後ろの席のヤバイやつ
「……」
早朝、神楽坂高校。
まだ生徒もまばらな教室で、”輝夜”は1人、スマホで動画を見ていた。
音声は周囲に漏れず。
静かなその佇まいは、確かな美しさを持っていた。
すると、
「おっはー かぐち、なに見てんの?」
元気な挨拶とともに、”竜宮桜”が輝夜に問いかける。
しかし輝夜は、その回答に困ってしまう。
「なに、と言われたら。なんなんだろうな、これは」
「んん?」
一体、輝夜は何の動画を見ているのか。
桜は気軽に覗き込んで、とんでもない衝撃を受けた。
動画のタイトルは、
『激闘、12時間実戦!! ドブ色の海に、2人が挑む!?』
かなり視聴者数の多い、人気お笑い芸人のパチンコ実戦動画であった。
「パチンコ!? どういう出来事があったら、早朝からこんな動画を見るわけ!?」
「いや、まぁ。土日を使って、他県にパチンコを打ちに行ったんだよ。それでまぁ、他の人が打ってる動画が、ちょっと気になって」
「なんで、わざわざそんなことを?」
「そりゃ、姫乃にパチンコ屋がないから」
「そーいう意味じゃない! てか、高校生がパチンコって、完全に違法じゃん」
「……体育祭のためにも、必要だったんだよ」
「なぜ!?」
なぜ、どうして。一体この子は、どういう選択をしたら週末にパチンコを打ちに行くことになったのか。桜には、それがまるで理解できなかった。
しかし輝夜は、もはやそこを疑問に思っていないようで。
「ほら、この動画は結構面白いぞ? 知ってるお笑い芸人だし、あと死ぬほど負けてる」
曇りのない瞳で、芸人が負け続ける動画を見ていた。
「……確かに、出てる芸人は知ってるけど。負けるってどういう意味?」
桜は当然、パチンコに関する知識などないため。すでに、輝夜の言っている言葉が分からない。
そんな彼女の反応は気にせず、輝夜は動画を見続ける。
「……普通のやつがパチンコを打つと、こうなるんだな。もっと当たる台に座ればいいのに」
誰もがそれを出来たら。
きっと、この世にパチンコは存在しないだろう。
「かぐち。この土日で何があったの?」
「ふふっ、内緒だよ」
ついこの間まで、二人三脚に必死に向き合う少女だったのに。それがどうして、高一でパチンコに触れてしまったのか。
輝夜が不良化してしまい、桜はショックを受ける。
「あーあ。年齢偽ってパチンコなんて、ヨッシーが知ったらどう思うかなー」
「別に、あいつは関係ないだろ」
「あるある。”あぁ、輝夜さんってそういう人だったんだ”って、二人三脚のパフォーマンスも落ちるかも」
「……未成年パチンコって、そんなに悪いことか?」
すでに輝夜は、”くずの道”に毒されていた。
輝夜と桜が、そんなくだらない話をしていると。
教室が妙にざわついていることに、ようやく気づく。
「なんだ?」
「さぁ?」
輝夜の席は、居眠りの許されない最前列。
どうやら教室の後ろの方で、何かが起きているようだが。2人の位置からは、その様子が見えなかった。
すると、
「――邪魔だぞ、お前ら。ジロジロ見てんじゃねぇ」
それは、知っている声なのに、まるで知らない人物であった。
声、言葉遣いだけではない。
その少年は、鬱陶しかった髪の毛を大胆にカットし。
染めたのだろうか、一部分だけ金髪というアクセントが加えられている。
背筋の伸ばし方、姿勢が違うからか。
それはまるで、いつもとは別人のようで。
「オレの顔に、何か付いてるのか?」
付いている、というより。初めて、まともに顔を見た。
クラスメイトの大半が、そう思ったであろう。
そして女子は、その”端正な顔立ち”に、戸惑いを隠せない様子であった。
――うそ、誰あれ。
――花輪くんでしょ? ほら、紅月さんと、たまに一緒にいる。
