無垢/罪
それは昔、遠い昔。
救世主こと、聖女セレスの死。
魔神たちの消失。
西暦と呼ばれる世が始まって、まだ間もない頃。
地上から遠く離れた月には、すでに人類による都市が建設されていた。
無論、当時の人類にそのような技術は存在しない。天使と悪魔が歴史から消え、それに付随する知識も失われ。天動説も地動説もない、人類は愚かなまでに無知となった。
ゆえに月に辿り着いたのは、選ばれし人間たち。
聖女殺しの槍、罪の槍を携えて、古の魔法使いたちは月へと移住した。
自分たちの愚かさを恥じ、真なる意味で人類を救うために。
月面都市、その中枢。最も重要な区画である研究施設に、1人の少女が連れてこられる。少女の父親に手を握られて。ただ不思議そうに、少女はそこへやって来る。
黒く沈んだ、無数のポッド。数え切れないほどの失敗作たち。それらを通り抜けて、唯一光り輝く、最後のポッドへと辿り着く。
数多の犠牲の果てに生み出された奇跡。
あるいは、罪。
ポッドの中には、1人の少女が眠っていた。
「お父様、この子は?」
「被検体、18333号。僕たちの一族の悲願である、救世主のクローンだよ」
「クローン?」
「ああ。普通とはちょっと違う。でも、僕たちと変わらない人間だ」
何も知らない少女に、父親は教える。
一族の罪、人類の未来を。
「槍に残っていた、聖女セレスの血液。そこから遺伝子を抽出し、何十年もかけて実験を繰り返して。僕たち人類は、ようやく救世主を取り戻したんだ」
その贖罪のために。彼らは一体、どれほどの罪を重ねたのか。
どれだけの無垢を殺したのか。
この時の少女は、まだ何も知らなかった。
「いいかい? リタ。これは君にしか出来ない仕事だ。この子の友達になって、話し相手になってほしい」
「それだけでいいの?」
「ああ。出来るかい?」
「もちろん! 同い年くらいの友達は初めてだから、すっごく嬉しい!」
ポッドの中で、少女が目を覚ます。
生まれながらに役割を与えられ、自由を奪われた少女が。
「この子、名前は?」
「名前は無いんだ。そういう目的で、造られたわけではないからね」
リタは知らなかった。やがてカグヤと呼ばれることになる、その少女のことを。
これから1000年以上続く、淀みきった運命を。
まだ、何も知らなかった。
◆◇ 無垢/罪 ◇◆
星の中枢。全ての記憶が集う場所。
本来なら、誰も立ち入ることのないはずの場所で。
紅月輝夜と、そこの主であるルーシェは話をする。
「ええな? 輝夜。他の場所に戦力を注いだせいで、お前を援護する奴はゼロや。つまりお前は、たった1人であの魔女と対峙せんとあかん」
「ああ、もちろん。全力で戦えばいいんだろう?」
「ちゃうわ! ったく、お前はなんも聞いとらんな」
ルーシェは、呆れた様子でため息を吐く。
「リタ・ロンギヌスは、月の魔女と称される凄腕や。今のお前じゃ、どうひっくり返っても勝つことはできん。狡猾さも込みで考えれば、お前の父親にも匹敵するレベルやで?」
「そう言われると、流石に無理だな」
悔しいが、認めざるを得ない。
父親、紅月龍一の強さは、輝夜もよく知っていた。
紛れもなく、人類の中では最強の一角。そんな存在と、真っ向から戦うことは自殺行為である。
「だからこそ、ここはあたしの考えた作戦に従うべきや」
「……本気か?」
ルーシェが提示する、ある作戦。
しかし輝夜は、あまり乗り気ではなかった。
「パーフェクト・コミュニケーション。略してパフェコ作戦。これで、月の魔女を攻略や!」
他に、有効な手段はない。自分の力の限界点は、輝夜自身も理解していた。
紅月龍一、ドロシー・バルバトス。それに匹敵する化物相手に、戦いで勝つことは不可能である。
ゆえに輝夜は、その計画に乗った。
◇
『よぉし、気張れや輝夜。お前の演技力に、全部かかっとるで』
(……うるさいな)
彼方から聞こえてくる、アドバイスの声。
頼りにならない助言者と共に、輝夜はリタ・ロンギヌスと対峙する。
ここに立つのは、いつもの輝夜ではない。この世界、この時代には存在しないはずの、本来の紅月輝夜。
輝夜はそれを、演じていた。
「久しぶりね、リタ」
自然な笑みを浮かべる。普段なら絶対にしない表情、出さないような声色で。
リタを欺くため、自分を変える。
「いつ以来かしら、こうして2人で話すのは」
そう言いながら、輝夜はゆっくりと歩みを進めていく。自然に、微笑みながら。
本来の紅月輝夜として、リタに近づいていく。
そんな輝夜に、リタは動揺を隠せない。
「……うそ。本当に、あなたなの?」
「あら、不思議なことを言うのね。わたし以外に、わたしが居るのかしら」
まさに、大胆不敵。
完全に自分を偽って、輝夜は進む。
『えぇぞえぇぞ、輝夜。堂々と行け! 本物っぽさが出とるで』
(……本当か?)
