優しいお姉ちゃん
これは、きっと夢の中のお話。
だって見たことのない景色、知らない人物を見ているのだから。
海の中を漂い続けた、金髪の美女。彼女は海底から”聖杯”を取り上げると、そのまま優雅に海を漂っていき。
やがて、どこかの海岸へと辿り着いた。
明らかに、彼女は普通の人間ではない。生身で、洋服のまま海の中を漂い、そして地上までやって来たのだから。
もしも一般人がその様子を見ていれば、それなりの騒動になっていただろう。
だがしかし、幸か不幸か、彼女が上陸したのは人気の少ないプライベートビーチ。
彼女を目撃した人物は、たった”3人”しかいなかった。
その3人を、”わたし”は知っている。
ついこの間、衝撃的な出会いを果たした、敵である3人なのだから。
ジョナサン・グレニスターと。
彼の契約する悪魔である2人の少女、アスタと、レヴィ。
彼らは、このプライベートビーチで休息中だったのだろう。
ジョナサンとアスタの2人は、海からやって来た金髪の美女に警戒しているが、レヴィはのんきにドリンクを口にしていた。
夢の中だというのに、彼らはとてもリアルに見える。
ジョナサンは無言で剣を召喚し、アスタは全身に魔力を帯びる。海より現れた謎の女性に対し、警戒心を隠さない。
なにせ、女性は一切濡れておらず、微笑みながら日傘を差しているのだから。
腕に抱えられた聖杯も、警戒する理由の1つであった。
しかし、ジョナサンとアスタとは違って、レヴィはまるで女性を気にしていない。
のんきにドリンクを飲み干すと、そのままリラックスモードに入っていた。
「ちょっとレヴィ、気づいてないの!?」
アスタが声を上げるも、レヴィは相変わらず。ぐでっとしたまま、首を動かすのみ。
「あの人間のこと?」
「そうだよ! 明らかに普通じゃないじゃん」
「……まぁ、いいかなって」
「よくないよ!? 普通、人間は海から現れないよ!」
どれだけアスタが説得しても、レヴィは警戒態勢に入らない。金髪の女性が敵ではないと、きっと野生の勘で理解しているのだろう。
しかし、2人にとってはそうもいかない。
明らかに魔法の類を使える人間が、自分たちの前へと現れた。
敵か味方か、その判断は非常に重要である。
特に、ジョナサンにとっては、気になる点が他にも。
女性の抱えている”聖杯”と、胸元に見える”ネックレス”。
明確な魔力こそ感じないものの。王の指輪と同等か、”それ以上”の代物に感じられた。
そんな彼の様子を察してか、女性は微笑む。
「あら、これが気になりますか?」
「……」
美しきもの。美術品をこの上なく愛するジョナサンにとって、女性の手にする2つのアイテムは、非常に魅力的に思えた。
だがしかし、つい先日出会った、”美を体現したような少女”と比べると十分劣る代物のため、冷静さは失わない。
「ふふっ。飛行機で日本に向かっている途中で、ふと波動を感じ取ったので。”深海2000m”まで潜って、拾ってきましたの」
女性が、聖杯について説明するも、まるで理解できる内容ではなく。ただ、彼女が異常者であることだけが分かった。
得体の知れない脅威か、あるいは明確な敵か。
ジョナサンらが、相手の存在を測りかねていると。
金髪の女性は、何か思い出したような表情をし。
「あらあら、よく見てみれば。そちらの彼女は、”魔獣レヴィアタン”。そちらは、”天魔アスタロト”ではありませんか。……となると。そっちのハンサムさんが、ジョナサン・グレニスターになるのかしら」
その、発した一言に。
アスタとレヴィの表情、魔力が豹変する。
「お前、どうしてその名を知ってる!」
「……あなたとは、初対面のはず」
アスタは、まだ名乗っていない名前。ジョナサンにも隠していた”真名”を暴露され、激昂。
レヴィも、ようやく女性への警戒心を露わにした。
「あら、困ったわねぇ。……まさか、そんな怖い顔をされるなんて」
女性は、本当に困ったような顔をする。きっと、彼女もうっかりしていたのだろう。
言ってはいけないはずなのに、ついつい嬉しくて、相手の秘密を喋ってしまった。
「どうか、機嫌を直してくださいな。わたくしたち、きっと良いお友達になれると思いますの」
「……」
そう口にするも。やはり、ジョナサンたちの警戒心は解けず。
