王を継ぐ者
日本で最も安全な街、姫乃にジェット機が襲来し、1人の少年が誘拐され。その姉が、自らの父親と揉めていた頃。
不動連合の総本山、紅月不動の屋敷では。
庭に着陸したジェット機から、神崎と2人の部下に連れられた”朱雨”が降りてくる。
すると、それを出迎えるかのように、屋敷の方には一人の老人が立っていた。
老人の側には、神崎と同じ幹部クラスの3人が並んでいる。
朱雨を連れ出した2人の部下が消え。その場に残されたのは、4人の幹部に囲まれた老人、紅月不動と、朱雨のみ。
「お前さんが、龍一の息子かい?」
「てことは、あんたが俺の爺ちゃんか」
天下の不動連合会長に対し、物怖じしない言動。ただし、この場でそれを咎める者は居ない。
なぜなら朱雨には、その権利があるのだから。
不動は、ニッコリと笑った。
「おうよ。ははっ、肝の据わった顔つきは、親父譲りだな」
「そんなに似てないんじゃないか」
「いやいや、ちゃんと面影があるぜ。……だろ? コバ」
「確かに。若い頃の龍一さんと、よく似ていますね」
不動の言葉に、サングラスを掛けた幹部、”小早川”が反応する。どうやら、神崎などの若い者は除いて、年配の幹部は龍一とも面識があるらしい。
とりあえず、いきなり殺されることはなさそうだと、朱雨は一安心する。
「それで、俺をここまで連れ出した理由はなんだ? 輝夜も後から連れてくるのか?」
「あぁ? かぐやってのは、なんだ?」
「……」
(輝夜を、知らないのか)
徹底された情報管理。父親の手腕に、朱雨は思わず感心する。
「……輝夜ってのは、うちの”使用人”のことだよ。親父は、ほとんど家に帰ってこないからな。まぁ、輝夜は正直どうでもいい」
朱雨は不自然なく、輝夜を使用人という形で誤魔化した。
どうやら、彼らもそこには引っかからなかった模様。
「おいおい、マジかよ。龍一のやつ、ちゃんと父親やってんのか?」
「ぼちぼち、ってところかな。親父が忙しいのは知ってるだろ?」
「まぁな。そのおかげで、お前さんの顔を見るだけでも、こんだけ苦労しちまったよ」
なにせ姫乃は、地上でも有数の要塞都市である。街の外壁が巨大な壁に覆われ、悪魔による魔術的転移も基本的に許さない。また、最新兵器による防衛システム、防衛部隊も存在し、よほどの下準備がなければ誘拐などままならない。
今回も、神崎が乗っていなかったらジェット機が撃墜される危険もあったであろう。
「俺も、もう老い先短い身だからな。死ぬ前に、孫の顔くらい見たかったのさ」
「なるほど、な」
そう言いつつも、紅月不動という老人は元気そうに見えた。
”それ以外の理由”があるのは、明白である。
「で、俺からスマホを取り上げた理由はなんだ? 連絡されたら、なにか都合が悪いのか?」
「おうよ。お前さんが無事だって、龍一に悟られたら困るからな」
「……まさか、親父をここに呼び寄せたいのか?」
「ははっ。頭も回るとなると、こいつは将来が楽しみだな」
孫との初対面、初めての会話に、不動は笑い。
そのまま屋敷へと入っていく。
すると、朱雨を連れ出した若い長髪の幹部、”神崎”が深く頭を下げた。
「では、改めて。ようこそ、朱雨お坊ちゃま。ここが不動連合の総本山、紅月家にございます。どうか、ご自分の実家と思って、リラックスしてお過ごしください」
こうして朱雨は、孫として屋敷に招かれた。
◆
そこは、とても悲惨な現場であった。
海外からの旅行客も宿泊する、日本でも随一の有名ホテル。だがしかし、今そこにあるのは、粉々になった瓦礫の山。
幸いにも、旅行客は全員避難していたため、一般人の死傷者は皆無。
ゆえに、瓦礫の山に埋もれた死体は、全て”その筋の者”ということになる。
そんな、崩壊したホテル、瓦礫の上に、”ジョナサン・グレニスター”は佇んでいた。
怒りでもない、悲しみでもない、哀れみを微かに含んだ表情で。
「……美しくないな」
誰かに聞かせるように、ジョナサンは言葉を口ずさむ。
「君が、最後の一人かい?」
「おっと。よしてくれ、俺が戦闘員に見えるか?」
瓦礫の山をかき分けて、1人の男がジョナサンのもとへとやって来る。
