かぐや姫と魔女






 1人の魔女が、夕焼けに染まる街並みを眺めていた。


 彼女の名は、リタ・ロンギヌス。

 月の魔女の異名を持ち、大いなる使命を持ってこの街へとやって来た存在。


 今日が、彼女にとっての運命の日。彼女だけでなく、世界全体にも関係があるだろう。

 本来の歴史、事象を捻じ曲げて。果たして、未来はどう変貌するのか。

 それは不明だが、やれることは全てやった。


 本来なら、こんな場所でのうのうと時間を潰している暇はない。

 けれども彼女には事情があり。この場所、神楽坂高校の屋上で、人を待ち続けていた。




 すると、扉が開く音が。

 ようやく待ち人が来たのかと、リタは顔を向けると。


 そこに現れた人物に、表情が凍りつく。




 現れたのは、予想していた人物ではない。


 恐ろしいほどに美しい顔をした、1人の少女。

 神の写し身と言っても過言ではない、1000年に1人の奇跡。


 紅月輝夜が、リタの元へとやって来た。




 予想外の来訪者に、リタが硬直していると。

 輝夜は微笑みながら、ゆっくりと歩いてくる。




「善人なら来ないぞ?」


「……どういう、ことかしら」




 理解できない。これから何が起きるのか、何が歪んでいくのか。

 その予兆を感じながらも、リタにはどうすることも出来ない。




「あいつなら、今頃――」




 時を同じくして。

 姫乃の街では、多くの事象が狂い始めていた。















 カチカチと、一定のリズムを刻みながら、時計の針が進んでいく。寸分の狂いなく、それは絶対的な世界の法則。


 黒羽えるは腕時計を見つめながら、静かに考え事をする。

 これは、彼女だけの計画。彼女に課せられた使命。ゆえに協力者は存在せず、最初から最後まで孤独に完結する。


 そのはずだったのだが。




「アミー、調子はどうだ?」


「任せろ、相棒。今日も俺の炎は万全だ」




 人気の少ない路地裏。

 そこに居たのは、黒羽えると、もう2人。


 同じクラスの男子生徒である花輪善人と、世紀末ファッションに身を包む熱血漢、アミー。

 本来であれば、決して交わらないはずの彼らが、なぜか一緒に行動していた。

 まるで、黒羽を守るかのように。


 そんな2人を見て、黒羽はなんとも言えない表情をする。




「……なんで、こうなったんだろう」


「あんたが何と言おうと、俺は離れるつもりはないぜ。輝夜……サンに、頼まれたからな」




 善人は断固として、ここを離れるつもりはなく。

 契約悪魔であるアミーも同様であった。




「心配するな、嬢ちゃん。詳しい事情は知らんが。ようは、お前さんを守ればいいんだろう?」


「そうだぜ、黒羽。俺の力で、どんな奴でも蹴散らしてやる」


「そ、そっか。ありがとね、花輪くん。それと、悪魔の人」




 敵に関しては、黒羽もある程度の覚悟はしていた。

 自分に辿り着いた存在、他の遺物レリック保有者ホルダーたち。そして、この街の守護神とも呼べる、人類最強の男。

 どのような存在が立ちはだかろうと、突き進む覚悟はあった。


 けれども、味方という存在は、最初から計算外であった。

 これは、たった1人の戦いなのだから。




「……」



 なんとも言えない表情で、黒羽は善人のことを。

 正確には、彼の持つ王の指輪に目を向ける。




「ん? こいつが、どうかしたのか?」


「ううん。なんでもない、気にしないで」




 思えば、彼は大きなイレギュラーの1つであった。なぜなら彼の持つ指輪だけが、ソロモンの夜のシステムに認識されていなかったのだから。

 ゆえに、わざわざ手動で、彼の指輪を登録する必要があった。


 ソロモンの夜と、それを支えるシステム。その仕組み上、遺物レリックが認識されない不具合など、起きるはずがないのである。

 しかし、この世の中に完璧など存在しない。ゆえに黒羽は、これは唯一の偶然、イレギュラーとして受け入れた。

 計画の遂行には、何の問題もない。




「……ようやく」



 今か今かと、黒羽は腕時計の時間を気にする。




「随分と、時間がかかってしまいましたが。ようやく人の時代が、あなたの時代が帰ってくる」




 そう呟くと。

 黒羽は苦しそうに、胸を押さえた。




「おい、大丈夫か?」


「……うん。これは胸じゃない、心の問題だから」




 心配する善人の声も押しのけて、黒羽は深く呼吸をする。


 すでに計画は、最終段階に達している。たとえどんな障害があっても、たとえ自分が殺されたとしても、ソロモンの夜は止まらない。

 夜明けは、必ず訪れる。


 そう、だというのに。

 なぜか胸が、キリキリと痛みを訴えている。




(……どうして、わたしは。こんなことを、してるんだろう)




 その声は、誰にも届かない。

 彼女を蝕む”呪い”は、他の誰にも理解されない。




(わたしは、だれ?)