女性は少し悩むと、”ある一言”を口にした。
「――”どんな未来も認められる。それが過ちであると、気づくまでは”」
まるで、呪文のように。
あるいは、祈りのように。
ジョナサンにとっては、理解のできない言葉であったが。
アスタにとっては、違ったようで。
「……そん、な」
アスタの瞳が、白銀に輝き。
眼の前に立つ金髪の女性、その全てを見通した。
彼女が何者なのか、どうやって生きてきたのか。そしてなぜ、ここにやって来たのか。
その全てを、アスタの瞳は映し出し。
ただ静かに、”涙”を流す。
そんなアスタの様子に、金髪の女性は深く頭を下げた。
「どういうことだ。僕にも分かるように説明してくれ」
「……アスタ、泣いてる」
アスタに関しては、何かを悟ったようだが。
ジョナサンとレヴィは、まるで要領を得ていなかった。
「あら、そういえば。わたくしとしたことが、自己紹介がまだでしたわね」
気を取り直して、金髪の女性は柔和な微笑みを取り戻す。
「わたくしの名は、”リタ・ロンギヌス”。この世界で唯一、あなた方の味方となりうる人間ですわ」
月の魔女と呼ばれる存在が、人知れず彼らと出会い。
ソロモンの夜が、少しずつ歪み始める。
◆◇
「……はぁ」
「おや、どうかなさいましたか?」
いつも通りの夜。
夕食後、ともに風呂に入る、輝夜と影沢。
しかし、輝夜の表情はどこか暗く、小さなため息すら漏れていた。
輝夜が憂鬱なのは、とある理由。
「最近な。ちょっと、変な夢を見るんだよ」
「変な夢、ですか」
「ああ」
いわく、その夢は不思議なリアリティを持つという。
初めは、おぼろげな、ふわふわとした感覚が続くだけだったのだが。次第と輪郭がはっきりになり、”見知らぬ金髪の女性”という、決まった人物が登場する。
それだけなら、ただの不思議な夢として、自分の中で処理することが出来たのだが。
問題なのは、輝夜が”昨日見た夢”の内容であった。
「なんと、あのジョナサンとかいう変態と、仲間の悪魔まで夢に出てきたんだよ」
「それは、確かに困った話ですね」
夢に変態が出現する。
これが普通の女子高生であったなら、もはやトラウマものである。
「しかも、夢に出てくる金髪の女と喋ったりして、結構具体的な内容もあってだな」
「そこまで、鮮明な夢なんですか?」
「ああ。金髪の女は、突然海の中から出てきたもんだから。ジョナサンたちはビビってて。おまけに、アスタロトとか、レヴィアタンとか、あの悪魔たちの名前も呼んでて」
「それはそれは」
「”どんな未来もなんちゃら”とか。意味深なこと言って、最後に自己紹介して、そこで夢が終わったんだよ」
「……なるほど。もしかすると、ルナティック症候群の兆候でしょうか」
不思議な夢。悪夢と言えば、言わずと知れたルナティック症候群を思い浮かべる。
しかし、輝夜はそれを否定する。
「前に病院に行ったとき、検査結果は相変わらずのゼロだったから、ルナティックではないと思う。……もしかしたら、ジョナサンが変な呪いでも飛ばしてるんじゃないか?」
夢に彼らが出てきた以上、その可能性が出てきてしまう。
「とりあえず、龍一さんに報告しましょう」
「いや、それは嫌だ」
「え? なぜでしょう」
「……どうせあいつ。わたしの身が危険とか言って、病院とかに隔離しようとするだろ? そういうのは勘弁だ」
「確かに、その可能性はありますが……」
「だからひとまず、龍一には秘密にしてくれ。頼むよ、舞」
「もぅ、仕方がないですね」
輝夜と龍一。
どちらかの側につく場合、最近の影沢は悩まなかった。
「なら、どうしましょうか。今現在も、輝夜さんは妙な夢に悩んでいるんですよね?」
「まぁ、なんというか。悩むと言うほど、深刻な感じでもないというか」
確かに、奇妙な夢を見るものの。輝夜はそれを、”悪夢”とは捉えていなかった。
自分に害のある夢ではない。心のどこかで、何かと繋がっているような。
そんな、奇妙な夢。
「なるほど。……でしたら、ルナティック症候群への対処と同じように、別の夢で上書きするのはどうでしょう。ほら、朱雨さんや、皆さんがやっているように」
「あー。”夢データ”か」
ルナティック症候群に対する、ほぼ唯一の対処法。
脳インプラントを介して、悪夢を別の夢で上書きする技術のこと。
