翼を持つ魔神
魔界に現存する、68の階層。それらを繋げ、支えているのが、”ルシファーの光”と呼ばれる超常の柱。
創造と、維持を司る光の柱。理解の外にあるものの、魔界では常識として受け入れられている。
そのルシファーの光と、”全く同じ輝き”を持つ柱が、姫乃の街に出現していた。
魔界にあるそれと比べると、あまりにも小さな柱だが。それは確かに、同質の力を宿し。
まるで罪人を囚えるかのように、”リタ・ロンギヌス”を磔にしていた。
「ふぅ……」
柱を生み出したのは、6つの左翼を持つ少年、”花輪善人”。
”黄金”は薄れ、”白銀”が強く表面化している。
あの夜と同じように。けれども、単純な暴走とは違う。
彼は確かに、翼とともに覚醒していた。
ヒトを超えた存在。悪魔ではないカタチ。
遠い昔に姿を消した、”翼を持つ魔神”。
圧倒的な力により、魔女であるリタを下した。
しかし今、彼の目の前には、敵となり得る存在がいた。
姫乃を守護する者にして、人類最強と呼ばれる男。
すなわち、”紅月龍一”である。
「アンタのことは知ってるぜ。輝夜サンの、親父だろ?」
「ああ。こうして顔を合わせるのは、初めてだな。花輪善人」
「オレを知ってるのか?」
「……
娘の友人にして、恩人でもある少年。そういう面からも、気にかけている存在ではあるが。今は、それを口にする時ではない。
なぜなら、今の彼には”翼”がある。あり得ないはずの力を、纏っている。
その最たるもの。魔女を囚える光の柱を、龍一は睨んだ。
(魔界の柱と、酷似しているな。”天使の力”は、ああいう形が多いのか?)
『リューイチ。わたしにそんなこと聞いても、無駄だと思わない?』
(……それもそうだな)
多くの死線、経験を持つ龍一にも、それは見過ごせない力であった。
仕事を放り投げて、ここまでやって来る程度には。
「で。輝夜パパが、オレに何のようだ? まさか、頭のイカれたこの女は、アンタの仲間だったりするのか?」
「そうだな。立場で考えるなら、そこにいる彼女は味方と言える」
未来を知る。変えると主張する、謎多き魔女。完全に信用しているわけではないが、見殺しにはできない。
「どういう経緯でそうなったのか、教えてくれないか?」
「はっ、それはこっちのセリフだぜ。怪我してるところを助けてやったのに、話し始めたら襲ってきやがった」
ゆえに、彼女はこうなった。
人知を超えた光の柱によって、その身を拘束されている。
「拘束を解いて、身柄を渡してくれないか? そうすれば、こちらで事情聴取を行おう」
「いいや、その必要はない。とりあえず引っ叩いて、洗いざらい吐き出させるつもりだ」
「おとなしく、渡すつもりはないと?」
「ああ。そういうことだ」
影沢舞から、聞いていた情報。
花輪善人の人物像と、目の前の少年のそれが一致しない。
(輝夜に振り回されがちな。基本的に、おとなしい少年のはずだが……)
龍一は不思議に思うも。
今考えても無駄だろうと、思考に見切りをつける。
「なら悪いが。力ずくで行かせてもらう」
出自不明。得体の知れない力を使う今の彼に、リタの身柄を渡す訳にはいかない。
龍一は
刀を抜きつつ、光の柱へと接近する。
並の使い手では、一瞬で見失うほどのスピードだが。
「遅いぜ」
善人が左腕を振るうと。
”白銀の魔力”によって形成された、鋭い斬撃が解き放たれ。
それを受け止めようとした龍一を、圧倒的な力で吹き飛ばした。
「ッ」
空中で体勢を整え、龍一は建物の屋根に着地。
刀を持つ腕に、確かなしびれを感じ取る。
『リューイチ!? 大丈夫なの?』
「……ああ。ここまでとは、想定外だな」
纏っている力の性質上、それなりの脅威とは考えていたが。
まさか、一方的に吹き飛ばされるとは。流石の龍一も予想していなかった。
「その女とは、オレが話をつける。アンタも邪魔をするなら、怪我をする羽目になるぜ」
「ふっ。格下扱いされるのは、いつぶりだろうな」
長らく感じていなかった、骨のある相手。
その出現に、龍一の武人としての心が躍る。
龍一の持つ刀に、”青い炎”が宿り。
