かぐや姫と魔女
1人の魔女が、夕焼けに染まる街並みを眺めていた。
彼女の名は、リタ・ロンギヌス。
月の魔女の異名を持ち、大いなる使命を持ってこの街へとやって来た存在。
今日が、彼女にとっての運命の日。彼女だけでなく、世界全体にも関係があるだろう。
本来の歴史、事象を捻じ曲げて。果たして、未来はどう変貌するのか。
それは不明だが、やれることは全てやった。
本来なら、こんな場所でのうのうと時間を潰している暇はない。
けれども彼女には事情があり。この場所、神楽坂高校の屋上で、人を待ち続けていた。
すると、扉が開く音が。
ようやく待ち人が来たのかと、リタは顔を向けると。
そこに現れた人物に、表情が凍りつく。
現れたのは、予想していた人物ではない。
恐ろしいほどに美しい顔をした、1人の少女。
神の写し身と言っても過言ではない、1000年に1人の奇跡。
紅月輝夜が、リタの元へとやって来た。
予想外の来訪者に、リタが硬直していると。
輝夜は微笑みながら、ゆっくりと歩いてくる。
「善人なら来ないぞ?」
「……どういう、ことかしら」
理解できない。これから何が起きるのか、何が歪んでいくのか。
その予兆を感じながらも、リタにはどうすることも出来ない。
「あいつなら、今頃――」
時を同じくして。
姫乃の街では、多くの事象が狂い始めていた。
◇
カチカチと、一定のリズムを刻みながら、時計の針が進んでいく。寸分の狂いなく、それは絶対的な世界の法則。
黒羽えるは腕時計を見つめながら、静かに考え事をする。
これは、彼女だけの計画。彼女に課せられた使命。ゆえに協力者は存在せず、最初から最後まで孤独に完結する。
そのはずだったのだが。
「アミー、調子はどうだ?」
「任せろ、相棒。今日も俺の炎は万全だ」
人気の少ない路地裏。
そこに居たのは、黒羽えると、もう2人。
同じクラスの男子生徒である花輪善人と、世紀末ファッションに身を包む熱血漢、アミー。
本来であれば、決して交わらないはずの彼らが、なぜか一緒に行動していた。
まるで、黒羽を守るかのように。
そんな2人を見て、黒羽はなんとも言えない表情をする。
「……なんで、こうなったんだろう」
「あんたが何と言おうと、俺は離れるつもりはないぜ。輝夜……サンに、頼まれたからな」
善人は断固として、ここを離れるつもりはなく。
契約悪魔であるアミーも同様であった。
「心配するな、嬢ちゃん。詳しい事情は知らんが。ようは、お前さんを守ればいいんだろう?」
「そうだぜ、黒羽。俺の力で、どんな奴でも蹴散らしてやる」
「そ、そっか。ありがとね、花輪くん。それと、悪魔の人」
敵に関しては、黒羽もある程度の覚悟はしていた。
自分に辿り着いた存在、他の
どのような存在が立ちはだかろうと、突き進む覚悟はあった。
けれども、味方という存在は、最初から計算外であった。
これは、たった1人の戦いなのだから。
「……」
なんとも言えない表情で、黒羽は善人のことを。
正確には、彼の持つ王の指輪に目を向ける。
「ん? こいつが、どうかしたのか?」
「ううん。なんでもない、気にしないで」
思えば、彼は大きなイレギュラーの1つであった。なぜなら彼の持つ指輪だけが、ソロモンの夜のシステムに認識されていなかったのだから。
ゆえに、わざわざ手動で、彼の指輪を登録する必要があった。
ソロモンの夜と、それを支えるシステム。その仕組み上、
しかし、この世の中に完璧など存在しない。ゆえに黒羽は、これは唯一の偶然、イレギュラーとして受け入れた。
計画の遂行には、何の問題もない。
「……ようやく」
今か今かと、黒羽は腕時計の時間を気にする。
「随分と、時間がかかってしまいましたが。ようやく人の時代が、あなたの時代が帰ってくる」
そう呟くと。
黒羽は苦しそうに、胸を押さえた。
「おい、大丈夫か?」
「……うん。これは胸じゃない、心の問題だから」
心配する善人の声も押しのけて、黒羽は深く呼吸をする。
すでに計画は、最終段階に達している。たとえどんな障害があっても、たとえ自分が殺されたとしても、ソロモンの夜は止まらない。
夜明けは、必ず訪れる。
そう、だというのに。
なぜか胸が、キリキリと痛みを訴えている。
(……どうして、わたしは。こんなことを、してるんだろう)
その声は、誰にも届かない。
彼女を蝕む”呪い”は、他の誰にも理解されない。
(わたしは、だれ?)
