夜明け前






 汚れなき白亜の城を、1人の男が歩いている。



 羽根の散りそうな真っ黒な服に、微笑みを浮かべた表情。


 彼の名は、”アモン”。


 沈黙の魔王と呼ばれる存在であり、魔界の最下層で世界を支えているはずの男。

 そんな彼が、最下層とは関係のない場所を歩いていた。



 城にいる他の悪魔たちに気付かれず。

 彼がやって来たのは、場内にある”庭園”。


 そこは、非常に美しい場所であった。


 魔界の植物だけでなく、本来なら生息できない人間界の植物まで。完璧な制御によって保たれた、”女王の庭”。




「……む。来たか」


「お邪魔してるよ」




 真っ赤な髪をなびかせる、鋭い瞳をした美女。


 彼女の名は、”グレモリー”。

 魔界、第56層を支配する魔王にして、この城の主である。


 彼女と密会をするために、アモンはここまでやって来た。




「ふむ。分身体とはいえ、会うのは初めてだな。想像よりも、だいぶ整った顔立ちだ」


「ふふっ。そういう君こそ、噂に違わぬ美しさだ」




 アモンは、物理的に魔界を支える存在である。ゆえに動くことができず、何か重要な事があれば、このように分身体を送り出していた。


 魔王アモンと、魔王グレモリー。

 ともに、世界を憂う者同士、秘密の会話が交わされる。


 美しい庭園に、彼らは二人きり。




「何か、茶菓子でも出そうと思ったが。今のお前は飲食ができるのか?」


「いいや。この分身体は、維持するだけでもギリギリでね。正直、ここ10年以上は何も食べてないんだ」


「……そうか。魔界に生きる者として、お前には感謝してもし切れないな」




 今この瞬間も、アモンの本体は魔界を、光の柱を支え続けている。彼という存在が居なければ、魔界は成立していないだろう。

 魔王であろうと、下級悪魔だろうと、それは等しく変わらない。




「大半の悪魔は、お前の苦労すら知らぬというのに」


「その方がいいのさ。”実は魔界は崩壊寸前で、1人の悪魔がそれを食い止めている”。なんて知ったら、それこそ悪魔たちは、本気で人間界を欲しがるだろう?」


「そうだな。そうなったら、全てがアガレスの思うがままになってしまう」




 魔界は、悪魔は、”1つの考え”に纏まっているわけではない。

 魔王アガレスのように、地上を手に入れようとする悪魔もいれば。

 アモンやグレモリーのように、別の道を探す者たちもいる。

 ゆえに、彼らは慎重に行動する必要があった。




「まぁ、魔界の崩壊は、しばらくは大丈夫だと思ってくれ。僕も、”それなりに”強い悪魔だからね」


「それなりとは、随分と謙遜をする。……72、いや、現存する68の階層を物理的に支えるなど、他の魔王にも真似できまい」


「そうかな? 例のバルバトスとかなら、可能な気もするけど」


「……あれは、我々魔王の中でも”怪物”だぞ? それと比較できる時点で、お前も規格外ということだ」




 現存する魔界は、全部で68層。つまり、魔界には68人の魔王がいることになる。

 グレモリー自身も、その中では”上位の部類”だと自覚しているが。やはり、中でもバルバトスは別格であった。


 アモンと、バルバトス。双方が自由な条件で戦った場合、勝つのはどちらか。それは誰にも分からないだろう。

 もっとも。魔界の崩壊を根本から解決しない限り、アモンは動けないのだが。




「そういえば。お前は日本の少女に、保有していた遺物レリックを託したらしいな。それほどの逸材なのか? その少女というのは」


「……そうだね。”問題点”は、非常に多い人間だけど。それ以上に、”輝く何か”を持っている。まぁ、そんなところかな」


「……なるほど」




 要するにアモンは、未来を託すべき人間を見つけたということ。

 その事実を本人の口から聞けて、グレモリーも心の底から安堵する。




「”アルマデル・オンライン”を作ったのは、無駄ではなかったということか」




 彼女、グレモリーこそ、あの仮想空間を生み出した張本人であった。




「そういえば、”ウヴァル”くんと会ったよ」


「ああ、聞いている。ちょうどわたし達も、ゲーム内で”訓練”している最中だったからな」




 それは、アルマデル・オンラインでの出来事。

 アモンは、グレモリーの部下とも呼べる悪魔、ウヴァルと出会い。

 そしてグレモリーは偶然にも、”アモンの希望スカーレット・ムーン”と出会っていた。




「ふふっ。まさか魔王である君が、人間に召喚されるなんてね」


「まったく、困った話だ。ソロモンの夜だか知らんが、迷惑にもほどがある」




 そう。魔王であるグレモリーも、現在”とある人間”に呼び出され、人間界での戦いに巻き込まれていた。

 輝夜たちでも、ジョナサンでもない。”第3の勢力”に属する人間に。




「わたしを呼んだ人間も、奇遇なことに”少女”でな。……確か、16歳とか言っていたか」


