バルバトス
「はいよ! ドラゴンラーメンいっちょう」
出されたのは一杯のラーメン。湯気とともに、匂いが伝わってくるような。骨付きの肉が入っており、カットされたゆで卵もある。
銀髪の女性。バルバトスは、無言でそのラーメンを見た。
魔界のどこか。人の寄り付かない辺境の土地に、そのラーメン屋はあった。
女性一人が経営する小さな屋台であり、バルバトス以外に客はいない。というより、他に人の気配がない。
「……」
バルバトスは特に何も言わず、箸を使ってラーメンを食べ始めた。
店主の女性。実年齢は不明だが、若い店主は新聞に目に通す。
客一人と、店主一人。ここは、そんな丁度いい空気の店なのだろう。しばらくの間、バルバトスは無言でラーメンを口に運んだ。
「相変わらず、ここのラーメンは絶品ね」
「へへっ。なにせ、先代からずっと継ぎ足してる秘伝のスープだかんね。その歴史、1800年。他じゃこの歴史は味わえねぇよ」
どうやらバルバトスはこの店の常連らしい。店主と軽く話しながら、あっという間にラーメンを食べ終えてしまった。
満足そうに、ため息を吐く。
「この味なら、もっと上を目指せるんじゃない? 第1階層とか、都会には当てもあるわよ」
「いいや、俺はここで十分さ。別に、金にも困ってねぇからな」
「あらそう。まぁ、あなたらしいわね」
どうせ、他に客も来ない。バルバトスと店主は他愛もない会話を行う。
「そういや、最近は変なニュースばっかだな」
「何かあったかしら」
「あんた、魔王じゃなかったかい?」
「形だけの魔王よ。わたし以外が雑魚だから、そうなってるだけ」
魔王とは、その階層で最も強い悪魔のこと。
魔界は現在68の階層に分かれており、魔王もその数だけ存在する。気に食わない相手を殴っていったら、この立場になっただけ。
「それで、ニュースって?」
「……アガレスが言ってたぜ。人間が変なアイテムだかを使って、悪魔を地上に召喚してんだとさ」
「ふーん」
彼女には興味のない話だった。
店のメニューをぼーっと見つめている。
「んでもって、地上に呼ばれた悪魔は、召喚した人間に逆らえねぇらしい。なんともおっかねぇ話だよ」
「逆らえない?」
「ああ。そのアイテムとやらが特別で、召喚した人間の命令に逆らえねぇらしい。だから気をつけろって、ニュースでも死ぬほどやってるぜ?」
「あっ、そ」
やはり興味を示さない。考えるのは、明日は何を食べようか。魔王バルバトスが考えるのはその程度のこと。
「まったく。魔王ったって、召喚される可能性はゼロじゃねぇんじゃねぇか?」
「そうね。もしも召喚されたら、ちょっと面倒かも。悪魔は地上じゃ生きられないし」
「そこは問題ねぇらしいぜ。その特殊なアイテムのおかげで、呪いの影響を受けないらしい」
「それ、凄いじゃない。……確かに、そう考えたら召喚も魅力的ね」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。人間の奴隷になるようなもんだぜ? もしも召喚されたら、召喚者をさっさと殺せって話だ」
「どうせ、アガレスが言ってたんでしょ。あのヨボヨボ、思想がイカれてるから」
「はっ、違いねぇ」
魔界の辺境。一人の魔王と、ラーメン屋の店主が笑い合う。話の種が魔界最大の権力者でも、彼女たちには関係ない。
「じゃあ、また来るわ」
カウンターにガラスのような硬貨を数枚置き、バルバトスは屋台を後にする。
今日はもう寝ようか。そんな事を考えながら、自宅のある都会に向かって歩いていく。
そんな彼女が、喚ばれた。
◇
――死ぬほど、可愛いわね。
(えぇ……)
輝夜はひたすら困惑していた。
何だこの女、わけが分からないと。
以前に出会った時は、完全なる敵同士。輝夜は地上を目指す逃亡者で、バルバトスはそれを追う狩人。直接的な暴力こそ振るわれなかったものの、なぜかイヤリングを奪われて。その行動理由も分からないまま、龍一とバトルになった。
(考えが読めん)
じーっと見つめ合っても、何も分かることはない。下手したら、急に腹パンでもされるかも知れない。
輝夜は一歩後ろに下がり、それとなくお腹をガードした。
「輝夜さん? その人はいったい」
影沢が声をかけるも、輝夜はそれを止め。
「二人とも、下手に動くなよ」
影沢と黒羽、双方に忠告する。