生まれた瞬間から、彼女の運命は決められていた。
生まれる前から、その計画は動いていた。
約束の時を前にして。
黒羽えるは、自己に問いかける。
◇
本来の流れとは大きくかけ離れ。黒羽えるの側には、護衛として花輪善人と、その契約悪魔の存在があった。
今の善人を相手に、戦える者は限られているだろう。
その事実を、目の前の少女から聞かされて。
魔女、リタ・ロンギヌスは計画の修正を余儀なくされる。
「あなたが、何を考えているのかは知らないけど。わたしくしたちの邪魔はさせませんわ」
紅月輝夜と対峙しながら。
リタは頭に指を当てて、静かに魔力を巡らせる。
(龍一、ジョナサン、聞こえているかしら。お転婆姫の差し金で、ターゲットに護衛がついているわ。騎士団だけじゃ厳しい可能性もあるから、あなた達も応援に――)
遠い場所の誰かと、念話を行うものの。
向こう側からの返答に、リタの表情が驚きに染まる。
そんな彼女の様子を見ながら。
輝夜はゆっくりと、歩みを近づけてくる。
「どうかしたのか? なにか、予想外のことでもあったか?」
「……あなた、一体何を」
狂い始めた場所は、黒羽えるの周辺だけではない。
彼女を狙うあらゆる存在に対して、イレギュラーが発生していた。
◆◇ かぐや姫と魔女 ◇◆
この街の中心、姫乃タワーのすぐ近く。
いざという場合に動けるように、紅月龍一は臨戦態勢で待機をしていた。
王の指輪と、それを巡る謎の儀式。それが今日、終わりを迎えようとしている。
首謀者である少女を消して、災厄を回避できるのか。それとも、この街が戦場へと変わるのか。
どちらの方向へ転がろうと、彼のやるべきことは同じ。この街を脅かそうとする存在を、武力をもって排除する。人類最強の彼には、それを可能にするだけの力がある。
少なくとも、敵となりうる存在はいない。
そのはず、だったのだが。
「――いい夜ね、オジサマ」
おそらく、唯一と言ってもいい、紅月龍一の天敵。
魔王、ドロシー・バルバトスが立ちはだかる。
ドロシーは、正装とも言える漆黒のドレスに身を包み、唯一の武器である大剣をすでにその手に具現化していた。
たったそれだけなのに、龍一は人生で最大と言えるほどのプレッシャーを感じている。
反射的に、龍一は刀に手を。
最強の名を関する両者が、凍りつく空気の中で見つめ合う。
「輝夜の差し金、なのは当然か」
「……」
ドロシーは、ただ静かに。
その表情からは、感情が読み取れない。
「わたしがあの子に頼まれたのは、たった2つ」
「なんだ? それは」
「簡単なことよ。あなたをここに留めて、黒羽えるのもとに近づかせないこと。そして、」
一瞬、大気が震え。
ドロシーの周囲に、超高密度の魔力が発生する。
まるで、殺意が叫んでいるかのように。
「もう1つは、お互いに怪我をしないよう、慎重に対処すること」
そう言いながらも、ドロシーの魔力は高まり続ける。
龍一には、まるで理解が出来なかった。
「……君は、言葉の意味を分かっているのか? それだけの魔力、本気を出そうとしているように見えるが」
「ええ、もちろん」
ドロシーの魔力は揺るがない。
「輝夜は言っていたわ。あなたはとっても強いから、殺す気で戦っても問題ないって」
「……あの、子は」
娘から送り込まれた、最悪のプレゼント。
下手に対応すれば、怪我どころでは済まないかもしれない。
「これは、しんどいな」
ゆえに龍一も、刀に青い炎を纏わせる。
紅月龍一と、ドロシー・バルバトス。
失われた、どこかの歴史のように、両者の力が衝突した。
◇
「やれやれ。まさか今日という日に、君と再会することになるとはね」
「……」
輝夜たちとも、龍一たちとも違う。
姫乃の中の、また別の場所。
そこで向かい合うのは、因縁のある2人の男。
王道を征く者、ジョナサン・グレニスターと。
その彼に土をつけた少年、紅月朱雨。
互いに悪魔を、魔獣を従えて、すでに戦闘の雰囲気へと突入していた。
「久しぶりだな、ジョナサン・グレニスター」
「そうだね、紅月朱雨」
剣と拳をぶつけ合った、あの時とは違い。
すでに両者は、互いの素性を知っていた。
「君の父上から聞いていないのかい? 僕は今、他の
「ああ、聞いてる」
「ここで敵を討たないと、この街が崩壊するかもしれない。当然、大勢の命が失われるだろう」
「ああ。それも、聞かされた」
朱雨は、ある程度の事情を知っている。
自分の父や、他の者達が結託して、なにか”正しいこと”をしているのだと。
それを理由なく邪魔するほど、紅月朱雨は愚かではない。
彼は紛いなりにも、正義の炎を宿す者なのだから。
だが、それよりも。
朱雨には、守りたいものがあった。
――あの金髪。ジョナサンってやつは、この場所に行けば会える。
どこから情報を手に入れたのか。
姉はいつになく真剣な表情で、彼に声をかけてきた。
――それを俺に教えて、どういうつもりだ?