「でもわたし、夢データはバームクーヘンマンしか持ってないぞ?」
それはかつて、善人と一緒に買った、お試し用の夢データ。
「なら、朱雨さんに借りてみるのはどうでしょう。あの子も、病歴は長いので。夢データは、かなり所有しているはずですよ」
「あー。やっぱり、そうなるかぁ」
弟に借りる。
ただそれだけの話だが、輝夜は微妙な表情をする。
「何か問題でも?」
「いや。わたしがあいつに頼んで、素直に貸してくれるかな、と」
「……確かに」
素直にいかないのが、この姉弟の特徴である。
「輝夜さんも、朱雨さんも。どこか似た者同士と言いますか、お互いに反発し合っているので……」
「むぅ……」
昔は、そうでもなかったのだが。
今の紅月姉弟は、顔を合わせれば罵倒が飛び交うような仲である。
喧嘩するほど仲がいい、と言えなくはないが。
残念なことに、素直に物の貸し借りができるタイプの関係ではなかった。
「……う〜ん」
ブクブクと、湯船に半分沈みながら。
輝夜は悩み、考える。
とにかく考える。
考えに考え、悩みに悩み。
自分のプライドや、人としてのあれこれ。
そういったものを加味して、輝夜はようやく”決意”をした。
「……ふぅ。よし」
「輝夜さん?」
また何か、意地の悪いイタズラ、悪巧みでも思いついたのか。
そう考える影沢であったが。
今回の輝夜は、目の色が澄んでいた。
「決めたよ。これからわたしは、”優しい姉”として生きてみようと思う」
「か、輝夜さん?」
お風呂で、のぼせてしまったのだろうか。
しかし、そんな影沢の心配を他所に、輝夜は
「ほら、よく考えてみろ。確かに、わたしと朱雨は双子の姉弟だが、わたしのほうが精神的には年上だろう?」
「え、ええ」
影沢は一応、輝夜の前世というものを知っている。
「前世の分も含めれば、わたしの精神年齢は舞と同じくらいだ。つまり、朱雨のやつはずっと年下なんだよ、実は」
「は、はぁ」
「だからわたしも、年上の大人。いや、1人の姉として、自覚を持つべきだと思ってな」
「……なるほど」
なぜ今頃。
こんな状況で、その考えに至ったのか。
影沢は理解を諦めた。
「よし! 優しい姉として振る舞って、今日は夢データを借りるぞ」
こうして、紅月家に”優しいお姉ちゃん”が誕生した。
◆
コンコンと、輝夜は朱雨の部屋のドアをノックする。
いつもなら、問答無用でドアを開けるのだが。
今日から、輝夜は優しい姉であるため、しっかりとノックをした。
しかし、もう一度ノックをしても、さらにノックをしても、朱雨の部屋からは返事がなく。
「……」
静かなるイライラ。
思いっ切りドアを蹴破りたい衝動を抑えて、輝夜は深呼吸。
「は、入るぞー?」
一応の確認を取りながら、輝夜はゆっくりと部屋のドアを開けた。
部屋の中は電気が点いており。
そんな状況で、朱雨はベッドの上で瞳を閉じていた。
まだ、眠るような時間ではない。
ゆえに、ユグドラシルへのログインか、何かゲームでもやっているのだと予想する。
「うーん」
いつもの自分なら。朱雨が眠っている間に部屋を荒らしたり、ビンタの1つでも食らわせてやりたいところだが。
今日からは優しい姉なので、そんなことはしていられない。
この状況、この場合、普通に優しい姉なら、どうするべきなのか。
輝夜は、考えに考え。
「よいっしょ」
とりあえず、朱雨の眠っているベッドに腰掛けた。
「うむ」
もしも仮に、ユグドラシルにログインしている場合。現実からメッセージを送れば、向こう側にも届くはず。
それを思い出して、輝夜はメッセージを送ることに。
その内容も、悩みに悩んで。
『おーい、可愛い弟くん。ちょっと話があるから、ログアウトしてくれないかなー?』
そんなメッセージを送ると。
わずか一分足らずで、朱雨は現実世界へと戻ってきた。
そして、ベッドに座る輝夜を見て、表情が凍る。
「おおっ。おはよう、朱雨。邪魔して悪かったな。……わたしのお願い、ちょっと聞いてくれないか?」
「……」
見たことのない微笑み。
聞いたことのない優しい声に、朱雨の脳は停止する。
「ん? おーい、どうした? わたしの顔、どこか変か?」
「いや。顔というより、全てが変じゃないか?」
「……はぁ?」
