かぐやかぐ






 神楽坂高校、一年一組の教室。

 今日も今日とて、変わらない授業風景が存在していた。


 ただ、一人を除いて。




「……」




 学校一の美少女、紅月輝夜。

 左耳には主張の激しいイヤリングと、中々のメンタルの持ち主だが。何か悪いものに取り憑かれたような、異様な雰囲気をまとっていた。

 端的に言えば、不機嫌そうである。




――あー、難しいのかな?

――後で教えてあげよ。




 やはり、授業内容に苦労しているのか。クラスメイトたちはそう予想する。

 しかし、輝夜は授業の内容よりも、別のことを気にしていた。




(わたしの、上履きぃ……)




 自分の上履きが、今どこで何をしているのか。それが気になって仕方がない。

 一応、スリッパを用意してもらったものの、そういう問題ではない。

 気になって気になって、授業なんて入ってこなかった。






 授業が終わり。

 それでも輝夜は、気だるそうに机に突っ伏している。

 瞳には生気が感じられない。


 すると、そこへ竜宮桜がやって来る。




「かぐち、次は体育だけど」


「……やだ」


「やーや?」




 上履き一つで、ここまでダメージを受けるのか。

 意外と繊細なのかと、桜は思った。















「ゆっくりサーブするから、怖がらなくて大丈夫だよー!」


「怖くない!」




 体育の授業。女子の内容は軟式テニスであり、輝夜は桜とペアを組んでいた。

 輝夜の運動能力の無さはもはや有名なので、宣言通りに桜は優しくボールを打つ。




「ッ」



 そのボールの軌道、輝夜には止まって見えていた。



 輝夜という人間は、体力は皆無だが優れたセンスを有している。それに加え、魔界での経験を経て神経が研ぎ澄まされている。

 ゆえに、たとえプロ級のボールが相手でも捉えることが可能であった。




(捉えた)




 完璧な形で、輝夜のラケットがボールを捉える。

 これ以上ないという当たり方だが。



 輝夜の握力は、その衝撃に耐えきれず。

 ボールはコロコロと転がっていってしまう。




 なんとも言えない光景に、空気が凍った。




「痛ッ」




 輝夜はラケットを手放して、苦い表情で右手をさする。

 ボールを弾いた影響であろうか、じんわりとした痛みがあった。


 心配した様子で桜が寄ってくる。




「だ、大丈夫?」


「一応、セーフだな」




 じんわりと痛みはあるものの、怪我をしたような感覚はない。

 これが軟式のボールで幸運であった。もしも硬式だったら、手首がポッキリいっていた可能性もある。




「かなりゆっくりだったのに、腕の力が負けてたね」


「……疲れた」




 自分の非力さに落ち込み、輝夜は隅っこで休憩することに。

 桜も、隣に座って休憩する。


 しばらく、ボーッとする二人であったが。

 おもむろに、桜が輝夜のイヤリングをつんつんする。




「魔法で、強くなれるんじゃないの? ちょっとぐらい使ったら?」


「もちろん、最初はそうしようとも思ったが。まぁ、デメリットもあるしな」


「デメリットって?」


「……」




 色々と敏感になるなど、口が裂けても言えない。




「かぐち、汗かきすぎじゃない?」


「うるさい」




 身体能力が低すぎるのか。運動量の少なさの割に、輝夜はかなりの汗をかいていた。


 すると、そこへクラスメイトの女子がやって来る。

 輝夜としても、あまり話したことのない生徒である。




「あの、紅月さん。よかったら、タオル使って」


「いいのか? 汗、かなりかいてるんだが」


「う、うん。使って使って」




 そう言って、輝夜はタオルを押し付けられる。

 せっかくの厚意を無下にもできないので、輝夜はもらったタオルで汗を拭うことに。




「……」



 そんな輝夜を見つめながら、女子生徒は若干緊張気味に喉を鳴らした。




「あー、えっと。後で、洗って返せばいいか?」


「あっ、ううん! 全然、そのままで大丈夫だから」


「いや、でも。けっこう汗が……」


「お願い!」


「……わ、分かった」




 相手の圧力に負けて、輝夜はタオルを返却する。




「ふふふっ」



 彼女は、興奮した様子で去っていった。





「……もう、あいつが犯人じゃないか?」


「だとしたら、隠す気がなさすぎるような」




 確かに、今の女子なら輝夜の上履きを盗んで不自然ではない。




「まぁでも、仕方ないんじゃない? かぐち、実は女子からも人気だから」


「まぁ、可愛いからな」


「それもあるけど、ギャップ萌えとか」


「ギャップ萌え?」


「そうそう。顔はすっごく綺麗なのに、言葉遣いは最悪でさ」


「おい」


「雰囲気だけはいっちょ前なのに、勉強はダメだったり」


「おーい」


「体力ゼロなのも、やっぱりポイントかな」


「……」




 輝夜は無言で桜を睨みつける。




「そうやって睨まれるのも、人によっては好きだったり」


「変態じゃないか」


「しょうがないよ。美少女あるところに、変態ありってね」


「くっ。わたしの上履きも、そんな変態の手に渡っているかも知れん」




 上履きのことを思い出して、輝夜はテンションが下がる。




「そんなにショック?」


「……」




 ただ、私物を盗まれた。それだけだったら、もう少しマシなテンションになっていただろう。

 しかし、”上履き”というのが大きな問題であった。




「……ここだけの話、だぞ」


「大丈夫。わたし、口堅い」




 なぜここまで気にするのか、輝夜は桜に理由を話す。




「実はわたしは、”足フェチ”だったんだ」


「え」




 衝撃的な言葉に、桜は固まる。




「ちょっとまって、どういうカミングアウト?」


「まぁ、少しややこしくてな。今はそうでもなくて、昔はそうだったという話で」


「昔って、いつくらい?」


「そうだな。ずーっと前だな」


「えっと、入院中とか?」


「まぁ、そんな感じだ」




 正確に言うと、もっと昔だが。




「ともかく、元足フェチの感覚からすると、わたしの足は”魅力的”すぎるんだ。もしも同種の変態がいたら、黙ってはいられないはず」


「……あー」


(可愛い顔して、この子は何を言ってるんだろ)




