スカーレット・ツイン
姫乃タワーの上層階。一部の者しか立ち入れない長官室は、悲惨な有様へと変貌していた。
窓ガラスが壁ごと破壊され、長官用の椅子は粉々に。
この部屋の主である”龍一”は入口側を背に、”愛すべき侵入者”と対峙する。
「……どうして、ここまでムキになる」
「……うるさい」
長官室へとやって来た侵入者は、龍一の娘である”輝夜”と、彼女の使役する悪魔である”ドロシー・バルバトス”。
ドロシーの身体能力によって、地上からここまで跳んできたのだろう。
「”朱雨が連れ去られた理由”、心当たりがあるんだろう?」
「ああ。後で連絡すると、メールを送ったはずだが」
突然の侵入者に対しても、彼は冷静さを失わない。それは強さ故か、相手が娘だからか。
そんな龍一の態度に、輝夜は苛立ちを抑えきれない。
「”わたしの弟”だぞ! いつもみたいにまた隠し事があるなら、殺してでも喋らせてやる」
輝夜の宿す怒りが具現化するように。彼女の手に、漆黒の刀”カグヤブレード”が出現する。
その目つきも、滾る魔力も、彼女の”本気度”を表していた。
◆
「なるほど。黒い刀、か」
時は少し遡り。
姫乃にあるとあるカフェに、二人の若い男女が居た。
輝夜の弟である”紅月朱雨”と、そのクラスメイトである”並木栞”。
傍から見れば、それはまるでデートのようだが。これは決してデートではないと、栞は内心、ホロホロと泣いていた。
朱雨から誘われた時は、それはもうテンションが上がり、しっかりと身だしなみも整えてきたのだが。
カフェで彼に尋ねられたのは、”魔界で起きた出来事”について。
とある悪魔たちの策略で、栞たちは魔界に連れ去られ。それを助けるために、友人である輝夜が魔界に単身乗り込んできた。
”カノン”という優しい悪魔との出会いや、輝夜が手にした”黒い刀”。
そして、輝夜がその刀の力を使い、悪魔たちの組織を壊滅、掌握したこと。
仮面をつけた謎の人物と戦って、輝夜が”淡いピンク色の輝き”を纏っていたこと。
その後、謎の腕時計の力で地上に帰されてしまったため、それ以降のことは知らないものの。栞は、自らの知りうる全てを説明した。
それらの話を聞いて、朱雨は深く何か考え。
その様子を眺めていた栞は、”あること”に気がつく。
「紅月くんって、輝夜のことがすごく心配なんだね」
「……いや、そういうつもりはない。ただ、あいつや親父の持つ”力”に、興味があるだけだ」
「……そっか」
栞は、そんな彼の言葉を”嘘”と考える。
以前から、朱雨は悪魔や魔法に関する知識を自力で得ようとしていた。
そんな彼の姿を見て、今まで栞は純粋にそういったものに興味があるのだと思っていた。
だがしかし、ここにきてその考えが覆される。
紅月朱雨という人間は、”たった1人の姉”のために、無力な自分を変えようとしていたのだと。
(輝夜と同じで、”自覚”がないのかな)
きっと本人も理解していない、根源的な部分。自分にとって、”何が一番大切なのか”。本当は分かっているのに、目を背け続けている。
こういう部分は、双子揃って同じなのだと。栞は少し感心してしまう。
(……あれ? でもそうなると、わたしの”最大のライバル”って)
その考えに至って、栞は戦慄した。自分が密かに恋心を抱く、紅月朱雨。
しかし彼は、絶対に認めないだろうが”意中の人”がいる。
双子の姉弟だからと、決して安心はできない。
おそらく朱雨は、輝夜を巡る環境の変化と、変わらない自分に焦っているのだろう。
どういう形であれ、人は変化していくもの。
かくいう栞も、自らの恋に正直になるために、ボサボサのオバケヘアから、今のオシャレ少女に変貌したのである。
デートなどと浮かれていたものの、どう考えても相手はそんな意識はまったくない。それくらいのことは、栞にも理解できる。
きっと今のわたしは、彼にとって”脈なし”なのだと。
告白なんてできないし、する勇気もない。
だがしかし、人は勇気で変われると、友人である輝夜は教えてくれた。
だから栞は、少しだけ”勇気”を振り絞ることに。
「休日に呼び出して悪かったな。今度、何か埋め合わせを考えておく」
「ううん、大丈夫。”朱雨くん”と二人で話せて、ちょっと嬉しかったし」
まずは、名前を呼べるように。
栞はほんの少し、勇気を出した。
「――失礼。もしかして君、紅月龍一氏の息子さん?」