それに呼応するように、善人の周囲に、無数の”白銀の槍”が形成される。
2つの力は、同時に放たれた。
青い炎は、刀だけでなく、龍一そのものを包み込み。まるで、天翔ける龍の如く。
それに対するは、裁きを下す無慈悲な白銀の槍。
龍一と善人、双方の力が衝突し。
「――ッ」
力負けしたのは、人類最強、龍一の方であった。
迫る無数の槍を捌き切れず、その身体に傷を。
血を流しながら、龍一は弾かれる。
『嘘。リューイチが、傷を負うなんて』
「……俺も一応、人間だからな」
そんな事をつぶやきつつも。
対戦相手は、のんきに待ってはくれず。
翼を広げた善人が、龍一の下へと急接近。
その左手には、鋭い魔力を帯びていた。
「くっ」
「大口叩いといて、まさかその程度か?」
善人の左手と、龍一の刀がぶつかり合い。
激しい振動が、周囲へと波及する。
すると。
その衝撃によって、囚われの魔女、リタが意識を取り戻す。
「……あれ、は」
うつろな瞳で、熾烈な戦いを目の当たりにした。
「どうやら、無事のようだな」
「……あら、あなたは」
リタを囚える光の柱。
その側に、善人の契約悪魔、アミーが立っていた。
アミーは腕を組み、空で戦う2人を見上げている。
「あなたは、戦いに加わらないの?」
「……空を飛ぶのは、あいにく専門外でな。それに、あの次元の戦いでは、俺は足手まといだろう」
繋がっているからこそ。アミーは、今の善人の力を、誰よりも理解していた。
「わたくしの拘束を、解いてはくれないわよね?」
「……そうだな。俺個人としては、お前を助けてもいいんだが」
そう言って、アミーが光の柱に触れると。
ただそれだけで、触れた部分の肌が、ひどく焼けただれていく。
「どうにも、俺には荷が重そうだ」
アミーは直感で理解する。自分がどれだけ本気を出そうと、この柱を壊すことは出来ないだろうと。
「悪魔と、対になる力」
リタもようやく、冷静な思考を取り戻す。
「どういう理屈か知らないけど。彼は、”天使の力”を持っているようね」
「天使、だと?」
アミーは、疑問を口にする。
まるで、その単語を初めて聞くかのように。
「そうね。魔界の文明は、”千年前”に一度滅んでいるから。知らなくても、きっと無理もないわね」
天使と悪魔。人間界の常識では、対になる概念として知られているが。
その実在性に関しては、遠い歴史の果てに消えている。
「遠い昔だけど、彼らは、確かに存在していたのよ。”魔界を創造したルシファー”も、天使と呼ばれる者の一人」
「ルシファー?」
「ええ。今はもう、死んでしまっているけど。”その亡骸”は、今も魔界を支えている」
次元を穿ち、世界を繋ぎ止める。
たった1人の天使の力によって、遠い昔、魔界は創造された。
その事実を知るのは、ルシファーの友人であった、古い悪魔ただ1人。
魔界の最下層を支える、沈黙の魔王、”アモン”のみである。
「ふふっ。楽園へと消えた、強大なる魔神。
戦争が起こり、世界が滅びかけても。彼ら天使は、地上に姿を現すことがなかった。
リタにとって、天使とはそういう存在である。
良くも悪くも、人間界には干渉しない。
「でも。まさか彼が、その力を持っているだなんて」
リタは、笑うしかなかった。
花輪善人が、天使に近い力を持っているなど、一度も聞いたことがない。
彼の持つ魔力は、”揺るぎなき黄金”であり。
相棒の悪魔と力を合わせ、強大な敵を打ち払った。
ここまでコテンパンにされては、リタも納得するしかない。
輝夜の笑顔も、善人の力も、知らない出来事も。
自分の辿ってきた歴史と、すでに致命的に”乖離”しているのだと。
本来では、あり得なかった光景。
6つの左翼を持つ花輪善人と、紅月龍一が戦っている。
もはや、ただ見上げることしか出来ない。
「……紅月龍一。どうやら、強いのは確かだけれど。あれが相手じゃ、勝ち目はなさそうね」
天使の力を振るう善人に対し、龍一は真っ向から立ち向かうも。
その刃は届かず、力の差は明確であった。
人類最強は、伊達ではない。
