バルタの騎士
今日は酷い目に遭った。
ただそう思いながら、マドレーヌ・クラインは帰宅する。
完全に、自業自得なのだが。彼女はまだ子供なので、どうしてもこの結末に納得ができなかった。
パートナーであるウヴァルは、相手の化け物みたいな女に半殺しにされ。自分は、もうどうやって負けたのかすら分からない。
ただ確かなのは、自分の何か大切な部分が貫かれて、あの顔だけの女に逆らえなくなったこと。
「……紅月輝夜。紅月、輝夜。……かぐや」
忘れないように、何度も何度も、その名を口にする。
そんな主の姿を、ウヴァルは指輪の中で不憫に思いながら。
やがてマドレーヌは、この街で拠点にしている、とあるマンションの一室に辿り着いた。
ため息混じりに、鍵を開け、彼女が部屋の中に入ると。
「マドレーヌちゃーん。おかえりなさーい」
マドレーヌよりもずっと大きな。大人の女性が、帰宅した彼女を抱きしめた。
顔面に押し付けられる胸の圧に、マドレーヌは怒りを覚える。
「暑苦しい! 離れろよ!」
「ダメよ。だってマドレーヌちゃん、お外で暴れてきたんでしょう? 怪我とかしてない?」
「してねぇ!」
マドレーヌは、力ずくで女性を押しのけた。
相手はスタイル抜群で、”金髪の縦ロールが特徴的な美女”。
それでも、マドレーヌの方が力が強かった。
すると、マドレーヌの指輪が淡く輝き、ウヴァルが周囲へと言葉を告げる。
『”ベアトリス”、こっちまで魔力が届いてたのか?』
「ええ、そうね。わたしでも気づくレベルだから、みんな気づいてるんじゃないかしら」
どうやら金髪の女性の名は、ベアトリスと言うらしく。
彼女の指にも、騎士の証である黄金の指輪が存在していた。
彼らが、そんな事を話していると。
「お疲れ様です。ウヴァル先輩、マドレーヌさん」
部屋の奥から、マドレーヌより更に小柄な、小学生ほどの少年が姿を現した。
彼は指輪を身につけていないため、人間ではなく、”そっち側”の人物なのだろう。
「指輪の中で休止中とは。もしかして、返り討ちですか?」
『まぁ、何というか。骨と内臓が治るまで、1週間は必要ってところだな』
「それはまた、ボコボコにされましたね」
指輪の中のウヴァルと、少年は気軽に言葉を交わす。
マドレーヌとウヴァルがパートナーであるように、少年もベアトリスと契約する悪魔なのかも知れない。
「くっそ、じゃあ。ぜってー、グレモリーにも怒られるじゃねぇか」
マドレーヌは深くうなだれる。
生意気な少女にも、怖いものは存在した。
「そうねぇ。アリサちゃんたちが帰ってくるまでに、一緒に謝る内容を考えましょう」
ベアトリスはそう言って、親身に接してくる。
「てか、あいつら家に居ねぇのか?」
そんなマドレーヌの言葉を聞いて、悪魔の少年はため息を吐く。
「まさか、今朝の話を聞いてなかったんですか? アリサさんたちは、”病院”ですよ」
「……あー。そういえば、んな話もあったような」
ともかく、まだグレモリー達は帰ってこない。
それまでにマドレーヌは、今日の言い訳を考えることに。
◇
姫乃第一病院。
この街で一番、下手したら、世界で一番かもしれない施設の中。
アリサ・エクスタインは、MRIのような医療器具の中で眠っていた。
機械は静かに駆動し、無数のレーザーのようなものが、アリサの頭部に当てられている。
そんな彼女を、ガラス越しの隣の部屋から。
付き添いでやって来た”ランス”と、ここの担当者である”ダニー先生”が見つめていた。
「……これは、典型的な施術ミスだね。埋め込まれたチップの形状が歪んでいるから。そこから脳全体に、悪影響が出てるんだと思う」
ダニー先生はタブレット端末を見ながら、アリサの脳について説明する。
「それで、こいつは治りそうか?」
「……大丈夫。”もう治したよ”」
彼らが見つめる中。
精密機器が、アリサの脳に特殊なレーザーを照射。
すると、画面上で赤く表示されていた部分が、全て青色へと変化した。
ほんの僅かに、外からレーザーを当てただけなのに。
それだけで、アリサの治療は完了した。
「アリサくん、そっちの具合はどうだい?」
ダニー先生が、タブレットに話しかけると。
『凄く、いい感じです。なんというか、世界全体の解像度が上がったみたいな』
「それは何より」
現実世界のアリサは、未だ機械の中で眠ったまま。
このタブレットを通じて、仮想世界に繋がった彼女とコミュニケーションを取っていた。
「おい、アリサ。本当に違和感はないのか? これで夜になって、やっぱり接続できないってなったら、なんの意味ねぇんだぞ」
『ランスくん。大丈夫だよ、きっと。だってこの先生、インプラントに世界一詳しい先生なんだよ?』
「確かに、そう聞いてるが……」
『だから大丈夫。こんな機会じゃないと、日本で治療なんて出来ないんだから。グレモリーやみんなに感謝しないと』
アリサの言う通り。姫乃で治療を受けるということは、世界的にも一種の”憧れ”に近いところがあった。
不動連合、ヤクザの存在により、日本自体の信頼度は低いものの。
”姫乃の最先端技術”は、アメリカでも有名であった。
「まぁ確かに、ここ以外の設備だと、ちょっと治療は大変だったかもね。この病院は、最先端のナノテクノロジーで、あらゆる施術のリスク低減を可能にしてるから」
「よく分かんねぇが。とりあえず、これでアリサの脳は正常になったんだな」
