刻の申し子






「……勝てた。あれは勝てた」


「ド、ドンマイだよ、紅月さん。あれはそう、自然がイタズラしたというか、なんというか」


「…………勝てた」




 青空の下、涼しい学校のグラウンド。

 学生たちの笑顔と、活気に溢れる中で。


 紅月輝夜は、失意の底に沈んでいた。




 もしも願いが叶うなら。どうかわたしを、過去へと戻してほしい。

 というよりも、”帽子をしっかり被れ”、と。その一言さえ伝えられれば。




「ぎぐぐぐ」




 どれだけ輝夜が願おうと、時を戻すことは出来ない。

 それは紛れもない、”奇跡”なのだから。



 保護者の観覧席。そっちを向くのは、今の輝夜には不可能だった。

 絶対に笑っている。あの弟は、絶対に笑っている。そう確信しているからこそ、輝夜は顔を向けられない。


 とはいえ実際、彼女の家族はそこまで意地悪ではないのだが。




(ぬあぁ! 時間よ戻れ、戻ってくれっ)




 負け方が負け方なので、よほど堪えたのだろう。

 輝夜は文字通り、トボトボとした足取りで。


 とりあえず一人になろうと、校舎へと向かっていき。






 ふと、空を見上げると。



 いつか見た。

 ”ピンク髪の少女”が、校舎の屋上から落ちてくる。



 飛び降り自殺、それとも自分を襲ってきた?






 何にせよ。

 こんな白昼堂々と、目立つ中でよくも。


 そう、輝夜が思っていると。




(……?)




 不思議に感じる。

 人が落ちるスピードとは。時間とは。こんなにもゆっくりと。

 思考を巡らせるほどに長いものかと。



 それは明らかな、”異常”であった。



 時が、凍りつくような。

 ゆっくりと、ゆっくりと。




――ふふっ




 落ちてくるピンク髪の少女、”アスタ”が微笑む。

 たった一人。時間を共にする、輝夜に対して。


 ふわふわと、宙に浮かぶように。

 アスタは地面に降り立つと、輝夜の前に立ちはだかる。










◆◇ No.109 刻の申し子 ◆◇










「……」


「やぁ。こうして話すのは、初めてになるかな? 紅月輝夜」




 凍った時の中で、二人は向かい合う。




「お前は確か、あの金髪と契約してる悪魔か?」


「そう。ジョンの一番のパートナーにして、頼れる相棒。それが僕、アスタさ」




 彼女たち以外、誰も動かない。

 全てが止まった世界で、二人は言葉を交わす。


 輝夜は少し、警戒した様子であった。




「まさか、時間停止ってやつか? そんな高度な魔法を使えるなんて、凄いんだな、お前」


「ふふっ、みんなには内緒だけどね。僕が”時間”に干渉できることを知っているのは、未来から来た魔女だけ」


「そんな重要なこと、わたしに教えていいのか? ……あぁそれとも、ここで”口封じ”するから、問題ないって判断か?」




 輝夜はその手に、”漆黒の刀”、カグヤブレードを具現化させる。

 いつだって彼女は、戦う覚悟を持っている。




「ふふっ」




 そんな輝夜の対応を見て、アスタは微笑む。

 ”輝夜など敵ではない”という自信の表れか、それとも。




「心配しないでよ、輝夜ちゃん。僕は君に危害を加えるつもりもないし、何も教えるつもりもない。僕が時間を操れるってことも、”君には内緒”だよ」


「……言っている意味が、分からないな。お前が時間が操れるってことは、さっきお前の口から聞かされたぞ?」




 輝夜の疑問は当然のこと。

 自分から教えておいて、教えないとはどういう意味なのか。


 その疑問も織り込み済みと、アスタは微笑む。




「心配ご無用。ここはね、”存在しない時間”なんだよ。この瞬間を感知できるのは、時間に干渉できる僕だけ。今は特別、君を招き入れているけど。僕が魔法を解除したら、君はここでの記憶を失ってしまう」