年齢は40代半ばほど。”黄金の指輪”を身に着けた、スーツ姿の男である。
「……そうだな。どちらかというと、戦闘よりも裏でコソコソするのが上手そうだ」
不動連合の幹部。だがしかし、武闘派ではないと、ジョナサンはひと目で見極めた。
「へへっ。お見通しってわけか」
男は笑う。
「それにしても、とんでもないな、あんた。ホテルをまるごと巻き込んだ総攻撃だってのに、まさかの無傷だとはな。こちとら、幹部を含めて全滅だ」
「ソロモンの夜で、こちらの位置情報がダダ漏れなのは理解している。何の警戒もせずに、ホテルに泊まるわけがないだろう」
「いいや。だとしても、これだけの攻撃だぜ? まさか、ホテルをぶっ壊しても、人間一人を殺せないなんてな」
沖縄から徐々に北上し、各地の連合傘下の組織を襲い、力の象徴である
ジョナサン・グレニスターに対し、不動連合は本気で討伐作戦を決行していた。
各地の幹部が自ら先頭に立ち、”力を持つ戦闘員”、総勢100名ほどを集めた大作戦。不動連合の長い歴史の中でも、過去最大規模の戦力を集めたのだが。
その結果が、この死体と瓦礫の山である。
「僕一人の力じゃない。あれだけの攻撃に耐えるには、流石に”仲間”の力も必要だった」
「ッ」
ジョナサンが身に着ける、大量の
幹部の男は、そのプレッシャーに冷や汗をかく。
「俺の名は”霧島”。あんたを狙う連中、不動連合の幹部だ」
「……それで、どうして君はここに?」
なぜ、他の構成員と違い、戦いに参加しなかったのか。
なぜ、全てが終わった後にやって来たのか。
「俺はあんたの手助けがしたいのさ。あんたの目的は分かってるぜ? 俺たち幹部の持つ、この指輪を集めてるんだろ」
「その通りだが。……まさか、それを渡す代わりに無傷で逃してくれ、なんて言うわけじゃないだろうな」
「いやいや、それじゃ流石に馬鹿すぎる。俺はもっと、あんたの役に立てると思うぜ」
「……」
霧島の話を、ジョナサンは黙って聞くことを選択する。
「日本全国を回って、こんな小さな指輪を集めていくのも大変だろう? だからどうだい。ちょっくら俺と手を組めば、”まとめて手に入るチャンス”が手に入るぜ」
「それで、君の要求は?」
「そうだなぁ。あんたが殺す奴と、生かす奴。そいつを、俺の都合の良いように見繕ってくれねぇか?」
「……つまり。僕の手で組織が崩壊した後、君がその後を継ぎたい、というわけか」
「まぁ、平たく言うとそうなるな」
この戦いで、霧島という男は予感していた。
長きに渡って日本を支配してきた、天下の不動連合。それが、たった1人の外国人によって滅ぼされる未来を。
「しかし、そう上手く事を運べるのか? このアプリ、ソロモンの夜のことは、君たちも知っているだろう?」
「ああ。まぁ、そこんところは任せてくれ。月の呪いすら跳ね除ける、ちょっとした”お宝”を持っててね。そいつを使えば、あんたの持つ
「……なるほど。ただの馬鹿ではないらしいな」
「ッ」
霧島との話を終え、ジョナサンは歩き出す。
ただ、それだけだというのに、霧島は鳥肌が止まらなかった。
ジョナサンの纏う雰囲気。不動連合会長、紅月不動にも似た王者の風格。
それを、間近で感じたのだから。
(どのみち、しくじったら死ぬだけだ)
この戦い、勝敗が決する事は決まっている。
その後に生き残るのは、不動連合か、このジョナサンという男か。
霧島は震えながらも、目の前の男に賭けてみることにした。
「……その震えは、恐怖によるものか?」
「へへっ。そりゃまぁ、あんたに狙われたら、俺の命なんか1秒でお陀仏だからな」
気が変わって、その力を向けられでもしたら。
王者の前に、凡人など塵と化すだろう。
「もしも心配なら。一つだけ、はっきりと言っておこう。――僕は、”裏切り”という行為を嫌悪する」
「へ、へへっ。そいつは、何とも頼もしい言葉だねぇ」
「……」
霧島という男は、”彼の言葉の意味”を履き違えていた。
ジョナサン・グレニスター。
彼が歩むのは、美しき王道なのだから。
◆
「流石は天下の不動連合。随分と、羽振りが良いんだな」
連れ去られたその日の夕食時、朱雨は屋敷で盛大なおもてなしを受けていた。
