夜に駆ける






『あなたは、他の誰よりも凄惨な死を迎えます』




 リタ・ロンギヌス。月の魔女と呼ばれる女に、そんな言葉を言われ。

 ジョナサンは1人、ホテルのバルコニーでたそがれていた。


 未来を知るという女。実際に、見て歩いてきたという女。

 くだらない与太話と、鼻で笑えれば良かったのだが。

 信頼する悪魔の1人が、それを信じるというのなら。ジョナサンは、それを真摯に受け止めるしかなかった。




 ジョナサンが、静かに夕焼けを見つめていると。

 その信頼する悪魔の1人、アスタが側へとやって来る。可憐な少女に見える彼女にも、きっと秘めたる何かがあるのだろう。




「彼女は、もう行ったのかい?」


「うん。善は急げって、今夜中にも乗り込むつもりらしいよ」


「そうか。姫乃の警備システムは、かなり優秀だと聞いているが」


「そんなの、彼女には関係ないよ。――だってリタは、”10年も先の未来”からやって来たんだよ?」


「……そう、だったな」




 ジョナサンは、ただこの場に残るのみ。本来なら、来たるべき決戦に備えたいところだが。

 未来を知る魔女に、ここでの待機を望まれていた。





『ソロモンの夜が、最終的に何を目的にした儀式なのか。どういう理屈で、”あれ”が誕生してしまうのか。当事者でないわたくしには、知りようのない事ですが。――”何をトリガーにして”、最悪が始まるのかは分かります』





 未来において、ソロモンの夜に関係する記録は数が少ない。

 なぜなら、爆心地である姫乃は跡形もなく吹き飛び、生き残りも数えるほどしか居ないから。


 だがその中で1つ、確かな情報があった。


 ジョナサン・グレニスターによる、姫乃襲撃。

 それが行われるのと同時に、”最悪”は始まったとされる。


 ジョナサン個人に、姫乃を吹き飛ばす目的も、それを行う手段も無いのだが。

 ならばなぜ、始まってしまったのか。



 リタはそれについて、1つの仮説を立てた。

 ”一定量の遺物レリックが姫乃に集まる”ことで、儀式は完遂するのではないか、と。



 つまり、今現在。

 物事の多くは、”最悪”へ向けて進んでいた。


 覇道を目論むジョナサンに対抗するべく、姫乃の街にはバルタの騎士など、多くの遺物レリック保有者ホルダーが集いつつある。

 日本にあった多くの遺物レリックは、紅月輝夜と、ジョナサン・グレニスターの手に渡り。

 海外に点在していた多数の遺物レリックも、日本を訪れる前のジョナサンや、バルタ騎士団によって回収されている。


 リタ曰く。紅月龍一、バルタ騎士団などの強者たちが居たものの、姫乃の崩壊は食い止められず。

 多くの遺物レリックと、その使い手が、ソロモンの夜によって失われたという。



 ゆえにジョナサンは、ここから動くことが出来ない。自分が姫乃に向かうことで、取り返しのつかない未来が訪れてしまうのだから。


 しかし、だからといって。

 ただ黙っていられるほど、彼はクールな男ではなかった。




「本当にこのまま、じっとしていて良いのか?」


「しょうがないよ、ジョン。僕だって出来れば、君に王の道を歩んでほしいけど。……リタの言っていることは、悲しいほどに”真実”だから」




 アスタには、分かってしまう。その”白銀の瞳”によって、見えてしまうのだ。

 彼女が歩んできたという、最悪の未来が。




「ソロモンの夜が、何を目的に、誰によって生み出された儀式なのか。彼女がそれを解明するまで、ジョンはここで待機するべきだよ」


「……確かに、話は理解できるが」





 ジョナサンには、ある譲れない想いがあった。


 ”あなたは、他の誰よりも凄惨な死を迎えます”。

 そう、予言されてなお。自分の命よりも、優先するべきこと。




――姫乃には、”美しき女神”が存在する。




 あの時。初めて出会った時は、衝撃のあまり我を忘れ、立ち上がることが出来なかったが。

 次に会うときには、真正面からその姿を見てみたい。

 果たして彼女が、自分の追い求めてきた、”美そのもの”なのか。確かめずには、いられない。




 ソロモンの夜の果てに、ほぼ全ての遺物レリック保有者ホルダーは死亡する。

 それを生き残る、ただ1人の勝者について、ジョナサンは聞くことが出来なかったが。




(もしかしたら、彼女の命も危ういかも知れない)