いつもと違う輝夜の様子に、朱雨はただ困惑するばかりで。
仕方がないため。
輝夜は、”今日から自分が優しくなる”ことを説明した。
「いや、意味が分からん。というより、そういうキャラは似合ってないぞ」
「ふふっ、そんなこと言っても無駄だぞ? わたしも、大人だからな。お前が反抗的な態度をとっても、もう突っかかったりしない」
「……そうか」
いつまで、このモードが続くのかは知らないが。
下手なことを言って、”爆発”されるのも困るので、朱雨はひとまず納得することに。
「それで、お願いってなんだ?」
2人の話は本題へ。
悩める輝夜の、奇妙な夢のお話に。
◇
「ふんふーん♪」
自室のベッドでごろごろ。
輝夜はご機嫌な様子で、スマホの画面を眺めていた。
そんな彼女のスマホから。
電子精霊、ニャルラトホテプMk-Ⅱが飛び出してくる。
『にゃん? マスター、そんなご機嫌でどうしたにゃん?』
「ふふっ。ほら、朱雨がライブラリへのアクセス権をくれたんだよ。これで、今夜の夢は選びたい放題だ」
『にゃーん。つまり、脳インプラント/ドリームエディター対応の夢データにゃん?』
「ああ。わたしの予想通り、あいつ、めちゃくちゃ持ってたぞ?」
不思議な夢を見るため、夢データを貸してほしいとお願いしたところ。
朱雨は若干戸惑いながらも、自身の所有するデータの共有、ライブラリへのアクセス許可をしてくれた。
何か、”急いで作業”をしていたような気もするが。
輝夜は特に気にせず、ウキウキで朱雨の部屋に後にした。
「さーてと。どんな夢にしようかな〜」
輝夜は完全に、夢データを使って寝ることしか頭にない。
しかしマーク2には、何やら伝えたいことがあるようで。
『マスター。龍一からの伝言があるにゃん』
「んー?」
輝夜は、あまり話を聞いていない。
『魔王グレモリー、アモンとの間で共闘の話が上がり。グレモリー陣営の
「ふーん」
『そのうちの2名がマスターと同じ年代だから、マスターのいる学校に転入させることになったにゃん』
「ん〜」
『……聞いてるにゃん?』
「にゃー」
『なら良いにゃん!』
もちろん、心ここにあらず。
輝夜は、夢データを選ぶのに夢中になっていた。
そんな中で。
「んん!?」
輝夜は、”とんでもない夢データ”を発見してしまう。
【巨乳でクールなお姉ちゃんVol.17 〜クールだけど怖がりな姉と、お化け屋敷で二人っきり〜】
「……おぅ」
予想もしない物を見つけてしまい、言葉を失う輝夜。
もしも朱雨が一緒に居たら、どんな空気になっていただろう。
「17ってことは、シリーズ物か。……まぁ、あいつも男だから、こういう夢にも興味があるか」
今までの輝夜なら、
”お前、こんな性癖なのか?”
”ふふっ。これを周りに教えたら、どんな反応になるだろうなぁ”
”黙って欲しいなら、半年間お小遣いを渡してもらおうか”
余裕で、これくらいの脅迫をするのだが。
残念ながら、今の輝夜は”優しい姉”になると決意したばかり。
「くっ」
ウズウズする感情を押し殺して、弟の失態を見逃してあげることに。
だがしかし。
それはそれとして、見つけてしまったコレをどうするべきか。
タイトルを見るに。おそらく、シリーズ物なのだろう。
輝夜にアクセス権を渡す前に、何か急いで作業をしていたのは、これらのデータを消していたのかも知れない。
しかし、朱雨は1つだけ見落としをしてしまった。
【巨乳でクールなお姉ちゃん】
そんなタイトルを見て、輝夜は。
(あいつ、”巨乳”が好きなのかぁ……)
幸か不幸か。
”クールなお姉ちゃん”という部分ではなく、巨乳という部分にだけ注目していた。
(まぁ、巨乳か貧乳か、どっちかに偏るものだからな、うん)
優しい姉として、輝夜は何も見なかったことに。
弟が巨乳好きだったとしても、バカにしたりしない。
(......でも巨乳となると、栞は少しピンチかもなぁ)
そんな事を考えつつ。
輝夜は悩んだ末に、大人気ファンタジー系の夢を選び。
今日は、そのまま眠ることにした。
――ヤバッ
次の日。
巨乳でクールなお姉ちゃんの夢データは、ライブラリから消されていたという。
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