――そうそう。全然目立たなかったけど、あんなイケメンだったなんて。
言葉も、見た目も、雰囲気も。全てが変わっているものの。彼は紛れもなく、”花輪善人”であり。
数少ない友人である輝夜と桜は、ともに言葉を失っていた。
「かぐち、あれ。夢じゃないよね?」
「……ああ」
普段から交流があり、よく喋っているからこそ。その変化の振り幅に追いつけない。
というよりも、反応に困っていた。
「髪、切ったのかな?」
「ああ」
「てか、染めてるよね」
「だな」
動物園のパンダを見るように。ただ、言葉を言い続ける2人であったが。
そんな彼女たちのもとへ、パンダが。
善人が、肩で風を切るように歩いてくる。
「あいつ、こっちに来るな」
「来るね」
そりゃそうなるか、と。
2人は覚悟をし始める。
「土日の2日間で、イメチェンしたのかな?」
「もしくは、千年パズルでも組み上げたか」
「あぁ、なんか納得できるかも」
そんな2人の感想など、お構いなしに。
いつもと違う善人が、輝夜たちの前へと現れた。
至近距離での破壊力に、2人は完全に固まってしまう。
「よう。今週末は体育祭だし、気合い入れていこうぜ」
「……あ、うん」
「……そうだな」
人間は、2日間でここまで変われるのか。先程のパチンコの話が、もはや可愛く思えてしまう。
それほどまでに、善人のインパクトは大きかった。
「ヨッシーさ。髪、切ったの?」
「ああ、まぁな。前から邪魔だったし、体育祭も近いからな」
「そ、そっか。うん、そうだよね」
確かに、理にかなっているものの。絶対に何か違うと、そう断言できる。
「ほら、輝夜サン。アンタも前から言ってただろ? 前髪が邪魔だって」
「……ああ」
「そういうわけで、美容院に行ったんだが――」
そんな言葉を発しながら。
まるで、流れるような動きで、善人は輝夜と距離を縮め。
その手を、彼女の顔へと伸ばし。
――反射的に、善人はぶん殴られた。
これもまた、修業の成果か。
一瞬のうちに、輝夜の拳には高純度の魔力が宿っており。
それをもろに食らって、善人は教室の一番後ろまで吹き飛ばされてしまう。
早朝マジパンチに、教室は騒然となった。
「バイオレンス!? かぐち、急にどうしたの?」
「いや、その。あいつに顎を触られるような、そんな気がしたから、つい」
輝夜の瞳は、一瞬先の未来を予測しており。
それを防ぐために、無意識の右ストレートが発動していた。
流石の善人も、まさかいきなり殴られるとは思っておらず。
完全に、意識が飛んでしまっている。
――どういうことなの?
月曜日の朝。
一年一組の教室に、謎の光景が誕生した。
◆
「こんな授業かったるいぜ。なぁ、みんなもそう思わねぇか?」
殴られた後も、善人は変わらなかった。
というよりも、変わったままだった。
無口で、真面目にノートを取る、今までの彼はどこへ行ったのか。
机の上に足を置き、教科書を開いてすらいない。
優しい、おじいちゃん先生の授業だというのに。
見たことのない不良に、先生も戸惑ってしまっていた。
無論、クラスメイト達も同様である。
「……」
輝夜は席が離れているので、知らぬ存ぜぬ。
ノートを壁にして、パチスロ動画を視聴していた。
こちらもこちらで、完全に教師を舐め腐っている。
「えっと、花輪くん。足を乗せるのは、止めましょうか」
「はっ」
おじいちゃん先生が注意するも。
今の善人には、当然のように通用せず。
隣の席の桜は、非常に居心地の悪さを感じていた。
「よ、ヨッシー? 流石にそれは、どうかと思うけど」
見た目、金髪ギャルだというのに。桜は真面目に授業を受けている。
「ほら、同じヤンキーでも、ランスくんは真面目にやってるよ?」