「こいつは、バルバトス。最強の悪魔と呼ばれる、魔王の一人だ」
その一言に、二人は驚きをあらわにする。魔王など、この場で想定されるような存在ではない。
動揺する人間たちに対し、バルバトスは無言を貫いていた。
すると、黒羽の元から”光る何か”が。王の指輪が飛んでくる。
新しい保有者である輝夜のもとへと。飛んできた指輪を、輝夜は掴んだ。
「えっと、多分だけど。所有権が紅月さんに移ったんだと思う」
「なる、ほどな」
悪魔バトルは、黒羽の降参という形で終了した。ゆえに、黒羽は指輪の所有権を失い、それが輝夜に譲渡されたのだろう。
その一部始終を、バルバトスは無言で見つめていた。
すると、輝夜のスマホに通知が。
『おめでとうございます。これで、あなたの遺物保有率は26%です』
黒羽のポイントが、そのまま輝夜のポイントに移行。あいも変わらず、保有率は1位である。
「あっ。わたしのアプリ、消えちゃったみたい」
遺物を失った者は、この戦いへの参加権を失う。それと同時に、ソロモンの夜はアンインストールされてしまう。どうやら、アプリの説明は本当だったらしい。
遺物に対して、明らかに魔術的な干渉を行っていた。
「よかったのか?」
「うん。別にわたし、遺物を集めたりとか、どうでも良かったから」
「はぁ? ならどうして、わたしにバトルを申し込んだんだ?」
「それは……」
黒羽はそっぽを向いて頬をかく。
「放っておけなかったから、かな」
「?」
輝夜は首を傾げる。
「だって、保有率トップで、絶対に危険な立場なのに。わたしにもまるで警戒してなかったから。――”この子もしかして、何も知らないんじゃ”って思って」
そう。輝夜は心配されていた。絶対に狙われる立場なのに、のんきにしていて大丈夫なのか。
ゆえに黒羽は、”警告”のつもりで輝夜に接触を行った。
「それに、どのみち適当な人に渡そうと思ってたから。……紅月さんなら、適任だし」
魔王を含む、4体の悪魔を使役。そして、本人も戦うことができる。素人の黒羽とは正反対で、遺物を渡すのに何の抵抗もなかった。
黒羽と話し、輝夜は納得する。
「結局の所、わたしが何も知らなさそうに見えたから、こんなバトルを申し込んだんだな」
「まぁ、ね」
輝夜は悟る。
無知というのは、恥であると。
「だが、まぁ。一つ腑に落ちんな」
「ん?」
「上履きだよ。どうして隠す必要があった? わたしを呼び出すだけなら、手紙でも何でも使えばいいだろ」
もしも匿名の手紙等であったら、輝夜は仕方なく屋上まで行ったであろう。
「そうだね。とりあえず、理由は二つ」
黒羽は微笑みながら説明する。
「まず、紅月さんがどういう方法で上履きを探すのか、知りたかったんだよね。友だちと一緒に探すのか、人に聞き込みをするのか。もしくは、なにか特別な力でも使うのか。……何なら、あの電子精霊を使えばよかったんじゃない?」
「……確かに」
輝夜はマーク2の存在を失念していた。
「でも、計画は成功。案の定、紅月さんは不思議な力を使えたから」
輝夜は微かな魔力を辿って、屋上へと辿り着いた。
色々と、教師に奇行を見られたりはしたが。
「そして、もう一つの理由。まぁ、これがぶっちゃけ本命なんだけど」
黒羽の表情が、笑みに染まる。一体、彼女にはどんな目的があるのか。なぜこんな回りくどい方法を取ったのか。
真剣に、輝夜は耳を傾ける。
「――紅月さん可愛いから、ちょっとリアクションが見たくって」
しょうがない、可愛いんだもの。
可愛い子にはいたずらをしてみたい。そんな、ちょっとした出来心であった。
「お、お前って奴は」
「本当に、すみませんでした!!」
呆れる輝夜だが、黒羽の美しいお辞儀を見て、怒る気が失せてしまう。
もしかしたら、ここまでが全て彼女の計画通りなのかも知れない。
だがしかし、輝夜もタダでは負けない。
「うぐ。悪いが、わたしも優しい人間じゃないからな。当然、落とし前はつけてもらうぞ」
「えーっと。具体的に、どうすれば」
輝夜と黒羽がそんな話をしていると。
ずっと見ていたバルバトスが、ようやく沈黙を破る。
「あそこに見える塔。わたしなら、一発で向こうまで殴り飛ばせるわよ」
「……それは、もはや処刑じゃないか?」
バルバトスの発言は無視して、輝夜は黒羽の落とし前を考える。
自分の抱えている”ある一つの問題”。それを解消する案を思いつくものの。すぐ側に影沢がいるため、ここでは口にしないことに。