ただ、相手の力があまりにも”異常”なだけ。
「ははっ!」
覚醒した力。花が咲き誇るように、溢れ出すエネルギー。
今の善人は、その力を試したくて仕方がないという様子であった。
一撃で沈んだリタとは違う。
人類最強は、それなりに戦いがいがある。
血を流す龍一とは違い。余裕とともに、笑みを浮かべる善人であったが。
「――少し借りるぞ、”ぷに”」
『もぅ、仕方ないわね!』
龍一もまだ、底を見せたわけではない。
事情があるがゆえに、”秘匿している力”がある。
黄金の指輪に潜む者。
その力の一端を、解放した。
青い炎が、その”格”を大きく上げ。
善人の攻撃を、一閃で打ち払う。
「なっ」
何が起きたのか。
なぜ、攻撃が無力化されたのか、善人には理解できず。
ただ音もなく、頬から血が流れていた。
確かに、龍一は本気で戦っていた。人間としてのポテンシャルは、おそらく限界まで引き出していただろう。
しかし、”全て”を使っていたわけではない。
天使の力にも匹敵する。
底の知れない”切り札”が、まだそこにある。
その事実だけを、たった一閃で証明し。
すると龍一は、静かに、刀を鞘に収めた。
青い炎も、同様に鳴りを潜める。
「……よそう。我々がこれ以上争っても、無駄な傷が増えるだけだ」
「……一発かました程度で、オレと同格のつもりか?」
「力比べがしたいなら、バルバトス辺りとやるんだな。君と戦っても、こちらに利益は無い」
「魔女を助けるんじゃなかったのか?」
「問題ないと判断した。君の力は確かに強力だが。”奇跡的に”、街にも被害は出なかったからな」
「……チッ」
確かに、善人は圧倒的な力を持っている。
魔王すら捻じ伏せる龍一を、防戦一方に追い詰めるほどに。
しかし、その制御は非常に繊細で。
無数に放たれた白銀の槍も、龍一以外に当たることはなかった。
「今の君の状態が、どうなっているのかは不思議だが。どうやら、”殺し”を行うレベルではないらしい」
「……」
リタに関しても、光の柱で拘束しているに過ぎない。
雨のように放たれた白銀の槍にも、殺意は混じっていなかった。
実力に関しては、今の善人のほうが上だが。
”恐ろしさ”に関しては、実の娘である輝夜のほうが上回っている。
なにせ躊躇なく、黒い刀で首を狙ってくるのだから。
それと比べたら、善人の力はあまりにも理性的であった。
「――だが。その力、使い道に気をつけろよ。もしも輝夜に危害が及ぶようなら、俺も容赦はしない」
一言、最後に釘を刺して。
何事もなかったかのように、龍一はこの場を後にした。
強大すぎる、2つの力。
それが衝突したとは、とても思えないほど。
穏やかに、風が再び動き出した。
「……あれが、頂点か」
すっかりと戦意を削がれ。
ため息と共に、善人の背中から翼が消える。
しかし瞳は、未だに”黄金”と”白銀”を宿していた。
力だけでなく、心までも。
自分自身の変化を、”正常”であると受け入れる。
これこそが、より良いものであると。
予想外の邪魔者が消え。
善人は、囚えた魔女、リタのもとへと足を運ぶ。
散々、力を発散したおかげか。
彼女に対する怒りも、自然と薄れてしまっていた。
「……で。お前はどうして、急に俺たちに攻撃してきたんだ?」
至極当然の疑問。善人が知りたかったのは、ただそれだけのことである。
「――」
とりあえず、槍の一本くらいは覚悟していたため。
その穏便さに、リタは少々驚きつつ。
諦めたように、”答え”を口にする。
「あなたを、試してみたかったのよ。本当にあの子に、輝夜に相応しい男なのか」
「……まるで要領を得ないんだが」
「ふふっ、それもそうね」
どの立場から物を言っているのか。
善人にとって、リタという女は得体の知れない魔女でしかないのだから。
「わたくしが、未来から来たと言ったら。あなた方は、素直に信じられますか?」
可能性は、確かに存在する。
ゆえに魔女は、”少年の側”につくことを決めた。
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