ほほ笑みを浮かべながらも。輝夜は内心、ドキドキが止まらない。
いくら顔が同じで、似たような口調で話しても。
心は、全くの別人なのだから。
「待って! そこで止まって」
「……」
リタの言葉に、輝夜は立ち止まる。
(おいルーシェ、どうすればいい)
『……ここは、様子見や』
まったくもって、頼りにならない助言者である。
「教えてちょうだい。この街でしばらく、あなたの様子を見ていたのだけれど。とても、以前のあなたとは違って見えたわ。だからてっきり、記憶を失っているものかと」
「……そうね。あなたが疑う気持ちも、よく分かるわ」
彼方からの信号を受け取りながら、輝夜は対話をする。
「人間嫌いなわたしが、普通に学生をやってるなんて。信じられないものね」
「……そう、ね」
怪訝そうな目で、リタは輝夜を見定める。
本当に、いま目の前に立つ少女は、自分の知る存在なのか。
1000年以上前、月の都で出会った、あの少女なのか。
「輝夜、で、いいのよね?」
「ええ、もちろん」
「あなたの最期の記憶は? 20年前、月面でなにが起こったのか、覚えてる?」
「そうね」
当然ながら、輝夜にそんな記憶などない。というよりも、なにを言っているのかがよく分からない。
けれどもその知識を、ルーシェが補う。
「もちろん、覚えているわ。胸に深々と突き刺さった、あの地上からの矢。死に至る呪い。そして、そんなわたしに駆け寄ってくる、あなたの顔を覚えてる」
存在しない記憶を、輝夜は語る。
本来の紅月輝夜として。
「ねぇリタ、運命って不思議よね。あんな最期、あんな別れをしたのに、こうやってまた会えるなんて」
「……」
輝夜の言葉に、リタは言葉を失う。
しかし、対する輝夜も内心ではひどく戸惑っていた。
(おいルーシェ、知らない話ばっかだぞ。本当に大丈夫なのか?)
『心配すな。そこら辺の事情はあたしが知っとる。お前はそれっぽい雰囲気で、そのまま演技を続けるんや』
もはや、止まれない。
知らない言葉を紡ぎながら、輝夜は輝夜を演じる。
『お前はゲーマーなんやろ? ほら、ギャルゲーみたいなもんや。あたしが選択肢を用意するから、お前はそれを言葉にすればええ!』
(……そんなゲームはやらない)
残念ながら。輝夜がやるゲームは、最新のVRアクションのみであった。
『細かいことはええねん。大事なのは、今ここでリタを攻略することやろ』
(……くそ)
輝夜は覚悟を決める。
演技だけで、この月の魔女を欺くと。
もはや、退くも進むも地獄であった。
「ねぇ輝夜。だったら説明をお願いできるかしら。 今、この街で何をしようとしているのか」
「……愚問ね。あなたと同じことよ」
「同じこと?」
「ええ。わたしも、未来を変えようとしているの」
「……え」
未来。その単語に、リタは反応せざるを得ない。
なぜならそれは、自分だけに課せられた使命。自分が戦うべき問題なのだから。
「ソロモンの夜は、わたしにとっても重要な出来事よ。前回は正直、気づいた時には遅かった。あの怪物を倒すことは困難で、わたしと善人しか生き残らなかった。……だから今回は、誰も犠牲にしない」
それは、本来の輝夜としての言葉。まるで、実際に見てきたかのように。
その説得力に、リタも惑わされる。
「どういうこと? どうしてあなたは、これから起こる未来を知っているの?」
「ふふっ。あれは本当に、アクシデントだったわ」
妖艶に。
紅月輝夜は過去を語る。
「あなたが過去に戻ろうと、仲間たちと力を合わせていた時。わたしも、月面から見ていたの。まぁ、正直どうでもよかったんだけど。せっかくなら協力しようと思って、月に満ちる魔力を送ったの」
10年後の未来。
終わった世界、終わった歴史の話。
「そうしたら、なんとも不思議なことが起こってね。あなたの時間逆行に巻き込まれて、わたしもこの時代に飛ばされたの。……それも、あなたより5年も前に」
「……そんな、嘘よ」
「嘘じゃないわ。時間を遡ったのはあなただけじゃない。わたしも、わたしなりの方法で未来を変えようとしているの」
それが、今の輝夜が違っている理由。なぜ悪魔と契約しているのか、なぜ自分で戦う力を持っているのか。
未来から遡ってきたからだと。
そう、輝夜はうそぶく。
「信じられない気持ちも分かるけど。これが真実よ。――絶対に、揺るがない」
これこそが、紅月輝夜。
正真正銘、本来の姿を演じていた。
(なぁ、ルーシェ。わたしの演技、完璧じゃないか?)
