未来限界点






 照明は落とされた。

 その部屋は、機能を停止していた。



 ここは、星の中枢。星の記憶に近い場所。

 世界によっては、神殿と呼ばれる場所でもある。



 暗くなった神殿で、その主、ルーシェは眠っていた。

 眠る理由は特に無い。正確には、起きている理由がないから、寝ているだけ。


 その側に置いてあるのは、星の全てを記録した真っ黒な本。彼女はそれを読み終わったがゆえに、これ以上起きていることを止めた。

 星の記録は読み終わった。世界の結末は知った。もうこの世界に未来はない、1000年後に訪れるであろう、自分の出番もやってこない。


 この星、この地球の文明は失敗してしまった。




 深い眠りか、あるいは微睡みか。ルーシェのまぶたから、微かに涙がこぼれ落ちる。これは自分の責任、自分の罪なのだから。

 知的生命体、人類や悪魔たちを責めることは出来ない。自身の下した采配、奇跡が、世界のためにならなかっただけ。

 自分の”才能”の無さに、ルーシェは絶望していた。




 遠い過去が、つい昨日のように思い出される。まだ彼女が、ルーシェという名前すら持たなかった頃。


 まず初めに、彼女は”進化”を生み出した。あらゆるものが進歩し、より良くなれば、文明は繁栄するものだと思ったから。


 次に生み出したのは、”救世主”。進化の果てに生まれた人種、天使と悪魔の横暴にあえぐ人類のために、彼女は救世主を生み出した。


 その次は、”破壊”を。当時の魔界では、魔王や各階層による戦争が激化しており、悪魔たちは戦争の終わりを望んでいた。ゆえに、圧倒的な破壊を生み出すことにより、魔界に平和をもたらそうとした。




