変わらないもの
現実世界でもそうだったように。ゲームの世界の彼も、普段は非常に臆病であった。
初めて輝夜と出会った時もそう。何の変哲もない雑魚エネミーに追い回され、心も折れていた。
輝夜と交流を深め、戦う術を学んだ後も。彼は近接戦闘には手を出さず、頑なに遠距離攻撃しか行わなかった。
とはいえ、輝夜にとってはそれで十分だった。超近接特化の輝夜では、生半可な仲間では足手まといになる。
ゆえに、ウィングパーツを用いて、空から援護する彼の戦法は、輝夜のパートナーとして理にかなっていた。
しかし、今日の彼、”善人”は違っていた。
「オレが奴を引き付ける。その間に、輝夜サンの修理を頼んだ」
連れてきた、仲間のロボット。”ルナ”にそう命じて。善人は単身、ボスエネミーである”アーク・ヒュドラ”へと挑む。
いつもの彼とは違う。
ただ、遠距離から撃つだけではない。
エネルギーブレードを用いた近接攻撃も併せて、より高度な戦闘を行っていた。
そんな、善人の時間稼ぎの間に。
ルナというプレイヤーから、補給を受ける”輝夜”であったが。
「あ、えっと。……その、あの」
ここはゲームの世界。
しかし、ルナにとって、月の魔女にとって、それは”旧友”との久しい再会であり。
なんて話すべきか、どう接するべきか。その感情に、揺れていた。
とはいえ、事情を知らない輝夜には、まるで意味が分からない。
「おい、このボンクラ! 何でもいいから、さっさと修理キットを起動したらどうだ?」
「あっ、そ、そうよね! 説明は読んだわ。わたし、ちゃんとやれると思う」
「……はぁ、善人め。どこの素人を連れてきたんだ? あと、エネルギータンクの直結も頼む」
「わ、分かったから、ちょっと待ってちょうだい」
修理キットの使い方すら知らない、正真正銘の初心者プレイヤー。正直、救援は嬉しいものの、この人選だけは謎であった。
ゆっくりと、けれども慎重に。
ルナという初心者は、手順通りに輝夜の修理作業を進めていく。
「なぁ、お前。流石にアミーじゃないよな?」
機体のコンディションを確認しながら、輝夜はルナに尋ねる。
「そ、そうね。あの悪魔とは違う。一応、純粋な人間になるかしら」
「こっちの事情を知ってる? なら、バルタの騎士って奴の1人か?」
「いいえ、それも違うわ。なんと表現するべきかしら。彼と直接取引してる、仲間、……いいえ、奴隷のようなものかしら?」
色々あって、月の魔女は善人に逆らえない状態であった。
「奴隷? 善人め、そこまで変わったのか?」
数日間で、ここまで変われる人間を、輝夜は他に知らない。
「……ひょっとして。あいつが急に”オラ付き始めた原因”は、お前だったりするのか?」
「あー、そうかしらね。わたしが不意打ち気味にちょっかいを出したから、彼が覚醒してしまったのかも」
「ちょっかいを出した? まさか、”ヤった”のか?」
「いいえ、その。正直、”
「……なるほど。わたしが、”
輝夜の緩やかな脳みそは、見事に勘違いを引き起こした。
ルナの言う襲ったとは、攻撃的な意味なのだが。輝夜は残念ながら、別の意味に捉えてしまった。
「おい、お前。歳はいくつだ?」
「え。わたくし、ですか?」
「あぁそうだ。まさか、成人済みとか言わないよな? 女側でも、未成年に手を出したら犯罪になるんだぞ?」
「ちょ、ちょっと待って!? これ、どういう話をしているのかしら」
「うるさい! いいから、さっさと歳を答えろ」
輝夜の中にある、小さな正義感が暴走する。
「そうは言っても、わたくしの年齢って……」
ルナは正直に答えるべきか悩む。
彼女の実年齢は、並の悪魔たちよりも上。1000年以上の時を生きる、生きた化石のような魔女なのだから。
悩みに悩んだ末、出した答えは。
「……とりあえず。見た目は、20歳に近いと言われますわ」
苦し紛れに出した、とりあえずの回答。
それに対し輝夜は、
「……お前。今度ツラを拝みに行くからな」
善人を変えてしまった存在。
姿の見えない彼女を、”敵”として認識した。
◇
「まぁ、こんなもんで十分だな」
ルナからの補給を受け、機体のコンディションも良好に。ようやく輝夜は、まともに行動できる機体へと戻った。
ゆっくりと、輝夜は重い腰を上げる。
「あのデカブツは、わたしと善人で倒す。初心者は、ちょっと離れていろ」
「ええ、了解しましたわ」
一度はコテンパンにされても、輝夜は必ずやり返す。
そう意気込んで、ブレードを手にすると。