 生まれた瞬間から、彼女の運命は決められていた。

 生まれる前から、その計画は動いていた。


 約束の時を前にして。

 黒羽えるは、自己に問いかける。















 本来の流れとは大きくかけ離れ。黒羽えるの側には、護衛として花輪善人と、その契約悪魔の存在があった。

 今の善人を相手に、戦える者は限られているだろう。



 その事実を、目の前の少女から聞かされて。

 魔女、リタ・ロンギヌスは計画の修正を余儀なくされる。




「あなたが、何を考えているのかは知らないけど。わたしくしたちの邪魔はさせませんわ」




 紅月輝夜と対峙しながら。

 リタは頭に指を当てて、静かに魔力を巡らせる。




(龍一、ジョナサン、聞こえているかしら。お転婆姫の差し金で、ターゲットに護衛がついているわ。騎士団だけじゃ厳しい可能性もあるから、あなた達も応援に――)




 遠い場所の誰かと、念話を行うものの。



 向こう側からの返答に、リタの表情が驚きに染まる。



 そんな彼女の様子を見ながら。

 輝夜はゆっくりと、歩みを近づけてくる。




「どうかしたのか? なにか、予想外のことでもあったか?」


「……あなた、一体何を」




 狂い始めた場所は、黒羽えるの周辺だけではない。

 彼女を狙うあらゆる存在に対して、イレギュラーが発生していた。










◆◇ かぐや姫と魔女 ◇◆










 この街の中心、姫乃タワーのすぐ近く。

 いざという場合に動けるように、紅月龍一は臨戦態勢で待機をしていた。



 王の指輪と、それを巡る謎の儀式。それが今日、終わりを迎えようとしている。

 首謀者である少女を消して、災厄を回避できるのか。それとも、この街が戦場へと変わるのか。



 どちらの方向へ転がろうと、彼のやるべきことは同じ。この街を脅かそうとする存在を、武力をもって排除する。人類最強の彼には、それを可能にするだけの力がある。

 少なくとも、敵となりうる存在はいない。



 そのはず、だったのだが。





「――いい夜ね、オジサマ」





 おそらく、唯一と言ってもいい、紅月龍一の天敵。

 魔王、ドロシー・バルバトスが立ちはだかる。




 ドロシーは、正装とも言える漆黒のドレスに身を包み、唯一の武器である大剣をすでにその手に具現化していた。


 たったそれだけなのに、龍一は人生で最大と言えるほどのプレッシャーを感じている。


 反射的に、龍一は刀に手を。

 最強の名を関する両者が、凍りつく空気の中で見つめ合う。




「輝夜の差し金、なのは当然か」


「……」




 ドロシーは、ただ静かに。

 その表情からは、感情が読み取れない。




「わたしがあの子に頼まれたのは、たった2つ」


「なんだ? それは」


「簡単なことよ。あなたをここに留めて、黒羽えるのもとに近づかせないこと。そして、」




 一瞬、大気が震え。


 ドロシーの周囲に、超高密度の魔力が発生する。


 まるで、殺意が叫んでいるかのように。




「もう1つは、お互いに怪我をしないよう、慎重に対処すること」




 そう言いながらも、ドロシーの魔力は高まり続ける。

 龍一には、まるで理解が出来なかった。




「……君は、言葉の意味を分かっているのか? それだけの魔力、本気を出そうとしているように見えるが」


「ええ、もちろん」




 ドロシーの魔力は揺るがない。




「輝夜は言っていたわ。あなたはとっても強いから、殺す気で戦っても問題ないって」


「……あの、子は」




 娘から送り込まれた、最悪のプレゼント。

 下手に対応すれば、怪我どころでは済まないかもしれない。




「これは、しんどいな」



 ゆえに龍一も、刀に青い炎を纏わせる。




 紅月龍一と、ドロシー・バルバトス。

 失われた、どこかの歴史のように、両者の力が衝突した。















「やれやれ。まさか今日という日に、君と再会することになるとはね」


「……」




 輝夜たちとも、龍一たちとも違う。

 姫乃の中の、また別の場所。


 そこで向かい合うのは、因縁のある2人の男。


 


 王道を征く者、ジョナサン・グレニスターと。


 その彼に土をつけた少年、紅月朱雨。




 互いに悪魔を、魔獣を従えて、すでに戦闘の雰囲気へと突入していた。




「久しぶりだな、ジョナサン・グレニスター」


「そうだね、紅月朱雨」




 剣と拳をぶつけ合った、あの時とは違い。

 すでに両者は、互いの素性を知っていた。




「君の父上から聞いていないのかい? 僕は今、他の保有者ホルダーたちと協力して、このソロモンの夜の首謀者を討とうとしている」


「ああ、聞いてる」


「ここで敵を討たないと、この街が崩壊するかもしれない。当然、大勢の命が失われるだろう」


「ああ。それも、聞かされた」




 朱雨は、ある程度の事情を知っている。

 自分の父や、他の者達が結託して、なにか”正しいこと”をしているのだと。


 それを理由なく邪魔するほど、紅月朱雨は愚かではない。

 彼は紛いなりにも、正義の炎を宿す者なのだから。


 だが、それよりも。

 朱雨には、守りたいものがあった。






――あの金髪。ジョナサンってやつは、この場所に行けば会える。




 どこから情報を手に入れたのか。

 姉はいつになく真剣な表情で、彼に声をかけてきた。




――それを俺に教えて、どういうつもりだ?


