白紙の道
「ふぅ……」
輝夜が目を開くと、そこは見覚えのある場所。
神楽坂高校、その校舎の側に立っていた。
陽の光が、前と何も変わっていない。どうやら輝夜が向こうと接続している間、この世界は何一つ動いていなかったらしい。
――繰り返し連絡します。二人三脚に出場する生徒は、入場口へと集まってください。
これが、本当の現実。もう後戻りはできない。ここから歩む道は、確かな歴史となるのだから。
ゆえに輝夜は、覚悟を決める。
自分のため、そして他者のために。自分が正しいと思う道を。
「よしっ、やるか」
緊張もあるが、何よりも楽しみでもある。
自分に何が出来るのか、どこまでやれるのか。
正真正銘、それが今から決まるのだから。
輝夜は急ぎ、入場口へと向かった。
「来たな、輝夜サン。勝つ準備は出来てるか?」
すでに入場口には、パートナーである善人の姿が。相も変わらず様子がおかしいが、そこはあまり重要ではない。
2人で培ってきたコンビネーションは、変わらずここにあるのだから。
「もちろん、勝つつもりだが」
輝夜はそう言いながら、ライバルである他の生徒たち。その中でも要注意な、怪物カップルの方を見る。
未来を知っているからか、その表情は少々複雑であった。
「善人、いつも通り、全力で行くぞ。わたしは魔力を”使えない”が、合わせられるか?」
「任せな。俺が、勝利への道を切り開いてやる」
「……そうか」
やる気十分、それは結構である。相方が大丈夫なら、輝夜も自分に出せる全てをやるしかない。
気持ちの良い、勝利を得るために。
「行くぞ」
輝夜と善人は肩を組み。
決戦の火蓋は切られた。
◇
『――白熱、白熱です! 1組のペアと4組のペアが、デッドヒートを繰り広げています!』
グラウンドは、観客は、熱気に包まれていた。
彼らの視線の先で走るのは、輝夜と善人のペアと、学年一の運動神経を誇る怪物カップル。
両者ともに、一歩も譲らない全力疾走で、会場をこれでもかと盛り上げていた。
無論、走っている本人たちはそれどころではない。
勝ちたい、ただ勝ちたい。自分たちと肩を並べるこのライバルに、何としても勝利を収めたい。
それは、双方のペアが思っていることであり。
中盤を越えてなお、その速度は上がっているように思えた。
「――はぁ、はぁ」
これはもしかしたら、死ぬかも知れない。全力疾走の中で、輝夜は自らの肉体の限界を予感する。
もしも魔力というインチキを使っていれば、こうはならなかっただろう。汗一つかくことなく、優雅に勝利を収めたはずである。
その光景は、未来で視た。
だがしかし、それではいけない。これで世界が変わるわけではないが。少なくとも、自分は変わることが出来る。
ゆえに輝夜は、一切の不正を良しとせず、ただがむしゃらに、善人との走りを信じ切るしかなかった。
『おおっと!? 互角に見えた両者であったが、ここで抜けるのか!?』
心臓が、体が、どこかが止まってもおかしくない。
ただでさえ貧弱な体にムチを打って、ただがむしゃらに。
あらゆる感覚が、死んでいくような。足を動かすために、耳が、目が、その機能を停止させていく。
周りの歓声も、実況席の声も聞こえない。
ただそれでも、前に、前にと。
勝ちたいという気持ちから、輝夜は全力を振り絞り。
「――あっ」
”ゴールテープを切る感覚”に、世界が一気に、鮮やかになる。
前にも横にも、他のペアは居ない。
ただ、今にも崩れそうな自分が居て。
そんな体を、善人が大切そうに抱えていた。
「……な、え?」
善人にもたれながら、輝夜はしっかりと呼吸をする。
何がどうなったのかを、ゆっくりと理解する。
すると、そんな輝夜たちの元へ。
「いやー、負けた負けた。絶対わたし達が勝つと思ったのに。君たち、ちょっと強すぎだって」
一番意識していた、あの怪物カップル。その2人が、輝夜たちに声をかけてくる。
「ああ。まさか、負けるなんてな。正直、考えてもいなかった」
「うんうん。わたし達カップルだし、相性も抜群だったからねー」
気さくに話しかけてくる、そんなカップルの言葉に。ようやく輝夜は、何がどうなったのかを理解する。
魔力というインチキを使わずに、自分の体と根性だけを頼りに。
この二人三脚で、”勝利”を掴んだのだと。
「あぁ、そうか」
「おっ、ととと」
一気に、力が抜けて。
輝夜は完全に、善人に抱きかかえられる格好に。
