悪魔降臨
「はぁ……」
ため息を吐きながら、輝夜は車の後部座席で横になる。こんなだらしない格好で、スマホまで弄って。いつもなら行儀が悪いと注意されるだろうが、今の輝夜はたとえ注意されても応じないだろう。
時刻は午後9時。輝夜は車に揺られて、夜の学校を目指していた。
「まーいー。すぐに終わるから、校門で待っててくれるよな?」
「ダーメー、です」
「……くそ」
不服さをアピールするために、寝ながらスマホを弄るものの。残念ながら、影沢には何ら影響はなかった。
憂鬱な気持ちに包まれながらも、輝夜はとある相手とメッセージを送り合う。
『輝夜さん、世界史の課題についてなんですけど。悪魔であるわたしには、少々荷が重いと言いますか』
『うるさい。教科書を見ながら頑張れ。あと、筆跡には気をつけろよ』
『クソガキ。てめぇの字は汚すぎるんだよ』
『アトムは死ね』
使役する悪魔たちとのやり取りである。
輝夜は常に、毎日の課題をギリギリにこなしている。テスト週間で量が多いため、ゲームの時間すら存在しない。そんな中で悪魔バトルなどを行おうとしているのだから、”ちょっとしたインチキ”にも手を染めていた。
今頃、輝夜の部屋では二人の悪魔が奴隷のように働かされているだろう。
すると、家にいるであろう”もう一人”からメッセージが届く。
『おい。お前の部屋、誰かいないか?』
『うるさい。開けたら殺す』
『うるさいのはお前の部屋だ』
『わたし姉、おまえ弟』
そんな、理不尽なやり取りをしていると。輝夜のスマホに着信が入る。
「くそ。龍一から電話だ」
輝夜は思わず悪態をついた。
「どうか、出てあげてください」
「あー、はいはい」
非常に気が乗らないものの。影沢に諭され、輝夜は電話に出ることに。
「もしもし?」
『聞いたぞ。クラスメイトと悪魔バトルを行うらしいな』
「で、要件は? 危険だから龍一も来るのか?」
『いいや、俺は関与しない。黒羽えるという少女に関してはすでに調べがついているからな。お前と舞なら、特に問題のない相手だろう』
「あぁ? じゃあ、なんでわざわざ電話してきたんだ?」
『……まぁ、なんだ。こうやって、定期的に会話をしないとな』
「あぁ、そう」
輝夜は薄々気づいていた。この父親、腕っぷしは立つかも知れないが、私生活は不器用そのものではないのかと。
情けない相手には、怒りも消え失せてしまう。
『それにしても、なぜ今戦う? 例のアプリが配られたのは、先週じゃなかったか?』
「マーク2がシャットアウトしてたんだよ。アプリの存在も、黒羽が
『そういうことか』
まさか、”何も知らなかった”とは。龍一もそれは想定していなかった。
『そのクラスメイトとバトルするのは構わんが、”それ以上のこと”はするなよ』
「それ以上?」
『ああ。例えば、遺物を求めて街の外に出る、なんてバカな真似は許さんぞ』
「はっ。そんな面倒くさいことはしないよ。それに、ほっとけば向こうから来るだろう」
『……もしも、街の外から敵がやって来た場合、全て俺が対処を行う。悪いが、これは子供のお遊びじゃない』
「……りょーかい」
輝夜は通話を終え、疲れた様子でため息を吐く。
気がつけば、学校のすぐ側まで近づいていた。
◆
静かな夜。月明かりに照らされた学校の屋上で、二人の少女が向かい合う。
両者の間に不純物などない。一名ほど、保護者が心配した様子で見つめているものの、輝夜は堂々としていた。
「いい夜だな」
「そう、だね」
黒羽は苦笑い。やはり、どうしても気になってしまう。
「この空気、血が冷たくなるような感じが――」
「紅月さん。後ろの人は、お姉さん、でいいの?」
「……あぁ」
輝夜はもう、笑うしかなかった。
「別にあいつは気にしなくていい。戦いに茶々は入れないだろう。……なぁ、舞?」
「ええ。なるべく善処します」