――まぁ、とりあえず。怪我をしない程度に、殺し合いをしてくれ。




 相も変わらず、姉の馬鹿さ加減を認識しつつ。

 それでもこの日は、いつもと違っていた。




――頼めるか? 朱雨。




 姉から、弟に対する言葉。


 朱雨は輝夜のことを、正しく姉と認識したことはなかった。

 初めて出会った、あの病室から、ずっと。


 物心ついた頃から、姉がいることは知っていた。

 けれども一度も見たことがなく、生まれてから10年も眠り続けて、存在すら意識していなかった。


 そんなさなか、あの病室で初めて顔を合わせて。

 あの頃から何も変わらずに、ただ5年という歳月が経った。




 しかし、今日。姉の体育祭を見に行って、自分の中で、何かが変わる音がした。


 使用人の影沢舞。過保護で鬱陶しい彼女の行動が、なぜだか理解できてしまう。

 興味がないと言いつつも、姉の走る姿を、無意識に応援してしまっていた。


 自分でも、気づかないうちに。

 あまりにも自然な形で、家族という関係を実感していた。






「まったく。出来の悪い姉を持つと、面倒事ばかりだ」




 そう言いつつも。

 朱雨は微笑みながら、拳を握り締める。


 内に秘めた炎が漏れ出すように、真っ赤な魔力を纏わせて。




「ケルベロス、全力で暴れるぞ」


「ガゥ!」




 以前、ジョナサンと戦ったときは、まだ魔力に目覚めたばかりであった。

 戦いの中で、その力を開花させて、なんとか食らいつくのが必死だった。


 しかし、今は違う。


 この巨大な魔犬、3つ首のケルベロスと一緒に、散歩と称して夜を駆け巡り。


 強く、速く、魔力は肉体と融和していき。


 極めてしまったがゆえに、すでに辞めていた武術も。

 加速するように、上位の次元へ昇華していた。




「……面白い」




 対するジョナサンも、剣を具現化させる。

 渾身の魔力を注ぎ込んだ、本気の一振りを。



 王の相手として相応しい、好敵手として。


 こちらも、武と武の衝突が始まった。


















「どういうこと? 仲間が急に裏切った? それじゃあ、誰が黒羽えるを……」




 神楽坂高校の屋上で、リタ・ロンギヌスは仲間からの報告に動揺を隠せない様子であった。

 なぜなら、別行動をしていた全ての仲間たちが、何らかの要因によって足止めされているのだから。




「どうやら、マドレーヌはちゃんと動いてるみたいだな」



 リタの動揺を見ながら、輝夜は微笑む。




「……あなた、何をしたの?」


「別に? ただ仲間を裏切って、足止めするように命令しただけだ。前に襲われたとき、あいつの首を斬ったからな」




 マドレーヌとは、バルタの騎士の1人。

 魔王グレモリー、アリサ・エクスタインらを中心とした騎士団のれっきとしたメンバーである。


 しかし以前、カグヤブレードに斬られたことにより、輝夜の命令に逆らえない状態になっていた。


 ゆえに、バルタの騎士たちは機能を麻痺。

 バックアップとして控えていた紅月龍一、ジョナサン・グレニスターも、別の要因によって足止めをされている。


 もはや、善人による護衛が必要ないほどに、魔女たちの計画は狂っていた。




「それにしても、不可解だわ。まるで何もかもお見通しとばかりに、こちらの邪魔をするだなんて」


「……まぁ、そういう日もあるだろう」




 瞳を白銀に輝かせながら、少女は笑う。




「1000年以上生きる魔女なら、どうにか出来るんじゃないのか?」


「……紅月、輝夜。あなたは、わたくしのことを知らないはず。だってあなたは、かぐやとしての記憶を」




 思えば、最大のイレギュラーは目の前に存在していた。


 本来の歴史と違う、一番の要因。


 まったく異なる歴史を歩んだ、”最愛なる他人”。





「――あら、本当にそう思ってる?」





 その考えを、吹き飛ばすかのように。


 紅月輝夜の纏う雰囲気が、一瞬にして変貌する。


 リタはそれを、知っている。





「長い付き合いなのに、ひどいわね。わたし達、友だちじゃなかった?」


「……かぐや、なの?」





 知っている口調。


 知っている表情。


 目の前の少女の変貌に、魔女は、失われた時を垣間見る。





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