静かな足音






「はーい。では、開始してください」




 教師の声で、テストが開始された。


 神楽坂高校一年一組。輝夜もその中の一人であり、他のクラスメイトと同様にテストを受けるのだが。

 今日の彼女はいつもと違い、左耳にイヤリングをしていなかった。ズルはしないという、彼女なりの決意である。


 遺物レリックを使えば、使役する悪魔と連絡を取ることが可能になる。そういうズルはしていないと、善人たちにアピールしていた。

 テストの前までは、マーク2に問題を盗ませようかなど、色々とズルを画策していたのだが。やはり、根っこの部分が律儀なのか。それとも、黒羽の協力によって自信がついたのか。


 紅月輝夜、正々堂々とテストに挑んでいた。




(……輝夜さん)




 後方の席から、善人は心配そうに輝夜の背中を見つめる。

 輝夜の実力がどれほど残念なのか、彼はよく知っていた。普段はあんなに気が強くて、黙っていれば知的美人の雰囲気もあるのに。残念なことに、彼女は完璧な美人ではなかった。


 そして、心配される輝夜本人は。




(ぐっ)




 やはり、ピンチであった。表情は焦り丸出しであり、最初の科目だというのにすでに冷や汗をかいている。

 本番に弱い性格なのか。それとも、脳がテストという存在を拒絶しているのか。周囲の人間に頼りまくった手前、赤点など取ってはいられない。そんな感情が、輝夜を死ぬほど緊張させていた。


 そんな輝夜を心配するのは、何もクラスメイトだけではない。




「……大丈夫よ。緊張しないで」




 すれ違いざまに。担任の教師が輝夜の方に触れ、静かに声をかけた。

 すると、輝夜の中で何かが変わったのか。落ち着いて呼吸をし、テスト用紙に目を向けられるようになった。




(字も、綺麗に書かないとな)