 ジョナサンは険しい表情をしながら、ぐっと拳を握り締める。




「……ジョン」



 その様子に、アスタはどう声をかけるべきか戸惑うものの。



 当の、ジョナサン本人は――





(――君を題材に、僕は”絵”を描きたいんだ)





 自分の中の欲望と、戦っていた。










◆◇










「はぁ……」




 月夜の下。

 自分の暮らしているマンションの屋上で、”竜宮桜”はため息を吐く。


 この屋上は、マンション住民の共用スペースであるものの。夜間は使用禁止となっている。

 それでも彼女は、ただ1人、無人の屋上へ足を踏み入れていた。



 輝夜からもらった遺物レリック。あの日から、桜は魔力というものを知覚できるようになり。

 我流で色々とやっていく内に、自室の窓から、屋上へ侵入することも可能になっていた。


 ただそれだけなら、便利でラッキー、と思えたのだが。

 それでも、桜は憂鬱に包まれていた。




「どうして」




 右手にはめられた遺物レリックを触りながら。桜は1人、問いかける。

 しかし、彼女の憂鬱を知るものは、空に浮かぶ真っ赤な月のみ。



 仕方がないので、桜はただ月を見る。

 とても恐ろしい、悪夢のような真っ赤な月。以前の自分なら、ただ怯えるしかなかった存在。

 けれども今は、こうして堂々と見上げることができる。

 これもすべて、輝夜という友人と触れ合っているからこそ。


 輝夜と出会えなければ、こうして月を見ることも、夜天の美しさを知ることもなかった。


 どす黒い怒りを鎮めるほどに、嬉しくて楽しい、今という宝物。

 それを、もらっておきながら。




「――どうして、誰も応えてくれないの?」




 桜の持つ指輪に、”悪魔は宿っていない”。

 確かに力はあるものの、他のみんなとは違って、そこに他者との繋がりはない。


 それこそが、桜の悩む理由。

 桜は悪魔を召喚することができなかった。


 悪魔を召喚できないのなら、魔獣という生き物が召喚されるケースもあるようだが。

 桜は、何も呼ぶことができなかった。


 呼びたいという気持ちはある。強く、心に持っている。

 戦う力が欲しいから、輝夜たちの助けになりたいから。

 しかし指輪は、応えてくれなかった。




――まぁ。いつか必要な時が来れば、きっとどうにかなるだろ。




 友人は、そう言ってくれたものの。桜の心から、焦りの色は消えなかった。

 今日、同じクラスにやって来た転校生2人。バルタの騎士と呼ばれる人たちは、全員が悪魔と契約しているらしい。


 聞く話によると。かつて、黒羽えるが遺物レリック保有者ホルダーだった際は、しっかりと魔獣を使役していたらしい。つまり、遺物レリック自体に問題は無い。

 問題が、あるとすれば――



 桜がそう思い詰めていると。





「――お前は、輝夜のクラスメイト、だったか?」





 誰もいない。誰も入れないはずの屋上に、桜以外の声が。




「……うわ」



 振り返ると、桜は思わず驚いてしまう。



 なぜなら、そこに居たのは。

 少年が1人と、三つ首の魔犬が1匹。



 ”紅月朱雨”と、そのパートナーである魔獣、”ケルベロス”が立っていた。


















 犬の散歩とは、飼い主の義務である。

 たとえそれが、魔獣であろうと。首が3つあろうと。犬であることに変わりはないので、朱雨にはケルベロスを散歩させる義務があった。


 当然ながら、普通の犬のように散歩させることはできない。ただでさえ、犬では有り得ないほどに大きいのに、首が3つも。

 ゆえに朱雨は、散歩の時間帯を夜に、ルートを”屋根”に定めていた。




――毎日毎日、精が出るな。




 ベランダを破壊し、泣くほど怒られた姉に見送られて。


 今日も朱雨は、ケルベロスと一緒に地面を、壁を蹴り、建造物の上へと。

 誰にも縛られない、自由なルートを、その足で駆けていく。



 王の指輪は、魔力は、生物を超えた力を与えてくれる。それは、人である朱雨も、魔獣であるケルベロスも同じこと。

 自らの持つポテンシャルを発揮して、彼らは姫乃の夜を駆ける。



 そんなさなかだった。自分たち以外の存在、微かな魔力を感じ取り。

 朱雨とケルベロスが向かった先に、悩める金髪ギャルは佇んでいた。






「――というわけで、アタシだけ悪魔が召喚できないんだけど。何か、アドバイスとか無いの?」


「無い」




 朱雨は、正直に答える。




「……その即答具合というか、言い方というか。なんか、かぐちそっくり」


「かぐち?」


