快晴、心は曇り






 地獄が、地上に溢れていた。

 建物は形を失い、人々は焼き払われ。街と呼ばれる全てが、火の海と化している。


 世界最高の要塞都市、姫乃。

 対悪魔、ルナティック症候群などの最先端技術を有しており、人類にとって無くてはならない場所。



 これは、運命が決定づけられた日。

 人類と悪魔、世界にとって、大きな分岐点となった日。



 望まれぬ存在、蘇りし王。”空の王”が産声を上げ、姫乃は崩壊した。

 力が、絶望が街を焼いていき。嘆く者、抗う者たちを殺戮した。


 人類最高の戦士、紅月龍一の剣は折られ。集いしバルタの騎士たちも、誰一人として太刀打ちできず。

 その、あまりにもおぞましい姿に、ジョナサン・グレニスターは、自らの眼球を潰した。




 そして、空の王が消滅。

 姫乃で生き残ったのは、たった2人の少年少女。


 最後の遺物レリック保有者ホルダー、花輪善人と。

 彼に付き添う少女、紅月輝夜。






「――ッ」






 絵に描いたような悪夢に、輝夜は目を覚ました。



 時計を見てみれば、いつもより少しだけ早く起きてしまった。

 二度寝をしようにも、心のざわめきが収まらない。



 あまりにも非現実的で、想像もできない光景。

 けれども、どうしても現実にしか思えない。最悪で、吐き気を催す悪夢。




「はぁ……」




 今日は、体育祭だというのに。

 目覚めは最悪の幕開けとなった、















 ご機嫌な、鼻歌が聞こえる。


 これはいつものルーティーン。椅子に座った輝夜の髪の毛を、影沢舞が丁寧に手入れする。

 彼女の日々の手入れによって、輝夜の髪の毛は常に美しさを保っていた。


 舞にとって、これは言葉にできない”幸せの時間”なのだろう。妹のような、娘のような、そんな輝夜の世話をするのが、彼女の一番の幸せなのだから。

 その気持ちに当てられてか、輝夜自身も、この時間は嫌いではない。舞が喜んでくれるのなら、いくらでも髪の毛を弄られていい。


 だがしかし、今日の輝夜はどこか浮かない顔をしていた。




「どうかしましたか? 輝夜さん。昨日はあれだけ楽しみにしていたのに、何か考え事でも?」


「……いいや、別に」




 毎日、こうやって一緒に過ごしているのだから。きっと嘘など、何の意味もないのだろう。

 それでも、輝夜は心の内を秘密にし、舞も深く追求はしない。

 ”普通の家族”とは、きっとそういうものなのだろう。


 そもそも、輝夜は分からなかった。自分の胸に巣食う、モヤモヤの表し方を。

 あれを、単なる悪夢と呼ぶべきなのか。それとも、もっと切実な問題として捉えるべきなのか。分からないからこそ、相談のしようがない。


 ただ1つ、確かなのは。あの鮮明な夢には、明確な違和感があるということ。



 あの夢に出てきた自分は、”髪の色が白かった”。

 まるで、アドバンスを使用し、寿命を削った”あのIF”のように。



 やり直しを願い、未来を変え。今の紅月輝夜は、アドバンスを使用することがなかった。

 故に、こうして髪の毛は美しい黒のまま。自分の愛する、自分を愛してくれる”ひと握り”を、守ることが出来た。


 だからこそ、あの夢は未来の光景とは思えない。輝夜は漆黒の刀を手にして、アドバンスは地面に投げ捨てた。無論、魔界から持ち帰ってもいない。

 もしも、手元に残っていたとしても、今は魔力が使える以上、必要とも思えない。




(なら、あの夢は。……あれは、”誰”の?)




