光の降臨
この世の中は、”もしも”で溢れている。
ほんの僅かなすれ違いでも、そのもしもは起こりうる。
天気が晴れだった、雨だった。それだけで、人生が大きく変わることも。それが巡り巡って、世界の存亡に関わることもある。
とても単純な話。この世界、この時間軸では、始まりからズレが生じていた。
ゆえに、未来よりやって来た魔女は、いたるところに矛盾を感じ。
その理由、元凶、起源である少女に触れようとして。
”
だがしかし。
痛みに対する感情よりも、溢れ出る”疑問”のほうが大きかった。
人として活動するために、輝夜の髪の毛は白かったはず。
花輪善人以外に、人との交流は皆無だったはず。
家族とはろくに会話をせず、笑顔だって、絶対に有り得ない。
あんな怪物がそばに居ただなんて、聞いてない。
――どうして、なの。
全身に届く痛みと、溢れ出る疑問。
その衝撃により、魔女、リタ・ロンギヌスは闇の中へと落ちていき。
目が覚めると、そこは”見知らぬ部屋”のベッドであった。
(……ここ、は)
どうやら布団をかけられているようで。重い体が、余計にうまく動かせない。
それほどまでに、今の彼女は弱っていた。
ここは、病院ではない。おそらくは、誰かの居住スペースであろう。その事実に、ひとまずリタは安心する。
自分がこの街にやって来たことは、あくまでも秘密。自分以外のロンギヌスに、あまり知られたくはなかった。
ならば、誰がここに連れてきたのか、という話なのだが。
「どうやら、起きたようだな」
始めからこの部屋には、リタの他にもう一人。
世紀末ファッションに身を包んだ悪魔、”アミー”が存在していた。
アミーは、椅子に座ったまま腕を組み。寝たままのリタと顔を合わせる。
両者ともに、そこには確かな緊張感が存在していた。
「あなたは? なぜわたくしを病院ではなく、部屋に運び込んだのかしら」
「覚えていないのか? お前は意識を失う直前に、”病院には運ぶなと”、最後の一言を振り絞っていた。仕方ないから、俺たちはそれを尊重したわけだ」
「……そう」
鍛え抜かれた肉体に、レザーのジャケットとパンツ。
感性を疑う風貌だが、その瞳には”強い意志”のようなものが感じられる。
ゆえに、リタは少しだけ警戒心を緩めることに。
「見たところ、魔力を扱える人間だな?」
「ええ」
「どこに所属している? バルタの騎士か、それともロンギヌスか」
「そう、ね。一応は、ロンギヌスということになるけど」
アミーと話をする中で、リタはようやく違和感に気づく。
「我ながら、警戒心が足りないわね」
「ん?」
「あなた、人間じゃなくて悪魔ね。わたくしの感覚が鈍ってるから、さっきまで気づかなかったけど」
「ああ、その通り。だが安心してくれ。俺は、人も悪魔も平等に接する男だ。俺と契約している相棒も、得体の知れない怪我人に、ベッドを貸すほどのお人好しだぞ」
「……そのようね」
つくづく運が良かったと、リタはため息を吐く。
「あなた、名前は? ごめんなさいだけれど、わたくしの知ってる情報に、あなたのような悪魔は居ないから」
崩壊した未来でも、この時代に来てからも。こんなダサいファッションを、人間界で着こなす悪魔は存在しない。
しかし。”その可能性”を、リタは思いついていなかった。
「俺の名はアミー。炎のように燃える悪魔だ。それでもって、相棒の名は――」
「――花輪、善人?」
あまりにも重要すぎるために、可能性から除外していた存在。
リタを過去へと駆り立てた、”絶対に書き換えたい事象”。
「あ。ああ、そうだが。知り合い、ではないよな?」
「……ええ」
世界を救う以上に大切な、”もしも”。
「会ったことは、ないわ」
もしも、”彼が最後まで生きていれば”。
きっと輝夜は、あの世界でも笑うことができたはず。
狂い過ぎた運命は、1つの交差点へ。
◆
「……ど、どうも」
「……」
もはや恒例、”聞いていた話と違う”。
部屋の持ち主。
花輪善人と対面をしても、リタは不思議と驚かなかった。
輝夜から聞いた印象では、彼は整った顔立ちに、勇敢な心を持ち。純粋な強さだけでなく、人を惹きつける一種のカリスマすら有していたという。
だがしかし、目の前に、縮こまるように座る少年は、そんなイメージとは程遠いものだった。
まず第一に、”前髪が邪魔”で顔がよく見えない。カッコいいとか、ブサイクだとかいう次元ではない。
次に、雰囲気だけでも察せられる、”気の弱さ”。
人を惹きつけるようなカリスマ性も、全くもって感じられない。