「ああ、もちろん。もしも仮に、何か不調があったら、また僕が優先的に診るよ。なにせ君たちは、大切な”お客様”だからね」
「……分かった。ありがとよ」
幼馴染のアリサが、もう脳インプラントの不調に悩まされることがない。
ランスはその事実を飲み込み、ただひたすらに安心した。
すると、
「よかったわね、ランス」
彼の指輪から、契約悪魔である白髪の少女、”アモル”が姿を現す。
まるで重力など無いかのように、アモルは宙に浮かんでいた。
「これだけでも、この街に来た価値は有ったんじゃない?」
「まぁ、そうかもな」
不機嫌な表情がデフォルトなのか。
ランスの顔は変わらない。
「僕の前ならともかく。浮いてるところを、あまり見られないように頼むよ」
宙に浮かぶアモルに、ダニー先生が忠告する。
「心配しなくても、人間界の常識くらいは心得てるわ。わたしとランスの契約は、これでも結構長いんだから」
「なるほどね」
ランスと、アモル。
そんな2人のコンビを見て、ダニー先生はどこか”懐かしむ”ような表情をする。
「君たちバルタ騎士団は、みんなそんなに仲良しなのかい? 人間も悪魔も関係なく」
「そう、ね。1人、”やんちゃ”という意味での問題児は居るけど。5人の人間は、みんな悪魔への偏見が無くて。それに召喚されたわたし達も、みんな似たような気質だから。……まぁ、仲良しと言えるかも知れないわね」
アモルは、騎士団の仲間を思い返す。
「かつてのあなた達と、ニャルラトホテプが目指したように。わたし達は、人と悪魔の共存を望んでいるわ」
「……それはとても、心強い言葉だ」
バルタの騎士が姫乃にやって来たのは、ただソロモンの夜を攻略するためではない。
人間と悪魔、
それらが力を合わせて、将来的に魔王アガレスなどの強硬派に抗うために。
紅月龍一、魔王グレモリー、魔王アモンを軸にして、それぞれの戦力を姫乃に集めていた。
そんな話をしていると。
この同盟の”主軸”の1人。
魔王グレモリーが、空間を切り裂いて姿を現した。
「アリサの容態はどうだ?」
「特に問題は無いよ。このまま目を覚まして、普通に帰宅できるよ」
「……そうか」
アリサの治療が完了したことに、グレモリーも安心を露わにする。
「それで、何か問題はあったの?」
アモルが尋ねる。
そもそも最初は、グレモリーもここでアリサの治療を見守っていた。
しかし、明らかに”異常なレベルの魔力”を感じ取ったため、グレモリーはそれを確認するために外へ行っていた。
「非常に、頭の痛い話だが。マドレーヌとウヴァルが、紅月龍一の娘に”武力による接触”を図っていた」
「あら、それって結構な大事じゃない?」
「……」
アモルは、小悪魔のような微笑みを浮かべるも。
その話を聞いて、ダニー先生の表情には”怒り”にも近いものが浮かんでいた。
「聞き捨てならない話だね。君たちは、平和的な集団だと聞いていたんだけど」
「すまない。1人、血の気の多い小娘が居るのだが。まさか、初日からこのような行動をするとは、こちらも予想外でな」
「それで、輝夜くんは無事なのかい?」
「ああ、そちらの心配は不要だ。人間と悪魔、2対2の武力衝突となったが。結果はこちら側の惨敗。紅月輝夜は、恐らく無傷に近いだろう」
その結果を聞いて、ランスは驚く。
「あの2人が、惨敗だと? マドレーヌもウヴァルも、刃が立たなかったのか?」
「その通りだ。魔王バルバトスの潜在能力は、こちらの予想を遥かに上回り。その召喚者である紅月輝夜も、”特異な能力”の持ち主だった」
「……マジかよ」
ランスにとって。紅月輝夜という人間は、学校で少し接触しただけ存在であったが。
バルタ騎士団の主要戦力を圧倒するとは、完全に予想外であった。
「今後、このような事が起きないよう、わたしも厳しく指導を行うつもりだ。だからどうか、この一件は許してほしい」
「……まぁ、輝夜くんに怪我が無いなら、僕から言うことはないよ」
「すまない」
輝夜が襲われたと聞いたときは、ダニー先生の表情も怒りを帯びていたが。
彼女が無傷と聞くと、いつもの柔和な表情に戻っていた。
「あの子は、僕たちにとっては”宝のような存在”でね。5年近くの日常訓練を経て、ようやく外の世界に出られるようになったんだ。……だから本当は、戦いに関わってほしく無いんだけど」
親友の娘、というだけの理由ではない。
この病院では、5年間にも渡って彼女のリハビリを支えてきた。
ダニー先生だけでなく。
多くの医師や看護師も、きっと同様の気持ちを抱いているだろう。
それに関しては、グレモリーにも思う所があるようで。
「……確かに。あの少女の身体を見ていると、その”努力の色”はよく見える。心臓に巣食う、深い呪いと対抗するべく。全身を駆け巡っているアレは、治療用のナノマシンか?」
「驚いたね。まさか、そこまで見えるのかい? 君たち悪魔は」
「いいや。わたしクラスだから、気づけただけの話だ」
魔王、グレモリーでも驚くほどに。
紅月輝夜は、多くの技術、人の想い、奇跡によって、命を支えられていた。
そして、それに負けないほど。
彼女自身が、”強い意志”を持っている。
「――紅月輝夜。あの
グレモリーは、そう結論づけた。
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