「……?」




 よく意味が分からないと、輝夜は首を傾げる。




「まぁ、簡単に言うと、全部忘れちゃうんだよ。僕が屋上から落ちてきたことも、僕の名前を聞いたことも、僕の持つ力も。なにせ、そんな時間は無かったんだから」


「……なるほど。随分と、便利な能力だな」


「まーね。時間を操れる存在なんて、たぶん僕くらいじゃないかな? あの魔獣、ケルベロスにも”資格”はありそうだけど、あれは魔獣だからなぁ」




 時間へと干渉する、資格。

 それは”白銀”に輝く、彼女の瞳にあった。




「……で、そんな時間を操れるお前が、わたしに何の用だ? どうせわたしは覚えられないなら、お前に情報を渡す義理もないぞ?」


「あははっ、それもそうだね。僕にしか得がないんだから、君は何も教えたくないだろう」




 全て予想通りと言わんばかりに、アスタは笑う。




「別にそれで大丈夫だよ。どのみち、君について知りたいことはそんなに無いし。……そもそも君、重要な情報とかも持ってなさそう」


「……いや。そう断言するのは、良くないぞ?」



 輝夜のプライドが、少し刺激される。




「へぇ〜 君って何か、凄い秘密とか知ってるの?」


「あ、ああ。……例えばこの刀、すっごい能力がある」




 そう言って、輝夜は自信ありげに刀を見せつける。




「ふーん。どんな能力?」


「それを言ったら面白くないだろ。というか、気になるのか?」


「まぁ、それはねぇ」




 アスタは目を細めて、カグヤブレードを見つめる。

 彼女の目を持ってしても、それは興味をそそる品物であった。




(……リタの話によると。本来、紅月輝夜は戦闘手段を持たないはずだった)



 聞いていた話と、すでに違う。




(それにあの刀、僕の力の影響を受けてない。……刀そのものが、”時間の外”にあるみたいな)




 斬った相手を、自分の仲間へと変えられる。輝夜はブレードの能力を、その程度のものと考えていたが。

 持ち主の想像以上に、それは”歪な力”を有していた。




「まぁ、それはいいや。なにか他に、凄い情報とか持ってないの? このソロモンの夜における、”黒幕の正体”とか」


「あー、うん。そうだな。……もし、知っていたとしても、ここでお前に教えるわけにはいかんなぁ」


「そうなんだー」


(やっぱりこの子、何も気づいてないや)




 内心、アスタは呆れてしまう。


 そして同時に、この時間を生み出して正解だったと確信する。




「いいかい? 紅月輝夜。正直に話すと、僕は君に忠告をしにきたんだ」


「忠告?」


「うん。これから起こる出来事に、”君が首を突っ込まないように”、ね」




 アスタはピンクの髪の毛を弄りながら、真剣な話へと移行する。

 しかし、輝夜は首を傾げる。




「ちょっと待て。言っていることがおかしいぞ? ここでの出来事は、わたしの記憶に残らないんだろう? なら、忠告しても意味がないだろう」




 輝夜はしっかりと、先程の話の内容を覚えていた。




「まぁ、そこはちょっと裏ワザというか。確かにここでの出来事は、君の脳みそには残らない。でもね、こうして僕と話したのは、れっきとした事実なんだよ。無かったことにしても、一度会ったという記録、”その残滓”が残るのさ」