(分からない、わね。あの子の趣味が、人よりだいぶズレてたのか。それとも、戦うときには勇敢になるのかしら)
リタは、頭の中で情報を整理する。
花輪善人という”英雄”は、紛れもなく未来に存在していた。
ソロモンの夜を生き延び、星の灰汁や人魔戦争の解決を果たした男。
メガセリオンと相打ちになり、”輝夜を1人にした”という汚点こそあるものの。
アモンや他の仲間達からも、その武勇は聞いていた。
だからこそ、目の前の小さな少年と、イメージが合致しない。
(……確かめてみるしか、ないわね)
リタは、”実力行使”に出ることを決め。
ふらつきながらも、ベッドから立ち上がる。
「あ、あの。まだ安静にしたほうが」
「結構ですわ。肉体の修復など、すでに完了していますので」
魔王の一撃で、魂ごと揺さぶられたものの。
簡単な魔法くらいなら行使できる。
(優しい恩人に、わたくしも心苦しいですが)
リタは手を合わせると、鋼のように強靭な魔力を形成。
「――隔世/ダークサイド・ムーン」
世界を書き換える言葉。
すなわち魔法を解き放ち。
一瞬の光に包まれると。
善人、アミー、リタの3人は、部屋から姿を消していた。
◆
「ここ、は」
気がつくと。
善人とアミーは、まるで別世界のような場所に立っていた。
果てのない星空に、何もない大地。
それこそ、”月”にでも降り立ったような。
現実とかけ離れた空間であった。
『この領域に対する、カウンター手段を持たないとは。あまり、高等な魔術を知らないようですね』
世界全体から、声が。リタの声が聞こえてくる。
「おい、説明しろ!」
「一体、何がどうなってるんですか?」
2人が呼びかけても、魔女はその姿を決して見せない。
ここは完全に、彼女の腹の中。
抜け出すには、力ずくで食い破るしかない。
『もしも仮に、ソロモンの夜を止められなかった場合。つまり、”空の王”が誕生した場合、それに対抗するのは”あなたの役目”です』
「……空の、王?」
善人は、知らない単語に困惑するしかない。
『輝夜から聞いた話では、メガセリオンには劣るものの、”国を滅ぼすレベルの怪物”だったとのこと。それを止められるだけの力が、あなたに有るのですか?』
リタの声に、感情がこもる。
『あなたが本当に、花輪善人という英雄なのか。その”資格”を、本当に持っているのか』
何も果たせなかった自分とは違い。ずっとそばで、輝夜を守り続けたという存在。
だからこそ、試さずにはいられない。
『影の戦士たちよ、彼らの力を暴きなさい!』
リタの声に呼応するように。
何もない大地から、大量の影が溢れ出てくる。
それは意思を持っているかのように、無数の個体へと。
剣や弓などを装備した、文字通りの戦士へと変貌した。
「なっ」
「そんな」
影の戦士たちが”敵”と定めるのは、もちろん部外者である2人。
100をも超える戦士の大群に、善人とアミーは言葉を失った。
けれども。
ここで混乱しなかったのは、今までの経験の賜物であろうか。
影の戦士たちが動き出すと同時に。
アミーは炎を纏い。
善人は、黄金の盾を周囲に展開。
熾烈な戦いが、幕を開けた。
◇
手加減など微塵もない。
影の戦士たちが振るう攻撃は、どれも殺意を帯びていた。
リタという個人が、それほどまでに強い感情を抱いていたのか。
王に従う騎士のように、戦士たちは刃を振るう。
対する善人、アミーの2人も、影に戦士たちに全力で応戦していた。
攻撃力、爆発力に長けたアミーが、燃える拳を振るって、戦士たちを薙ぎ払い。
善人の盾が、その背中を守る。
善人の生み出す黄金の盾は、相も変わらず強固であり。剣や弓矢の攻撃を的確に、それでいて完璧に防いでいた。
数少ない実戦経験と、ゲームで培ったノウハウ。
それをフルに生かした、見事なコンビネーションであるものの。
(……弱い。弱すぎる)
(契約する悪魔の実力は、紛れもなく上級に相当。彼自身も、影を寄せ付けない強靭な武具を生み出せる。――でも、”たったそれだけ”)
影の戦士に負けない程度では、話にならない。
(後の未来で、”英雄”と謳われるほどの力。まがりなりにも、世界を救えるほどの力ではない)
もしかしたら、まだ進化の途中なのかも知れない。
この先の経験によって、英雄と呼ばれるほどの力を手にするのかも知れない。
だがしかし、もはや”猶予”はない。
本来の歴史通りなら、まもなく姫乃は崩壊する。
ソロモンの夜が果たされる。
(そんなあなたが、どうして、あの子の”特別”になれたの?)
