まるで悪夢のような
「……う、ん?」
不思議な気分。懐かしいような、忌まわしいような。そんな香りと、柔らかさに包まれて。
”紅月輝夜”は、静かに目を覚ました。
知っている匂い、知っている天井。ここは自分の部屋ではない。真っ白で、むしろ自室よりも馴染みがある。
自分が5年間を過ごした、病室のベッドである。
果たして、なぜここに居るのか。
昨日は確か、みんなとカラオケに行って。正直、それ以降の記憶がない。
まさか、今までの記憶は全て夢で。もしかしたら自分は、未だに入院中。
そんな冗談を思いつつも、輝夜はゆっくりと体を起こす。
体はいつも通り。と言う割には、少々だるいが。
髪の色や長さも、胸のサイズも変わらない。自分は自分のまま。
そんなことに安心していると。
「おはようございます、輝夜さん」
「……あぁ」
やはり、ここは病院か。輝夜に声をかけたのは、使用人である影沢舞ではなく。
長年リハビリを付き添った看護師、”
退院以来、まともに顔を合わせていなかったので。
輝夜は妙な懐かしさと、相変わらずの鬱陶しさを感じる。
「なぁ、まどか。どうしてわたしは、またここで寝てるんだ? 余命宣告にしても、あと数年の猶予はあっただろ」
「……昨日のこと、覚えていないんですか?」
「ああ。カラオケに、友達と行って。……そこに、お前が来たのか?」
「いえいえ。わたしはいつも通り、輝夜さんの居ない、さみしいナース生活をしてましたよ」
「それはそれは」
輝夜としては、あまりリハビリ中のことを思い出したくはない。
黒歴史にまみれた、屈辱の日々である。
「輝夜さんは”大暴れ”をして、無理やり病院に連れてこられたんですよ?」
「わたしが、大暴れ?」
まったくもって、理解不能な話である。
「だって昨日は、カラオケに行って。……それから、えっと――」
細長い糸をたどるように。輝夜は昨日の記憶を、どうしてここに運ばれたのかを思い出す。
”人生で一番熱かった”、昨夜のことを。
◇
――思い返すのは、あのゴミ山のような〜♪
記憶にあるのは、ずっとマイクを握っていたということ。
バーチャルアイドルのオーディションとか、そんな話は忘れて。同じくらいテンションの高い桜と、苦笑いを浮かべる黒羽に見つめられながら。
マイクを片手に、輝夜は歌い続けていた。
思えば、初めから”違和感”は有ったかも知れない。初めて感じる”熱”に、自分が”無敵”になったかのような感覚。
2人の魔王、グレモリーとドロシーが、なぜか居なくなった後も、輝夜は歌い続けた。
歌えば歌うほど、体が熱くなる。
長年錆びついていたエンジンに、火がついたかのように。
輝夜の”熱唱”は、止まらなかった。
「簡単に説明すると、輝夜さんは”高熱”を出していたんです。ですがそれに気づかずに、友達とのカラオケを続けてしまったと」
輝夜の体に、何が起きたのか。
まどかが分かりやすく説明する。
普段から、輝夜の体内には生命維持用のナノマシンが存在しており、体調不良を起こさないように働いている。自身の免疫力だけでは、輝夜は生きられないため。
しかし、そのナノマシンをもってしても、どうしようもない”力”というものが存在する。
「以前から輝夜さんは、”魔力を使うと体が敏感になる”と、ダニー先生に相談していましたよね?」
「……魔力とかそういう話、お前はオッケーなのか?」
ちょっとデリケートな話に、輝夜の顔は赤くなる。
「ええ。こう見えてわたしは、選ばれし”エリートナース”ですので! そもそも、輝夜さんが”紅月龍一の娘”であるという情報や、”魔力を扱える”といった情報は、わたしを含めた数名のスタッフしか知りません」
「そう、だったのか」
「はい。一般のスタッフからしてみれば、難病から回復した、”いいところのお嬢様”、という程度の認識でしょう。なので、こう見えてわたしは凄いんです!」
「……なるほど」
凄いんです。が、少々癪に障るが。
自分の担当ナースが、特別であることは認識した。
「ふふっ。実はわたし、こういった事もできるんですよ?」
そう言って、まどかは指を振るい。