(あぁ……こいつ動きそう)
影沢はいつでも戦闘可能だった。
「舞、わたしは大丈夫だぞ?」
「ええ、もちろんですとも」
完全に、部活を応援する保護者である。
これ以上相手にしても無理そうなので、輝夜は諦めることに。
キリッとした表情で黒羽と対峙する。
「黒羽。お前は、どこで遺物を手に入れたんだ?」
「えーっと、おばあちゃんちかな? 倉庫の中でたまたま見つけて、気に入って持ってたんだけど……ね」
まさか、それが悪魔を使役する道具だとは、ほんの一週間前まで思ってもいなかった。
「なるほどな。ということは、”素人”か」
「紅月さんは違うの?」
「ああ。わたしは悪魔の友人に貰ったんだ。ちょっとした約束を叶える代わりにな」
「へぇ。……なんかかっこいい」
「ふっ、まぁな」
輝夜は堂々と胸を張る。
雰囲気だけは一人前であった。
「じゃあ、そろそろやろっか」
言葉はこのくらいでいいだろうと。黒羽は首にかけた指輪に念を込め、彼方よりそれを呼び寄せる。
目の前に魔法陣が発生し、それは姿を現した。
四本の足で、大地を踏みしめる。その体は大きく、牙は鋭く。
獰猛な表情で、敵である輝夜を睨みつける。
それは、悪魔ではなかった。
犬、もしくは狼に近いだろうか。
恐ろしい獣は、背や尻尾に激しい炎を宿していた。
「……」
予想外の相手に、輝夜は言葉を失う。
その後ろで、影沢は冷静にそれを分析していた。
「なるほど。あれは、ヘルハウンドですね。」
「へる、はうんど?」
輝夜はわけがわからないという様子。
「とても凶暴な”魔獣”ですよ。人はもちろん、悪魔にも懐かないそうです」
「魔獣って……あっ」
輝夜は思い出す。かつて魔界の”一周目”にて、隠れ家で遭遇した獣のことを。
(あれは、ケルベロスだったか)
ニャルラトホテプの隠れ家で見つけた、希少な魔獣のクローン。”やり直した今回”は、それと出会ってもいないが。
(あれ、可愛かったな)
そんなことを思いつつ、輝夜は相手のヘルハウンドを見る。
「悪魔じゃなくて、魔獣も召喚できるのか?」
「えっと、どうなんだろう。わたしも、この子しか召喚してないから、他が分かんないんだけど」
悪魔ではなく、魔獣を使役している。黒羽にとってはこれが当たり前なので、少々困惑していた。
そんな二人の様子を見て、影沢は一つの仮説を口にする。
「もしかしたら、王の指輪が呼び寄せるのは、”魔界に存在する生命体”という括りなのかも知れません。なので、悪魔ではなく魔獣を呼ぶこともあるのでは?」
「なるほどな」
王の指輪、遺物に関しては謎が多い。
輝夜はその考えで納得することに。
「紅月さんは、悪魔を召喚するんだよね?」
「あぁ、一応な。”三人”くらいと契約してる」
「へぇ。流石は、保有率ナンバーワンだね」
小さな指輪でさえ、悪魔を一体使役できるのだから。それよりも多くの量を有する輝夜なら、複数体との契約も可能であった。
とはいえ、現状繋がりがあるのは魔界で出会った三人の悪魔。そのうちの二人は、現在輝夜の部屋で課題と戦っているため、呼ぶことができるのは残りの一人。
『へへっ、そろそろ俺の出番か』
契約する悪魔。筋肉ダルマこと、ゴレムの声が聞こえてくる。
元より輝夜は、この戦いではゴレムを召喚するつもりであった。手先の器用なカノンとアトムなら、課題を任せられるが。ゴレムにできるのは戦いくらいなもの。
しかし、輝夜はここに来て躊躇し始めていた。
(……うーむ)
ヘルハウンド相手に、ゴレムの戦闘力が心配なわけではない。輝夜の見立てでは、おそらく勝てると踏んでいる。
輝夜が気にするのは、”ビジュアル面”だった。
ゴレムという悪魔は、スキンヘッドの巨漢である。おまけに、服装はチンピラ丸出し。そんな奴を今から召喚して、周りはどんな反応をするだろう。
――輝夜さん。少々、趣味が悪いのでは?