リタの抱く感情は、怒りと嫉妬。
未来を知っているからではない。
この時代に来てから起きた、計算外の出来事。
それに対する怒りも込めて、影の戦士たちは溢れてくる。
善人とアミーの力では、ただ対抗できるだけ。
無限に溢れる敵を、根絶する手段がない。
世界を救える、”可能性”がない。
「くっ。どうにかしてここから抜け出さんと、押し切られるぞ!」
「……ッ」
影の戦士は、無限に溢れ。
対する2人は、ただ疲弊していくのみ。
そんなさなか。
善人のパフォーマンスが、目に見えて低下する。
『……まさか、それが限界ですか?』
見下すような、リタの声が響く中。
「ああああ!!」
善人が、叫び。
盾を構築していた魔力が、ただの暴力となって霧散する。
「ッ、相棒、お前まさか」
アミーは、その可能性に気づき。
そしてそれは、無情にも当たっていた。
「おい、リタ・ロンギヌス! この妙な世界は、”月の呪い”を含んでいるのか!?」
『ええ、よく気づきましたわね。ここは月を模した世界なので、当然、呪いの再現も出来ています。むしろ、その効力は地上よりも強いでしょう』
リタは自慢気に、自らの生み出した領域、魔法について語る。
『心を蝕む”歪み”も、より色濃く。
まさか、この程度の障害で、彼は膝を折ってしまうのか。
そんな考えとともに、リタの中で落胆の感情が強くなっていく。
あれだけの力、あれだけの希望を託されて。
歴史を変えようと、ここまでやって来たというのに。
自分の知っている歴史と違う。
聞いていた話と違う。
未来を変えようにも。
そもそもの前提が違っていたら、もはやどうしようもない。
(――ねぇ、輝夜。こんなちっぽけな少年が、本当に、あなたにとっての”光”だったの?)
領域の支配者が見下ろす中。
ついに、善人はその場にうずくまってしまう。
「相棒!!」
アミーは、もはや彼を守るだけで精一杯であった。
熱い炎の悪魔は、身を盾にして、主への攻撃を受け止める。
そんな苦境の中。
――君は、他に類を見ないほど、月の影響を大きく受けるようだね。
善人は思い出す。
この街に来て、現在の主治医に言われた言葉を。
――どうして、僕だけが。
――確かに、不幸と思うかも知れない。でもね、
その言葉は、ずっと心の底にあった。
――君は、特別だ。全人類の中でも、君だけが持っているものがある。
――僕だけが?
挫けそうな彼を、支え続けてくれていた。
――”希望”だよ。君がその呪いに打ち勝ったとき。きっとそれは、世界を変えるほどの力になる。
それまでは、ただ不幸を撒き散らす怪物だったのに。
希望という名を、与えられた。
かつて2度、それは目覚めそうになった。
1度目は、まだ善人が小学生だったとき。
初めての目覚めに、ただ人や物を破壊することしかできなかった。
2度目は、あの”忘れられない夜”。
狂気に呑まれ、やはり暴走するだけだった。
輝夜によって止められなければ、戻れなかった可能性もある。
そして、今。
善人は、自分の中の怪物と必死に戦っていた。
ただの狂気、ルナティック症候群じゃない。
ここには確かに、希望がある。
そう、信じて。
”可能性”へと手を伸ばした。
瞬間、光が溢れ。
魔女の領域が崩壊する。
それは、本来の歴史なら目覚めなかった力。
輝夜によって封印されていた、もう1つの可能性。
なぜ彼だけが、呪いの影響を強く受けるのか。
本来の歴史では、輝夜がずっと抑え続けていたため、ついぞ疑問を持つ者すらおらず。
ゆえに、怪物は眠ったまま。
可能性は閉じたまま。
しかし、この世界の彼は違う。
輝夜との出会いが大幅にズレたことで、その魂は自らの狂気と常に戦い続け。
仏の顔も三度。
このタイミングをもって、”明確な姿”を手に入れた。
「なに、が」
気がつけば、リタは青空へと放り出されていた。
魔法を正常に解いたなら、再び善人の部屋に戻るはずだが。
強引な破壊によって、彼女自身がここまで弾き出されてしまった。
”それ”が、姫乃に現れたことは、多くの実力者たちが気づいた。
圧倒的な感知能力を持つ、ドロシーはもちろん。
一緒にいたカノンたちも、その異様な力に反応していた。
自分たちと似た。
それでいて、決定的に違うナニカ。
そして、街の中心にある姫乃タワーでは。
無論、紅月龍一も、その力の出現に気づいていたものの。
その表情は、いつも以上の真剣さを見せていた。
『リューイチ、この魔力って』
「……ああ。想定外、だな」
龍一も、その指輪の中に居る者も。
その力を”知っている”がゆえに、驚きを隠せない。
姫乃の空。
戸惑いを隠せないリタの視線の先に、彼は浮かんでいた。
”翼”があるのだから、それも当然か。
歪なカタチ、左側にしか存在しない翼。
計、6枚もの純白の翼が、彼の背にはあった。
あの夜と同じように。
右の瞳は、”黄金”に。
左の瞳は、”白銀”に。
花輪善人は、その姿を変貌させていた。
「あり得ない。まさか、”天使”だなんて――」
変貌した彼の姿に、リタは驚くことしかできず。
冷え切った瞳の善人は、そんな彼女を見ると。
目にも止まらぬ速度で、リタの目の前へと飛翔。
「あ、え……」
リタが、万全の状態ではなかったとはいえ。
両者の間には、決定的な”力の差”があり。
「――いい加減にしろよ、テメェ」
リタの顔面を、左手で鷲掴みに。
そしてそのまま、地上へと加速していく。
まるで、人知の及ばぬ”隕石”のように。
激しく、そして速く。
地面へと衝突。
花輪善人と、リタ・ロンギヌス。
両者の戦いは、その一撃で終結した。
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