初めての旅
『先日、兵庫県で発生した○○ホテル崩壊事件に関する続報です。警察はこれを、悪魔と不動連合の組員によるものとしていましたが、調査によると悪魔の姿は確認されておらず――』
テレビから流れてくるニュースを眺めながら、彼はため息を吐く。
「今まで、無視を続けていたのは確かだが。まさか、こんな時期に、こんな方法で接触してくるとはな」
ロンギヌス日本支部長官にして、輝夜と朱雨の父。”紅月龍一”は、紅月家のリビングに居た。
この家に帰ってくるのは、一体何年ぶりであろう。輝夜がこの家で暮らし始めるまでは、確かに龍一もこの家で暮らしていた。だがしかし、”その関係性”をなるべく隠そうと、龍一はこの家を去った。
それゆえ、今この家に住んでいるのは、輝夜と朱雨の姉弟と、使用人である”影沢舞”のみ。
「朱雨さんは、無事なんですね」
龍一と対話する形で、影沢もリビングの椅子に座っている。
「ああ。ウルフ、俺の部下の話を聞くに、朱雨を拐ったのは不動連合、”会長の側近”だ。ならあれは、会長直々の命令ということになる。十中八九、朱雨に危害は加えられないだろう」
「……まさか。龍一さんのお父上が、あの不動連合の会長だったとは。長年ともに過ごしたわたしでも、流石に驚きました」
「まぁ。かれこれ20年近く、関係を絶っていたからな」
龍一は遠い日の記憶を思い出す。
それは、彼が大学を卒業したばかりの頃。普通の人間なら、社会人として様々な道を歩むことになるのだが、龍一の場合は違った。
彼の父は、”紅月不動”。天下の不動連合、その3代目会長である。紅月不動は、息子である龍一を不動連合の4代目会長に据えようと考えていた。
「俺も子供の頃は、強い父親や、その仲間が格好良く見えていたが。”それ以外の人間”に触れるたびに、憧れは嫌悪感へと変わっていってな」
ゆえに、指輪を受け継いだあの日。龍一は父親をぶん殴って、海外へと逃亡した。
日本では、不動連合の手から逃れる術がないため、龍一の海外渡航は必然であった。
「なるほど。それが、”徒歩での世界一周”の、真相ですか」
「ああ。貨物船のコンテナに忍び込んで、身一つでアメリカに渡り。俺はあてもなく歩き続け、やがて”フォックス・シティ”に辿り着いた」
「……それが、わたし達の出会いでしたね」
「……ああ。歩美と舞、ダニーとも、あの街で出会ったな」
日本から、不動連合から、父親から逃げて、龍一はアメリカの地方都市、フォックス・シティへと。
後に彼の妻となる、”
「あの頃は、タマモさんも居ましたね」
「そうだな。俺が、初めて召喚した悪魔だ」
今は亡き、”タマモ・ニャルラトホテプ”。魔界と人間界に多くをもたらした天才悪魔が、龍一の最初のパートナーであった。
地上を狙う、とある魔王の策略と。真っ赤な霧に覆われた街。そこに偶然居合わせた龍一によって、後にフォックス事件と呼ばれる戦いは解決した。
それこそが、”伝説”。紅月龍一の始まりの物語である。
「前々から、様々な手段で連絡は来ていた。跡を継がないなら指輪を返せ、結婚したなら相手を紹介しろ、孫の顔を見せてくれ、みたいな感じでな。だが、ロンギヌスの幹部である俺と、不動連合の会長が密接な関係にあるとなると、世間的な都合も悪いからな」
もしも、龍一が現在のポジションに就いていなければ、もっと別の未来があったのかも知れないが。
現実での立場は、ロンギヌス日本支部の”長官”と、不動連合の”会長”である。親子であることを、表立ってアピールすることできない。ましてや、こちらには”輝夜という爆弾”も抱えている。それゆえ、ずっと無視を続けていたのだが。
よりにもよってこんな時期に、紅月不動は動いてしまった。
「俺を動かせないなら、動かざるを得ない状況にさせる。おそらく、向こうはそう考えているんだろう」