「ねぇ、輝夜さん。これだけ話しても、わたくしが誰なのか、分からないの?」
戦線に戻ろうとする輝夜を、ルナが呼び止める。
「……?」
彼女の問いに、輝夜の思考は停止した。
「まさかお前、まどかか? ナースの」
「いいえ、違います。遠い昔からの友人ですが、思い出せませんか?」
いくら問われても、輝夜の脳裏に女性の姿は浮かばない。
自分と関わりのある人間は少ないが、そのどれとも当てはまっていなかった。
「あー。もしかして昔、病院で会ったことのある奴か? 正直わたしは、その、あまり健康な人間が好きじゃなくてな。いやまぁ、今は改善されてるんだが」
輝夜は多少のカミングアウトをするも。残念ながら、それも当てはまらない。
そんな彼女の様子に、ようやく魔女は。
リタ・ロンギヌスは、物事の”すべて”を理解した。
「どうやらあなたは、わたくしの知っている輝夜ではないようですね」
「あー、んー?」
相手は納得しても、輝夜にはまるで分からない。
「ふふっ、そうですわね。もしもあなたが、わたくしの知っている彼女だったら、そんな間抜けのような態度はしないでしょうし」
「おい」
流石の輝夜も、それが悪口だとは理解できる。
「紅月輝夜。――あなたに、”前世の記憶”はありますか?」
「……は?」
思いがけない問いに、輝夜は言葉を失う。
自分がそういった存在であると。秘密を教えているのは、大切な家族である影沢舞と、盗み聞きをしていた契約悪魔たちのみ。父や弟、もちろん友人にも教えていない。
初めて出会った相手が、知るはずのない情報である。
「あー、えっと。あれか? 前世で同じクラスだったとか、同じ会社に勤めてたとか」
そっち側の知り合いかと、輝夜は勘違いするも。
魔女は首を横に振る。
「その慌てた様子も、とても貴重ですわね。……今わたくしが言ったことは、あまり深く考えないでくださいな。覚えていないのであれば、それでいい。あなたはあなたらしく、自分自身の人生を生きてください」
友人、紅月輝夜の協力を得られないのであれば、この先のプランにも大きな変更が必要であろう。
それでも、魔女は”良い”と考える。
前世の記憶を引き継いでいない、自分という存在を覚えていない。
それでも、彼女が”かぐや姫”と呼ばれる存在であり、友であったことに変わりないのだから。
「ここ最近、監視するような真似をして、申し訳ありません。わたくしも、これ以上の干渉は控えますわ」
「あ、あぁ」
正直、目の前の彼女に監視されていた自覚はないが。
輝夜はとりあえず、納得したような返事をする。
「でも、忘れないで。気づいていると思うけど、あなたは”特別な存在”なの」
「まぁ、一応強いからな」
「……そういう意味ではないの。この先の未来。もしも、人も悪魔も幸せな世界を創りたいなら、どうしても”あなたの力”が必要になる。あなただけが、”鍵に触れる”ことが出来るの」
「……鍵?」
「ふふっ。その時になったら、またお話しましょう。今はまず、”
「そうだな。とりあえず、この”
どこか、互いに認識がズレながらも。
紅月輝夜と、リタ・ロンギヌスのファーストコンタクトは完了した。
「善人、わたしに合わせろ!」
「ああ!」
そこからの戦いは、大した記憶にも残らないだろう。
たった2機のプレイヤーによって、渾身のボスエネミーが”瞬殺”されたのだから。
輝夜は2つの首を、善人は残る2つの首を。互いにタイミングを合わせ、精確な一撃をもって打ち払う。
勝負は、一瞬で決まった。
なにせ、輝夜と善人のコンビネーションが、驚くほどに”完璧”だったのだから。
思い出すのは、あの二人三脚の感覚。
ゆえに、輝夜は気づいた。
変わり果てた、花輪善人。
しかしその本質は、何一つ”変わっていない”のだと。
◆
首の落とされた、4つ首の汚染獣。
アーク・ヒュドラの亡骸の上で、輝夜と善人はたそがれる。
このまましばらく待っていれば、運営側のマシンが飛んできて、ユニークアイテムの素材をプレゼントしてくれるだろう。
戦いに参加しなかった者。
ルナは少し離れた場所で、この仮想世界の新鮮さを味わっていた。
「……なぁ、善人」
「なんだ? 輝夜サン」
何気なく、輝夜は声をかける。
「ふっ。そんな不良みたいな口調になっても、”さん付け”は直らないんだな」
「――」
そんな、単純なこと。
単純にして、重要な部分。
初めて会った時から、今に至るまで。
少年、花輪善人は変わっていなかった。
