月の魔女
わたしは月から、それを見る。
あまりにも度し難い。見るに堪えない愚行を。
1000年経っても、2000年経っても、人の身勝手さは変わらない。
”時間逆行”、物語のやり直し。
賢者たちが揃いも揃って、結局そんな選択をするのね。
この10年、わたしはずっと信じていたのよ?
あなた達なら、きっと解決策を見つけてくれる。
人も悪魔も、隔てなく暮らせる世界を作ってくれるって。
それだけに、とても残念だわ。
ねぇ、わたしに相談はしないの?
そっちからは見えなくても、わたしには全部見えてるのに。
本当に、あなたは残酷だわ。
出会った時からそう。
良かれと思った行動が、結果として他者を不幸にする。
わたしに、叶わぬ夢を見せたのも。
まぁでも、応援はしてあげる。
わたしに知識を与えて、心を与えて。
一度だけでも、本気で”恋”をする機会を与えてくれた。
だからこれは、わたしからの感謝の気持ち。
あなた達だけでは、きっとあの時代まで届かない。
あなた達の最後の努力は、何の成果も残せずに無駄となる。
仕方がないから、力を貸してあげる。
――月に根付いた呪い。
――槍に残された祈り。
――
その全てを使って、あなたの旅を保障してあげる。
行ってらっしゃい、リタ。
愚かで残酷な魔女。
わたしの、最初で最後のお友達。
◆◇◆◇
リタ・ロンギヌス。
本来ならば彼女は、誰にも気づかれること無く、姫乃の街に侵入するつもりであった。
争いごとは好まない。できれば対話で解決したい。そういうスタンスの魔女であるがために。
姫乃は難攻不落の都市ではあるが、リタには関係がない。
街全体を覆う物理的な壁も、そこから発せられる特殊なバリアも。
悪魔などの外敵を許さない最先端のナノテクノロジーだが、彼女はその先を行っていた。
魔術的にも、科学的にも。完全なる偽装をもって、リタは姫乃の防壁を突破。
そのまま人知れず、街へと潜伏するつもりだったのだが。
その際に目に入った、とある存在。
2人の少年少女と、異質な魔獣を見て。
興味を持ったリタは、彼らへの接触を試みることに。
「なんだ、この女」
夜の街。姫乃を守る防壁の上。そこへ突如現れた金髪の女性に、朱雨は驚きを隠せない。
なにせここは、地上100mを超える場所。特殊な力の持ち主でなければ登ってこれない。
しかし、朱雨は声をかけられるまで、その女性の存在に気づかなかった。魔力を微塵も感じなかった。
ふわふわと宙に浮かぶ、明らかな魔女だというのに。
(感覚からして、
冷静に、朱雨は目の前の女を、リタ・ロンギヌスを観察。
すると彼女は、優しい微笑みを浮かべる。
「そんなに、警戒しないでくださいな。こう見えてわたくし、怪しい女ではありませんから」
「見た目が怪しい自覚はあるんだな」
「ふふっ。まぁ、流行には疎い身ですので」
リタは微笑みを絶やさない。それがなおさら、朱雨にとっては胡散臭く見えた。
そんな彼の考えを悟ってか、リタは別の話を振ることに。
「ほら、そこの魔獣。確か名前は、ケルベロスと言いましたか? 過去、現在、そして未来を見通す、特別な瞳の持ち主。あなたなら分かるはずです。わたくしが、決して害ある存在ではないと」
ふわふわと宙に浮かびながら、リタはケルベロスに尋ねた。
「ケルベロス。あの女はそう言ってるが、どう思う?」
「……グゥ」
朱雨とリタ。双方の言葉を受けて、ケルベロスは瞳を輝かせ。
目の前の女。リタ・ロンギヌスがどのような存在であるかを見定める。
嘘偽りなく、真実を。
そして、ケルベロスの回答は――
「ガゥゥッ!!」
目を真っ赤にして、リタを威嚇した。
彼女は敵であると、そう宣言するかのように。
「……あら?」
どうやらその反応は、リタにとっても予想外だったらしく。
ケルベロスからの威嚇に、思わず微笑みが崩れる。
「どうやら。こいつ曰く、お前は俺たちの敵らしい」
「おかしい、ですわね。もしも未来が見えているのなら、わたくしの立場も理解しているはず」
空気が、少しずつ変わっていく。
朱雨の中で、目の前の謎の女が、”明確な敵”へと変わっていく。
「……」
静かに躍動する魔力を、戦えない桜も感じ取っていた。
「ケルベロスさん。あなたは、理知的な魔獣であると聞いています。なので出来れば、威嚇するのをやめてほしいのですが……」
リタがそう言おうと、ケルベロスの威嚇は止まらず。
――ガァッ!!