 最後に生み出したのは、一言では表せない”ナニカ”。知的生命体、人類や悪魔の願望があまりにも複雑で、それでいて矛盾していて。

 それゆえにルーシェは、苦肉の策としてその”ナニカ”を産み落とした。


 思えばそのナニカが、致命的だったのかも知れない。


 中途半端に生まれたがゆえに、ナニカは非常に不安定な存在で。月面に攻撃を放った後に、力を失って倒れてしまった。

 これが過去の子どもたちだったなら、きっと月に穴を開けることくらいは出来ただろうに。




 だが、後悔しても遅い。後に”サタン”と呼ばれる、最後の子どもを産み落としたことで、ルーシェの仕事は終わりを告げたのだから。

 1000年後の地球に、知的生命体による文明は残っていない。星の魔力が再び満ちる、その時は訪れない。




 確定した未来。終わる世界。死にゆく星。

 絶望の淵で、ルーシェは眠る。



 そんなさなか、

 ”新しい世界”が、何の前触れもなく誕生した。



 可能性の枝分かれ、そんな次元ではない。

 正真正銘の新世界。新しい歴史の木が、突如として生えてきた。




 だからルーシェは、目を覚まし。

 ”紅月輝夜”がやって来る、今日という日を待ちわびてきた。










◆◇ 未来限界点 ◇◆










 一体、何が起きたのか。なぜ、新しい世界が生まれたのか。

 目を覚ましたルーシェはその原因、その時間を探り、紅月輝夜という1人の人間を発見した。



 ただの人間、一般人と評される存在ではない。むしろ、”この世界の理”において、非常に重要な役割を持った人物と言える。そのことは、ルーシェも以前から知っていた。

 残酷な因果、無自覚なエゴ、無数の欲望、それらの運命に紐づけられた、悲劇のヒト。ただ、それだけに過ぎない。

 世界を丸ごと変えるような、可能性を生み出すような出来事を、率先して起こすような人間ではない。むしろ、その対極とも言える人間であると、ルーシェは思っていた。



 だがしかし、新しい世界に誕生した彼女は、ルーシェから見ても驚きの連続であった。

 おそらく本来の紅月輝夜は、望まぬ形で時間逆行を行ってしまったのだろう。ゆえに、この2つ目の世界、人生のやり直しを拒絶。

 その結果として、自分の魂を”異なる世界の誰か”と入れ替えるという暴挙に出た。




「――そんでもって、選ばれたのがお前ってわけや」


「なる、ほど」




 どこかで一度、聞いたことがあるような。

 それでも輝夜は、今の自分が存在する理由を知った。




「とはいえ、や。ご覧の通り、新しく生まれた世界も、そう長くは続かへんかった」




 ルーシェは、黒塗りになった2冊目の本を見せる。ここまではあくまでも、3冊あるうちの2冊目の内容なのだから。




「それがどうしてかは、お前が一番良く分かっとるやろ?」


「……ああ。わたしがアモンに願って、過去へと戻ったからだろう?」


「せや」




 もうこれ以上、用はないと。ルーシェは黒塗りになった2冊の本を消し去る。これはあくまで、過去の出来事。

 何より重要なのは、これから先に続く”3つ目”の白い本なのだから。




「2つ目の世界が終わった理由は、まぁ単純や。アモンが地上に顕現したせいで、魔界は柱を維持できずに崩壊。そのおかげで人類は優位に立ったが、結局は”星の灰汁”に呑み込まれてもうた」


「星のあく? あくって、何の話だ?」


「そこは、まぁ。今は気にせんでええ。ちょっとネタバレになるしな」


「おい。世界がどうこうって話なんだろ? ネタバレもクソもあるか」


「しゃーないねん! お前がここに来ると知ってから、あたしはもう未来を視るのを止めたんや」


「はぁ?」




 まるで、意地っ張りな子どものように。ルーシェは白い本を背後に隠し、絶対に教えないという意思表示をする。




「お前、わたしの味方じゃないのか? 世界が続くのが良い、的なこと言ってただろ!」


「そりゃそうやけど! こっちにしても、事情ってもんがあるんや。そこを汲み取ってもらわんと、ほんまお前はデリカシーってもんがないわぁ」


「……このっ」




 これ以上、言い争っても無駄だと。

 輝夜は少し大人になり、拳を振るうのは止めた。




「あたしとしてもな、お前には生き残ってほしいんや。少なくとも、あんな未来。空の王にぶっ殺されるような終わり方はしてほしくない」


「それはどうも。だったら、そうならない未来を見せてくれ。可能性が無数にあるんなら、諸々の問題を回避する道もあるんだろう?」


「……いいや。むしろ、それが問題なんや」




 そう言って、少し切ないような表情で。

 ルーシェは、真っ白な本を抱きかかえる。




「あたしはな、2つの世界線が滅びる運命を見てきたんや。その過程、様々な可能性も全部見た。だからこそ、なんとなく分かってしまうんや」


「なにがだ?」


「……きっとお前らは、ソロモンの夜を越えられへん」




 全てを視た者。ルーシェが導き出した答えが、それであった。

 未来を誰よりも知っているからこそ、その”限界”を誰よりも知っている。




「未来視って力は、正直かなり便利やと思うやろ? ほら、まだ自覚はなかったかも知れんけど、お前はパチコン屋の時点ですでに未来視に目覚めとった」


「ああ。だから、あんなに当たる台が分かったのか」


「その通り。お前は星の記憶に接続して、あの日、あの店のパチンコ台で、どれが大当たりするのかを知った。おそらく、他の誰かが得ていたであろうその可能性を、まぁ言い方は悪いけど、奪ったって形になるな」


「まぁ確かに。わたし達が座ってなかったら、別の人間が打ってただろうしな」




 その目的、規模は置いておいて。輝夜は未来視の力を使って、自分が成功する未来を手に入れた。

 数多く存在する”ハズレの未来”を避けて、当たりを選んだともいえる。




「それを踏まえて、これから起こる出来事にどう対処する? まぁなんや、お前はさっき断片的ながらも、これから起こる未来を知ったわけやろ? その未来、その結末を変えるために、お前はどう行動したら回避できると思う?」