「もちろん、対策はお考えですよね」
「当然だ。先に伝えておくが、ウルフという俺の部下と協力して、お前には朱雨の奪還を頼みたい」
「わたしと、その人の二人で、ですか?」
「ああ。今回の誘拐に、ロンギヌスを絡ませるわけにはいかないからな。俺が本当に信頼できる仲間は、お前とウルフの二人だけだ。だから頼みたい」
「……な、なるほど。もちろん、やるつもりですが」
影沢は、少し困った様子で視線をそらす。
これは本当にマズい、と言わんばかりの顔で。
「それにしても。いくら日曜とはいえ、輝夜はこんなに起きるのが遅いのか?」
「え、ええ。昨日、あれだけのことがあったので。きっと、お疲れでしょうし」
「……そうか。なら、無理に起こすのも悪いな」
「はい。お願いします」
影沢は、そっと胸を撫で下ろす。
なぜなら、今この家に”輝夜は存在しない”のだから。
3階にある、輝夜の部屋。そこにあるベッドには、輝夜の友人である”並木栞”が眠っており。
魔力を誤魔化すため、ベッドの側には”漆黒の刀”が鎮座していた。
◆
僅かに揺れる、新幹線の静かな車内で。”紅月輝夜”は瞳を閉じ、穏やかに寝息を立てていた。
よほど、疲れが溜まっているのか。外の美しい景色など関係なしに、輝夜は眠り続ける。
そんな彼女を見つめる、友人が二人。
「こうして見ると。かぐち、マジ美少女って感じだよね」
「う、うん。確かにね」
クラスメイトであり友人の、”竜宮桜”と”花輪善人”。彼らは輝夜とともに、新幹線の座席に座っていた。
向かい合う、二人用の座席に。輝夜が片方を独占し、もう一方に桜と善人が座っている。
輝夜が眠っているため、あまり大きな声は出さずに。二人の話題は、眠り続ける彼女について。
無防備に眠る輝夜は、普段の雰囲気とはまるで違って見えて。善人は、恥ずかしいのか直視できずにいた。
「まさに、”眠れる森のかぐや姫”だね」
「それ、色々と話が混ざってない?」
「そうだっけ」
眠れる森の美女なのか、竹取物語のかぐや姫なのか。まぁ、どちらでもいい話である。
「でもさ、きっとご両親も驚きだよね。”輝夜”って名前を付けたら、冗談抜きでお姫様レベルの美少女に成長するなんて。……あ、もしかして、お母さんの時点で美人さんだったのかな」
「どうだろう。お母さんは、もう亡くなってるらしくて。お父さんの方も、顔を見たことがないから」
「あっ。でもかぐちパパの方なら、ネットで調べれば見れるよ? ほら、ロンギヌス日本支部の長官。イケオジって、結構有名だし」
そう言って。桜はネットで拾った、龍一の画像を善人に見せる。
「おぉ。……なんか、会ったことあるような?」
確かに、正式に会ったことはないのだが。善人と龍一は、あの運命の夜に出会っていた。
もっとも、龍一は仮面を付けていたため、善人の記憶には残っていないのだが。
「あっ、そうだ。こんな寝顔貴重だから、写メ撮っとこ」
「えっ。そういうの、勝手に撮っちゃダメなんじゃ」
「ノンノン。ヨッシー、分かってないね。これが友だちの特権なの」
輝夜の貴重な寝顔を残すため、スマホを向ける桜だが。
カシャ、と。シャッター音が鳴ってしまう。
「あ」
気づいた時には、もうすでに遅し。
その音によって、輝夜はゆっくりと目を覚ましてしまった。
「……」
しばらく、輝夜は静止して。一体何が起きたのか。
自分の寝顔を、写真に撮られたのだと悟ると。
「ッ」
手遅れではあるが。とりあえず、顔を窓の方に向けた。
そんな彼女の仕草に、桜も思わず笑ってしまう。
「大丈夫、大丈夫。全然、よだれとか出てなかったから」
「……見せろ」
撮られた写真を確認するべく。
輝夜は素早い手付きで、桜のスマホを没収、――しようとするも。
「うぐぐ」
今の輝夜は、魔力のバックアップもない素の状態なので。
桜の持っているスマホを、奪うことすらできなかった。