 かつて教師に言われたことなど。冷静に、今までを思い出し。輝夜はテストに立ち向かう。



 字の綺麗さを意識した結果、時間がギリギリになったり。

 姿勢が悪かったのか、腰やお尻の痛みに襲われたり。



 しかし、二日目からは調子も良くなって。

 緊張もしなくなり、椅子にはクッションを敷き。



 輝夜は、四日間のテストを乗り切った。

















 翌週。


 机の上に置かれた、複数のテスト用紙。それを眺めながら、輝夜は感動に震えていた。

 理由は単純、”赤点が一つもない”から。

 赤点になる基準は30点。輝夜のテスト用紙は、基本的に50点を超えていた。

 国語総合は、87点である。



 輝夜の席には、いつもの面子が集まっており。

 テスト対策に協力した黒羽が、軽い感じで拍手する。




「おめでとう」




 輝夜の実力を一番良く知っていたのは、マンツーマンで向き合った黒羽である。

 彼女はテスト前から、輝夜の赤点回避を確信していた。だからこそ、あまり驚いていない。




「よかったですね、輝夜さん」


「うんうん。これで気兼ねなく遊べるね」




 善人と桜も、揃って祝福の言葉をかける。

 黒羽の助けを受ける前は、本当に悲惨な様子だったので。無事にテストを終えられて、彼らもホッとしていた。




「……お前は、命の恩人だな」


「えぇ? なんか、重くない?」



 黒羽に対し、輝夜は深く感謝する。



「とりあえず、舞に報告しないと」



 赤点回避の旨を、メッセージで舞に送信していた。



「あと、栞にも送っておくか」


「かぐち……」




 よほど嬉しかったのか、友人である栞にも送っていた。

 そこまでするか、と。周囲は呆れ顔。




「……成績が悪いと、一ヶ月間ゲーム禁止だったからな」




 影沢舞は、輝夜を本当に大切に思っている。大切だからこそ、将来を見据え、小さな事からコツコツと経験を積ませようとしていた。


 唯一の誤算は、輝夜が想像以上にポンコツだったことだろう。


 とにもかくにも、輝夜はストレスから解放された。

 今なら、他の遺物レリック保有者に襲われても問題ない。なぜなら、勉強をする必要がないのだから。




「週末、マリオネットモールに行かないか? この間、猫カフェができたらしい。……まさかお前ら、猫アレルギーじゃないよな?」




 輝夜は、上機嫌でみんなを遊びに誘った。

 そんな彼女の様子を見て、善人たちは微笑ましく思う。


 ただ一人、黒羽を除いて。




「えっと。……それって、わたしにも言ってる?」


「あぁ? 当たり前だろ。お前まさか、わたしの誘いを断るのか?」




 一体、輝夜はどれほど偉いのだろう。

 そんな輝夜の言葉に。




「……ううん。ありがと」



 黒羽は、少し慣れない様子で笑った。






「久々に、アルマデルにも入らないとな」


「確かに、しばらくやってないですから」



 思い出したように、輝夜はつぶやくも。

 善人以外は、何のことか分からず。



「アルマデルってなに?」



 桜が尋ねる。




「VRのゲームだよ。現実と変わらないほどリアルで、とにかく最高のゲームだな」


「うん。僕と輝夜さんは、それで仲良くなったから」




 輝夜が骨折している間、奇しくも二人はゲームの中で出会った。

 アモンと出会ったのもこのゲームであり、輝夜にとっては色々な意味で思い入れが強かった。




「化け物を殺す快感は、他じゃ味わえないぞ」



 そう言って、輝夜は満面の笑みを浮かべる。




「……まぁ、人を選ぶゲームだから」



 善人も、ゲームの残酷さは否定しない。


 二人の話す内容的に、とても女子がやりたがるようなゲームではないのだが。




「……わたしも、やってみよっかな」



 意外にも、桜はゲームに食いついた。




「ふふっ。流石は、オタクに優しいギャルだな」


「やや。わたし、ギャルじゃないから」




 高校デビューとして、派手な金髪にしただけである。

 それが原因で、若干孤立していたが。




「黒羽はどうだ?」


「えーっと。そのゲームって、ユグドラシルだよね? わたしほら、インプラントしてないから」




 インターネット上に存在する仮想空間、ユグドラシル。それに接続するには、第2世代脳インプラントが必須である。

 ルナティック症候群ではない黒羽は、脳インプラントをしていなかった。




「そうか。それは、確かに残念だが。……ルナティック症候群なんて、百害あって一利なしだからな。こいつなんて、月を見ると二重人格になるんだぞ? わたしも暴力を振るわれそうになった」



 そう言って、輝夜は善人を指差す。




「またまた。かぐちは嘘が下手だよね」



 桜も黒羽も、そんな話を信じようとせず。




「あ、はは」



 善人は少し、影のある表情をしていた。















 放課後。

 鼻歌交じりに、下駄箱へと向かう輝夜であったが。




「あの、輝夜さん」


「あぁ、どうかしたのか?」




 何か用事があるのか、善人に呼び止められる。

 輝夜は機嫌が良かったので、微笑みすら浮かべていたものの。





「――僕に、マッサージをさせてくれませんか?」


「……ん?」





 意味の分からない一言に、思考が停止した。 

















 とあるマンション。

 花輪善人と、悪魔であるアミーが暮らしている部屋。

 以前と違うのは、いくつかの筋トレ器具があることだろうか。


 そんな部屋で。

 家主の善人は、床で正座をし。客であろう輝夜は、ベッドに座り足を組んでいた。

 まぁ、このような対比になるのはいつものことなのだが。


 偉そうな表情をする輝夜に対し、善人は少し顔を赤らめていた。

 どこに視線を向けるべきか、悩んでいるように。




「どうしたんだ?」


「……いえ」




 輝夜はベッドの上で足を組んでいる。そうするとやはり、正座する善人の目線からは”見えてはいけないもの”が見えてしまう。


 なぜ彼女は、こういう部分では無防備なのか。

 善人は悶々とする気持ちを抑えるのに必死であった。




「さて、変態ぼうや。要件は何だったかな?」


「……へ、変態ぼうや」




 悪いのは自分だと理解していても。そんな呼び方をされるのは、善人にもキツイものがあった。

 とはいえ、わざわざ部屋にまで来てもらっているので。善人は、改めてお願いを口にする。




「そ、その。……輝夜さんに、触れさせてください」




 改めて、とんでもないお願いである。

 マッサージが目的ではなく、善人は輝夜に触れたかったのだ。


 たとえどんな事情があったとしても、その願いは衝撃の一言であり。




「ふははっ。今のを録画してたら、もう最高だったな!」

 


