不完全なる






 この世で最も美しいもの。あるいは、その美を有するもの。それは何かと問われれば、間違いなく”カグヤ”であると答える。


 月の魔女、破滅からの逆行者。

 リタ・ロンギヌスは、そう考えている。


 遥かな昔。人間の正義と、巨大なエゴによって生み出された”月の都”。そこで出会った頃から、今現在、そして未来でも。カグヤ、かぐや姫、紅月輝夜。それ以上に美しいものは、未だに出会ったことがない。

 だから、救いたいと思った。未来を、結末を変えたいと思った。たった1人の運命を変えるために、リタは時間逆行という無茶を行った。



 世界を救うために、輝夜を救うのではない。

 輝夜を救うために、世界を救う。



 そんな決意と、情熱を胸に。

 けれども、リタが救おうとしていた”カグヤ”は、この世界には存在しなかった。




 学校の屋上から、リタは見下ろす。学校の行事、騎馬戦に挑もうとする、紅月輝夜の勇姿を。

 自分の知る輝夜と、今あそこにいる輝夜は違う。顔は同じでも、生き様はあまりにも違いすぎる。


 守りたかった、あの輝夜ではない。

 それでもなぜ、こうも目が離せないのだろう。




 赤き月、最初の秘密、最初の罪。

 身勝手な願いと、無謀な試みの果てに、かぐや姫は生み出された。


 完璧なデザインに、奇跡的な性能をもって。


 月の姫は、もう死んだ。今あそこに生きているのは、全く同じ顔をした、全くの別人。救世主としての力も、記憶すらも有していない。

 とてもではないが、かぐや姫とは言えない存在。



 なのになぜ、と。

 リタは不思議に思う。



 なぜ彼女は、ああも美しく、輝いて見えるのか。









◆◇ No.108 不完全なる ◆◇









「ふぅ」




 輝夜は、冷静に深呼吸をする。


 騎馬戦はまだ始まったばかり。クラス代表の騎馬、貴重な1騎が無様に敗れただけ。もとより、輝夜は他の騎馬に期待などしていなかった。


 騎馬戦はスポーツではなく、格闘技である。それが輝夜の持論であり、自信の理由でもあった。

 相手は同学年の、一般的な女子生徒。もしも”戦い”という場面になったら、輝夜は間違いなく勝てるという自信がある。


 素人とは、違うのだと。

 その余裕によって、輝夜は心から騎馬戦を楽しんでいた。




(さてと。どいつが最初の獲物だ?)




 輝夜の騎馬は動けない。輝夜と同じくらいバカなので、全員が足をヤッている。ゆえに、やって来る敵を迎え撃つことしかできない。


 彼女たちが静止する中でも、戦局は目まぐるしく動いていく。


 早く、敵の首を取りたい。もとい、帽子を奪いたい。

 輝夜は微笑み、ウズウズしていた。




 自分でも不思議なくらい。

 輝夜は騎馬戦を、この”体育祭”を楽しんでいる。


 不吉な未来がチラつく。

 自分の知らない所で、皆が不穏に動いていることも察している。


 しかし今は、この体育祭を楽しまなければならない。それを願って、自分は蚊帳の外にされているのだから。




「ふふふ」




 家族が見ている。友人が、信じられないほど大きいカメラで撮っている。この瞬間が、輝夜にとって何よりも心地よい。


 とはいえ、そう思っているのは彼女だけのようで。




「ヤバイよヤバイよ〜」


「お願いだから狙ってこないで〜」


目力めぢから。目力で敵を追い払おう!」




 輝夜を支える騎馬役の少女たちは、すでにこの状況に絶望していた。

 騎馬は動けない。乗っている少女は、おそらく学校で最もひ弱。おまけに援軍も期待できない。絶望するのも、無理もない状況であろう。


 だがしかし、乗っている者は違った。




「大丈夫だ。他の騎馬がなくても、わたし達は勝てる」


「……紅月さん、マジです?」


「マジだ」




 輝夜の自信は揺るがない。




「それよりお前達、このまま立っていられるか? わたしを支えるだけでもつらいだろう」


「それは、大丈夫」


「紅月さん、全然”軽い”から!」


「そうそう! 軽くてもう、ほんと。…………ほんと、軽いよ?」


「……そうか」




 重いだの軽いだの。

 なにはともあれ、立っていられるのなら問題ない。


 彼女たちが心配するのも無理はない。自分が周囲にどう思われているのか、輝夜はそれを分かっている。

 もしも騎馬が崩れたら、このグラウンドに救急車が呼ばれてしまうだろう。





 そうこうしているうちに、輝夜たちのもとへ1つの騎馬が迫る。


 ようやく訪れた、最初の敵である。





「ついに、来た」


「ぐぬぬ。紅月さんを狙うなんて、卑怯だと思わないの!?」




 下がとやかく言っているが、輝夜には関係ない。

 静かに冷静に、敵を分析する。




(中々の移動速度。騎手も安定してる。おそらく、すでに何騎か倒した後だな)