 その瞳が映すのは、未来か、単なる幻か。

 しかし確かに、瞳は”輝き”を帯びていた。








「――おい。おい、輝夜」


「?」


「何ぼーっとしてるんだ?」


「……ん」




 気づけば、朝食の最中。

 輝夜は朱雨に声をかけられ、自分の手が止まっていることに気づく。



 今日は特別な日。待ちに待った体育祭だというのに。なぜこうも、別のことに気を取られてしまうのか。

 ほんの僅かな輝夜の異変に、朱雨と舞は気づいていた。




「輝夜さん。今日のお弁当は、これまでで最高のものを用意しますので。ぜひとも、ご友人とお楽しみになってください」




 毎日、舞の作る弁当は見事な出来だが。

 どうやら今日は、より一層気合が入っているらしい。




「ありがとう、舞。……お前たちと一緒に食べるのも、今日が初めてだな」


「あぁ、確かに。なんだか緊張してしまいます。いつも、完食してくださるので」


「ふふん、当たり前だろう」




 そう、今日は体育祭。弟の朱雨だけでなく、舞も見にやって来る。

 それを思い出して、輝夜の顔にも微笑が浮かぶ。




「まぁ。昼休憩の時間まで、お前が生きてたらの話だな」


「まるで、わたしが怪我するみたいな話だな」


「こっちとしては、そのほうが心配だ」


「あーあー 姉に対して、お前って奴は」




 生意気な弟との会話も、いつも通り、何も変わらない。

 今日も明日も、ずっとずっと続いていく。





――違う。





「ッ」




 頭の中に、声が、叫びが聞こえてくる。何かが違う、何が違うというのか。



 輝夜の目に、”知らない風景”が映る。



 誰一人として存在しない、朝のリビング。家族という言葉は、絶対に有り得ない。

 紅月輝夜は常に1人。決して、誰とも会話はしない。


 自分の知らない。自分と同じ顔をした誰かの記憶に、輝夜は動揺を隠せない。

 なぜ、今日になって。今日という日に限って、このような幻影がチラつくのか。




 現実と合せ鏡になるように、”それ”が視えてしまう。


 全てが終わった。

 滅亡した姫乃の中心に、自分と善人が立っている光景が。




――消えちゃった。終わっちゃったわね。




 なぜなのか。なぜそんな状況で、自分は笑っているのか。

 何もかも失い、善人と2人っきりになっているのに。


 まるで、それで十分であるかのように。




――クラスメイトも、家族も居たのに、悲しくないのか?




 当然の疑問を、善人が問いかける。

 しかし、そこに立つ自分は。




――家族? クラスメイト? そんなの、どうでもいいじゃない。




 自分と全く同じ顔をした、全くの別人。

 理解が出来ない。いいや、理解をしたくない。




「……」




 故に輝夜は、それを視るのを止めた。


 何の確証もない、ただ視えるというだけの光景。そんな結末に、そんな未来に振り回されてはいけない。


 今、ここにあるのが現実。

 3人で過ごす食卓こそが、生きている世界しあわせなのだから。




「……なぁ、朱雨。お前の学校は、体育祭いつなんだ?」


「さぁな。たしか、秋にやるらしいが。……別に、お前は来なくていいぞ」


「いーや、絶対に行くからな。こうなったら、もう全力で、目立つくらい応援してやる」


「それは、勘弁してくれ。……ただでさえお前は目立つんだぞ?」


「ふふーん。そう言われると、是が非でも行きたくなるな」


「チッ」




 瞳が輝く、知らない未来がチラつく。

 けれども今は、ただ進むしかない。


 輝夜は微笑むと、朝食を口に運んだ。















 静かな車内。微かな揺れに包まれながら、輝夜は学校へ向かっていく。


 これもいつもの風景、いつもの日常。

 心を安らかにできる、舞と2人だけの空間である。


 それでも、今日は少しだけ特別。

 土曜日、体育祭のためだけに学校へ行くのだから。




「今日は、晴れてよかったですね」


「ん。そうだな」




 天気は快晴。雲一つない、清々しい朝である。

 これほどまでに、体育祭に適した日はないだろう。



 もしも雨が振っていたら、どうなっていたことか。輝夜は残念なことに、雨の中で走る想定はしていなかった。

 転んで怪我でもしたら、それこそ救急車の出番である。




「そういえば、舞も高校に通ってたんだろう? 体育祭とか、普通に出てたのか?」


「ええ、そうですね。わたしは全身サイボーグで、1人でクラス全員分のパワーが出せますが……」




 舞は、懐かしい記憶を思い返す。




「それでも、普通にイベントには参加していました。わたしの身体は、とても優秀な方に造られましたから」


「ふーん」




 輝夜は外を見ながら、何を考えているのか。

 微かな感情の動きに、舞は反応する。




「輝夜さん、まさか緊張してるんですか? 体育祭なんて、”前世”でも経験済みでしょう」


「それは、そうだが」




 死んで生まれ変わって。

 いいやそもそも、自分が死んだという認識すらない。


 ただ、ここに生きていることだけが、確か。


 紅月輝夜として、この世に生を受けて。少しずつ心に変化が、人生観が変わりつつある。

 家族との生活、姉弟としての関係、学校の行事。もしも5年前の段階だったら、ここまで正面から向き合うことはなかっただろう。


 しかし、今は違うと断定できる。今日は体育祭、紛れもない特別な日である。

 友達やクラスメイトが一丸となって、かけがえのない思い出を作る。


 だから、




「……ちょっと、緊張してるかもな。舞と朱雨も、見に来るから」




 そんな輝夜の本音に、舞は微笑む。

 なんて、幸福な時間なのだろうかと。




「大丈夫ですよ。輝夜さんはただ、今日という一日を楽しめばいいんです」


「……ふふっ、そうだな」




 大切な家族が、理解者がそう言ってくれる。

 これほどまでに、心強いことがあるだろうか。




 瞳が輝き、視界がチラつく。

 知らない自分、”真っ赤な未来”が視える。




 なぜ、不安が拭えないのか。

 こんなにも、現実は明るいのに。






◆◇ No.106 快晴、心は曇り ◆◇





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