白紙の道






「ふぅ……」




 輝夜が目を開くと、そこは見覚えのある場所。

 神楽坂高校、その校舎の側に立っていた。


 陽の光が、前と何も変わっていない。どうやら輝夜が向こうと接続している間、この世界は何一つ動いていなかったらしい。




――繰り返し連絡します。二人三脚に出場する生徒は、入場口へと集まってください。




 これが、本当の現実。もう後戻りはできない。ここから歩む道は、確かな歴史となるのだから。


 ゆえに輝夜は、覚悟を決める。

 自分のため、そして他者のために。自分が正しいと思う道を。




「よしっ、やるか」




 緊張もあるが、何よりも楽しみでもある。

 自分に何が出来るのか、どこまでやれるのか。


 正真正銘、それが今から決まるのだから。

 輝夜は急ぎ、入場口へと向かった。









「来たな、輝夜サン。勝つ準備は出来てるか?」




 すでに入場口には、パートナーである善人の姿が。相も変わらず様子がおかしいが、そこはあまり重要ではない。

 2人で培ってきたコンビネーションは、変わらずここにあるのだから。




「もちろん、勝つつもりだが」




 輝夜はそう言いながら、ライバルである他の生徒たち。その中でも要注意な、怪物カップルの方を見る。

 未来を知っているからか、その表情は少々複雑であった。




「善人、いつも通り、全力で行くぞ。わたしは魔力を”使えない”が、合わせられるか?」


「任せな。俺が、勝利への道を切り開いてやる」


「……そうか」




 やる気十分、それは結構である。相方が大丈夫なら、輝夜も自分に出せる全てをやるしかない。


 気持ちの良い、勝利を得るために。




「行くぞ」




 輝夜と善人は肩を組み。

 決戦の火蓋は切られた。















『――白熱、白熱です! 1組のペアと4組のペアが、デッドヒートを繰り広げています!』




 グラウンドは、観客は、熱気に包まれていた。


 彼らの視線の先で走るのは、輝夜と善人のペアと、学年一の運動神経を誇る怪物カップル。

 両者ともに、一歩も譲らない全力疾走で、会場をこれでもかと盛り上げていた。


 無論、走っている本人たちはそれどころではない。

 勝ちたい、ただ勝ちたい。自分たちと肩を並べるこのライバルに、何としても勝利を収めたい。


 それは、双方のペアが思っていることであり。

 中盤を越えてなお、その速度は上がっているように思えた。




「――はぁ、はぁ」




 これはもしかしたら、死ぬかも知れない。全力疾走の中で、輝夜は自らの肉体の限界を予感する。

 もしも魔力というインチキを使っていれば、こうはならなかっただろう。汗一つかくことなく、優雅に勝利を収めたはずである。


 その光景は、未来で視た。


 だがしかし、それではいけない。これで世界が変わるわけではないが。少なくとも、自分は変わることが出来る。

 ゆえに輝夜は、一切の不正を良しとせず、ただがむしゃらに、善人との走りを信じ切るしかなかった。




『おおっと!? 互角に見えた両者であったが、ここで抜けるのか!?』




 心臓が、体が、どこかが止まってもおかしくない。

 ただでさえ貧弱な体にムチを打って、ただがむしゃらに。


 あらゆる感覚が、死んでいくような。足を動かすために、耳が、目が、その機能を停止させていく。

 周りの歓声も、実況席の声も聞こえない。


 ただそれでも、前に、前にと。

 勝ちたいという気持ちから、輝夜は全力を振り絞り。




「――あっ」




 ”ゴールテープを切る感覚”に、世界が一気に、鮮やかになる。

 前にも横にも、他のペアは居ない。


 ただ、今にも崩れそうな自分が居て。

 そんな体を、善人が大切そうに抱えていた。




「……な、え?」




 善人にもたれながら、輝夜はしっかりと呼吸をする。

 何がどうなったのかを、ゆっくりと理解する。



 すると、そんな輝夜たちの元へ。




「いやー、負けた負けた。絶対わたし達が勝つと思ったのに。君たち、ちょっと強すぎだって」




 一番意識していた、あの怪物カップル。その2人が、輝夜たちに声をかけてくる。




「ああ。まさか、負けるなんてな。正直、考えてもいなかった」


「うんうん。わたし達カップルだし、相性も抜群だったからねー」




 気さくに話しかけてくる、そんなカップルの言葉に。ようやく輝夜は、何がどうなったのかを理解する。


 魔力というインチキを使わずに、自分の体と根性だけを頼りに。


 この二人三脚で、”勝利”を掴んだのだと。




「あぁ、そうか」


「おっ、ととと」




 一気に、力が抜けて。

 輝夜は完全に、善人に抱きかかえられる格好に。


 いつもなら絶対にこんな姿は見せないが、今はもう、そんなことはどうでもよかった。




(……なんだ。やれば出来るじゃないか、わたし)