大きな部屋で食事を取るのは、この屋敷の主である不動と、孫の朱雨。そして、不動の側近である4人の幹部メンバーたち。
彼らの前には豪勢な食事が並べられており、朱雨もそれに口をつける。
「今日は、特別な日ですから」
側近の1人、神崎が答える。それほど不動は、孫である朱雨に会いたかったのだろう。
「そもそも俺は、親戚が居ることも知らなかったからな」
料理をつまみながら、朱雨がつぶやく。
(……にしても。ここまで隠すか? 普通)
もしも、ここで輝夜という姉の存在を話に出したら、きっと面倒くさいことになるだろうと。朱雨は黙っておくことを決意した。
「朱雨お坊ちゃま、デザートのお好みは? ケーキやジェラートなど、多数の用意がありますが」
神崎が尋ねる。
「そういうのは好きじゃない。どっちかというと、和菓子が好みだな」
「ほぅ。そこは龍一と違うんだな。あいつなんて、昔っからアイス三昧だったぜ?」
「……そんな趣味、初耳だな」
「へへっ。あいつも、そういうのを隠してんだな」
孫との普通の会話に、不動はご満悦。
「爺ちゃんは、どっち派なんだ?」
「俺も、もちろん和菓子だな。特に栗まんじゅうとかよ」
「俺は大福だな」
「おう、大福か! よし神崎、もってこい」
「かしこまりました」
神崎が、立ち上がろうとするものの。
「いや、大丈夫だ」
そう言って、朱雨はポケットから”大福”を取り出した。
いつも食べている、お気に入りの製品である。
そんな彼の奇行に、周囲は驚いた。
「お前さん、そんなに大福が好きなのか?」
「まぁ……」
朱雨にとって、大福は特別な物。
単純に食べ物として好きなのもあるが。”大切な家族”との、最初の思い出がそこにある。
だから朱雨は、常に大福を持ち歩いていた。
◇
雲に覆われた、月の無い夜空。
その下で、朱雨と不動は佇んでいた。
「今日は月が見えなくて、いい夜だな」
「爺ちゃんも、ルナティックなのか?」
「一応な。寝る時は、なんちゃらキャンセラーってのを使ってるぜ」
「そうか」
20年前を境に、人類を蝕み始めた月の呪い。それは、老若男女関係なかった。
「朱雨ぼう、お前さんもか?」
「ああ」
「なら、神崎にパソコンを用意させとくよ。アダプターってのは持ってんのかい?」
「……」
朱雨は、首にかけたUSB付きのネックレスを取り出した。
「ほぅ。若いやつはそうやって持ち運んでんのかい」
「姫乃だと、盗まれる心配もないからな」
同じ日本という国でも、”姫乃”と”それ以外”では、治安も何もかもが違っている。
悪魔の出現に、恐ろしい力を持ったヤクザ。その脅威に晒されるだけで、人の心も荒んでいく。
もしかしたら、”その元凶の一つ”は、この紅月不動という男なのかも知れない。
(ったく、うちの家系はどうなってるんだ?)
父親は、世界的な対悪魔機関の支部長。そして祖父は、日本を牛耳るヤクザの王。
そんな家系に生まれていながら、自分も姉も”普通の生活”を送れている。
朱雨は、父親である龍一の苦労を悟った。
染まってはいけない。
触れる必要のない世界がある。
だがしかし。一度知ってしまっては、もう後戻りはできなかった。
なぜなら朱雨は、”それ”をずっと追い求めていたのだから。
――オレが、しっかりしないと。
守ると決意した、あの時から。
「なぁ、爺ちゃん。どうしてヤクザって、あんな凄い力を持ってるんだ?」
朱雨は自らの意思で、その世界へと足を踏み入れる。
「へへっ。やっぱり、気になるかい?」
孫に尋ねられては、天下のヤクザも黙ってはいられない。
不動は嬉々として、力の秘密を説明し始めた。
不動連合、初代会長から受け継がれてきた、黄金の指輪。それを身に着けることが、超人へと変異する方法であると。
不動の手には、左右一つずつの指輪がはめられていた。
「その指輪。まさか、親父と同じの?」
「あー。正確に言うと、あいつは俺から奪っていったんだよ、勝手にな」
不動連合に代々伝わる、王の指輪。
その大半は溶かされ、純度を落とすことで数を増やし、全国の幹部の手に渡っている。
純度の低い指輪は、悪魔を使役する力を持たない。完全なる機能を持つのは、会長である不動の持つ物だけだろう。