「……それは」




 輝夜は、考えてみる。これから自分がどう行動したら、あの悲劇的な未来を変えられるのかを。

 だがしかし、そう簡単には思いつかない。




「だからこそ、他の可能性、生き残れる未来を視れば」


「もしも、そんな未来が1つも存在しないとしたら、どうする?」


「……は?」




 思わぬ言葉に、輝夜は唖然とする。

 そんな彼女の反応に、ルーシェは哀れむような表情を見せた。




「正直に言うと、あたしも怖いんや。今日という日、ソロモンの夜が明ける時、一体世界はどうなっているのか」




 純白の本。まだ視ていないが、結末は簡単に知ることが出来る。

 ”ある程度”の結果なら、今からでも変えるチャンスは有るだろう。


 だがしかし、ここは未来の限界点。

 輝夜がこの領域へ至るには、あまりにも遅すぎた。




「せめてあと一週間。いや、一日でもよかった。お前がここにアクセス、未来を自在に知れるようになるのが、もう少し早ければ、きっと可能性はもっとあったんや。”黒羽える”も、昨日の段階なら、まだ止められたかも知らんしな」




 忘れてはいけないのが、今がいつかということ。


 今日はすでに、定められた”運命の日”。輝夜にとっては、体育祭の真っ只中。

 これから出来ることなど、もはやたかが知れている。




「非常に言いにくいんやけど。正直、お前は詰みかけとる」


「つ、詰み?」


「ああ。魔界に落ちた時か、あるいはそれ以上にな。あの街に、あれだけの遺物レリック保有者ホルダーが集まった時点で、黒羽の計画はほとんど完了してたんや。それこそ、お前と話した時点で、あの嬢ちゃんはジョナサンの存在にも気づいたからな。その気になれば、いつでも”あの現象”を起こせるんやで?」




 あの現象とは、最後の儀式のことだろう。姫乃の街に刻まれた術式が起動し、世界中の遺物レリックが一つに集まり、結末として”怪物”が生まれる。

 それを夜まで待ったのは、彼女なりの優しさであろうか。体育祭を中断させないという、気遣いなのかも知れない。




「お前は知らんと思うけど、黒羽えるは”天才”や。下手をしたら、あのニャルラトホテプにも匹敵するかも知れん」


「はあ。……そんな天才が、なんであんな惨状を生み出すんだ?」




 問題は、そこ。

 むしろ、その一点のみと言ってもいい。


 彼女が、こんな狂った計画さえ始めなければ。

 ソロモンの夜などという儀式は行われず、日本の勢力図が変わることや、怪物の誕生など起きなかったのだから。




「んん〜 困ったことに、そこはあたしにも分からんのや。調べた限り、黒羽えるは限りなく一般人に近い経歴をしとる。唯一の特別といえば、祖父の蔵から偶然、”遺物レリック”を見つけたことやな」




 ルーシェは確かに、この星における全ての情報、全ての記録を知ることが出来る。

 だがしかし、その瞬間、その一時に、誰がどのような思考をしていたのかまでは分からない。




「そもそも、いくら頭が良いとはいえ、ソロモンの夜には疑問が残る。あれだけの術式を街単位で構築するなら、魔法に関しても相当の知識がないと説明がつかん」


「……あいつが契約してたのは、たしか魔獣だったよな。それ以外に、悪魔とかと接触した過去はないのか?」


「ない。何度も見返したが、黒羽えるは普通の人生を送っとる。ソロモンの夜なんて、だいそれた計画を行うような、動機も何も見当たらへん」




 どのような角度、どのような予想をしようと、もはや意味はない。

 本人の口から聞く以外、黒羽えるという人間の正体は分からないだろう。




「……なぁ、1つ気になったんだが。本来のわたしってやつは、どうやってこれを乗り切ったんだ?」


「あー、うん。何と言ったらいいんかなぁ」




 輝夜の問いに、ルーシェは歯切れが悪くなる。




「あれは、あたしにもよく分からんのや。姫乃は焼け野原になって、生き残ったのはお前と善人だけ」


「……なんでだ」


「それもそうやなぁ」




 今の輝夜と、本来の輝夜は全くの別人である。

 ゆえに、辿る歴史も、その思想も異なる。




「どう考えても、あの時期の花輪善人に、空の王を倒せる力は無かった。なのにどうして倒せたのか、あたしにも理解できへんのや」


「何だ、それは」




 全くもって、役に立たない情報である。




「これも、未来視の限界や。確かにこれから起こる出来事や、その結末は知ることが出来る。ただ、なぜそうなるのか、どういう理屈でそうなったのか。そういう真相、”深い部分”までは分からへん」