 未来は、変えられる。それを1つ、実感することが出来た。


 輝夜は今この瞬間、1つの未来を変えた。インチキして勝利するという未来から、自力で勝利するという未来へ。

 誰にも理解できないその違いだが、輝夜にとっては非常に重要なことであった。


 なぜなら、




「お前たちこそ。足、”怪我”してるんだろ?」




 よく見てみれば、怪物カップルの足首には、サポーターのようなものが装着されていた。

 つまり2人は、足を痛めている。

 どの程度の怪我なのかは不明だが。輝夜の騎馬を務めた女子たちのように、練習のし過ぎで怪我をしたのだろう。




「関節痛か、下手したら骨折か? そんな状況で互角だったんだから、お前たちのほうが凄いだろう」




 輝夜の見た未来では、競技が終わった後に”それ”に気づいてしまった。

 怪我をして、本調子でもない相手に、魔力というインチキを使って圧勝した。

 確かに魔力を完璧に隠したことで、他者にそれを悟られることはないだろう。


 それでも、輝夜は。

 なんて”後味の悪い勝利”なのかと、激しい自己嫌悪に陥った。


 ゆえに、この本番において、輝夜は魔力というインチキを捨て、身一つでの勝負に挑んだ。

 もしもそれで負けても、あの後味の悪い勝利よりかはマシである。



 そんな覚悟で走って。

 なおかつ、勝負に勝つことも出来た。


 ゆえに、輝夜はこれまでで一番と言っていいほど、清々しい気持ちとなった。


 だがしかし、これも”未来視の限界”か。

 輝夜にとって、意外な事実が突きつけられる。




「あぁ、このサポーター? これはお揃いで、ゲン担ぎみたいに着けてるだけだから、別に怪我とかはしてないよ?」


「……へ?」




 思わぬ事実に、輝夜は顔が固まってしまう。




「ああ。お揃いのサポーターで、コンディションも万全で。それで負けたんだから、純粋にお前たちのほうが凄い」


「らしいぜ? 輝夜サン」




 こいつらはいったい、なにをいっているのか。

 疲労でいっぱいいっぱいな輝夜には、どういうことなのかが理解できない。




「……つまり、なんだ? 別にお前たちは、怪我とかしてなくて。それを相手に、わたしたちは勝ったのか?」


「そーそー。学年最速カップル、その座を奪われるなんて、思わなかったなー」




 流石は、運動神経抜群のカップルか。

 へなへなの輝夜とは対照的に、2人は未だに元気であった。



 全くもって、予想外。

 2人が怪我をしていると思ったから、輝夜はズルをしなかったというのに。




(……これだったら、魔力でぶっちぎっても、別によかったな)