「……え。かぐち、もしかしてこれが本気なの?」
輝夜の弱すぎる握力に、衝撃を受けて。というよりも、”戦慄”し。
何か、凄い悪いことをしている気になってしまったので、桜は大人しくスマホを手放した。
「ご、ごめんね。嫌だったら、ぜんぜん消去しちゃっていいから」
「……ん」
奪ったスマホで、輝夜は自分の寝顔を閲覧。
すると、どこか納得した表情で、桜にスマホを返した。
「まぁ、及第点ってところだな。美少女ランク、S+くらいか」
「わお。Sにプラスを付けるなんて」
事実だから仕方がない。たとえ眠っていようと、輝夜の容姿は完全なる美少女なのだから。
「ちなみに、これがSSランクの顔だ」
そう言って、輝夜は自分なりのキメ顔を披露する。
いつも通り、”自信満々”という微笑みである。
そんな輝夜に、桜は呆れ顔をする。
善人は、相変わらず顔を赤くしていた。
「かぐちって、ちゃんと自覚があるタイプだよね」
「それはそうだろ。”わたしレベル”になるともう、”自分より可愛い顔”を見たことないからな」
輝夜は、恥ずかしげもなく言い放つ。
「お前たち、わたしより可愛い顔を見たことあるか?」
「あー、確かに。アイドルとか女優よりも、多分かぐちのほうが勝ってるかも」
桜は記憶にある様々な有名人、美女などを思い浮かべるも。そのどれも、輝夜の美しさの前には霞んでしまうようだった。
最近出会った中では、魔王ドロシー・バルバトスも美人ではあるが。”美しさ”という観点から見ると、輝夜のそれは群を抜いていた。
友だちだから、クラスメイトだからか。桜はもう、輝夜の容姿に慣れている。
しかし、冷静に考えてみると、輝夜の容姿はどこか”魔性”を放っていた。
迂闊に声をかけられない。そんな目に見えない力が、確かに存在するような。
「善人は?」
「……え?」
「え、じゃない。わたしの顔、可愛いと思うだろう?」
そう言って、見つめられて。
ただでさえ赤かった善人の顔が、逆に青白くなっていく。
人はある程度の恥ずかしさを越えると、こうなってしまうのだろうか。
少しフリーズして、善人は何とか口を開く。
「僕は別に、輝夜さんの顔とか、思うことはないです」
顔が可愛いのはもちろんのこと。その性格、根っこにある優しさ。ゲーム内で育んだ独自の絆。
そういった”様々な面”から、善人は輝夜に魅了されている。そういう事情があっての一言だったのだが。
「――あぁ?」
残念。
輝夜は自分の容姿に、正確には、”容姿にだけ”は自信を持っているため。それを否定する善人の言葉は、輝夜にとっては禁句に等しかった。
「お前、目が腐ってるんじゃないのか?」
「いや、その。僕はっ」
「黙れ、この変態野郎。どうせ、お前はブス専のデブ専だろ? まったく、哀れな」
「違うんです! 輝夜さん」
善人が未だに、輝夜に対して”敬語”をやめられない理由。
異性としての好きよりも、人としての憧れが勝ってしまうから。
彼が敬語をやめられる日は、果たしてくるのだろうか。
(……二人とも、相性は良いと思うんだけどなぁ)
輝夜と善人の言い争いを、桜は楽しく観戦する。
旅はまだ、始まったばかり。
◆
「……ふぅ。眠たいな」
善人と言い争って疲れたのか。
輝夜は隣の座席も使って、寝れそうな姿勢へと移動する。
「輝夜さん、寝てないんですか?」
「ああ。課題が終わらないと、外には行かせないって、舞がうるさくてな。だから栞を呼んで、遅くまでやってたんだよ」
影沢舞は、家族の中なら”輝夜の味方”をしてくれる。
ただし、何でもイエスと言ってくれる、優しいママではない。
それゆえ、囮役である栞と一緒に、輝夜は寝不足であった。
栞は今頃、輝夜のベッドでスヤスヤと眠っている頃だろう。
「……それにしても、本当に意外だったよね。かぐちの家が、”そっち系”だったなんて」