「とりあえず、連絡先を教えてくれ。要件は後で伝える」
「うん、分かった」
こうして、二人は連絡先を交換。
悪魔バトル(?)を終え、友情が芽生えたのであった。
「そういえば、お前はルナティック症候群じゃないのか?」
「ん?」
時刻は夜の10時、美しい月の下。もしもルナティック症候群の罹患者なら、とても立っていられるような状況ではない。
この街の多くの人間は、日傘をさして月光を避ける。しかし、この場に日傘をさす者は一人もいない。
輝夜は、もちろんのこと。遺物で契約しているバルバトスも、月光の影響を受けない。影沢舞も、影響の少ないステージ1である。
「そうだね。わたしもステージ1だから、直視しない限り問題ないよ」
「そうか」
輝夜の周りには重度のルナティック症候群が多い。
前代未聞のステージ3、善人はもちろん。クラスメイトの竜宮桜もステージ2、並木栞や弟の朱雨も同様である。ここ、姫乃はそういう街なのだから、比率が多いのは当然か。
そんな中。ふと、輝夜は気づく。バルバトスが空を見上げ、月を見つめていることに。
目を大きく開いて、まるで子供のように。彼女が何を考えているのか、輝夜には分からなかった。
「なぁ、一ついいか?」
輝夜に呼ばれ、バルバトスは視線を向ける。
やはり、表情は読めない。
「とりあえず、わたしの許可無く、他人と戦ったり、傷つけたりすることは禁止だ。それくらいのことは、守れるか?」
遺物の力なら、どんな悪魔も従わせることができる。とはいえ相手が相手なので、輝夜は慎重に行う。
「まるで、わたしが戦闘狂みたいな口ぶりね」
「違う、のか?」
「別に、わたしは戦いたいわけじゃないわ」
どこか儚げな顔で、バルバトスは空を見る。
とにかく強い悪魔。凶暴な魔王。あくまでもそれは印象から来るもので、実際はそうでもないのかも知れない。
輝夜がそんな事を考えていると。
「問題を解決するのに、”暴力”って便利だから」
「あぁ……」
遺物は、召喚者と相性のいい悪魔を呼び寄せるという。
なぜ、自分のもとに彼女が召喚されたのか。輝夜にはまるで理解ができず、どう手綱を握るべきか悩む。
「……」
飽きることなく、月を眺めるバルバトス。そんな彼女を尻目に、輝夜はイヤリングに触れ、他の悪魔と連絡を取る。
(というわけで、しばらく監視を頼むぞ)
『ええ、了解です。なにか不穏な動きがあれば、すぐに報告します』
ただ強いから。強すぎるから。人も悪魔も彼女を無視できない。
今はただ、月を見ているだけなのに。
◆
夜、輝夜の部屋。
イヤリングを枕元に置き、輝夜は就寝中。寝息を立てながら、穏やかに眠っていた。
すると、ベッドの側にバルバトスが出現する。
輝夜が眠っている中、一体何をしようというのか。
眠っている輝夜を、じっと見つめ。
「――およしなさい」
カノンに制止される。
「……」
輝夜を起こさないように配慮しているのか、バルバトスは黙ったまま。
凄まじい速度で拳を振るい、カノンの顎を揺らした。
「がっ!?」
その衝撃で、カノンは意識を失ってしまう。
音を立てて地面に倒れるも、幸いにも輝夜は目を覚まさなかった。
邪魔者がいなくなり、バルバトスは再び輝夜のもとへ。すぐ近くまで接近する。
しかし、バルバトスはそこから動けない。
とりあえず具現化した。とりあえず近くまで近づいた。寝顔のすぐ側までやって来た。
自分を召喚したこの少女のことを、知りたいと思ったから。
しかし、バルバトスは分からなかった。
自分が何をしたいのか。他人に特別な興味を抱くことが、生まれて初めてだったから。
「……」
とりあえず、綺麗な寝顔に手を伸ばしてみる。
指先で、壊れ物に触れるように優しく突っついた。
「……ふふ」
それだけで、バルバトスは笑みを漏らす。何も知らない彼女からすれば、これだけでも十分であった。
だがしかし。
「はむ」
不意に、輝夜が顔を動かし。バルバトスの指を咥えてしまう。
「ッ!?」
それは、生まれて初めての衝撃であった。
指を咥えられて。
唾液を直に感じる。
興奮、そして羞恥心から。
バルバトスは顔を真っ赤に染め。
逃げるように、イヤリングの中へと消えた。
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