「……」




 これから、あの悲劇が起ころうというのに。何一つとして、有益な情報が得られない。その事実に、輝夜の表情も曇っていく。


 万能ともいえる未来視が、こうも無力なのかと。




「あっ、そういえば。思い出したことが1つあるわ」


「なんだ?」


「前の歴史で出現した怪物、空の王に、”頭”は無かったはずや。それなのに、今回出てくるあいつには頭があった。それは、何でやろ」


「それはまた、難しい話だな」




 そもそも、理解の外にある怪物なのだから。

 姿かたちが多少変わったところで、もはや問題とも思えない。




「言うとくけどな、これも多分やけど、お前のせいやで?」


「はぁ?」


「そもそも、お前が色々と掻き回したせいで、本来の歴史と変わり過ぎとるんや」


「ぐ、ぬぬぬ」




 あまりの理不尽に、輝夜はキレる。




「そもそもお前、家族と仲良すぎやろ。前のお前なんか、使用人とすら話してなかったで?」


「はぁ? 舞と話さないとか、無理だろ。確かに、朱雨とか龍一とか、血の繋がった連中は気難しいが。……舞はほら、別だろ」


「ま、しゃーないんや。紅月輝夜という人間は、”人間という存在そのもの”を嫌っとったからな。唯一の例外が、花輪善人やったけど」


「……前のわたし、どんな人間だったんだ?」




 全くもって、想像ができなかった。舞を含めた家族と一切接触せず、なぜか善人にだけ心を許している。

 少なくとも、自分の人生では起こり得ない状況であった。




「そもそも、魂ごと入れ替わったんや。お前が輝夜になる時に、何か話したりとかせぇへんかったんか?」


「いいや。まぁ、馬鹿みたいな話だが、こうなる前のわたしは、”あるゲーム”をやろうとしててな? それで、適当に初期設定をしてたら、ゲームから変なアナウンスが出てきて……」





 輝夜は思い出す。もはや遠い昔に思える、以前の自分の最後を。


 わたしが、わたしとなった日のことを。





――誰か。



 微かに、聞こえたような気がした。




――この”地獄のような人生”を、歩んでくれる人は。



 ある声を、思い出す。





「……あれは、夢の」





 記憶の枝に、風が吹き。


 忘れていた何かが、過去から押し寄せてくる。





――なんとも、趣味の悪い夢を楽しんでいるわね。



 最初に抱いた感情は、苛立ち。





――とても今じ#&$%し`*れな%&+#。



 ノイズが酷すぎて、聞こえない内容も多かった。





 だがしかし、

 最後の一言だけは、とても大きく覚えている。






――あなたになら、安心して任せられる。






 頭ではない、記憶ではない。

 心の深い部分に、その声は残っていた。




(……あぁ)




 どうして、今まで忘れていたのだろうか。

 自分のバカさ加減に、輝夜は呆れてしまう。




(そういえば、起きた瞬間にドロシーが大声で話しかけてきて。それで、忘れたんだったか)




 それでも、もう大丈夫。

 輝夜は胸に手を当て、安心する。


 自分がするべきことを、すべて思い出した。




「……なぁ、ルーシェ。リタっていう魔女は、どこに行けば会える?」


「リタって、リタ・ロンギヌスか? あいつをどうこうしたって、もう結果は変わらんで?」


「いいや、別にそいつ本人に用があるわけじゃない」




 全てを投げ出した、本来の紅月輝夜。彼女は確かに、無責任で薄情だったのかも知れない。


 しかし、希望は残してくれた。





「――”リタのネックレス”だ。それを手に入れれば、きっと未来を変えられる」





 未来に限界があったとしても、可能性がゼロだとしても。


 輝夜はそこに、小さな光を見つけた。





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