よほど機嫌を損ねたのか。
ケルベロスは地面を蹴り、宙に浮かぶリタへと襲いかかった。
「ッ」
まさかの攻撃に、リタは戸惑いつつも。
ひらりと舞い、それを回避。
だが、ケルベロスはそれすらも見越して、魔力による爪の拡張。
鋭い斬撃を、彼女に向けて放った。
「もう、しつこいですわね」
ケルベロスの放つ攻撃など、リタにとっては大した脅威ではない。
軽く手をかざして、魔力障壁による防御を行う。
しかし、敵は1つではない。
紅月朱雨も、ケルベロスを追うように地面を蹴り。
渾身の魔力が詰まった拳を、リタに対して振るった。
「悪いな!」
得体の知れない侵入者。ケルベロスが敵と判断した人間。それだけで、朱雨が拳を振るう理由は十分であった。
死なない程度にぶっ飛ばす。
それほどまでに気合の入った、渾身の一撃だったのだが。
「――な!?」
「うふふっ」
リタはその一撃を、片手で軽々と受け止めた。
凄まじい魔力、凄まじい威力を発揮するはずだった拳を。
優しく包み込むように、リタは止めていた。
「我ながら、少々軽率な行動でしたわ。賢き魔獣、ケルベロスならば、わたくしを理解してくれると思ったのですが」
朱雨の拳を掴んだまま、リタはため息を吐く。
その表情は退屈そうで。まるで彼らを、敵として見ていなかった。
「それと、紅月朱雨さん。お会いするのは初めてですが。想像よりも、かなり喧嘩っ早い方ですのね。輝夜さんも、それくらいは言ってくれれば良かったのに」
「何だ、お前は。あいつの知り合いなのか?」
拳を掴まれたまま、朱雨は宙ぶらりんに。圧倒的な力を持つリタに、赤子のように弄ばれていた。
「うふふ。知り合い、などという次元ではありません。わたくしと彼女はそう、とても一言では表せない、複雑な関係と言いましょうか」
「はっ、お前の正体は知らないが。もしも輝夜だったら、そういう勿体ぶった喋りは嫌いそうだけどな」
「……あなたに、何が分かるのですか? アモンという偉大な悪魔に選ばれながら、何も救えなかったというのに」
「……? アモンってのは、一体」
微かな違和感。どうにも話が噛み合わない。
朱雨は、それを感じ取るも。
「――悔い改め、頭を冷やしなさい」
月の魔女。リタは自らの正当性を疑わず。
空いた片方の手から、衝撃波のようなものを放射。
「ッ」
朱雨は為す術なく、姫乃の街へと吹き飛ばされていった。
「さてさて、お次は」
邪魔者が消え去り。
リタは残されたもう一人の人間。戦う力を持たない、竜宮桜に目をつける。
ある意味で、紅月朱雨よりも興味のある存在。
話しかけようと、ふわふわと近づき。
――ガァ!!
主が吹き飛ばされても、獣は止まらない。
ケルベロスが、再びリタへと襲いかかる。
しかし、リタは振り向くことすらせず。
「しつこいですわね」
そんな一言とともに、リタの体から魔力が溢れ。
ケルベロスは、思わず距離を取った。
「うふふ。未来が見えるというのも、考えものですわね。こうやって無数の可能性を提示されれば、どれが本当の未来か分からなくなる」
どうやらリタは、ケルベロスに対抗する絶対的手段を持っているらしく。
ケルベロスは彼女を前にして、一歩も動けなくなってしまう。
「動物虐待は心苦しいですが。あなたも飼い主同様、大人しくしていてください」
リタが手を上にかざすと。そこから強烈な光が発生。
為す術なく、ケルベロスはその光に包まれて。
気がつけば、この場から消え去っていた。
「……う、そ」
桜は、呆然とするしかない。
ただ気まぐれに、彼らと一緒にこの場所へ来ただけだったのに。まるで予期せぬ来訪者によって、全てが吹き飛ばされてしまった。
桜は魔力を扱えるが、朱雨や輝夜のように戦いを知る人間ではない。
逃げることも、立ち向かうこともできず。蛇に睨まれた蛙のように、その場で立ち尽くす。
そんな彼女の不安を知ってか。
リタは優しく微笑みながら、桜の側へとふわふわとやって来た。
「さてさて。やはり問題は、あなたですわね。まさか、わたくしの知らない
始めからリタは、彼女のことしか気にしていなかった。
もしも、朱雨とケルベロスしか居なかったら、接触すら考えていなかったであろう。
「後の記録に残らない程度の、どうでもいい存在なのか。それとも、わたくしの危惧するイレギュラーなのか」
変わらぬ微笑みで、リタは桜に問いかける。
「あなたは一体、何者なのかしら」
◆
「ふふっ、そんな緊張なさらずに。わたくしは本来、暴力を好みませんので」
「……」
姫乃を覆う防壁の上。
美しい夜天の下。
いつの間にか出現した椅子に、桜とリタは座っていた。
出会いが出会いなので、桜はまるで安心することができない。