 一瞬で、その瞳は敵を分析。




「ヤバイよ〜」


「いいから、大人しくしてろ!」




 馬にムチを打ち、輝夜は臨戦態勢へ。

 慌てず自然な様子で、自身の帽子のつばを触った。


 その瞳が映すのは、すでに確定した未来。




「――悪いけど、もらうよ!」




 他クラスの女子。敵の手が、輝夜のもとに迫る。


 しかしそれは、届かない。






「――悪いが、圧倒させてもらう」






 輝夜の動きは、まるで時が止まったかのように。


 一直線で、迷いがなく。

 神の一手が如く。




 気づけば、敵の帽子を握っていた。




「これで、1つ」




 静かにつぶやき、輝夜は帽子を投げ捨てる。


 こんなもの、もはや勝負とも呼べやしない。

 敵も味方も、その鮮やかな動きに唖然とする。




「……なに、今の」



 帽子を取られた女子も、何が起きたのかが分かっていない。




 ただ1人、輝夜だけが変わらない。

 敵を全員倒すまで、これを繰り返すだけなのだから。





「――よしっ、死にたい奴だけかかってこい!!」





 なんて、心強いセリフ。

 まるで背中に龍を背負っているかのように見える。


 輝夜を支える少女たちは、一生彼女に付いていこうと決めた。


















『凄い! 凄いです、1組の紅月さん! もはや習っていたのでは? と思えるくらい、圧倒的な動きを見せています!』




 少女たちの騎馬戦が、白熱する中。

 それを見下ろす、屋上の魔女のもとへ、1人の訪問者が。


 リタは振り返らずとも、それが誰なのかを知っている。




「……ジョナサン・グレニスター。あれほど忠告したのに、よくこの場所へ来れましたね」


「ふっ。心配ご無用、痕跡の1つも残っていないだろう」




 ジョナサン・グレニスター。ここに存在してはいけない、最後のピース。

 けれども彼は堂々と、その場に立っていた。




「自信は結構ですが。……最悪、この街が消えるのですよ?」


「分かっているさ。僕も、そんな未来は望まないからね」


「なら、どうして」




 もしも、”敵”に存在がバレて、ソロモンの夜が起動してしまえば。その瞬間に彼らの持つ遺物レリックは失われ、この地に”空の王”が誕生する。

 本来の歴史通りに、姫乃は地図から消滅するだろう。


 そのリスクを承知で、ジョナサンがここまで来る理由。

 それは、ひどく単純なものであった。




「改めて見ても、彼女は美しい」




 ただ、1人の少女を見たくて。それだけの理由で、彼はリスクを冒すことができた。

 ジョナサンは、”それ”から目を背くことができない。




『強い! 強すぎる!』




 ”美”とは、なにか。

 それを知るために、ジョナサンはソロモンの夜に参加した。


 他者を制し、自身が頂点に立った時、そこに真実があると信じたから。




 けれども、すでに彼の望みは叶っていた。


 美とは、なにか。

 それを体現し得る存在が、その視線の先で舞っているのだから。




 ジョナサンは、戦う時にも美しさを意識している。

 無数に生み出した剣を、計算され尽くした動きで操り。貫き、斬り裂いたときの血飛沫すら、美しくなるように戦っている。


 しかしそれは、あくまでも意識して生み出した”芸術”に過ぎない。

 どれだけ足掻こうと、彼の模倣は、本物の”美”には届かない。




「君もそうだろう? リタ。彼女を見るために、ここまでやって来た」


「……確かに以前は、そうだったかも知れませんが」




 リタは否定する。

 自分が美しいと思っていた彼女と、今あそこにいる少女は、全くの別人なのだから。


 でもそれなのに、なぜ。こうも目を離せられないのか。


 あまつさえ。

 今の彼女のほうが、輝いて見えてしまう。




 その理由を、ジョナサンは知っている。




「僕もずっと、勘違いしていたんだ。美しさとは、究極に洗練され、何一つ欠けていないものだと。……だけどそれは違った」




 本当に美しいものは、何よりも自然である。

 自然であるがゆえに、そこに計算などあり得ない。






――ふと見上げたときに目に入る、いびつに欠けた月のように。


――”不完全”だからこそ、美しい。






『――おおっと! 紅月さん、派手に動いた結果、まさかの自滅! 帽子が自然に吹き飛んだぁ!』





 愕然とする輝夜の表情が、しっかりとカメラに捉えられ。


 分厚いアルバムの、ほんの1ページに刻まれた。





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