覚醒した、などと言ってはいるが。それはあくまでも、”パワー”に関する部分のみ。
人格を構成する大切な部分は、そっくりそのまま残っていた。
他の誰よりもそばに居て、この仮想世界で戦って。放課後の河川敷で、馬鹿みたいに二人三脚の練習をした。
そんな輝夜だから、気づけた。
――お前は、そこにいる。
胸のつっかえが、とりあえず一つ収まった。
土曜日の体育祭、二人三脚はきっと上手くいくだろう。
日々の練習の成果は、揺るぎない。
むしろ互いの成長を経て、さらなる進化を遂げたのだから。
「なぁ、善人。お前の様子がおかしくなったのは、あのルナって奴が原因で間違いないんだな?」
とはいえやはり、変わった原因は探りたい。
「まぁ、そうだな。あいつに”襲われた”のが、きっかけだったかもな」
「おい待て、襲われた?」
襲われたという単語に、輝夜はびっくりする。
「ああ。オレはあいつを、ベッドで介抱しただけだったのに。あの魔女は急に襲ってきやがった」
「……にわかには信じられんが、その。実際にいるんだな、”そういう女”ってのは」
善人の言う”襲われた”と、輝夜の考える”襲われた”。
残念なことに、それはあまりにも方向がズレていた。
「わたしもまぁ、”そういう経験”は無いからな。やっぱり、その。人生観が変わるくらい凄いのか?」
「そう、かもな。あの魔女も凄かったが、オレに起きた変化はそれ以上だった。なんというか、内に眠る怪物に、火が着いたような」
「あー! やめろ! そんな生々しい話は聞きたくない」
「……熱でもあるのか? 輝夜サン」
「……まぁ、少しな」
どうしても、ズレた方向に思考が行ってしまう。
きっとそれは熱のせいだと、輝夜は思いたかった。
「それで? お前、今の自分には満足してるのか?」
「ああ、もちろん。前のオレだったら、学校を飛び出して、こうやって助けには来れなかっただろ?」
「確かに、そうだな」
少なくとも、今日に関しては。善人がおかしくなったせいで、輝夜は助かった。
まぁそもそも、善人の様子がおかしくなければ、あれほどカラオケで”熱唱”することもなかったのだが。
「正直、わたしとしては、前のお前のほうが好きだったぞ?」
それは、嘘偽りのない本心である。
彼との間にしかない、特殊な距離感といい。なんとなくな雰囲気といい。
落ち着いていて、気を使う必要がなくて。
確かに、友人は他にもいるが、善人が”最も近い存在”だったかも知れない。
だがしかし、
「……それじゃ、ダメなんだ」
「?」
善人の意志は固く。
今の自分を、”正しい姿”として受け入れていた。
ゆえに、以前起きた”暴走”とは違い、一つの人格として定着している。
「オレはあんたと、輝夜サンと”対等”になりたかったんだ」
強い意志は、揺るがない。
「ゲームだけじゃない、現実の世界でも。あんたはいつも輝いてて、オレはそれを追うばかり。――”臆病な僕”じゃ、いつまで経っても弱いままだ」
魔女と戦い、覚醒した瞬間。善人は自分の中で、”スイッチ”が切り替わったことに気づいた。
今までとは違う力が目覚める。今までとは、違う自分になってしまう。それを感じながらも、善人は変化を”受け入れた”。
その結果が、今の彼である。
望んだ姿。”強い自分”に、変わったのだと。
こっちのほうが、良いはずだから。
しかし、
「むぅ……」
全部聞いても、輝夜は不服そうな様子で。
ロボットで表情は見えないものの、不満が声として漏れていた。
確かに、善人の言う通り。今のままでも、問題はないのかも知れない。
今回の戦いで分かった通り、コンビネーションは損なわれていない。きっと土曜日の体育祭も問題なく、二人三脚でも100%のパフォーマンスを発揮できるだろう。
少なくとも、輝夜の直感はそう感じていた。
だがしかし、
――オレはあんたと、輝夜サンと”対等”になりたかったんだ。
その”勘違い”だけは、どうしても納得ができない。
なぜなら輝夜は、ずっと善人のことを。
「……よし! 決めたぞ」
「何がだ?」
「体育祭だよ。もしも、二人三脚でわたしたちが一番になれたら、それは対等なパートナーってことになるだろ? だから――」
――勝ったら。もう二度と、わたしを”さん付け”で呼ばないこと。
輝夜と善人は。
約束を、静かに交わした。
「あー、あと。あのルナってプレイヤー、
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