いつもなら絶対にこんな姿は見せないが、今はもう、そんなことはどうでもよかった。
(……なんだ。やれば出来るじゃないか、わたし)
未来は、変えられる。それを1つ、実感することが出来た。
輝夜は今この瞬間、1つの未来を変えた。インチキして勝利するという未来から、自力で勝利するという未来へ。
誰にも理解できないその違いだが、輝夜にとっては非常に重要なことであった。
なぜなら、
「お前たちこそ。足、”怪我”してるんだろ?」
よく見てみれば、怪物カップルの足首には、サポーターのようなものが装着されていた。
つまり2人は、足を痛めている。
どの程度の怪我なのかは不明だが。輝夜の騎馬を務めた女子たちのように、練習のし過ぎで怪我をしたのだろう。
「関節痛か、下手したら骨折か? そんな状況で互角だったんだから、お前たちのほうが凄いだろう」
輝夜の見た未来では、競技が終わった後に”それ”に気づいてしまった。
怪我をして、本調子でもない相手に、魔力というインチキを使って圧勝した。
確かに魔力を完璧に隠したことで、他者にそれを悟られることはないだろう。
それでも、輝夜は。
なんて”後味の悪い勝利”なのかと、激しい自己嫌悪に陥った。
ゆえに、この本番において、輝夜は魔力というインチキを捨て、身一つでの勝負に挑んだ。
もしもそれで負けても、あの後味の悪い勝利よりかはマシである。
そんな覚悟で走って。
なおかつ、勝負に勝つことも出来た。
ゆえに、輝夜はこれまでで一番と言っていいほど、清々しい気持ちとなった。
だがしかし、これも”未来視の限界”か。
輝夜にとって、意外な事実が突きつけられる。
「あぁ、このサポーター? これはお揃いで、ゲン担ぎみたいに着けてるだけだから、別に怪我とかはしてないよ?」
「……へ?」
思わぬ事実に、輝夜は顔が固まってしまう。
「ああ。お揃いのサポーターで、コンディションも万全で。それで負けたんだから、純粋にお前たちのほうが凄い」
「らしいぜ? 輝夜サン」
こいつらはいったい、なにをいっているのか。
疲労でいっぱいいっぱいな輝夜には、どういうことなのかが理解できない。
「……つまり、なんだ? 別にお前たちは、怪我とかしてなくて。それを相手に、わたしたちは勝ったのか?」
「そーそー。学年最速カップル、その座を奪われるなんて、思わなかったなー」
流石は、運動神経抜群のカップルか。
へなへなの輝夜とは対照的に、2人は未だに元気であった。
全くもって、予想外。
2人が怪我をしていると思ったから、輝夜はズルをしなかったというのに。
(……これだったら、魔力でぶっちぎっても、別によかったな)
これまでにない疲労の中で、輝夜はそんなことを思い。
ただ、それでも結末は変わった。
誰にも文句をつけられない。
正真正銘、友情と努力で、輝夜たちは二人三脚を制したのだ。
◆◇ 白紙の道 ◇◆
体育祭、午前中の競技が終わり。生徒たちは各々、観覧に来ていた親族等と、つかの間の休息を楽しんでいた。
無論、それは紅月家も例外ではなく。これでもかと用意された弁当に、周囲がざわめいている。
「それにしても、輝夜のやつ。かなり走れてたな」
「そうですね。これまで生きてきて、あれほど感動したことはありません」
「……そうか」
白熱の末、輝夜たちの勝利で終わった二人三脚。
当然、家族の2人はしっかりと目に焼け付けており、舞に関しては、未だに熱が残っているようだった。
だがしかし、
「それで、あいつは?」
ここに、その主役の姿はない。
事前に呼んでいた、善人らクラスメイト数人はすでに集まっているのだが。
「お友達を”もう一人”、連れて来るとの話でしたが」
誰も知らぬことだが、これも本来の流れとは違うもの。
この体育祭を”悔い”のないものにするために、輝夜は自分なりの行動へ出ていた。
場所は変わり、校舎内にある図書室へ。
本日は体育祭、当然のように図書室は機能していない。それでも、グラウンドから轟く人々の活気は、ここまで届いていた。
それすらも、避けるためだろうか。
図書室の中の、更に奥。
整理されていない本の山。
それに囲まれるような一角に、”黒羽える”は陣取っていた。
お昼休憩の時間だが、彼女は何も口にしていない。ただ、これが最後になるかも知れないと、読みそこねた本を読んでいる。
最後の最後まで、きっと。