「……ざん、残滓?」


「そう。なんて言えばいいのかな? こんな事があったような、なかったような。そんな曖昧な、夢のような感覚が、ほんのちょっとだけ残っちゃうんだよ」


「なる、ほど」




 輝夜は、理解したような顔をする。




「僕も理屈は分からないんだけど、たぶん”魂”が覚えてるんだと思う。僕の力がどれだけ凄くても、人の魂には干渉できないからね」



 ”魂”。


 それは、時間を操るアスタにも、容易に触れられる部分ではなかった。




「だからたぶん。次に僕と君が会った時、君はなんとなく、デジャヴを感じるはずさ。――あれ? 前に会って、名前を聞いたような。でも、そんなわけ無いか、ってね」


「……ふむ」




 すでに輝夜は、脳がパンク状態になっていた。

 忘れるだの、覚えているだの。どっちかはっきりしてほしいものである。


 そんな輝夜の動揺など、アスタには関係なく。




「というわけで、君には釘を刺しておこう」




 どうせ無かったことになるのだから、さっさと仕事を終えるのみ。





「君のクラスメイト、”黒羽くろばえる”。彼女にはもう、近づいちゃダメだよ」


「……は?」




 なぜここで、彼女の名前が出てくるのか。

 輝夜の抱く、当然の疑問。




「念には念を入れないと。いい? 絶対に、黒羽えるには近づかないこと」


「いや、ちょっと」


「黒羽える。いい? 黒羽えるだよ。その名前を意識して」


「待て、おい」


「他の友達とは、いつも通り関わっていいから。でも黒羽えるだけは、距離を置くように」


「――あぁ、もう」




 埒が明かないと。

 輝夜は、ブレードの切っ先をアスタに向ける。




「しつこいぞ! どうしてあいつと距離を置く必要がある! お前たちには関係ないだろ」


「……そう思うよね。まぁ、その反応は予想してたよ。でも、」




 アスタは真剣な表情で、その理由を口にする。




「僕たちは今日、この体育祭が終わった後に、彼女と接触するつもりなんだ」


「……僕たち?」


「うん、僕たち。つまりは、”ジョン”と一緒にってこと」




 ジョン。ジョナサン・グレニスターは、本来ならこの街に居ないはずの人物である。

 もし居たとしたら、ソロモンの夜は終わりを迎えているだろう。

 しかし今も続いているのは、黒幕がその事実に気づいていないから。


 ゆえにこそ、”先手”を打つことが出来る。




「友達の君からすると、少し気の毒かもしれないけど」




 計画はすでに、輝夜の知らぬ間に進んでいた。






「――黒羽えるは、僕たちで”殺す”。それが、ハッピーエンドの条件なんだよ」






 世界を救うために。

 未来を変えるために。


 運命は、動き始めていた。

















「ある一人の魔女が、10年後の未来からやって来てね。そして今日、この街で起きるはずの悲劇を止めようとしてる」




 アスタは語る、自分たちのやろうとしていることを。




「彼女に協力してるのは、僕たちだけじゃないんだ。君のお父さんや、バルタの騎士だって秘密裏に結託してる。それも全て、”明日”を手にするために」




 輝夜は聞きたくない、相手が何を言っているのかを。




「”わたしは何も知らなかった”、そう言いたそうな顔をしてるね」


「……」




 輝夜の表情が、僅かに曇る。

 確かに、自分の知らない場所で何かが起きているのは感づいていたが。


 まさか自分の友人が、その矛先になっているとは。




「別に、悪気があったわけじゃないんだよ? 心配事があったら、せっかくの体育祭を楽しめなくなっちゃうと思ってね。だからみんな、君を蚊帳の外にしてたのさ」


「……」




 どんな言葉を言おうと、今の輝夜には響かない。

 ”黒羽えるを殺す”。その一言が、脳裏にこびりついているから。




「僕からの忠告は以上だよ。いい? 黒羽えるには、絶対に関わらないで」




 世界に、色が戻っていく。

 まるで、これで用事は済んだかのように。


 輝夜とアスタの時間が、無かったことにされていく。




「まぁ、君はどのみち全部忘れちゃうんだけど。残りの体育祭、ちゃんと楽しむんだよ」




 白銀に輝く、アスタの瞳。

 そこに宿る力が、全てを正常に戻す。


 輝夜とアスタは出会っていない。何も話していない。何も心配することはない。


 ただ、どこか心の奥底に。

 釘を刺せたなら、それで十分である。








「……ふぅ。つかれた〜」




 神楽坂高校、その屋上。

 ピンク髪の少女アスタは、疲れた様子で仰向けになっていた。


 ”時間”に干渉するということは、それだけの負荷がかかるのだろう。




(まぁ、これで紅月輝夜は、黒羽えるから自然と距離を取るから。万が一にも、計画の邪魔にはならないはず)




 切り取られた時間。輝夜とアスタの話した時間は、存在そのものが消失した。

 ゆえに、輝夜は会話の内容を一切覚えていないだろう。


 しかし、”黒羽えるに近づくな”、という強い念押しをすることは出来た。

 それは魂の奥底に刻まれ、輝夜の行動を無意識のうちに制御するだろう。


 これぞアスタの得意技能、”デジャヴの創造”である。




「これで、この街は救われる」




 もはや、不安要素は一つもない。黒羽えるを殺す計画は、完璧な形で達成されるだろう。







 ただ、誤算があったとしたならば。







「――黒羽を殺す、か」




 ”白銀の瞳”を輝かせて。

 屋上を睨みつける、美少女が一人。




 紅月輝夜は、存在しない時間を覚えていた。


 これこそ、アスタの誤算。




 自分よりも、遥かな高次に位置する。


 ”刻の申し子”が、ここにいた。





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