「……まぁ、そうだな」
紅月家の秘密。
輝夜の父である龍一と、その父である”紅月不動”。それを調べた先に行き着いたのは、”不動連合会長”という事実であった。
おそらくはそれを伝えるために、今日、龍一は家に帰ってくるつもりだったのだろうが。それより前に、輝夜は動くと決めていた。
弟の朱雨を拐った連中。そして、それを見ていた栞の証言をもとに、マーク2に調べさせて。驚くほど呆気なく、輝夜はその事実へと辿り着いた。
入念に隠された、紅月家と不動連合の関係。会長である、自分の祖父の存在。そして、朱雨の現在地。
最高の頭脳を持つ電子精霊の力に頼れば、その程度は造作もないこと。
ゆえに、輝夜は龍一に止められる前に、朝一で姫乃を出発したのだが。
それについてきたのが、善人と桜の二人。
弟の朱雨を連れ戻しに行く、これは輝夜の戦いである。
しかし、力を持つ善人はともかく、なぜ一般人である桜もついてきたのか。
「本当に、ごめんね。わたし、何もできないのについてきちゃって」
「……いいんだよ。友だちの頼みなら、断る理由はないからな」
龍一に悟られる前に、自力で弟を助けに行く。
輝夜がそれを伝えたのは、信頼する影沢舞の他に、自分の契約する悪魔たち。そして、クラスメイトである善人、桜、黒羽の3人と、朱雨と共通の友人である栞のみ。
それを伝えてすぐに、桜からの個人的な連絡が来た。
『もしも、かぐちのおじいちゃんが、本当に不動連合のトップなら。もし会えるなら。……わたしも、絶対に言いたいことがあるんだけど』
輝夜が知らないこと。
自分の暮らす姫乃以外の、”日本の現状”。
その被害者の一人である桜には、どうしても”譲れない何か”があるのだろう。
だから、輝夜は友人の願いとして、桜の同行を許すことにした。
「わたしは基本、”
「はい、もちろん。僕も、守るのは得意なので」
輝夜という人間は、ひたすら攻撃に特化した性格をしている。攻撃こそが最大の防御と言わんばかりに。
ゆえに、桜を自分と悪魔だけで守るのは心細いと判断し、信頼の置けるも一人の仲間、善人を招集した。
とはいえ、善人も自分なりに、呼ばれる前から支度をしていたのだが。
こうして。
輝夜たち3人による、日本最大のヤクザ、不動連合への”カチコミ計画”が始動した。
「まぁ。できれば、使うことが無いといいんだが。……いざとなったら、”これ”に頼ってくれ」
そう言って、輝夜が桜に手渡したのは。
多くの理由によって価値を持つ、”黄金の指輪”。
クラスメイトの黒羽から勝ち取った、
「これって。もしかして、黒羽さんの?」
「ああ。わたしには必要ないから、お前に貸してやるよ」
「……うっそ」
「あくまでも、こいつは保険だからな」
力の象徴である、黄金の指輪。
その重さに、桜は微かに震える。
姫乃以外の土地では、”これ”を身に着けることはタブー視されている。なぜなら、不動連合の幹部たちが、揃って指輪を身に着けているから。
だからみんな畏怖して、決して金の指輪は身に着けない。
たとえ、不動連合に所属するヤクザでも、幹部以外はご法度である。
当然のように、桜はその事実を知っている。だから善人と初めて話した時、指輪を堂々とつけている彼に驚いてしまった。
黄金の指輪は、”力と恐怖の象徴”。
「……」
だがしかし。
それを乗り越えるかのように、桜は、指輪を身に着けた。
ソロモンの夜に、”竜宮桜”の名が刻まれる。
夜会への参加権を賭けた、熾烈な戦いへと。
この時、輝夜たちはまだ気づいていなかった。
日本で起きようとしている大事件、その始まり。
全国の
保有率ランキングから不自然に名を消した、”ジョナサン・グレニスター”の存在に。
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