水の入ったコップを、全く揺らすことなく、輝夜の目の前へと浮遊させた。
「おぉ、凄い。」
”今の輝夜”だからこそ、この技術の繊細さが分かる。
魔力で物体を浮かすのは、そう難しい話ではないが。
中に入った水を全く揺らさないとなると、もはや神業と言える領域である。
「最先端の医療には、こういった技術も必要になるんです。だからわたしは、”あなたの担当”なんですよ?」
「むぅ」
輝夜を守るため、社会に適応させるために。文字通り、この病院で”最高のスタッフ”があてがわれていた。
全て、龍一の差し金であろう。
「魔力が使えるなら。今度、腕試しでもしないか?」
「いえいえ! わたしの力は、戦闘用では無いですし。何より、妹のような存在である輝夜さんと、戦ったりは出来ません」
「そうか、残念だな。わたしは全然戦えるのに」
5年間のリハビリ生活。その中で、色々と鬱憤も溜まっている。
輝夜としては、むしろ殴りたいくらいの気持ちである。
そんな、認識の違いはさておき。
話は、”輝夜の体質”へと戻る。
「確かに。派手に魔力を使った次の日は、”色々と”体が敏感になるが。……昨日は別に、訓練も何もしてないぞ? 本当に、ただカラオケで歌っただけ」
「本当に、そうでしたか?」
「そう言われると、まぁ。記憶があやふやだからな」
「あやふやなのも当然です! なにせ、病院に連れてこられた時点で、体温は”40度”を超えていましたから。もしもナノマシンが機能してなかったら、脳みそがパーになっていましたよ?」
「そんなにか? まったく覚えてないんだが」
「……わたしも、舞さんから聞いただけなので、詳しい事情は知りませんが」
カラオケから、なぜ病院送りになったのか。
後に輝夜は、この日の記憶を”黒歴史”として封印することになる。
◆
「暑ーい!」
家に帰った時、輝夜はすでに”出来上がっていた”。
ただのカラオケ終わりだというのに、その様子はまるでランニング直後のようで。
靴を乱雑に脱ぎ捨てると、そのままの勢いで輝夜は学校の制服を脱いでいく。
無論、その下は”下着”しかない。
「輝夜さん!?」
理性の崩壊した輝夜の姿に、舞は驚愕する。
「ちょっと、待ってください」
「うーるーさーいー。暑いしもう、お腹すいた」
「お風呂ですか? ご飯ですか? ちょっと、そのままリビングに行くのは」
「ふふっ」
制服を脱ぎ捨てて。身軽になった輝夜は、もはや無敵そのもの。
堂々とした様子で、リビングへと入っていく。
リビングの中では、すでに弟の朱雨が晩飯を食べており。
下着姿で、明らかに顔が赤い。
そんな姉の姿に、思わず箸の動きが止まった。
すると、そんな朱雨の姿を見て。
「……おい、弟。姉であるわたしに対して、その態度は何だ?」
輝夜の狙いは、完全に弟へと定まった。
「態度も何も、ただ飯を食ってるだけだ」
「いいや、目を見ればわかる。お前は完全に、いつもと違う」
「……今のお前に言われたら、もう終わりだな」
常日頃から、どこかおかしな姉とは思っていたが。
下着姿でリビングに来るのは、流石に初めてのケースである。
どう考えても、様子がおかしい。
「はぁ。……わたしみたいな優しい姉が居たら、もっとこう、あるだろうに」
ぶつぶつと呟きながら、輝夜は平然と歩き。
いつもの定位置に座り、食卓についた。
「……」
朱雨はもう、諦めることに。
「輝夜さん! 夕飯を食べるなら、せめて服を着てください」
「あぅ。暑いんだから、仕方ないだろ? クーラーつけてくれ」
「今はまだ、暑くも寒くもない時期です。ちゃんと服を着ないと、風邪をひきますよ?」
「……」
何も聞こえないとばかりに、輝夜は食事に手を付け始めてしまう。
「こいつ、マジで熱でもあるんじゃないか?」
「そうですね。……ちょっと、失礼します」
明らかに様子がおかしいので、舞が輝夜の額に触れてみると。
「ッ」
案の定、輝夜の体はアチアチであった。
「これは、マズいですね。すみません、悪魔の方々。輝夜さんに何があったのか、教えてくれませんか?」