『自画自賛かい! まぁでも、ほんまに完璧かもなぁ。リタも完全に、お前の演技に騙されとる』
ルーシェ考案の、パーフェクトコミュニケーション作戦。輝夜の演技力と、ルーシェから出される的確なセリフ。
それが相まって、リタを騙すほどのクオリティを生み出していた。
それにより、ようやく輝夜も緊張が解けていく。
「別人のように振る舞ってたのも、なにか理由があるの?」
「そう、ね。あなたならともかく、別のロンギヌスの人間に、存在を悟られたくなかったから」
「確かに、懸命な判断ね。あなたの父親の立場もあるし」
すらすらと、淀みなく。
2人の会話は交わされる。
「なるべく無知で、暴力的で、愚かな性格を演じてたの」
「やるわね、輝夜。わたしもすっかり騙されたわ」
(……暴力的で、愚か?)
『すまん、ここは飲み込んでくれ』
自分の口から出る言葉に、多少の違和感を覚えつつも。
リタとの距離を縮めるべく、本来の輝夜を演じ続ける。
「それじゃあ、聞かせてもらえるかしら。あなたはどういう手段で、このソロモンの夜を乗り切るつもりなの? 現在進行系で、計画を邪魔されてる身からすると、とっても気になるのだけれど」
「それはごめんなさい。わたしとしても、強引な方法は不本意なんだけど。どうしても、黒羽えるを殺させるわけにはいかなくて」
「……彼女が全ての黒幕だと、理解はしているのよね?」
「ええ、もちろん。彼女が最終的に何を求めているのか、なぜあんな悲惨な未来を引き起こすのか、それは分からないけど」
「なら。今ここで、最悪の事態が起こる前に彼女を殺すのが、一番手っ取り早い方法じゃないかしら」
「いいえ、それはダメ。彼女は儀式のトリガーとして、自分の命すら設定している。つまり、彼女を殺した瞬間に、あの最悪の未来が決定するの」
「なんですって」
思いもよらない事実に、リタは驚く。
「それにわたしは、誰一人として犠牲を出したくないの。彼女を、黒羽を殺したくはない」
「……解せないわね。黒羽えるは、完全なる悪よ」
「いいえ、完全なる悪なんて存在しない。少なくともわたしは、彼女も救うべきだと思ってる」
それは、誰の言葉か。
しかし輝夜は、今までのどの言葉よりも、力強くそれを主張した。
「……なるほど。あなたの考えは理解したわ。それで、具体的にどうするつもりなの?」
「そうね。とりあえず、そのネックレスを渡してもらえるかしら」
輝夜が指差すのは、リタが首にかけているネックレス。貝殻の形をした、特徴的なもの。
それに対して、リタも何かを悟った様子。
「……そうね。わたしも、忘れていたわ。思えばこれが、あなたの最後の願いだったわね」
そのネックレスに、どんな力があるのか。どんな歴史があるのか。
少なくとも、リタがずっと身につけていることから、重要度は明らかであった。
「ようやく教えてくれるのね、この宝具の力を」
「……ええ」
微笑みを浮かべながら。
しかし内心、輝夜は焦る。
(おい、ルーシェ。宝具ってなんだ? 最後の願いってなんだ?)
『ちょ、ちょっと待ってくれ。それはあたしの知識にも無いぞ』
指示役のルーシェも、状況を理解していない様子。
しかし現実は、止まらない。
「なら、わたしからも一つ、サプライズがあるわ」
そう言って、リタがどこからか取り出したのは、黄金に輝く器。
聖杯と呼ばれることもある、神秘の道具であった。
「……なに、かしら。それは」
つい、輝夜は本音を漏らしてしまう。
だがしかし、
『アカン、輝夜! それは悪手や!』
ルーシェが止めに入るも、もう遅い。
その言葉を、たった1つのミスを、目の前の魔女は見逃さなかった。
綺麗に回っていた歯車が、ピタリと停止する。
「ねぇ、輝夜。覚えてる? あなたがこれを使って、研究所をゴミだらけにした時のこと」
「……」
リタの口から溢れ出る、知らない出来事。
それに対して、輝夜は急な反応は出来ず。
それが、致命的であった。
『輝夜、それはブラフや! その宝具の力は――』
「――返答が、遅いわね」
魔女は目の前の存在を、偽りであると断じ。
そこからの動きは速かった。
リタの手に、強烈な魔力が集い。
弾丸のようなスピードで、輝夜に対して放たれる。
「ッ」
これに対応できたのは、まさに奇跡的。
輝夜の直感と、卓越した反射神経により。
リタの攻撃とほぼ同時に、カグヤブレードを具現化。
その魔力を斬り裂いていた。
「……どういうつもりかしら。いきなり攻撃するなんて」
「どういうつもり?」
先程までの、あの温和な雰囲気は消え去り。
リタの表情は、完全に魔女のそれとなっていた。
「――その顔で、その口で。くだらない戯言を吐くのは止めなさい」
殺意すら含まれる。
膨大な魔力の雨が、輝夜に降り注いだ。
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