見えない敵
世界各地に点在するロンギヌスの拠点。その中でも異質で、最大とされるのが、日本にある”姫乃”である。
街全体を覆う、物理的な壁に。科学的にも、魔術的にも万全なバリアフィールド。それゆえ、魔界からの転移すら遮断し、悪魔による脅威は基本的に皆無とされる。
そんな姫乃の中でも、特に重要な場所。
防衛システムの全てを管理する部屋に、魔女、リタ・ロンギヌスは居た。
「彼がここまで手を貸してくれるとは、少々予想外でしたが。まぁ、手間が省けるというもの」
この街の頂点、”紅月龍一”からのお墨付きを貰い。リタは正規の手順で、この街のシステムへとアクセスする。
彼女は始めから、ここが怪しいと睨んでいた。
ソロモンの夜を仕組んだ”敵”。それが何者であれ、この街のシステムに干渉しているだろうと。でなければ、あのような”災厄”は仕組めない。
「さぁ、
無数の電子精霊。おそらくは彼女の特製であろう、白髪の少女型がシステムへと入っていく。
すると、そのうちの一つが、明らかに異常なデータを発見する。
すなわち、”何者か”に繋がる痕跡である。
「K2からK5、全力でお願い」
4体の電子精霊を用いての、徹底的な追跡。
どれだけのプロテクトに阻まれようと突き進んでいく。
ソロモンの夜。これだけの事象を企んだ存在ならば、一筋縄では辿り着けないだろう。
ゆえに、リタは万全を期して、ここへとやって来た。
たとえ微かな痕跡からでも、敵の喉元まで食らいついてみせる。
そのつもり、だったのだが。
『システムに拒絶されました。この先は、”最上位アカウント”でのみアクセス可能です』
「……あら、ここまで来て」
電子精霊を持ってしても、どうにもならない領域。
全く別レベルのセキュリティに阻まれてしまう。
少なくとも、リタでは手が出せない。
「仕方がない。……K1、紅月龍一へ連絡を」
『かしこまりました』
電子精霊に命令すると。
手に持ったスマートフォンが、龍一へと繋がる。
『……何だ』
「防衛システム内部にて、敵に繋がりそうな痕跡を見つけましたわ。ですがどうやら、かなり中枢へのアクセスが必要らしく。更に、上位のアカウントが欲しいのですが」
『すまないが、それはできない』
「あら、なぜ」
ここに来て断られるとは、リタも予想外。
すぐそこに、敵の正体があるかも知れないのに。
『君に権限を渡したいのは山々だが。わたし自身が、その権限を有していないんだ』
「この街の最高責任者は、あなたでしょうに」
『言葉もない。だがしかし、システムの最上位アカウントは、”この街の設計者”しか持っていない』
「なら、その設計者とやらの協力が必要ですわ」
『すまないが、それが不可能の理由だ。この街の設計、システムの開発者は、”タマモ・ニャルラトホテプ”。10年以上前から、管理者は不在となっている』
「……なる、ほど」
その事実には、リタも苦笑いを浮かべるしかなかった。
ニャルラトホテプは有名な悪魔である。
1000年に1人の天才。科学と魔術の申し子。
確かに、彼女が権限を握っていたのなら、アクセス不能となってもおかしくはない。
「つまり、あなたは。10年以上、この街のシステムを掌握していなかったと?」
『まぁ、そうなるな。一応の管理はできているが、100%のパフォーマンスは発揮できていない』
「……慢心、していましたわね? ニャルラトホテプのシステムだから、外敵に侵されることもないと」
リタは、深くため息を吐く。
「敵はおそらく、防衛システムの中枢に侵入していますわ。つまり、ソロモンの夜の開発者は、ニャルラトホテプに匹敵する頭脳の持ち主ということです」
『馬鹿な』
「残念ながら、これが現実です。諦めずに試行は続けますが、システム中枢へのアクセスは難しいでしょう」
リタとしても、これは予想外であった。
こちらの用意できる、最高クラスの電子精霊が5体。
それに加え、提供された管理者権限さえあれば、敵の正体へと辿り着ける。
そう思っていたのだが。
想像よりも、敵は高い能力を有していた。
現状では、”詰み”に近い。
「また何か分かりましたら、連絡しますわ」
『了解した』
龍一との通話を切ると。
リタは、再びため息を。
「さて、困りましたわね」
システムの中枢に潜り込むには、最上位のアカウントが必要。その正規手段は、すでに存在せず。
敵は、それを掻い潜るだけの技術を有している。
「電子の領域で敵わないなら、次はもちろん魔術ですが……」
この街にやって来てから、リタは一通りの場所を見て回った。
ソロモンの夜、
しかし、それらは一つとして見つからなかった。
敵がいつ、どこで、どのような細工をしたのか。それが分からない以上、リタとしても追跡は難しい。
もしも敵が優れた魔術師ならば、すでに痕跡も残っていないだろう。
(擬似的な過去視では無理がある。アスタさんの手を借りれば、ある程度の融通は効くでしょうが。彼女たちをこの街に呼ぶのは、あまりにも愚策)
ジョナサンの契約する、人外の1人。アスタの力なら、過去へと遡って魔術的痕跡を見つけることができる。
しかし、それを行っては、全ての労力が無駄になる。
言伝にしか知らない、”災厄の巨神”。
空の王が生まれてしまったら、現状の戦力では対処ができない。
姫乃崩壊を回避できなければ、過去へと遡った意味がない。
”彼女の運命”を、変えられない。
「できれば、あの子の手は借りたくなかったけれど。そうも、言ってられないわね」
決意を胸に、ネックレスを握り締める。
リタを突き動かす理由は、ずっと昔から変わらない。
