた。いやはや失敬。
こんな緊迫した空気であるのに余裕綽々な態度を見せられてはまるで喜劇のようにしか思えなかった。
そして、女の声は続く。
「偶然通りかかって中を覗いてみたら仏さん1人に武装集団がいたから驚いちまったよ。この国は非武装だった気がしたけどねー」
「警察か?」
リーダー格の男のその言葉に女は笑う。
「ハッハッハ、警察? 私はそんな立派なもんじゃないさ。ま、似たようなもんだけど」
女は返答を待たずに続ける。
「そんでさ、アンタらがこのまま先に進むようなら私は妨害しなきゃならないんだよ。 だからさー、引き返してくんない?」
「馬鹿言うな、こっちはこの先の港に向かってんだ。お前がどんな手品を使ったか知らねえがこっちには人質も銃もあるんだよ」
「信楽港のことかい、まだあんな吹き溜まりがあったのか。だったら尚更引き返してもらわないとね」
「うるせえ、とにかく死にたくなきゃそこから降りるんだな。今部下たちはお前のいる場所に銃口を向けてる」
そんな中、私の隣の席の男が話しかけてきた。
「なあ、君が言ってた『助かる』ってのはこの事なのか?」
私のほくそ笑む姿を見たのか先ほどよりも顔には余裕がある。しかし、男の予想は少し外れていた。
「んー、実のところ私も少しこの状況には驚いている」
「え?」
「このトンネルを抜けた先で助けがあると思っていたのだが、その手前でこの事態が起きたのでな」
助かるには助かるであろうが、流れが読めないという訳だ。オドオドしても仕方ないから目の前の状況を楽しむしか私には残っていないのだ。
───────
─────
────
兎にも角にも。
私は助かった。
しかし、その過程は何故か記憶にない。
最後に覚えているのは────『5、4、3、2、1』と女が数えてたことだけ。それから気付くと私は他の乗客と共に道端に寝かされていた。
どうやら私が最初に目を覚ましたらしく、その他全員はまだ気を失っているようだ。
「ふむ、一体何があったのだ………」
生暖かい風を感じると思えばトンネルの近くにいるのが分かった。さっきバスが走っていたトンネルだ。
街灯は虚しく照らされており今にも消えそうだ。むしろ月明かりの方がまぶしいくらいだった。
そう思って空を見上げると今日は満月であったことを思い出した。確か今朝のニュースで例年よりも月が大きく見えると言っていた。確かスーパームーンだっけ。
吸い込まれるように月明かりの方へ視線を向けたが何故か月は欠けていた。
おいおい、話が違うではないか、と思った矢先すぐにそれが人影であることに気が付いた。
「なあ、そこの人!」
何も反応がない。
聞こえていなかったのか?
「電柱のてっぺんに腰掛けている人!」
すると私の呼びかけに振り向いた。
「おやおや、気づいちまったかい」
「何でそんな所にいるのかは分からぬが私たちを助けてくれたのはお主であろう? 感謝するぞ」
そうは言ったものの確証はなかった。しかし、一瞬だけ見えたバスの人影と満月に映るそれはとても似ていたのだ。
「ああ、そうさ。それにもっと安心していい。悪人どもはもういないからね」
私は辺りを見回した。その女の言う通り、目出し帽の武装集団はこの場にいなかった。
「確かにそうであるな。バスすら無くなっている」
バスだけ走っていったのか?
まさかそんな訳なかろう。
運転していたのはバスジャック犯がわざわざ降ろしてくれた訳でもなかろうし、逆に人質を諦めて逃げるような連中でもなさそうだったからなあ。
ん?
ではこの女が犯人たちを既に護送したのか?