「……だとしたら、何のようだ」
二人に急に話しかけてきたのは、”スカジャンを着た細身の男”。
その隣には、似たような格好をした”大柄の男”も立っている。
穏やかなカフェの雰囲気が、一瞬にして静まり返った。
◇
「んむ……美味いな」
大掛かりなショッピングも終わり、”輝夜たち一行”はあてもなく街をぶらついていた。
やはり目につくのは、”悪魔たちの服装”であろう。
世紀末ファッション、謎の革ジャン、海外のギャング。そうとしか表現できない服装から一変し、”ちょっとガラの悪い連中”、程度の服装には落ち着いていた。
クール系イケメンの”カノン”に関しては、異性の目を引くほどに仕上がっているのだが。
やはり、褐色で目付きの悪い”アトム”と、ハゲで巨漢の”ゴレム”では、やはり素材が限界であった。
ちなみに買い物を経ても、善人の契約悪魔である”アミー”は以前と変わらない世紀末ファッションを貫いている。あれはきっと、もうそういう生き物なのだろう。
そして、”ドロシー”は。いつもの漆黒のドレスとは印象が変わり、シンプルな”純白のワンピース”を身に纏っていた。
購入した多くの服は、全て紅月家へ郵送したのだが。これだけは”輝夜が選んだ”ため、ドロシーはしっかりと着用していた。
人と悪魔、総勢9名の大所帯。
テイクアウトのハンバーガーを食べながら。
この後はどうしようか。そんな事を話しながら、街をぶらついていると。
まるで、平穏な日常をブチ壊すかのように。
凄まじい轟音を立てながら、1機の”ジェット機”が姫乃の街に飛来する。
「んも、まんまれは!」
うお、なんだあれは。とでも言いたかったのか。ハンバーガーを頬張りながら、輝夜が空を指差す。
ただのジェット機なのか、それとも戦闘機なのか。詳しい知識など無いため、その正体は不明なものの。ジェット機を間近で見る機会など滅多に無いため、輝夜は興奮を隠せない。
どうやらジェット機は、垂直での離着陸が可能な”VTOL機”と呼ばれる機体のようで。
僅かに変形すると、地上付近でホバリングを開始した。
一体なぜ、どういう目的であんな機体がやって来たのか。
野次馬根性で、輝夜たちも近くに見に行くことに。
「すっごい! 何あれ」
「映画みたい、だね」
桜と善人も、輝夜と同じで興奮を露わにする。漫画のように、お金持ちが颯爽と登場でもするのか。
そんな、呑気なことを考えていると。
「――朱雨くん!」
「……栞?」
聞き覚えのある声に、輝夜は走り出し。
”3人ほどの人影”を乗せて、ジェット機は空へと浮上していく。
ジェット機がホバリングしていた辺りまで、輝夜が駆けると。
案の定、そこには友人の栞が立っていた。ひどく、混乱した様子で。
「おい、何がどうしたんだ?」
「輝夜! 朱雨くん……朱雨くんが、変な人達に連れて行かれちゃって」
「はぁ!? んな馬鹿な!」
垂直飛行のまま、徐々に高度を上げていくジェット機。
輝夜は驚きと共に、それを見上げた。
◇
「おいおい! 冗談だろ」
とある建物の屋上で、黒いシャツを着た男、”ウルフ”がつぶやく。
彼は龍一によって招集された、輝夜の護衛であり。今日も今日とて、忍者のように陰ながら彼女の後を追っていた。
それゆえに、ジェット機の襲来という衝撃的な場面にも出くわしたのだが。
浮上していくジェット機を見上げながら、ウルフはとっさにスマホを取り出し、”自らの雇い主”と連絡を取る。
「えぇ、おそらくは軍用機でしょう。どうやら、”息子さんの方”が誘拐されたっぽいです」
彼は魔力によって強化された視力で、しっかりとジェット機に乗り込む人影を捉えていた。
「はいはい。もちろん、こんな街中じゃ撃ちませんよ。墜落したら大惨事、息子さんもヤバいですからね」
ウルフの手元には、彼の主力武器である”弓矢”がある。彼の力をもってすれば、戦闘機の撃墜などお手の物だが。
彼は野生の獣ではなく、理性のある”飼い犬”である。
朱雨がどの勢力に連れ去られたのか、相手はどういう格好をしていたのか。そんな情報を、事細かく報告するウルフであったが。
「って、マジかよ!」
彼はその優れた感知能力ゆえに、気づいてしまう。
地上にて発生した魔力、”攻撃的な力”の波動に。
そんな事をしでかすのは、この場には”彼女たち”しかいない。
「――龍さん。アンタのお嬢さん、”イカれてますって”」
”
”