――えーっと。……かっこいい悪魔、だね。
(あぁ……)
脳内でシミュレートした結果。輝夜はゴレムの召喚を止めることにした。
「悪いな、ゴレム。お前の出番は無しだ」
『なに!? なんでだよ、お嬢』
「うるさい。わたしに恥をかかせるな」
これ以上の言葉は不要と、輝夜はゴレムの声をシャットアウトする。
(さて、どうするか)
輝夜は考える。別に、テックマスターの連中は嫌いではないが、あれと一緒にいると品性を疑われてしまう。
最悪、カノンなら問題はないのだが。今現在、彼には大事な仕事を頼んでいる。ゆえに、召喚は不可能であった。
「紅月さん、どうかした?」
「……いや、大丈夫だ。わたしも出そう」
仕方がないので、輝夜は一つ試してみることに。
輝夜が託された遺物は、世界全体の25%に相当している。これだけの遺物ならば、もっと多くの悪魔を召喚できるはず。
善人が、アミーを召喚したように。
黒羽が、ヘルハウンドと出会ったように。
龍一が、ナニカを隠したように。
禁断の遺物は、自らに相応しい存在を呼び寄せる。
輝夜は初めて、その機能を行使する。
「――来い!!」
イヤリングに触れて、遺物が起動。
運命に従って、魔界より”それ”を呼び寄せる。
地面に魔法陣が。
強烈な光と共に、一人の悪魔が顕現した。
「……え」
まさか、と。
輝夜は言葉を失う。
魔法陣より現れたのは、”一人の女性”。
身の丈ほどの大剣を背負い、それでいて美しい漆黒のドレスを纏っている。
髪色は白銀で、輝夜とはまるで正反対。
前回の時、輝夜たちを苦しめた最強の敵。
魔王、バルバトスが召喚された。
◆
「おいおい、何だよあの化け物」
輝夜たちの学校から、1kmほど離れた地点。ビルの屋上から、その男は一部始終を目撃していた。
闇夜に紛れるように、真っ黒な服装に身を包み。
”護衛対象”を守るために、特注の弓まで用意した。鋭い眼光をした黒髪の男。
けれども、護衛の役目が訪れることはないだろう。
彼のスマホに着信が入る。
『”ウルフ”、何があった』
「……いや、なんて言えばいいんすかね」
ウルフと呼ばれた男は、言葉に詰まる。
「あんたの娘さん、護衛する必要あるんすか?」
その召喚は、あまりにも強烈で。
善人やアミーなど、姫乃に暮らす何人かが気づくほど。
「……どういう、ことかしら」
バルバトスは、少し困惑した様子で周囲に目を向ける。
輝夜と黒羽はもちろんのこと、影沢も衝撃ゆえに動けない。
魔力は感じられなくても、そのプレッシャーは感じ取れる。生物として、おかしい領域にあると。
ヘルハウンドは、すでに戦意を喪失していた。
バルバトスは周囲を見渡し。輝夜と視線が交わされる。
すると、彼女は目を見開いた。信じられないものを見るように。
「ッ」
輝夜は思わず後ずさる。なにせ相手は、龍一とまともにやり合える化け物である。
”今回は出会っていない”とはいえ、その恐ろしさは変わらない。
なぜ、こいつが呼び出されたのか。
アガレスの仲間であるこいつが、果たして味方になるのか。
輝夜がそんな事を考えていると。バルバトスが、ゆっくりと彼女の元へ近づいてくる。
手を伸ばせば触れられるほど、近くまで来て。
前と同じように、輝夜のイヤリングに興味を示す。
「そう。あなたが、わたしを召喚したのね」
「……あぁ」
大丈夫。遺物の力なら、魔王だろうと使役できるはず。
拳を握りしめて、輝夜が覚悟を決めていると。
「――死ぬほど、可愛いわね」
「え」
予想外の一言に、輝夜は凍りつき。
「……えっと。わたし、降参するね」
ヘルハウンドが戦意を失ったため、黒羽は降参。
悪魔バトルは、始まる前に終了した。
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