「あー。君のお姉さんのことだよ、弟くん」




 弟くんと、桜が呼ぶも。

 それに対し、彼は顔をしかめた。




「俺と輝夜は双子の姉弟、つまりお前とも同い年だ。弟くんっていう呼び方はよしてくれ」


「そっか。……じゃあ、朱雨くん。……いや、シュウ?」


「……好きに呼べばいい」


「じゃあシュークリームで」


「……」




 初めて接するタイプ。苦手なタイプだと、朱雨はこのやり取りで悟った。




「シュークリームはさ、そのワンちゃんを召喚した時、どんな感じだった?」


「……ワンちゃん、か」




 三つ首の魔犬を、ワンちゃんと呼び。

 ほぼ話したことのない相手を、シュークリームと呼ぶ。


 朱雨はもう、言い返す気が失せていた。




「…そもそも、俺は何かを召喚しようとして、こいつを呼んだわけじゃない」


「んー?」


「爺ちゃんから指輪を貸してもらって、ちょっと修行して。……寝て起きたら、こいつが召喚されてた」


「え。……サンタさんのプレゼント的な?」


「……まぁ、感覚的には否定できないな」





 だから朱雨は、桜に対してアドバイスのしようがなかった。

 そもそも、指輪に悪魔召喚の機能があることすら知らず。

 寝て起きたら、いつの間にか。布団の側に”化け物ケルベロス”が居たのだから。



 善人のように、救いを願ったわけでも。

 輝夜のように、力を求めたわけでもない。




「……」




 とはいえ、朱雨は考える。

 不出来な姉の友人に、何もできないというのはカッコ悪い。

 ここでそのまま帰ったら、なぜか姉にも負けた気になってしまう。


 ゆえに、





「――ケルベロスに乗れ。いい場所に連れて行ってやる」





 朱雨は桜を連れて、夜の街を駆けることに。

















 それは桜にとって、心躍る体験であった。


 大きな魔犬の上に乗って、物凄いスピードで姫乃の街を駆けていく。

 きっと、地上で生活する人々には、刹那の幻にでも見えただろう。

 それほどまでに、ケルベロスは、朱雨は、人間離れしたスピードで屋根や屋上を飛び越え。


 やがて、姫乃を覆う防壁。

 その上へと、彼らはやって来た。




「おっとと」




 絶叫マシンに乗った後のような。胸の鼓動を抑えながら、桜はケルベロスから降りると。



 そこには、美しい夜景が広がっていた。



 鉄壁の壁に覆われた、世界最高峰の要塞都市、それがこの姫乃である。

 普通に生きていると、忘れてしまいがちではあるが。

 壁に覆われた、色鮮やかな文明の光。このような光景を見られるのは、世界でもここだけであろう。




「……」




 正直、桜は。

 ほんの少し前まで、この姫乃という街が”嫌い”であった。



 最先端のナノテクノロジーが集う街、悪魔やヤクザの脅威に怯える必要のない街。


 ”壁の内側しか、守ってくれない街”。


 だから桜は、この街が嫌いだった。

 勝手な考え、逆恨みということは理解している。悪いのはこの街ではなく、悪魔や不動連合の連中だということも。


 でも、だとしても。


 壁の外では、日々恐怖に怯える人たちが生活しているのに。

 この街に暮らす人々は、そんな事を知らず、安全と安心を当たり前と勘違いして生きている。


 自分以外の家族を、理不尽な抗争によって失って。生きる場所、行く場所を失って。そしてたまたま、ルナティック症候群だという理由で、この街で暮らせる権利を得て。


 竜宮桜は、たった1人でこの街にやって来た。




 すべてを失った後に、姫乃という安息の地を得て。

 ただの少女には、それはもうつらすぎる現実で。


 少しでも、明るく生きられるように。髪を派手に染めて、笑顔を振りまいて。

 そうしたら、勝手にギャルだと思われるようになって。




 そして、”今の自分”の目で。

 改めて見る姫乃の街は、とても美しかった。





「……ありがと、シュークリーム。こんなに広くて、心強い世界に生きてるのに。アタシ、小さなことで悩みすぎてたかも」





 桜に、そう感謝されるものの。





「ん? ここは風が強いから。”面白い場所”だと、教えようとしただけだが」





 朱雨には、そこまで深い理由はなく。





「……そっか」



 やはり、似た者姉弟だと、桜は思った。











「――ええ、本当に。ここは風が強いですわね」





 美しい、夜天の下。


 招かれざる客。

 魔女の囁きが、聞こえてきた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る