◇
「輝夜さん! 本気で良いんですね?」
「ああ! 良いから、さっさとしろ!」
地上。
この場から離れようとするジェット機に対し、”カノン”が魔弾を放とうとしていた。
当然、指示を出したのは彼のマスターである。
今までのような、指先から魔力を放つだけの”簡単な技”ではない。
カノンがこれより繰り出すのは、長距離用に編み出した”新たなる技”。
彼は右手を空に向け、左手でそれを支え。
すると、複雑な魔法陣が彼の右腕に描かれ始める。
自らの主を守るため、彼も”技術”を学び始めた。
そして、その成果を示すように、ジェット機へと狙いを定める。
「ドロシー、あれくらいなら受け止められるか?」
「……服が汚れるけど。あなたの頼みなら、余裕よ」
いくら輝夜とは言え、何も考えてないわけではない。
カノンの精密射撃と、ドロシーの身体能力があれば、”無事”に取り返すことができる。そう確信しているからこそ、判断は早かった。
「――では、撃ち落とします」
カノンの手より、”鋭い魔弾”が放たれる。
強大な魔力を一点に集中した、まさに”狙撃用の魔法”。
魔弾は精確な軌道で、ジェット機の翼を貫く。
はず、だったのだが。
その攻撃を察知していたのか。
ジェット機のハッチから、”黒スーツを着た長髪の男”が姿を現し。
翼を狙ったカノンの狙撃を、”刀の一閃”により斬り捨てた。
「なっ」
人間離れした剣技。自分の父親以外に、あんなことができる人間が居るのか。
そんな事を思いつつ。輝夜はただ、離れていくジェット機を見つめることしかできず。
”弟が連れ去られた”。
その事実に、ギュッと胸を掴まれた。
◆◇
「――それで、話は聞けましたか?」
「いいや。明日、家に帰ってくるから。腰を据えて話す、らしい」
「そう、ですか」
謎のジェット機に、弟を誘拐され。
あまりにも冷静な父親相手に、喧嘩を売って。
楽しい休日のはずなのに、輝夜の一日はそうやって終わってしまった。
そして今。
溜まった感情を流すように、”影沢”と一緒にお風呂に入っている。
「わたしも、龍一さんについては知らないことが多いので。家族や知人関係も、あの人はただ、”居ない”と言っていましたが……」
輝夜の父、龍一には隠し事が多い。
”フォックス事件”での活躍、ロンギヌスと関わる前は何をしていたのか。
どこで
長年の付き合いである影沢にも、その過去は伝えられていない。
おそらく今回の一件も、その隠された過去にあるのだろう。
「龍一いわく、朱雨は絶対に大丈夫らしいが。あいつ、どんな保証があってそんなこと」
「……」
お湯に浸かりながら、輝夜は怒りを募らせる。
そんな彼女の様子を、影沢は少しだけ意外に思った。
「朱雨さんのこと、ちゃんと心配なんですね」
「どういう意味だ?」
「いえ。いつもは、顔を合わせれば口喧嘩、というよりも仲が悪そうでしたので」
「……あぁ。そう、だったかな」
確かに、と。輝夜は自分でも意外に思う。
朱雨が拐われたと知った瞬間、輝夜は考えるより前に、仲間に指示を出していた。結果として、それは失敗してしまったのだが。
想像以上に、輝夜の心は揺れていた。
「なぁ、舞」
「はい」
「前のわたし。というより、”前世のわたし”なんだが。――わたしはあいつと同じで、”弟”だったんだ」
「おや。それは意外な事実ですね」
輝夜が、輝夜として生まれる前。以前の彼は、年の離れた兄のいる、次男であった。
だからだろうか、弟としての気持ち、弟という存在について複雑な感情を抱いてしまう。
自分とまったくタイプが違う。仕事も私生活も真面目で、趣味はテレビゲーム。そんな兄のことが理解できず、理解できないまま永遠の別れとなってしまった。
自分が、兄を苦手だったように。
朱雨も、姉である自分が苦手なのか。
姉である自分は、弟の朱雨をどう思っているのか。
ここ数年で、朱雨の性格が大きく変わったこともあり。
双子の関係は見た目よりも複雑なものになってしまった。
「向こうが、どう思ってるのかは知らないが」
それでも、離れ離れになって、ようやく気づくこともある。
「――わたしは、あいつのこと。意外と、”大切”みたいだ」
”5年という歳月”は。
家族愛を育むには、十分すぎる時間であった。
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