――まぁ、とりあえず。怪我をしない程度に、殺し合いをしてくれ。
相も変わらず、姉の馬鹿さ加減を認識しつつ。
それでもこの日は、いつもと違っていた。
――頼めるか? 朱雨。
姉から、弟に対する言葉。
朱雨は輝夜のことを、正しく姉と認識したことはなかった。
初めて出会った、あの病室から、ずっと。
物心ついた頃から、姉がいることは知っていた。
けれども一度も見たことがなく、生まれてから10年も眠り続けて、存在すら意識していなかった。
そんなさなか、あの病室で初めて顔を合わせて。
あの頃から何も変わらずに、ただ5年という歳月が経った。
しかし、今日。姉の体育祭を見に行って、自分の中で、何かが変わる音がした。
使用人の影沢舞。過保護で鬱陶しい彼女の行動が、なぜだか理解できてしまう。
興味がないと言いつつも、姉の走る姿を、無意識に応援してしまっていた。
自分でも、気づかないうちに。
あまりにも自然な形で、家族という関係を実感していた。
「まったく。出来の悪い姉を持つと、面倒事ばかりだ」
そう言いつつも。
朱雨は微笑みながら、拳を握り締める。
内に秘めた炎が漏れ出すように、真っ赤な魔力を纏わせて。
「ケルベロス、全力で暴れるぞ」
「ガゥ!」
以前、ジョナサンと戦ったときは、まだ魔力に目覚めたばかりであった。
戦いの中で、その力を開花させて、なんとか食らいつくのが必死だった。
しかし、今は違う。
この巨大な魔犬、3つ首のケルベロスと一緒に、散歩と称して夜を駆け巡り。
強く、速く、魔力は肉体と融和していき。
極めてしまったがゆえに、すでに辞めていた武術も。
加速するように、上位の次元へ昇華していた。
「……面白い」
対するジョナサンも、剣を具現化させる。
渾身の魔力を注ぎ込んだ、本気の一振りを。
王の相手として相応しい、好敵手として。
こちらも、武と武の衝突が始まった。
◆
「どういうこと? 仲間が急に裏切った? それじゃあ、誰が黒羽えるを……」
神楽坂高校の屋上で、リタ・ロンギヌスは仲間からの報告に動揺を隠せない様子であった。
なぜなら、別行動をしていた全ての仲間たちが、何らかの要因によって足止めされているのだから。
「どうやら、マドレーヌはちゃんと動いてるみたいだな」
リタの動揺を見ながら、輝夜は微笑む。
「……あなた、何をしたの?」
「別に? ただ仲間を裏切って、足止めするように命令しただけだ。前に襲われたとき、あいつの首を斬ったからな」
マドレーヌとは、バルタの騎士の1人。
魔王グレモリー、アリサ・エクスタインらを中心とした騎士団のれっきとしたメンバーである。
しかし以前、カグヤブレードに斬られたことにより、輝夜の命令に逆らえない状態になっていた。
ゆえに、バルタの騎士たちは機能を麻痺。
バックアップとして控えていた紅月龍一、ジョナサン・グレニスターも、別の要因によって足止めをされている。
もはや、善人による護衛が必要ないほどに、魔女たちの計画は狂っていた。
「それにしても、不可解だわ。まるで何もかもお見通しとばかりに、こちらの邪魔をするだなんて」
「……まぁ、そういう日もあるだろう」
瞳を白銀に輝かせながら、少女は笑う。
「1000年以上生きる魔女なら、どうにか出来るんじゃないのか?」
「……紅月、輝夜。あなたは、わたくしのことを知らないはず。だってあなたは、かぐやとしての記憶を」
思えば、最大のイレギュラーは目の前に存在していた。
本来の歴史と違う、一番の要因。
まったく異なる歴史を歩んだ、”最愛なる他人”。
「――あら、本当にそう思ってる?」
その考えを、吹き飛ばすかのように。
紅月輝夜の纏う雰囲気が、一瞬にして変貌する。
リタはそれを、知っている。
「長い付き合いなのに、ひどいわね。わたし達、友だちじゃなかった?」
「……かぐや、なの?」
知っている口調。
知っている表情。
目の前の少女の変貌に、魔女は、失われた時を垣間見る。
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