「へぇ、それはそれは。僕が希望を託した彼女と、同い年じゃないかい?」




 アモンの選んだ輝夜と、グレモリーを召喚した人間。その二人は、奇遇にも同じ年代の少女であった。




「正直、なぜわたしを呼べたんだと言うほど、平凡で戦う才能のない奴だが。どうやら、”バルタの騎士”と呼ばれる存在の末裔らしい」


「あぁ。そういえば、ウヴァルくんもそんな事を言っていたね」



 アモンは、少し前の記憶を思い出す。



「バルタの騎士。魔界では聞かぬ名前だが。”1400年ほど昔”に、人間界で活動していた団体らしい。……悪魔の力を悪用する権力者から、王の指輪、遺物レリックを奪っていた。というのが、わたしの聞いた話だ」


「へぇ」



 興味深い話と、アモンは微笑む。



「1400年前ともなれば、当時を知る悪魔も皆無だろう。”1000年前の厄災”を生き延びた者ともなれば、その存在も限られる」




 ”厄災”。




 それは、現在の魔界を説明する上で、避けては通れない出来事。


 なぜなら、1000年前に起きたその厄災によって、悪魔は一度、”絶滅”の危機に貧しているのだから。


 どんな悪魔であろうと関係ない。

 厄災は、平等で、絶対的な存在であり。当時の魔王72柱を全滅させ、悪魔の総人口を激減させた。


 それゆえ、厄災以前の歴史。1000年以上昔の記録は失われてしまった。

 現在の魔界は、厄災後に築かれたものであり。現に、魔王であるグレモリーも、1000年以上昔の情報はほとんど持っていなかった。




「噂によると、アガレスは厄災を生き延びた悪魔らしいが。……お前も、そうなのだろう?」


「……」




 グレモリーの問いに、アモンは沈黙。

 それはつまり、”肯定”に等しかった。




「そうだね。確かに僕は、3000年前に生み出された、”第1世代の悪魔”だけど。ご存知の通り、ずっと魔界の最下層で引きこもりをしていてね。1400年前に活動していたバルタの騎士も、1000年前の厄災も、正直よく知らないんだ」




 アモンという男は、この魔界が成立した当初から、ずっと最下層で暮らしていた。

 ゆえに、人間界の情報などほとんど知らず。

 悪魔を絶滅寸前まで追い込んだ厄災にも、彼は気づいてすらいなかった。




「まぁ。ほとんどの知り合いが、ここ1000年くらい音沙汰なしだから。たぶん、よほどの厄災だったんだろうね」




 最下層に引きこもっていたからこそ、彼はその厄災から生き延びることができた。

 ”無関係”で、いることができた。




「1000年前の厄災で、我々悪魔の歴史は途切れた。本来なら、その数少ない生き残りが、失われた歴史を伝えていくべきだと思うのだが」


「それって、もしかして僕?」


「いや、お前もその1人かも知れんが。......もしも、魔王アガレスがその生き残りであれば、奴のほうが重罪だろう。なぜならお前と違い、”現役”として、今の魔界に関わっているのだからな」




 失われた、厄災以前の歴史。今現在、悪魔が再び繁栄できたということは、その生き残りが子孫を残してきたということ。

 しかし生き残りの悪魔たちは、”厄災の正体”を含め、多くの情報を放棄してしまった。


 72柱の魔王を下し、9割超の悪魔を殺戮した厄災。たとえ生き残ったとしても、その”恐怖”は消えず。だから当時の悪魔たちは、あえて何も伝えなかったのだろう。


 厄災から、1000年経った現在。

 当時の生き残りたちは、どれほど残っているのか。




「わたしも、現在の魔王の中では、それなりの識者であると自覚している。だが、生まれる以前の情報というのは、どうしても手に入り辛くてな」




 グレモリーには、多くの疑問があった。



 1000年前、魔界を滅ぼしかけた”厄災”とは何なのか。


 2000年前、なぜ悪魔は地上から”追放”されたのか。


 3000年前、始まりの悪魔たちを”誕生”させたのは何者か。



 魔界文明を発展させた天才、ニャルラトホテプですら辿り着けなかった、悪魔という種の起源。

 眼の前にいる男。アモンは、その答えを知る数少ない存在であった。




「……そうだね」




 彼は多くを語らない。基本的に人見知りで、友達の数も非常に少ない。だから、2000年近い時間を、たった1人で過ごしてきた。


 だがしかし、今は時代の変革期。

 彼も、いつまでも沈黙したままではいられない。




「1000年前の厄災は、そもそも対峙してないから分からない。後になって、”あぁ、そんな事があったんだって”、知ったくらいだからね」




 アモンは、1000年前の厄災を知らない。




「2000年前、どうして僕たちが地上で住めなくなったのか。正直、それも原因はよく分からなくてね。……ある日突然、”月が真っ赤に染まって”、僕たち悪魔は、地上で生きられなくなった」