誰にも、知られることなく。
そのはず、だったのだが。
「――けほっ、けほっ。何だここ、本の墓場か?」
誰にも告げていない、誰にも見られていない。
それなのに、紅月輝夜はこの場所へとやって来た。
理由はもちろん、黒羽と会うために。
「これは、おどろ木ももの木。どうしてここが分かったの?」
「ふふっ。お前の居そうな場所なんて、少し考えれば分かるのさ」
当然、そんなことはない。
輝夜の瞳は、過去、現在、未来へのアクセスを可能としている。ゆえに、黒羽の居場所を割り出すことが出来た。
「それで、どうしてここに来たのかな? 今日はわたし、お昼を食べるつもりがないんだけど」
「いや、食え。午後の団体競技、お前も出るだろ」
「……そう言われると、確かにそうだけど」
まさか、この場所を割り出されるとは。
流石の黒羽も予想外であり、体の良い言い訳がとっさに思い浮かばない。
「安心しろよ。うちの使用人が、これはもう、食べ切れないレベルの弁当を作ってきてるからな。正直、食う人間は1人でも多いほうがいい」
「そ、そうなんだ」
断れない流れになってしまい、思わず黒羽は苦笑いをする。
正直な話、問題なのは食事そのものではないのだが。
「さっきわたしと、色々と話したこと。もしかして、忘れたわけじゃないよね?」
「ん? あー、何だったかな」
輝夜は何気なく、黒羽の読んでいた本を手にとって、中を見てみるも。
知らない、読めない言語に、そっと本を閉じた。
「別に、何だっていいだろう? ”友達”を飯に誘うのが、そんなに変なことか?」
「……」
あくまでも。あくまでも、そういうスタンスなのかと。
黒羽は輝夜に対する認識を改める。
――だってわたし、生まれてから一度も、友達すら出来たこと無いから。
わざわざ、そうまで言って突き放したというのに。
それでも目の前の彼女は、こうして誘いに来た。
(あぁ)
ほんの少し、黒羽は自己嫌悪に陥る。
自分がこんなに歪な、”異端者”でなければ。きっと何も考えることもなく、友達という存在を作れたのだろう。
ここまで事を進めてしまっては、もう遅いのだが。
そんな彼女の心情を悟ってか。
輝夜はまっすぐと、黒羽の目を見る。
「いいか? たとえお前が何者で、何を企んでいたとしても。わたしはお前を、友達だと思ってる」
正面から、そう言い放って。
「……これ、ちょっと恥ずかしいな」
思わず、輝夜は目を逸らす。
そんな様子に、
「ふふっ。そう、だね」
観念したかのように、黒羽は立ち上がった。
「あーあ。わたしとは関わらないほうがいいって、誰かに言われたりしてないの?」
「だとしても、わたしには関係ないからな。”わたしの目的”は、あいつらのそれとは違う」
「紅月さんの目的って?」
その問いに。
この上なく自信を持って、輝夜は微笑む。
「お前を救ってみせる。なんて、どうだ?」
「……え」
ソロモンの夜。この一連の出来事に巻き込まれて、結末までをも知って。
輝夜は1つの結論へと至った。
誰が善人で、誰が悪人か。この戦いは、そんな次元で起きているものではない。
輝夜の父親を含めた”こっち側”も、首謀者である黒羽も。絶対に譲れない、何らかの信念にもとづいて動いている。
だから、思ったのかも知れない。
「――さぁ、行くぞ。今日を乗り切るなら、飯は死ぬほど食わないとな」
1人で戦う彼女にも、手を差し伸べるべきだと。
◆
ほんの少しだけ、物事の見方を変えてみて。自分の心に、ゆとりを持って。
たったそれだけで、輝夜にとって、今日は最高の1日へと変わった。
少なくとも、体育祭という部分に限って、ではあるが。
燃えるような情熱と、クラスメイトや友人との感動、達成感と充実感。
これまでの努力が花開くように、初めての体育祭は素晴らしい結末を迎えることが出来た。
太陽が沈んでいき。
世界が溶けるように、これから夜がやって来る。
運命の夜、ソロモンの夜が。
もう止めることは出来ない。
きっと、どれだけ情に訴えたとしても、黒羽えるは止まらないだろう。
無理に止めたとしても、最悪の結末が待っている。
だから輝夜は、ここへ来た。
体育祭が終わり、人も減りつつある神楽坂高校。
その屋上で。
絡み合った運命と、その先。
1人の魔女と、輝夜は対峙する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます