No.XXX
呼吸を感じ取る。これは紛れもない、”わたし”のもの。
わたしの人生、物語なのだと自覚する。
いくつかの不安要素を抱えたまま。それでも時は止まらず、わたしの背中を押していく。
体育祭、午前最後の競技。待ちに待った、仲良し二人三脚の時間である。
これを無視することは出来ないので、わたしは所定の場所へと向かった。
――見えたぜ、勝利へのビジョンが。
二人三脚のパートナー。花輪善人は、相変わらず様子がおかしい。それでもわたしは、彼を信じると決めている。
ゆえに、山ほどやった練習通りに、足を結び、肩を合わせた。
相手は、同じ一年の生徒たち。ほとんどは有象無象だが、一組だけ警戒すべきライバルが居る。
運動神経抜群、しかもカップルという二人組。わたしの本来のスペックでは、絶対に敵わない相手である。けれどもそれに負けないために、わたしは秘密裏に特訓を重ねてきた。
始まりの音が鳴り響き。わたしと善人は、完璧なスタートダッシュを決める。
例のカップルたちより速く、わたしと善人が走り出す。
誰にも悟られることなく、自分の中で魔力が巡る。本来では出せない性能、スピードを出すために。
しばらく練習はしていなかったが、善人もサボってはいなかったらしい。わたしの最高速度に、善人はピタリと合わせてきた。
黄金の歯車が、寸分の狂いなく回るように。わたしと善人は、最高のコンビネーションを発揮した。
それはもう、圧倒的に、最高峰に。
有象無象の同級生も、ライバルと思われたカップルさえも。わたしたちの速度には毛ほども及ばず。
呆気ないほどに、二人三脚はわたし達の”圧勝”で終わった。
歓声が聞こえてくる。わたし達を称える声、驚きに震える声が。
観覧席にいる家族や友人も、きっと驚きの表情を浮かべているだろう。
しかし、わたしは”別のもの”を見ていた。それを見て、聞いて、言葉を失っていた。
気にしなければよかったのに。知らなければよかったのに。
それを見て、わたしは。
この勝利を、耐え難いほどに”後悔”した。
しかし、時間は戻らない。後悔先に立たず、とはよく言うものだが。実際に体験すると、これほどにまで苦しめられるのか。
わたしは、間違いを犯してしまった。
クラスメイトたちの声も、善人の言葉も、わたしの耳には入らない。
勝利にこそ意味がある。わたしのそんな思想が、音を立て崩れていくのを感じる。
最悪の気分のまま、体育祭、午前の部が終了し。
わたしは家族や友人と、昼食を囲んでいた。
そこにあるのは、ただ笑顔ばかり。
保護者に近い影沢舞は、幸福を噛み締めるように微笑んでおり。
いつもは仏頂面の朱雨も、どこか心地よさそうにしている。
わたしが呼んだ友人たちも、いつも以上に笑顔を見せている。
これが体育祭、これが青春。
今日は、かけがえのない一日であると。
けれども、わたしの笑顔は、どこかぎこちない。
周囲には悟られていないだろうが、心の底ではとても笑える状況ではなかった。
何かを後悔しているのか。
それとも、ここにいない、”黒羽える”のことを考えているのか。
ただ、どうしようもない。
時は、無情にも過ぎていく。のろまな心を置き去りに、先へ先へと。
誰もが望まない、バッドエンドへと。
何が起きているのか。これから、何が起こるのか。一体、どこで間違えてしまったのか。何一つ知らないわたしは、ただ漠然とした不安を抱えたまま。
”最初で最後の体育祭”を、たった1人で走り抜けた。
◆◇ No.111 空の――――
体育祭が終わり、学校が終わり。
気づけばわたしは、必死に駆けていた。
夕焼けを、鬱陶しく思いながら。
感知能力に長けたドロシーの助けを借りて。この物語の終結点、多くの力が集まる場所へと。
しかし、終わりは唐突に訪れた。
聞いたことのない、鐘の音。福音を告げるような音とともに。
疑問を感じる前に、それは始まった。
左耳のイヤリングが、形を失い”消滅”したのだ。
ドロシーや、カノンたち。
契約する悪魔たちが、その姿を消してしまう。
形を失ったイヤリング。
街の中心部、姫乃タワーの方角へと飛翔していった。
タワーに集う光は、それだけではない。きっと、世界中で同じことが起きているのだろう。
残された全ての
わたしはただ呆然と、それを見つめることしか出来なかった。
姫乃タワーの上部に、”巨大な黄金の輪”が誕生する。
あれはきっと、全ての集まった結晶なのだろう。
世界中に散っていた星が、一つの大きな光に。
あれを生み出すことが、黒羽の目指した計画なのか。
――わたしに課せられた使命。これがみんなにとって幸福になるか、不幸になるか。それは、達成してみないと分からない。
黒羽はそう言っていた。
つまりあれは、まだ序章に過ぎないのだろう。
理由は分からないが。あの巨大な黄金の輪が、完璧な物であることは感じられる。
黒羽は、計画を完璧に成功させた。
黒羽はどうなったのだろう。あの時間を操る悪魔によれば、殺されるという話であったが。
計画の成功だけでは、彼女の安否までは分からない。
それゆえ、わたしはもう一度走り出す。
おそらく、彼女が居るであろう場所へ向かって。
しかし、”現実”は。
音を立てて、無惨にも崩れていく。
何が起きたのか。
タワーに目を向けると、黄金の輪が、粉々に砕け散る光景が見えた。
それだけなら、まだ良かったのだが。
砕けた輪の内側から、”真っ黒な泥”のようなものが溢れ出す。
今までにない、衝撃を受ける。生理的嫌悪から、鳥肌が立つ。
あれは、違う。絶対に間違っている。
黒羽のやりたかったことは分からないが。あの泥だけは、間違いだと断言できる。
悲しいほどに、惨たらしいほどに。黒い泥が溢れ出す。
明らかに、あの黄金の輪っかよりも巨大な質量で。
そのまま泥は、姫乃タワーを覆ってしまった。
ただ泥が溢れ出して、タワーを覆って。もちろん、それで終わるはずがない。
なにせあれは、この世界に散らばった全ての
途方もない”ナニカ”へと、姿を変えていく。
まるで意思があるかのように。泥は脈動し、形を形成し、ヒト型へと近づいていく。
気づけば泥は、タワーにも匹敵する”巨人”へと姿を変えていた。
のっぺらぼうで、表情など分かりようもない。
特徴といえば、そう。
左胸、心臓に当たる部分が、空洞になっていることくらいか。
大事な部分の欠けた、”空っぽの王”。
その叫びが、街中へと響き渡る。
口に相当するパーツはないのに。一体、どこからそんな音を出しているのか。
けれども、巨人は叫ぶ。
強大で、巨大で。
その存在に、ひたすら圧倒される。
わたしがただ、立ち尽くしていると。
巨人はその肉体の内側から、取り込んでいた姫乃タワーを取り出し。
鷲掴みにされた姫乃タワーが、みるみるうちに形状を変えていく。
魔法か。
あるいは、それよりも上位の力か。
巨人の手によって、タワーは禍々しい”真っ赤な槍”へと変貌した。
巨大な建造物を、いともたやすく武器へと変えてしまう。
そんな規格外の力に、圧倒されていると。
巨人が一瞬、こっちを見たような気がして。
言い表せない悪寒と共に、脳が、魂が、危険信号を。
それよりも、疾く。
巨人は振りかぶり。
禍々しい槍は、”黒い雷”を帯びて。
わたしのいる方角へと――
「――ちょ待ち。それ以上は、見んほうがええで?」
その声で、輝夜は我に返る。
手に持っていた、”真っ黒な本”。
それを奪い取った、女性の声によって。
「はぁ……よりにもよって、自分が死ぬ未来を見るとか。自分バカなんか? いや、言うまでもなくバカやったな」
「……誰、だ? お前」
目に映る全てに、輝夜は戸惑いを隠せない。
ここは、一見すると”紅月家のリビング”のように見えた。
けれども、全体的に色が薄く、偽物であると分かる。
リビングには、本来なら存在しない”本棚”が置いてあり。
そこには、無数の”黒い本”が並べられていた。
そして、目の前にいる女性。
黒いロングヘアに、美人と言える顔つき。
けれども、あまり寝ていないのだろうか。
非常に目付きが悪く、美人という印象を薄れさせている。
初対面なはず。
けれども輝夜は、彼女を”知っている”ような気がした。
「愛しき、2人目の子供。その複製体の、生まれ変わり、そのまた、もどきか? まさかここに辿り着くのが、お前やったとはな」
遺伝子、DNAではない。
もっと、根源的な部分で繋がっている。
「――あたしは、”ルーシェ”。お前のファンや」
彼女は歓迎する。
”星”へと至った、初めての訪問者を。
◆◇ No.XXX ◆◇
「ルーシェ?」
「せや。ええ名前やろ?」
「……そう、だな」
名前どうこうなど、もはや輝夜には関係ない。
ただ自分が、”どういう状況”に置かれているのか、それだけが知りたかった。
「何がどうなった? あの化け物、それに街は」
「あー、はいはい。そこに関しては心配無用や。お前が体験したのは、”無限”に枝分かれした可能性の一つ。ありふれた、最悪の未来ってやつやな」
「可能性。つまり、また、未来みたいのが見えたのか」
あまりにも恐ろしい光景。あまりにもリアルな恐怖。それが現実でないことに、輝夜はひとまず安堵する。
けれども、疑問は尽きない。
「それで、だ。結局お前は何者で、ここはどこなんだ? あの悪魔みたいに、存在しない時間を作ったのか?」
「はぁ? 存在しない時間て、また面倒くさい表現を使うなぁ。これやから、知的生命体は理解しがたいわ」
輝夜の質問に、ルーシェはため息を吐く。
「時間とか空間とか、そんなレベルの話は置いとき。ここはそれより更に上、”星の魂”とも言える場所や」
「……星の魂? いや、……うん?」
理解の出来ない単語に、輝夜は混乱する。
「ぷふっ。ええよ、ええよ。お前の頭で理解しろとは言わへん。とにかく、ものっそい特別な場所だと思えばええ。ここに居る限り、お前の世界は動かへん。お前の時間は、まだ二人三脚の直前で止まっとる」
「そう、か」
二人三脚の直前。その事実に、輝夜は落ち着きを取り戻す。
焦る必要がないのなら、ゆっくりと理解していけばいい。
自宅のリビングにそっくりだが、この場所は星の魂と呼ばれる場所。
そして、目の前に立つルーシェという人物は、おそらく敵ではないのだろう。
「それで。さっきわたしが見たのは、これから起こる未来なのか?」
「まぁ、せやな。お前がここに辿り着かへんかったら、99%近い確率で起こる未来やな」
「……冗談だろ」
あまりにも恐ろしい。というより、”最悪”に近い光景が未来には広がっていた。
「あの化け物が、何かしようとして。そこで止めたよな? あの後、わたしはどうなったんだ?」
「そりゃまぁ、うん。とりあえず一言でいうと、”即死”やな」
「即死か……」
確かに、あれ以上見なくて良かったのかも知れない。自分が死ぬ瞬間など、きっと見たらトラウマになりかねない。
「ほんっま、お前はよう死にかけるなぁ。”前の紅月輝夜”やったら、信じられへん結末ばっかや」
「前の、わたし?」
「せや。お前の体の、”本来の持ち主”のことや」
「ッ。それ、は」
衝撃的な言葉に、輝夜は動揺を隠せない。
一体、目の前の彼女は、どこまで知っているのか。
「お前、別の世界から来た魂やろ?」
「……ああ。よく、ご存知だな」
「そりゃそうや。あたしはこの世界の全てを見てきた女やで? 異分子が紛れ込んだら、そりゃひと目で分かるわ」
そう言って、ルーシェが指パッチンをすると。
本棚に存在する無数の黒い本が、瞬く間に姿を変えていき。
少し大きな、”2冊の黒い本”として。
ルーシェの右の手のひらに浮かんだ。
またもや意味不能な現象に、輝夜は唖然とするしかない。
「可能性、時間の枝分かれは無限や。けれども現実になるのは、”たった一つ”だけ。結局のところ、他はぜーんぶ、”もしも”に過ぎひん」
いくら未来を見ても、どれだけ可能性を考えても。結局、選ばれる道は一つだけ。
それを踏まえて、ルーシェは右手にある2冊の黒い本を見せる。
「あんだけあった可能性も、結局はこうして、最終的に一つの本にまとめられる。これが、現実や」
「……いや、2冊だろ」
流石の輝夜も、1と2は間違えない。
しかし、そんな反応は予想通りと、ルーシェは表情を変えない。
「せや。世界とは、星とは、物語とは。本来、一つだけのはずなんや。けれどもこうして、”イレギュラー”が生まれることがある。――どっかの誰かが、時間に逆らった影響かもなぁ?」
「ッ……それは」
心臓を掴まれるような感覚。
輝夜はその原因に、当然、心当たりがあった。
「あたしは、この世界の始まりから終わりまで、隅々まで見るのが趣味なんや。そんでもって、読み終わった世界は、こうして”黒い本”として纏めとる」
儚いような。何とも言えない表情で、ルーシェは2冊の黒い本を見る。
「ちなみに、この2冊の結末やけど。どっちとも、物語としてはバッドエンドやな。お前らの言う西暦っちゅう概念は、”2100年”まで保った
それはつまり、100年後には文明が崩壊しているということ。
「人間、悪魔、天使。知的生命体が複数存在すると、どーしても対立が避けられへん。2000年に、月の結界が弱まった時点で、最終戦争の火蓋は切られたんや」
ルーシェは哀れむ。
この世界の、根本的な欠陥を。
「……つまり、だ。わたしが時間を遡って、あれだけ必死に戦ったのに。結局、未来は変わらないってことか?」
輝夜は思い知る、世界という存在の大きさを。
自分を含めた、人間という存在の小ささを。
だがしかし、
「いーや。そうとも限らんで」
ニヤリと笑って。
ルーシェの左手の上に、もう1冊の本が出現する。
今までと違う、”真っ白な本”が。
「言うたやろ? 時間を遡ったり、インチキすると、こういうイレギュラーが出来るって」
ルーシェは言った。読み終わった物語は、黒い本として纏められると。
つまり、彼女の持つ3冊目の本は、まだその”途中”ということ。
「どういうことだ? わたしが時間を遡ったせいで、世界が2冊になったんだろ? それじゃ、言ってることと」
「いやいや、お前は一つ勘違いしとる。時間を遡ったのが、自分が最初やと思ったんか?」
「え」
寝耳に水。輝夜はその可能性を、今まで考えてすらいなかった。
「1冊目の世界。ここで、リタっちゅう魔女が、時間逆行をやりよった。文明の崩壊した2030年から、2020年までの長旅をな」
「……思い出した。そういえば、あのアスタとかいう悪魔が言ってたな」
「せやろ? こいつが時間逆行というインチキをした結果、”2015年”から、別の世界線が生まれてしもうたんや」
「2015年? いや、魔女が戻ったのは、2020年、つまり今年だろう」
「いいや。実は、ここが”ミソ”なんや」
もしも時間逆行を行ったのが、リタだけだったのなら。きっと、物語はここまでこじれることはなかっただろう。
いや、そもそも。
リタは、10年の時を超えることが出来なかった。
「お前も知っての通り、時間逆行ってのは、ほぼ不可能に近い奇跡なんや」
「そうだな。わたしも、本来なら一ヶ月は戻るつもりが、チョットしか戻れなかったからな」
アモンという、規格外の悪魔が全力を捧げて。
それでも、輝夜を1日しか飛ばせなかった。
「てなわけで、10年という時間逆行、お前は出来ると思うか?」
「思わない」
「せやろ? それとまーったく同じことを、”2030年の紅月輝夜”も思ったんや」
輝夜は目を見開く。
自分でも知らない、自分のことに。
「2030年の輝夜は、まぁ色々あって月面で暮らしとってな」
「月面!?」
「あー、もう。そこにツッコむのは勘弁してくれ。ほんま、お前は自分のことを何も知らんなぁ」
「はぁ?」
なぜだか、輝夜はとても理不尽な気持ちを味わった。
「ともかく! ”あ、アカン。このままやと、リタは時間逆行に失敗してまう”。そう思った輝夜は、月面に蓄えられた全てのエネルギーを使って、リタの時間逆行を後押ししたんや」
「……そんなメチャクチャな」
「あぁ、メチャクチャや。でもそんな無茶のおかげで、リタは時間逆行に成功した。まぁたぶん、本人にその自覚は無いやろうけど」
運命が味方をしてくれた。
成功率、1%未満の計画が成功した。
時間の逆行を、リタはそう認識しただろう。
そこに、友人の助けがあったなどとは知らずに。
「で、こっからがまた厄介な話でな。ブースターのつもりだった輝夜は、なんの因果か、ロケット本体を追い越してしもうた」
時間という、”巨大なうねり”に手を伸ばした代償か。
本人も意図せぬまま、紅月輝夜は時間を遡ってしまった。
「それが、2015年。――”あの病室”で、2冊目の世界が始まったんや」
物語の終わりと始まり。
それは、今の輝夜が知らないこと。
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