 2000年前の追放は、ただ世界に流されただけ。




「そして、3000年前、僕たち悪魔がどうやって生み出されたのか。――その答えは、”ソロモンの夜”を越えた先にあるだろう」




 3000年前の誕生は、彼にとっても特別な”記憶”であった。




「……どういう、ことだ。なぜ、我々悪魔の起源と、”いま起きている事件”に関係がある?」




 グレモリーには、理解ができない。


 ”ソロモン”という名前と、悪魔の起源に関連性を感じない。


 この世界の歴史に、その人間の名前は残されていないのだから。





「――3000年前のある日。僕は、”人間から悪魔に”変えられたんだ。ソロモンという、1人の王によってね」





 それは、人類史から抹消された、”黄金の時代”。


 ソロモンの夜は、遠い過去からやって来た。










◆◇










 ただ、ずっと眠っていたい。

 沈み続けていたい。



 そんな感覚の中で、”紅月輝夜”は目を覚ました。



 本来なら、きっともっと、眠っていたのだろう。

 しかし、輝夜が目を覚ましてしまった理由は、おもに2つほど。



 1つは、いつもとベッドが違うから。

 ここは、どこかのホテルだろうか。

 知らない環境、いつもより質の悪いベッドが、輝夜の眠りを浅くした。



 そして、2つ目の理由。



 彼女はきっと、ずっとそこに居たのだろう。



 ”竜宮桜”が、ベッドに寄りかかったまま眠っていた。




 今は、何時くらいだろうと。

 枕元のボタンを触って、輝夜は部屋の電気を付けてみる。


 すると、桜の顔がよく見えるようになり。

 くっきりとした、”涙の跡”が明らかになる。




「……」




 心配をかけてしまった、という感情よりも。

 自分のために泣いてくれていた。という嬉しみが、輝夜の中で勝った。




(なぁ。わたしが倒れてから、どうなった?)




 心の中で、”枕元のイヤリング”に問いかけると。

 契約する悪魔の声が聞こえてくる。




『おはよう、輝夜。あなたの言葉に従って、ヤクザの持っていた指輪は全て回収したわ』


(……そうか。で、今は誰が管理してる?)




 言葉を交わすのは、ドロシー・バルバトス。




『集めた指輪は、全てあなたのイヤリングに”合成”したわ。重さは変わらないけど、力はかなり強まってるはず』


(......なるほど)




 不動連合。その幹部残党が持っていた指輪は、全て輝夜の手中に。つまり、彼らが”真の意味”で力を失ったということ。

 指輪抜きでも、魔力を扱える構成員はまだ残っているだろうが。遺物レリックが無い以上、この先、戦力を増やすことはできない。


 今後、多少日本は荒れるだろうが。

 不動連合、この国の癌であるヤクザは、衰退の道を歩むしかない。


 ただその事実を、輝夜が認識していると。




「……かぐち?」




 輝夜の起床につられてか、桜が目を覚ましてしまった。

 目元を赤く腫らして、とても酷い顔である。




「お前、風呂とか入ってないのか?」


「……うん。離れたく、なかったから」


「……そう、か」




 どうやら輝夜も、まだ寝ぼけていたらしい。

 ”ずっと手を握られていた”ことに、今さらになって気づいた。



 夜明け前の、薄暗い部屋。

 沈黙が、少しだけ胸に刺さる。




「……ねぇ、かぐち。わたしみたいのが、ほんと、なに言ってるんだろって話だけど」




 手をギュッと握ったまま、桜は感情を表に出す。




「わたしも、手伝えないかな?」


「……手伝う?」




 輝夜は首を傾げる。




「うん。ほら、あの金髪の男とか、いつか戦う日が来るんでしょ? 昨日は、頭に血が上って、凄くバカなことしちゃったけど。……でも、こんなわたしでも、”輝夜の力”になれるなら」




 不動連合が有していた遺物レリック。その大半はジョナサンが奪い去り、僅かに残った指輪も、輝夜の悪魔たちが回収した。

 ジョナサンが、全ての遺物レリックを集めるというのなら。否応にも、決戦の日は訪れるだろう。




 つい昨日、輝夜は知った。


 ごく普通の人間でも、”ただの少女”でも。

 負けられない強い意志を持てば、強大な敵に立ち向かえるのだと。


 輝夜は、目の当たりにした。

 ゆえに、バカなこととは言えない





「......そうだな。とりあえず、特訓とかして。――あと、悪魔も召喚しないとな」





 ジョナサン・グレニスターは、今回を前哨戦だと言っていた。輝夜がイヤリングを持ち続ける限り、アモンとの約束を守り続ける限り、決戦は避けられないだろう。


 だからこそ、絶対に負けられないと。

 竜宮桜の、その手を借りることを決意する。





「……あと、シャワー浴びたい。髪の毛洗うの、手伝ってくれ」





 何はともあれ、夜明けはもうすぐ。





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