それにしては早すぎるではないか。
………しかしまあ、余計な詮索はやめておこう。今は助かった命にだけ感謝すれば良いか。
「お嬢ちゃん、ひとつ頼まれて欲しいんだが、もうすぐここに物騒な2人組が来る。そいつらをここで待ってておいてくれ。そして、その子らには『大狼は帰った』と伝えといてほしい」
タイロウ? 変わった名前であるな。
「………ふむ、承った。お主は命の恩人であるからな。しかしそれだけでよいのか?」
「そうだねえ………じゃあ最後に歓迎の言葉でも言っといてくれ。その2人はここに来るのは初めてだからね」
全く、なんという寛大さなのだ。人の命を助けるというイベントは人生で一度や二度あるか分からないほど貴重なものというのに、それなのに大した見返りも求めないとは………この
そう心の中で叫び、私は笑顔で「承知した」と応えた。
「────それじゃあ、また縁があれば」
その人影は満月に溶け込むように消えていった。月明かりでよく見えなかったが最後にその人も笑っていた気がする。
「幽霊だったのか?」なんて一瞬頭をよぎったがバスに乗ったり鉄パイプを突き刺した事を考えると人間なのだろう。
この『縁』がどのような『環』になるかは知らぬが、きっとまたどこかで会えると私は不思議と思った。
「しかし遅いではないか。ここがトンネルの向こうであるなら既に
そう呟いているとトンネルの奥から生暖かい風に乗って何やら音がする。
ガシャギシャ────
ガシャギシャ────
ガシャギシャ────
金属音?
何かが近づいてきている。
「はぁ、はぁ………負けねえぞ!」
「ペースが落ちてるじゃない!」
「うっさいなあ! こっちは本能で走ってるんだから!」
「フライングしたのに追いつかれるっていうのはどんな気持ちなのかしら!」
「はあ?私が遅いって言いたいのか!」
「あら、自覚あったのね!」
大声で何を言ってるか聞こえないが見る限りどうやら『人』のようだ。さっきの人影が言ってた2人組のことだろう。
「なあなあ、誰かいるぜ」
「
「へっ、何言ってんだ。まだ私らの勝負が残ってんだろう」
「ふふ、じゃあ何を賭ける?」
「そうだなあ………じゃあ────」
遠くで見ていたから分からなかったが、近づくにつれてその2人組はとてつもない速さでこちらに走って来ているのが分かる。
気付けば2人組は飛び出すようにトンネルを走り抜け、その直後強い風が私を吹き抜く。
さっきまでの勢いとは逆に2人組はその場に倒れ込み、荒い呼吸音を響かせた。
形からして
それに見たこともない服装だ。手足が禍々しい雰囲気だが他はそうでもなく、ウェットスーツのような服装でボディラインを見るなり、2人とも女だと分かる。
「そこの2人ともお疲れのところ悪いのだが────」
「で、どっちだった?」
倒れ込んでいる1人が食い気味に言ってきた。
「え?」
「だーかーらー、どっちが先にゴールしたの?」
もう片方が私に視線を向ける。
「そうよ、どちらが先にゴールしたのか知りたいわ」
「待て、待つのだ。まず伝えなければいけない事がある。実はタイロウという者から伝言を預かっているのだ」
「先に帰る、とかでしょ?」
「はて」
「そうね、そんな所でしょう」
「さて」
困ったな………当てられてしまった。
これでは私の立場がないではないか。
「まあよい。そんなところであっている。では次にお主らの質問に答えよう」
そう告げると2人組はむくりと立ち上がり、何故か横並びになる。先ほどの荒い息切れは既にピタリと止まっていた。
「納得いかぬかもしれんが………同着であったぞ」
とはいえ、正直なところ仮に差があったとしても2人とも似た服装だから区別が出来んのだ。そう考えると同着で助かったぞ。
「なーんだ、同着かよ」
「いいじゃない、今度は対等にスタートできるわ」
落ち着いた口調の方が私に話しかけた。
「ねえ、あなた」
「何か?」
「
「もちろん、何せ私はこの町で生まれたのだから」
「なら助かるわ、どこかしら?」
「既にここから見えておるぞ。中腹に明かりが灯っている1番高いあの山がそうだ」
「よーし」
「決まりね」
2人はクラウチングスタートの姿勢になる。
どうやら第2レースが始まるようだ。
では掛け声が必要だろう。
私は2人の間に立ち、両手を上げる。
「2人とも準備はよいな?」
『おう』
「よーい………」
2人の金属の爪が地面に力強く食い込む。
「ドン!」の声と共に両手を下げると2人は勢いよくスタートした。金属の爪が食い込んだ地面は容易くえぐれ、瞬く間に2人の背中は小さくなった。
そして私は声を大にして言った。
「ようこそ
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