「……ねぇ、
最愛の友の名を、つぶやいた。
◆◇
「……」
”紅月朱雨”は困惑していた。
理由は単純、目の前にいる姉である。
特別ではない平日。そこそこ、かなり美味しい朝食。
いつも通りの光景なのだが、目の前の”姉”だけが違っていた。
「んん〜」
箸をギュッと握りしめながら、柄にもなく考え事をしている。
いつものように、”顔の造りの良さ”で形成された、なんとなくの雰囲気ではない。
本当の本当に、何かを考えているようだった。
朱雨は基本的に、姉である輝夜のことを見下している。
理由は様々であるが。やはり一番は、”頭脳面”であろう。
5年近い、病院でのリハビリ生活。
その後半こそ、朱雨は面会に行かなくなったものの。会いに行った時間で言えば、相当なものになる。
だからこそ、理解している。
輝夜は、頭の回転が遅い。少なくとも、自分と比べたらかなり劣っている。
近くで、ずっと見てきたからこそ、朱雨は誰よりも知っている。
保護者というフィルターのかかった舞よりも、そこは正確であろう。
何か考えているような雰囲気を纏っていても、あいつは何も考えていない。
無駄に造りの良い顔と、無駄に尊大な性格ゆえに、そう見えているだけ。
しかし今日は、いつものそれとは違う。
本気で考え事をしており。
それゆえ、妙に”馬鹿”っぽく見えていた。
「おい、さっさと食べたらどうだ?」
「……むぅ」
軽く声をかけても、返事はなし。
輝夜の”得意技”。一つのことに集中して、周囲が見えなくなる。が、発動している。
朱雨は、ため息を吐き。
「こいつ、どうしたんだ?」
埒が明かないので、同じく食事中の舞に声をかけた。
「……わたしも、よく分からないのですが。昨日見た夢が、なんだか重要だった気がする、と」
「昨日見た夢?」
朱雨は、自らのスマホを手に取ると。
夢データのライブラリ履歴を見る。
それによると、輝夜が昨日見た夢は、”ムサシ無双演武”と表示されていた。
「……こんな夢に、重要も何も無いだろ」
「ええ、わたしもそう言ったのですが。輝夜さんはどうしても引っかかるようで、ああやって考え事をしています」
何の変哲もない夢データ。その中でも、特に内容が無いであろう、アクション系の夢。
だというのに、深刻そうな顔をする輝夜を見て。
「……こいつ、”病気”じゃないか?」
朱雨は、その結論に至った。
「びょ、病気ですか?」
「ああ。夢データの過剰な閲覧。夢と現実のギャップに、精神が悪影響を受ける。俗に言う、”夢依存”ってやつだな」
「……なる、ほど」
朱雨の言葉に、舞は納得してしまう。
夢依存は、実際に存在する病。
ニュースなどで、舞もその情報は知っていた。
なんとも言えない目で、輝夜を見る2人。
するとようやく、彼女もその視線に気づいた。
「……なんだ? お前ら」
「い、いえ。なんでも」
舞は、気まずそうに視線をそらすも。
「お前、完全に夢依存だろ」
朱雨は真正面から、そう言い放った。
それには、輝夜も驚きを隠せない。
「ひどいな。姉に対して、病人扱いするなんて」
「……どちらかというと、病人だろ、お前」
朝食の並ぶテーブル。
その中でも、輝夜の皿の近くには”大量の錠剤”が、生命維持用のナノマシンが置かれている。
どう見ても、健康な人間には見えなかった。
「……マーク2。わたしの脳内チップに干渉して、昨日の夢の内容とか抜き出せないのか?」
スマホの中の電子精霊、マーク2にそう尋ねるも。
『にゃん! マスターは病院に行くことをオススメするにゃん。絶対、重度の夢依存にゃん』
「……ひどすぎるだろ、お前ら」
まさかの裏切りに、輝夜は仲間を完全に失った。
「むぅ。絶対に、昨日の夢はおかしかったのに」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと飯を食え」
「ぐぐっ」
完全に見下した、生意気な弟の視線。
それを分かりつつも、輝夜は何も言い返せず。
「……くそ」
とはいえ腹は減っているので、輝夜は朝食を口に運ぶことに。
特別な夢を見た。
大切な夢を見た。
それだけは覚えているのに、悲しいかな、輝夜はそれに触れることができない。
脳には刻まれていなくても、魂が知っている。
だからこそ、完全に忘れることができない。
(お前たちは、わたしの味方だよな?)
言葉に出さず。
輝夜は自らのイヤリング、
だがしかし、
(おーい。お前たちー?)
輝夜の契約する悪魔は、全部で4人。だというのに、1つも返事が返ってこない。
(ドロシー? カノン? アトムも居ないのか?)
不思議なことに、
(ゴレム。お前でも良いんだぞー?)
一番頼りにならない脳筋男も、まさかの無反応。
それには輝夜も、唖然とし。
「……」
ただ黙々と、朝食を口にしていった。
その頃、紅月家の屋根の上では。
ドロシーを筆頭とした、”輝夜の契約悪魔たち”が、非常に真剣な表情で四方を見張っていた。
輝夜が呼びかけても返事がなかったのは、近すぎる距離にすでに顕現していたから。
「おい、クソ魔王。こんな朝早くに、こっちも暇じゃねぇんだぞ」
アトムが愚痴を言うも、ドロシーは返事をせず。
ただ黙々と、静かに敵を見定めようとしていた。
他の悪魔たちを誘ったのは、一番強く、我の強いドロシーであり。
「――”邪魔な虫”が、飛んでるわ」
何の変哲もない、真っ黒な蝶を睨みつけていた。
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