 輝夜は悪魔のような笑い声を上げた。




「か、輝夜さん」


「あぁ、すまんすまん。少し冗談が過ぎたな」




 とはいえ、”事情も事情”なので。

 笑いもそこそこに、輝夜は真面目な表情に戻る。




「心配するな。お前の要望には応えてやるよ」




 密室に、年頃の男女が二人っきり。

 指輪とイヤリングは布に包んで鞄の中、万が一にも邪魔は入らない。


 このまま二人は、越えてはならない一線を――




 なんてことはなく。




「すみません、輝夜さん」


「気にするな。”月の呪い”ってのは、厄介らしいしな」




 善人の”深刻な悩み”を解決するために、輝夜は一肌脱ぐと決めていた。




 花輪善人は、他に前例の無い重度のルナティック症候群である。

 脳インプラント、ナイトメアキャンセラー等の最新技術でも悪夢を消しきれず、月を直視すると精神崩壊を起こしてしまうほど。

 その精神の暴走が原因で、彼は過去にトラウマを負っていた。


 記憶に残っているのは、怯えるクラスメイトたちの声。止まらない自分の暴力性。

 まだ小学生だったというのに。

 彼の内気な性格は、そのトラウマが原因で形成されていた。



 しかし、あの運命の夜。全てが変わった。



 初めて悪魔と遭遇し、月を見たせいで暴走。

 それを止めようと、輝夜が優しく手を触れてくれた。

 子供をあやすように、頭を撫でてくれた。


 その瞬間、善人は呪いから解放されたのだ。


 心を埋め尽くすような不安、恐怖が消え去り。いつぶりか分からない安眠を得ることができた。




 だがしかし、ここ最近になって善人は再び呪いの影響を感じるようになった。

 このままでは、またあの地獄に逆戻りしてしまう。


 なぜ、再び月の呪いを受けるようになったのか。善人は考えた末に、一つの答えに辿り着いた。



 最近、輝夜がマッサージを頼まなくなった。

 ”彼女に触れる機会”が無くなったのだと。



 魔界から帰ってから、輝夜はなぜかまったくマッサージを頼まなくなった。以前は、昼休みになるたびに要求していたのに。

 一体、何が彼女を変えたのか。




「輝夜さん。魔界で、何かあったんですか?」


「……いや、別に。そういうわけではなくてな」



 輝夜は気まずそうに視線をそらす。



「ちょっと、”体質”が変わったんだ」


「体質、ですか」


「うむ」




 説明など、できるわけがなかった。

 ”全身の感度が高くなった”など、口が裂けても言いたくない。影沢にしか言っていない秘密である。




「まぁ。普通に触る程度なら、許可してやろう」



 そう言って、輝夜はベッドから立ち上がり。

 善人の勉強机、その横にあるパソコンまで歩いていく。




「……輝夜さん?」



 一体、何をしようとしているのか。

 輝夜はポケットから小さなUSBを。パーソナルアダプターを取り出し、それを善人のパソコンに接続した。




「お前のパソコンから、アルマデルに入るんだよ。それくらいできるだろう?」


「もちろん、可能ですけど」



 なぜ、輝夜はゲームをやる準備を整えているのか。



「わたしはゲームをやってるから、その間に適当に触ってていいぞ。ベッドは借りるからな」


「……え」



 唖然とする善人を尻目に。




「よいしょっと」


 輝夜はベッドに寝転んだ。



――すんすん。



「……思ったより、臭くないな」




 一応確認として、輝夜はベッドの匂いを嗅いでみる。

 部屋の中に、あれだけのトレーニング器具があるのだから。正直、ベッドは確実に汗臭いと予想していたが。

 輝夜にとっては、気にならない匂いであった。




「いや、輝夜さん! 勝手に触るなんて、そんなことは流石に」


「……お前、どこを触るつもりなんだ?」



 輝夜はわざとらしく胸を隠す。



「えっと。普通に、手とかで大丈夫ですけど」


「なら問題ないだろ」


「そうは言っても……」




 眠っている相手の身体に、勝手に触るなど。流石に背徳感を感じてしまう。




「輝夜さんがゲームをやるなら、僕もやりますよ」


「……つまり。二人とも寝た状態で、ってことか?」


「はい。軽く触れた状態で放置すれば、きっと効果も出ると思うので」


「なるほどな」



 とりあえず、輝夜は納得する。




「なら。問題は、どういう姿勢で寝るかだな」



 ちらりと、ベッドを見る。




「……流石に、添い寝は嫌だぞ?」


「はっ、はい。それはもちろん」



 それはもう、マッサージ以上の行為である。