青髪のヤンキー少年は、頬杖をつきながらもノートを書いている。
この教室にいる不良生徒は、善人と輝夜だけである。
そんな、桜の説得を受けると。
「ったく、仕方がないな。ダチが言うんなら、真面目に授業を受けてやるよ」
やれやれといった雰囲気で、善人は机から足を下ろし、まともに授業を受ける形となる。
そんな、いつもと違う彼の様子を。
遠くの席から、輝夜はチラリと見つめていた。
◇
「ヤバすぎるだろ、あいつ」
「ほんとそう!」
授業終わりの休憩時間。
輝夜と桜は一緒にトイレに行き、あの問題児について作戦会議を行っていた。
流石に今の善人でも、女子トイレの中までは入って来ないだろう。
「てか、隣でフォローするわたしの気にもなってよ〜」
「仕方ないだろ。わたしは一番前の席だぞ?」
輝夜は、自身の潔白を主張するも。
「でも今日は、堂々と動画見てたよねぇ」
「最近気づいたんだよ。あの授業は、サボれる」
「いや、でも。後ろからは丸見えだよ? 正直、ヨッシーが目立ってたから、あんまり注目されてなかったけど」
いくら、おじいちゃん先生の授業とはいえ。授業中に動画を見る輝夜は、善人とほぼ変わらない授業態度であった。
「ほら、ただでさえ成績ピンチなのに」
「……そうだな。いくら隙だらけでも、あれは流石にだったな」
善人の奇行から、目を逸らすためとはいえ。
あれはよくなかったと、輝夜は反省する。
「とにかく、善人に関してはどうしようもないぞ? たぶん今のあいつは、わたしが”触れても”元に戻らない」
「……え、戻る場合もあるの?」
「少なくとも、前にあいつがイカれた時は、わたしのゴッドハンドで治った。だが直感で察するに、今回は無理だな」
輝夜は、しっかりと感じ取っていた。
暴走にも見える、変貌。しかし、以前のそれとは別物であると。
「えぇ〜 ヨッシーがずっとアレだったら、流石のわたしもキツイんだけど」
「今は耐えるんだ。ほら、うん。いずれ時間が解決してくれるだろう」
桜とは違い、自分の席は遠いので。輝夜はまるで知らんぷりであった。
とはいえ、桜も黙ってはいない。
「むぅ、いいのかなぁ? 土曜日の体育祭、アレと二人三脚できるの?」
「……」
輝夜、停止。
残念ながら、そこまでは考えていなかった。
「謎のパチンコブームも、体育祭のためだったんでしょ? それがぜーんぶ、無駄になっちゃうかも」
「むむむ」
冷や汗を流す。
確かに、このままでは全てが無駄になりかねない。
(今の善人と、二人三脚?)
輝夜の脳内で、静かに脳内シミュレーションが始まった。
土曜日までに感覚を仕上げて、あのリア充カップルに勝つ。今までの想定なら、善人もついてきてくれただろう。何だかんだ言って、根性のある男だと知っているから。
――輝夜さんの足を、引っ張らないように頑張ります!
ああいう性格、ああいう彼だからこそ。
輝夜は二人三脚という、ちょっと恥ずかしい競技を選ぶことが出来た。
ああいう善人だからこそ、放課後も密着して、練習に集中することが出来た。
しかし、今の彼は――
「――無理だっ」
輝夜は絶望し、女子トイレでうなだれる。
「かぐち、ここ汚い。髪が汚れちゃうから」
まったく、仕方のない子だと。桜はさり気なく、輝夜の髪の毛をフォローする。
「……体育祭までに、どうにかしないとな」
「どうにかって、例えば?」
輝夜は、考える。
鏡を見ながら、じーっと考える。
授業が始まるギリギリの時間まで。
考えて、考えて。
「……とりあえず。元に戻るまで、殴り続けるか」
「……もっと、頭のいい人に考えてもらおっか」
2人は、解決を諦めた。
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