奴らの骨を折りたい
「うっ……うぅぅ」
枕に顔を埋めながら、輝夜は”絶望”に打ちひしがれていた。
どうして、こんな事になったのか。
どこで間違えたのか。
自分は一体、今まで何のために努力をしてきたのか。
これまでにないほどに、輝夜は悔しさを露わにして、自室でむせび泣く。
まぁ、一滴も涙は流れていないが。
『マスター、元気を出すにゃん! どんなに絶望的でも、それでも進めるのがマスターにゃん!』
電子精霊、マーク2を筆頭に。
続いて、輝夜の契約悪魔たちが姿を見せる。
「そうよ、輝夜。あなたに涙は似合わない。どちらかと言うと、相手を泣かせる側でしょう?」
別に輝夜は泣いてないのだが、ドロシーは本気で心配していた。
「ええ、その通り。僕たちも力になりますので、どうか顔を上げてください」
魔界に落ちた時からの、長い付き合い。カノンは変わらずに、輝夜に手を差し伸べる。
「そのまま何もしねぇなら、お前はただのクソガキだぜ?」
かつて、敵であったアトムも、今は輝夜を支える悪魔の1人。
「おうよ! よく分かんねぇが、俺たちがついてるから――」
「――うっさい!!」
輝夜を励まそうと、言葉を紡ぐ悪魔たちであったが。どうやら輝夜にとって、あまり意味のある行為ではなかったようで。
最後の1人。
ゴレムは、言葉を終える前にぶん殴られた。
「……なんで、俺だけ」
巨漢のサイボーグが、魔力の乗った一撃によりノックアウトされる。
それほどまでに、輝夜の拳には”力”が宿っていた。
「……はぁ」
深く、ため息を吐く。
輝夜も分かっていた。何もしないままでは、事態は一向に変わらないと。
ゆえに、ゆっくりと起き上がる。
その瞳には、激しい”闘志”が宿っていた。
「――どんな手を使ってでも、あの”リア充カップル”を倒してやる」
リア充カップル。
それは、憎き敵の名前。
◆
その日は輝夜にとって、何気ない1日になるはずであった。
弟のライブラリから好きな夢を選んで、心地よい睡眠を味わって。
――なぁ、輝夜。”月の魔女”について、教えてくれないか?
――はぁ?
朝食の際に、弟から妙な質問をされたが。
まったくもって意味が分からないので、スルーしつつ。
退屈ながらも、かけがえのない時間を、学校で過ごして。
放課後は、花輪善人と二人三脚のトレーニング。
もはや完璧と言えるコンビネーションに、勝利を確信する輝夜たちであったが。
そんなさなか、不吉を告げる、”1つのメッセージ”が届いた。
『ちょっと、この動画を見てほしいんだけど』
友人でありクラスメイト。竜宮桜から送られてきたそれには、1本の動画が添付されており。
それを見た輝夜と善人は、思わず言葉を失った。
動画に映っていたのは、”同じ高校の生徒”と思われる2人の男女。
恋人同士なのか、その距離感は明らかに近く。
イチャつくような雰囲気で、”二人三脚の練習”を行っていた。
(なんなんだ、こいつらは)
信じられないことに、そのカップルは非常に速かった。
明らかにイチャイチャした雰囲気で、走ることよりも、抱き合う行為を楽しんでいる様子なのに。
それでも、”とにかく速かった”。
全力で練習に取り組む輝夜たちよりも、おそらく速度は上であろう。
動画越しでも分かってしまう、その事実。
”ガチ勢”の自分たちよりも、”エンジョイ勢”のカップルのほうが速い。
輝夜の脳は、現実を受け入れることを拒んでいた。
なぜなら認めてしまえば、今まで築き上げてきた”何か”が、きっと壊れてしまうから。
認めたくない。分かりたくない。
”勝利以外”の可能性を、直視したくない。
しかし、この世界は残酷である。
そう安々と、輝夜に幸福を与えてはくれない。
『この2人についてだけど。男子の方は、海外からも注目されてる天才サッカー選手みたいな感じで。女子の方は、中学の時にテニスで全国2位になったとか』
どうして、そんな化け物じみた連中が。
この学校で、同じ学年で、なおかつ二人三脚に参加しようとしているのか。
『なんかこの2人、幼馴染らしくて。高校入学を機に、付き合い始めたんだって』
一体、なぜ。
そんな言葉が、輝夜の脳内にこだまする。
この学校でもトップクラス。
いいや、下手したら全国でもトップクラスの高校生カップルが、体育祭の二人三脚に参加しようとしている。
この競技なら、わたし達でも勝てるはず。高校1年の段階で、しかも男女で、これほど真剣に練習するのは自分たちくらいなもの。
”唯一のガチ勢”として突き詰めていけば、必ず勝利を掴めるはず。そんなモチベーションで、今まで練習してきたというのに。
「そんな、馬鹿な」
輝夜は、その場に崩れ落ちた。
こんな連中が相手では、勝てるはずがない。
魔力という、”インチキ”でも使わない限り。
「……マーク2。この動画と、わたし達の走りを見比べて、どうにか勝つ方法を考えてくれ」
『了解したにゃん!』
まだ、まだだ。
諦めるにはまだ早い。
こっちは真剣に、ひたすら勝利を求めて、練習を重ねてきたのに。
こんなリア充カップルなんかに、負けてたまるか。
そう、奮起する輝夜であったが。
『残念にゃがら、勝率はゼロに等しいにゃん』
「…………そうか」
世の中、そんなに甘くはなかった。
『動画を見るに、このペアはまだ本気を出してないにゃん。なのに、現状のマスター達よりも速いにゃん』
「あー」
「輝夜さん、しっかり」
善人が声をかけるも、輝夜は向こうの世界へと行っていた。