輝夜の身につけているイヤリング。舞はそれに問いかけるも、うんともすんとも言わず。
いつもなら、勝手に食卓に紛れ込むドロシーも、その姿を見せなかった。
「あー。こいつらに関しては、ずーっと返事がないぞ? このわたしが声をかけても、うんともすんとも」
「お前、カラオケに行ったんだろ?」
「そうそう! あの、赤い魔王がな? わたしをアイドルにするとか言って、えっと、何だったかな」
輝夜は混乱している。
「病院に行くべきだな」
「ですね」
朱雨と舞は、その結論に達するも。
輝夜本人は、まるで気にした様子もなく。
「せっかく、わたしが歌ってやったのに。あの魔王ども、2人揃って居なくなるなんて」
どこか鬱憤が溜まっているのか。
その危険性を考えずに、”声”を解放した。
――初めて会った時から、わたしたちの結末は〜♪
高熱で頭をやられて、ついに歌い出してしまった。
その程度の認識をする、朱雨と舞であったが。
機嫌良く歌う、輝夜の声に呼応するように。
朱雨の持つ”指輪”が、カタカタと震えだし。
突如として、魔獣ケルベロスが顕現。
そしてそのまま、リビングの中で暴れ出してしまう。
「おい! 急にどうした?」
「とりあえず、止めましょう!」
リビングを破壊するケルベロスを、朱雨と舞は止めに入り。
そんな騒動の最中でも、輝夜は歌うことを止めない。
――過ぎていく日々を、ただ温かく想って〜♪
調子に乗って、歌えば歌うほど。
ケルベロスを襲う苦しみは、さらに激しさを増していく。
その現象に、朱雨の脳は瞬時に動き。
「……まさか、そういうカラクリか?」
止めるべきは、ケルベロスではない。
無駄に上手な歌を、のんきに歌っている。
そんな輝夜のもとへ、朱雨は動き。
押し倒しながらも、その口を手で塞いだ。
「んんー!?」
突然押し倒され、おまけに口を塞がれて。
高熱の輝夜は、ただひたすら混乱する。
「いいから、その口を閉じてろ」
輝夜の体の”熱さ”に、少々驚きつつ。
朱雨が歌声を止めると。
暴れ回るケルベロスが、ようやく大人しくなった。
「大丈夫か? ケルベロス」
「……ガゥ」
暴走は止まったものの、どうやらかなり疲弊した様子で。
ケルベロスは、申し訳無さそうに頭を下げる。
「お前は悪くない。階段を登って、俺の部屋で休んでろ。ドアは開けられるな?」
「ガフッ」
ケルベロスは賢い魔獣である。
朱雨の言葉を正確に理解し、のっそりとした足取りでリビングを後にした。
テレビやソファなどが破壊されたが。
幸いにも、怪我人は出ていない。
いま優先するべきは、口を塞がれた問題児のみ。
「しゅ、朱雨? 反抗期の次は、発情期ってことか?」
「……それは、お前だろ」
少なくとも、今の輝夜は。
下着姿で、体が異様に熱い。
「わたしに手を出したら、お前、絶対に後悔するからな」
「クソ、頼むから黙ってくれ」
朱雨としても、できれば姉を押し倒したくはない。
とはいえ、このまま自由にさせるのは危険である。
「影沢、車を頼む。俺はこいつを、なんとかして外に運ぶ」
「了解しました」
このまま高熱を放置しては。ただでさえ残念な頭が、完全にオシャカになってしまう。
それだけは、どうしても避けたかった。
「離せ! びしょびしょで気持ち悪い!」
「あぁ、クソ。全部お前の汗だろ!」
「いいや。わたしは汗なんてかかない!」
「かく!」
輝夜と朱雨。
片方は下着姿で、おまけに汗でびしょびしょ。
そんな姉弟の死闘は、輝夜が病院に運ばれるまで続いたという。
「……嘘、だよな?」
「いいえ。輝夜さんがここに運び込まれた時、それはもう凄まじい状況でした」
告げられた、残酷な真実に。
輝夜はただ、愕然とするしかない。
「お胸に関しては、その。ブラジャーじゃなくて、輝夜さんの髪の毛で、隠してましたし」
「……」
何がどうなったら、そんな惨劇になるのか。
これから弟と、どうやって接すればいいのか。
”喉”を使った代償は、あまりにも大きかった。
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