「別に勘違いするなよ。お前が嫌いとかじゃなくて、その。わたしは人との距離感を大切にするタイプだからな」


「そう、ですか」




 もしもそんなタイプだったら、今までマッサージを頼んだりしていないだろう。

 しかし、善人はツッコまない。輝夜が支離滅裂なことを言うのは、今に始まったことではないのだから。




「じゃあ。前回みたいに、輝夜さんがベッドに寝て、僕が床に寝る形で大丈夫ですよ。ほら、タオルとかで手を結んで」


「ああ。そういえば、そんな感じだったな」



 輝夜は何となく思い出す。




「……とはいえ。それをやると、腕に負担がかかるからな」



 自分の身を案じて、輝夜は別の案を考えることに。




「よしっ、ひらめいたぞ!」




 しかしながら。

 やはり、彼女の脳みそからは普通の考えは出てこない。




「とりあえず、上の服を脱げ」


「……え」




 話の流れが変わってきた。















 輝夜は偉そうにベッドの上に座り、善人は床で正座。

 先程までと変わらない配置だが、違いが二つ。


 善人は”上半身裸”の状態で、輝夜はソックスを脱いで”素足”になっていた。




「……お前、結構筋肉があるな」


「最近、アミーと鍛えてるので」




 部屋にあるトレーニング器具は、そのためのものだった。

 身体を褒められたような気がして、善人は少し嬉しくなる。




「でも。本気ですか? 輝夜さん」


「ふっ。わたしが冗談を言ったことがあったか?」



 基本、冗談ばかりである。



「ほら、さっさと横になれ」


「……はい」




 彼女に逆らうのは得策ではないので。

 善人は観念した様子で、ベッドの横に寝転んだ。




「よしよし。そのまま動くなよ」




 輝夜はベッドに座ったまま、”善人の上半身を踏みつけると”。

 そのまま、ベッドに寝転んだ。


 両者ともに横になり。

 足裏とお腹という場所ではあるものの、肌を触れ合う条件はクリアされた。




「ははっ。かなり頭のいい作戦じゃないか?」


「……ですね」




 輝夜はベッドに寝転びながら上機嫌。彼女がそれで良いのなら、善人には何も言うことはなかった。


 マウントを取りたがるというか、単純に誰かを踏みつけるのが好きなのか。困った性格の輝夜ではあるものの、善人もそれほど悪い気はしていなかった。

 一種の、需要と供給と言うべきであろうか。




 絶対に、もっとまともな方法があったはずだが。

 二人はこのままの格好で行くことに。




「さて、と。入るとするか」


「そうですね」




 二人は瞳を閉じ、脳インプラントを通じてパソコンと接続。ネット上の仮想世界、ユグドラシルへと入っていく。




 現実から抜けていくような、どこか不思議な感覚の中。


 輝夜は微かに笑みを浮かべた。


 テストという、最大の問題が終わり。

 ようやく、いつも通りの日常に戻れるのだから。










◆◇










 日本のとある空港。

 そこに停まっている小さなジェット機から、一人の男が降りてくる。


 黒のフォーマルスーツを身にまとい。綺麗なブロンドヘアをオールバックにした男。

 男は、サングラス越しに周囲を見渡した。




「……ここがニッポン。20年前の被災地にして、ヤクザの国か」


「ジョン。来るの初めてなんだね」




 彼に続くような形で、ジェット機から一人の少女が降りてくる。


 こちらの少女は、派手なピンクの色髪をして。ウェーブの入ったロングヘアが特徴的。

 可愛らしい、真っ白なドレスを身にまとっていた。


 少女はスマホを開き、地図のようなものを見ている。




「それで、まずはどこに向かうの? アプリを見る限り、遺物レリックの保有者は国中にいるみたいだけど」




 彼女の開いているアプリは、ソロモンの夜。遺物レリック保有者の分布図を開いていた。


 分布図を見るに、日本の都道府県には”最低でも一人”は保有者がいる事になっている。つまり、どう考えても日本には4~50人の遺物レリック保有者がいる計算になる。


 これは、国別で見ても異常な数であった。




「そうだな。メインディッシュ、ヒメノは後回しにするとして。北と南、どちらから攻めようか」




 男の姿をよく見てみると。

 両手には複数の指輪がはめられており、ネックレスにも同じように指輪が繋がれていた。




 ソロモンの夜。遺物レリック保有率No.2。


 ”ジョナサン”、来日。





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