しかし、片方は龍一の手に渡り、今はそれを隠すために、ダミーの指輪がはめられていた。
(……そういうカラクリだったのか)
特別とされる父の存在と、同様の力を持つヤクザたち。朱雨の中で、様々な合点がいった。
「なぁ爺ちゃん。その指輪、ちょっと貸してくれないか?」
「はぁ? いやいや、こいつは玩具じゃねぇというか、洒落にならねぇというか」
「……貸してくれないなら、俺はもう帰るぞ」
朱雨のその言葉に、不動はギョッとする。
「待ってくれよ、朱雨ぼう。ほら貸すから、もうちょっと居てくれや」
完全に、孫に逆らえないお爺ちゃんである。
ダミーではない、本物の
朱雨はそれを、自らの指にはめた。
正式な譲渡であろうと、少し貸しただけであろうと。
ソロモンの夜はその機微までは認識できず。
アプリ内における
そこから不動の名前が消失し、代わりに紅月朱雨の名前が新たに刻まれた。
ただ、確かに。これが”引き金”となった。
◇
「会長、よろしいでしょうか」
「おう? どうした」
朱雨に指輪を渡した少し後。不動のもとに、側近である神崎がやって来る。
不動と神崎は、”そちら側の話”をするものの。
朱雨には関係がないことなので、少し離れた場所で指輪をはめた右手を見つめていた。
――霧島が?
――ええ。多くの犠牲が出たものの、討伐に成功したと。
どうやら、かなり真剣な話をしているようだが。
朱雨には関係なく、ただ静かに、”指輪の力”を感じ取る。
――じゃあ、幹部連中を集めねぇとな。
――幸い、戦いに備えて、みな集まっては居たので。集会は明日にでも。
止まっていた時間が、動き出したかのように。
燃えるような運命が、始まったように。
朱雨は”それ”を、理解する。
「――なぁ、爺ちゃん。その人とうちの親父、どっちが強いんだ?」
朱雨に、そう尋ねられ。不動と神崎の二人は、何とも言えない表情をする。
「まぁ、なんだ。あんまり言いたくはねぇが、たぶん龍一のほうが強いんじゃねぇか?」
「……だ、そうです」
二人とも、認めたくはないものの。
指輪の片割れを取り返せないのは、それを持つ龍一の強さによるものが大きかった。
だからこうして、息子である朱雨を使って、誘き寄せようとしている。
実際に龍一の実力を知らないため、神崎の方は不服そうだが。
「なんだ、朱雨ぼう。お前さんも強くなりてぇのか?」
「まぁ、そうだな。そういう不思議な力には、俺も興味がある」
「なら神崎。お前さん、ちょいと稽古をつけてやってくれ」
「ええ、構いませんが」
薄々気づいてはいた、自分の知らない世界。どれだけ自力で調べても、辿り着けなかった力。そしていつの間にか、姉が手にしていた力。
それへと至る道が、いま自分の手の中にある。
「頼む」
拒む理由は、微塵もなかった。
月明かりのない夜空の下、屋敷の庭で。
指輪を手にした朱雨と、神崎が向かい合う。
「朱雨お坊っちゃま。なにか、武術を習った経験は?」
「いや、ほとんどない。小学校の頃、近所の空手教室に通ってたくらいだな」
「なるほど」
つまりは、ほとんど素人と。神崎は朱雨の実力をある程度把握する。
「では、お好きに攻撃をしてきてください。わたしは、幹部の中でも強い方なので、遠慮はいりませんよ」
力を持つ、不動連合の幹部。その中でも神崎は、会長に継ぐほどの実力を有している。
その力の一端は、姫乃でも見ることができた。
朱雨は拳を構える。
「朱雨ぼう、怪我には気をつけろよ!」
そんな彼らの様子を、不動は遠目に観察していた。
「才能があれば、一週間くらいで目覚めるもんだが。才能がねぇと、マジで何ヶ月も必要だからな。指輪をちょっとはめた程度じゃ、力は手に入らねぇぞ」
響く、不動の声。
しかし朱雨は、すでに”入っていた”。
空気が、音が。遠く、近く。
自分の奥底にある”何か”が、目覚めるような、広がるような。
握りしめた拳に、”真っ赤なオーラ”が纏い始める。
「……朱雨、さん?」
忘れてはいけない。
姉の輝夜がそうであったように、彼も”紅月の系譜”を継ぐ者なのだから。
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