『諦めるのは早いにゃん! 学校のサーバーに侵入して、2人の体力測定の記録を入手したにゃん。そこから、二人三脚での予想速度を計算して、マスター達が”勝利する方法”を2つほど編み出したにゃん!』
「……ほ、本当か?」
「そうですよ。頑張りましょう、輝夜さん」
一瞬、生き返る輝夜であったが。
『ペアのどちらかが、”骨折相当の怪我”を負っている。もしくは、競技中に2回ほど転倒させれば、マスター達でも勝てるにゃん!』
「……」
マーク2の導き出した結果は、もはや死刑宣告に等しかった。
それほどのハンデがないと、勝てない相手なのかと。
『善人の身体能力は、実は向こうにも引けを取らないにゃん。だから、マスターが”魔力”で身体能力を向上させれば、正面からの勝利も可能にゃん』
「……はっ」
つまるところ。輝夜本来の身体能力では、不可能という話である。
相手チームの骨を折るか、競技中に転ばせるか。
流石の輝夜でも、そこまでの卑劣さは持ち合わせていなかった。
(骨折は、痛いからな)
その痛みを、身をもって知っているからこそ。
本音を言えば、奴らの骨を折ってやりたい気分である。
交通事故にでも遭って欲しい。部活で怪我をして欲しい。
そもそも、競技に出ないで欲しい。
体育祭までに喧嘩をして、カップルじゃなくなって欲しい。
校内でヤッてる所を見つかって、停学処分になって欲しい。
まぁ、くだらない妄想である。
「……悪かったな、善人。勝てもしないのに、こんな練習に付き合わせて」
「そんなっ。僕はただ、一緒に走れるだけでも嬉しいので。輝夜さんが謝る必要なんて」
「それでも、だ。これまでの努力が、報われないのは明らかだからな」
輝夜は、本気の本気で落ち込んでいた。
体育祭というイベントで、活躍している姿をみんなに見せたい。魔力を使わなくても余裕なのだと、弟に見せつけてやりたい。
身体能力では劣っていても。勝てると信じて、この二人三脚に放課後を捧げてきた。
そのはず、なのに。
正々堂々と勝負して、エンジョイ勢のカップルに負けるか。
魔力で身体能力を強化して、無理やり勝利するか。
どっちみち、”弟に見下される未来”が待っている。
勝ち負けよりも、そっちのほうが重要であった。
「……輝夜さん」
ここまで輝夜が落ち込むとは、善人も思ってはいなかった。
得体の知れないソロモンの夜に、ジョナサン・グレニスターの脅威。
姫乃にやって来た
それ以外にも、”何か”、目に見えない脅威を感じている。
善人にとっては、そっちのほうが大きな問題なのだが。
どうやら輝夜にとっては、体育祭のほうが重要らしい。
本当は、ダメなのかも知れないが。
輝夜のそういった性格も、善人には魅力的に見えていた。
「……明日も、僕は練習するつもりです」
ゆえに善人は、進む方向を変えない。
「輝夜さんにその気がなくても、1人で走ります」
人の励まし方なんて、知らないから。
彼は不器用に、ただ進むしかない。
果たして。
その”闘志”は、輝夜の心に届いたのか。
◆
「――今日も、お嬢様は平和な一日を過ごしました、と」
とある、高層マンションの一室。
夜景の美しいベランダで、その男はスマホで雇い主に報告を行っていた。
彼の名は、”ウルフ”。
紅月龍一の個人的な知り合いであり、信頼されている数少ないメンバーでもある。
そんな彼に与えられた仕事は、龍一の娘、紅月輝夜を監視し、必要とあらば武力をもって守ること。
輝夜の日常生活を邪魔しないよう、常に遠くから監視して。まるでストーカーのようだと、自分でも思いながら。
それでもウルフは、この仕事に真面目に取り組んでいた。
龍一の娘ならば、命を賭してでも守ってみせる。
まぁ、問題の娘が、少々特殊な行動をしがちなので、ウルフもいつも通りの仕事をできていないのだが。
これもまた一興と。
ウルフは、1日の終わりにタバコを吸う。
なにせ、輝夜が家に居る時以外は、”ほぼ全ての動向”を監視しているため。本来なら大好きなギャンブルも、女遊びも、ウルフは封印していた。
少なくとも、このソロモンの夜とやらが終わるまでは。
ウルフは強い覚悟を持って。
明日も頑張るために、今日はもう寝ようかと。
そんな事を、考えていると。
「……あぁ?」
ウルフの目が、”それ”を捉えた。
大切な監視対象の暮らす家。
紅月家の方角から飛来する、高速の存在を。
それが生命体であると。とてつもない力の持ち主だと。
彼がそう認識するよりも速く、それはベランダに辿り着いていた。
「――こんばんわ」
”最強の魔王”、その名は伊達ではない。
たった一度の跳躍。瞬きにも等しい速度で、この距離を移動するのだから。
「……俺に何の用だい? 魔王バルバトス。そっちの感知能力なら、確かに場所は割れてるだろうと思ってたが」
ウルフには分からなかった。
こんな夜に、監視対象の契約悪魔が、なぜ自分の元へやって来たのか。
「”月の魔女”が、そっちに接触してきたのか?」
「つきのまじょ? それは、よく分からないけど」
しかしながら、彼女は最強の悪魔。
輝夜の安全を保証する上で、一番の戦力とも言える存在。
無論、何の理由もなしに、ここへやって来ることはあり得ない。
「――”バレずに魔力を使う方法”を、輝夜に教えてほしいの」
「……なんだって?」
悩みに悩んだ末、輝夜が辿り着いた結論。
感知されないように魔力を使い、二人三脚で勝利する。
すなわち、”インチキを極める”ことだった。
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