 これまでにない疲労の中で、輝夜はそんなことを思い。

 ただ、それでも結末は変わった。


 誰にも文句をつけられない。

 正真正銘、友情と努力で、輝夜たちは二人三脚を制したのだ。










◆◇ 白紙の道 ◇◆










 体育祭、午前中の競技が終わり。生徒たちは各々、観覧に来ていた親族等と、つかの間の休息を楽しんでいた。

 無論、それは紅月家も例外ではなく。これでもかと用意された弁当に、周囲がざわめいている。




「それにしても、輝夜のやつ。かなり走れてたな」


「そうですね。これまで生きてきて、あれほど感動したことはありません」


「……そうか」




 白熱の末、輝夜たちの勝利で終わった二人三脚。

 当然、家族の2人はしっかりと目に焼け付けており、舞に関しては、未だに熱が残っているようだった。


 だがしかし、




「それで、あいつは?」




 ここに、その主役の姿はない。

 事前に呼んでいた、善人らクラスメイト数人はすでに集まっているのだが。




「お友達を”もう一人”、連れて来るとの話でしたが」




 誰も知らぬことだが、これも本来の流れとは違うもの。

 この体育祭を”悔い”のないものにするために、輝夜は自分なりの行動へ出ていた。









 場所は変わり、校舎内にある図書室へ。


 本日は体育祭、当然のように図書室は機能していない。それでも、グラウンドから轟く人々の活気は、ここまで届いていた。


 それすらも、避けるためだろうか。


 図書室の中の、更に奥。

 整理されていない本の山。



 それに囲まれるような一角に、”黒羽える”は陣取っていた。



 お昼休憩の時間だが、彼女は何も口にしていない。ただ、これが最後になるかも知れないと、読みそこねた本を読んでいる。

 最後の最後まで、きっと。

 誰にも、知られることなく。


 そのはず、だったのだが。




「――けほっ、けほっ。何だここ、本の墓場か?」




 誰にも告げていない、誰にも見られていない。

 それなのに、紅月輝夜はこの場所へとやって来た。


 理由はもちろん、黒羽と会うために。




「これは、おどろ木ももの木。どうしてここが分かったの?」


「ふふっ。お前の居そうな場所なんて、少し考えれば分かるのさ」




 当然、そんなことはない。

 輝夜の瞳は、過去、現在、未来へのアクセスを可能としている。ゆえに、黒羽の居場所を割り出すことが出来た。




「それで、どうしてここに来たのかな? 今日はわたし、お昼を食べるつもりがないんだけど」


「いや、食え。午後の団体競技、お前も出るだろ」


「……そう言われると、確かにそうだけど」




 まさか、この場所を割り出されるとは。

 流石の黒羽も予想外であり、体の良い言い訳がとっさに思い浮かばない。




「安心しろよ。うちの使用人が、これはもう、食べ切れないレベルの弁当を作ってきてるからな。正直、食う人間は1人でも多いほうがいい」


「そ、そうなんだ」




 断れない流れになってしまい、思わず黒羽は苦笑いをする。

 正直な話、問題なのは食事そのものではないのだが。




「さっきわたしと、色々と話したこと。もしかして、忘れたわけじゃないよね?」


「ん? あー、何だったかな」




 輝夜は何気なく、黒羽の読んでいた本を手にとって、中を見てみるも。

 知らない、読めない言語に、そっと本を閉じた。




「別に、何だっていいだろう? ”友達”を飯に誘うのが、そんなに変なことか?」


「……」




 あくまでも。あくまでも、そういうスタンスなのかと。

 黒羽は輝夜に対する認識を改める。




――だってわたし、生まれてから一度も、友達すら出来たこと無いから。




 わざわざ、そうまで言って突き放したというのに。

 それでも目の前の彼女は、こうして誘いに来た。




(あぁ)




 ほんの少し、黒羽は自己嫌悪に陥る。


 自分がこんなに歪な、”異端者”でなければ。きっと何も考えることもなく、友達という存在を作れたのだろう。

 ここまで事を進めてしまっては、もう遅いのだが。


 そんな彼女の心情を悟ってか。

 輝夜はまっすぐと、黒羽の目を見る。




「いいか? たとえお前が何者で、何を企んでいたとしても。わたしはお前を、友達だと思ってる」




 正面から、そう言い放って。




「……これ、ちょっと恥ずかしいな」




 思わず、輝夜は目を逸らす。

 そんな様子に、




「ふふっ。そう、だね」



 観念したかのように、黒羽は立ち上がった。




「あーあ。わたしとは関わらないほうがいいって、誰かに言われたりしてないの?」


「だとしても、わたしには関係ないからな。”わたしの目的”は、あいつらのそれとは違う」


「紅月さんの目的って?」




 その問いに。

 この上なく自信を持って、輝夜は微笑む。





「お前を救ってみせる。なんて、どうだ?」


「……え」





 ソロモンの夜。この一連の出来事に巻き込まれて、結末までをも知って。



 輝夜は1つの結論へと至った。



 誰が善人で、誰が悪人か。この戦いは、そんな次元で起きているものではない。

 輝夜の父親を含めた”こっち側”も、首謀者である黒羽も。絶対に譲れない、何らかの信念にもとづいて動いている。



 だから、思ったのかも知れない。




「――さぁ、行くぞ。今日を乗り切るなら、飯は死ぬほど食わないとな」




 1人で戦う彼女にも、手を差し伸べるべきだと。 

















 ほんの少しだけ、物事の見方を変えてみて。自分の心に、ゆとりを持って。

 たったそれだけで、輝夜にとって、今日は最高の1日へと変わった。


 少なくとも、体育祭という部分に限って、ではあるが。


 燃えるような情熱と、クラスメイトや友人との感動、達成感と充実感。

 これまでの努力が花開くように、初めての体育祭は素晴らしい結末を迎えることが出来た。




 太陽が沈んでいき。

 世界が溶けるように、これから夜がやって来る。



 運命の夜、ソロモンの夜が。



 もう止めることは出来ない。

 きっと、どれだけ情に訴えたとしても、黒羽えるは止まらないだろう。

 無理に止めたとしても、最悪の結末が待っている。


 だから輝夜は、ここへ来た。


 体育祭が終わり、人も減りつつある神楽坂高校。

 その屋上で。




 絡み合った運命と、その先。

 1人の魔女と、輝夜は対峙する。





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