「では、まずは自己紹介と参りましょう。わたくしはリタ・ロンギヌス。一応、立場上はロンギヌス本部に所属する者ですが。まぁ今回は、お忍びのようなものですので。どうか、お気になさらずに」
「は、はぁ。ロンギヌスの人、なんだ」
真偽の程は確かではないが。相手の正体を知り、桜も少しだけ落ち着いた。
「アタシは、竜宮桜、です。えっと、神楽坂高校に通ってる、普通の女子高生。みたいな」
「あらあら。普通の女子高生なんて、そんなご謙遜を」
口元を隠して、リタは微笑む。
「その王の指輪は、単なる飾りですか? 紅月朱雨と一緒に居た以上、それの用途はご存知のはずですが」
「あー、えっと。まぁ、はい」
桜は、微妙な表情で指輪に触れる。
確かに、使い方は知っているが。自分は使いこなせていないのだから。
「彼とは、どのような関係で? もしかして恋人でしょうか? でしたら、少々悪いことをしてしまいましたが」
「いや、別に。シュークリは、”友達の弟”みたいな関係で。そこまでのアレじゃないというか」
「なるほど、そういうことでしたか。友達の弟。…………友達、の?」
話をする中で、リタは気づく。
友達の弟。つまり桜の言う友達というのは、”彼女”のことであると。
「もしかして、あなたは。紅月輝夜の友人、ということでしょうか?」
「あっ、はい。同じクラスの友達で。最近は、一緒にゲームなんかもやってて。まぁ、仲は良いかなと」
「……そう、ですか」
桜にとっては、何の変哲もないこと。当たり前の、日常のこと。
しかしリタにとっては、ある意味で、”最も驚くべき情報”であった。
(”彼”以外に、学校での友達が居ただなんて。そんなことは一度も……)
何かが、おかしい。”聞いていた情報”と違う。やはり、自分の知らないイレギュラーがあるのかと、リタは思う。
自分の知っている紅月輝夜なら、絶対に、”友達など居ない”のだから。
しかし気を取り直して、リタは会話を継続する。
「ところで、あなたも
「あー、えっと。実はそれについて、シュークリに相談してたところで……」
桜は、自らの持つ悩みを打ち明けた。
「なるほど、そういうことでしたか。わたくしも、
リタは少し、真剣に思考する。
「……それはきっと、あなたが”揺らいでいる”からでしょう」
「ゆらぎ?」
「ええ。
誰しもが、相性のいい悪魔を召喚できるわけではない。
例えば、”悪魔そのもの”を憎んでいたとしたら。
悪魔という種族自体との相性が悪ければ、もはや召喚できる悪魔など存在しない。
「まぁ、そういった人物の場合。大抵は悪魔ではなく、”魔獣”が召喚されるケースが多いです。ほら、先程のケルベロスのように」
「あっ、なるほど」
朱雨が、それほど悪魔を憎んでいるのかは定かではないが。
悪魔が召喚されないのなら、魔獣が呼ばれることが普通なのだろう。
しかし、桜は魔獣すら召喚できていない。
「竜宮桜さん。あなたは悪魔が嫌いですか? 憎いですか?」
「それは……」
桜は、回答に詰まってしまう。
以前の自分なら、間違いなく”憎い”と断言できたのだが。
今の彼女は、それを口にすることができなかった。
人だから、悪魔だから。そういう種族の問題ではない。
良い悪魔も居れば、悪い人間も居る。世界は違えど、そこは変わらないのだと。
今の彼女は、知ってしまったから。
「ほら、揺らいでる。つまり
「……」
それは桜にとって、とても納得のいく答えであった。
確かに自分は揺らいでいる。
溜まりに溜まった憎しみが、別の感情へと変わりつつある。
果たしてそれを、受け入れていいのか。
指輪に触れて、桜は自問自答する。
「……あ」
そして、気がつくと。
魔女の姿は跡形もなく消えていた。
◇
「おい、あの女はどこに行った!」
役目を終え、二人分の椅子も消えかけた頃。
朱雨は再び防壁を駆け登り、桜のもとへと戻ってきた。
とはいえ、魔女の姿はすでに無く。
「ゴメン。色々と話してたんだけど、気づいたら消えてて」
「……そうか。まぁ、お前が無事なら、とりあえずは問題ない」
思いっ切り吹き飛ばされて、それから全力でここまで走ってきたのだろう。
朱雨は非常に疲れた様子で、その場に座り込む。
「あのワンちゃんもだけど、いきなり戦うのは良くなかったんじゃない? 普通に、話せる人だったけど」
「……」
桜の言うことはもっともである。
朱雨も、それはよく分かっているのだが。
「ケルベロスが訴えてたんだ。あいつは俺の、――いいや、”輝夜の敵”だってな」
「えっ」
何かが、致命的にズレたまま。
誰もが、勘違いしたまま。
ソロモンの夜は進んでいく。
魔女ですら、その歪みには気づけない。
かぐや姫の物語は、始まる前に終わっていた。
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