 残念な人を見るような目で、桜は輝夜を見つめていた。 

















「というわけで、捜索を行うぞ」


「はい」


「おー」




 放課後。

 輝夜、善人、桜の三人は下駄箱前に集合し、上履きの捜索を行おうとしていた。




「絶対に、今日中に見つけるぞ。一晩経ったら、もう手遅れだからな」


「ですね」




 持ち帰られたら、探すのは難しくなる。そういう意味の手遅れだと、善人は予想するも。




「もしも相手が変態なら、絶対”変なこと”に使われる」


「「あー……」」




 輝夜の思考は、完全にそっち方面に傾いていた。




「よし! とりあえず、ゲソコンを探すぞ」


「かぐち、昨日の刑事ドラマ見たでしょ」




 ゲソコンとは、足跡のことである。




「ふっ。犯人が警官なのは、ドラマの前半部分で分かってたぞ」


「あー、分かりやすかったもんね」




 輝夜の趣味はテレビを見ること。

 入院していた頃からの習慣である。




「でも、足跡なんて無理じゃないですか? 少なくとも、クラス全員分はあるし」


「……」




 とはいえ、善人は冷静だった。




「なら、”臭い”だ。わたしの上履きの臭いを辿ろう」


「かぐち?」




 桜の視線が、またもや残念な人を見る目に変わる。

 輝夜は、無言で善人を指さした。




「でも僕、警察犬じゃないですよ?」




 そんなごもっともな言葉を受け、輝夜はイヤリングに触れる。




「魔力を使って、鼻を強化すればいいだろ」


「そんなことって」


「言っとくが、わたしはできるぞ?」




 輝夜はドヤ顔で胸を張る。




「だったら、輝夜さんがやったら」


「いや、わたしはやらん」




 下手に魔力を使ったら、しばらく身体が面倒なことになってしまう。それはなるべく避けたかった。




「でも僕、上履きの臭いなんて分からないし……」


「あー、もう。だったら、わたしの足の臭いを覚えればいいだろ!」




 そう言って、輝夜はスリッパを脱ぎ、足を上げようと――


 しかし、その動きを桜が制止する。




「ちょっとストップ!! ……かぐち、とりあえず冷静になろっか」




 こんな人の往来の多い場所で、何をしようとしているのか。




「……たしかに」



 輝夜は、ようやく冷静になる。




「足フェチの変態なら、わたしの蒸れた足はご褒美かも知れんが。流石に善人には、迷惑だろうしな」


「あ、あはは」




 どう反応したら良いのか、善人には分からなかった。




「仕方ない。父に連絡して、警察犬でも用意してもらおう」


「……いや、臭いから離れよっか」















 上履きを探すとは言いつつも、やはり一筋縄ではいかず。

 しかも、生徒たちは次々と下校していってしまう。


 そんな様子を眺めつつ。

 輝夜は一人、覚悟を決めた。




(……背に腹は代えられんか)




 瞳を閉じながら、イヤリングに触れて。輝夜は自分の中の魔力を起こす。

 自らの五感が研ぎ澄まされていくような、不思議な感覚に包まれた。



 その状態のまま、輝夜は下駄箱の隅っこで靴下を脱ぎ。

 密かに臭いを覚えようとしていると。




「ねぇ、ちょっと」


「ッ」




 振り返ると、そこにいたのは一人の女性教師。

 優しい雰囲気をした、輝夜の担任の先生である。




「紅月さん、大丈夫? とてもまともな行動には見えないけど」


「いえ。盗まれた上履きを探すために、臭いを辿ろうと思って」


「……あなた、凄いことするのね」




 輝夜の行動力、もしくは大胆さに彼女は驚く。 




「でもね、紅月さん。人間の鼻って、犬とは違うのよ?」




 小学生に教えるように、先生は優しく”常識”を教えてくれる。

 とはいえ、輝夜もそれくらいの常識は知っていた。


 先生の胸元に近づいて、鼻を利かせてみる。




「……今日のお昼は、カップラーメンですね。しかもシーフード味の」


「え、すごい」




 輝夜は常識を打ち破った。








 どこかの誰かが、捜査に鼻を導入し始めた頃。善人や桜も、同じように手分けして捜索を行っていた。

 そんな中、善人は魔力の波動を感じ取る。




(……まさか、そこまでの覚悟があったなんて)




 輝夜が何をしているのか。全てを察し、愕然としていた。








 研ぎ澄まされた嗅覚を駆使して、輝夜は校舎内を捜索する。

 誰が何を食べたのか、それを当てられるほどの嗅覚ではあるのだが。


 なぜか、輝夜の表情は険しかった。




(あぁ、クソ。色々な臭いで、頭が痛い)




 確かに、輝夜の嗅覚は犬並みに鋭くなっていた。

 しかし、常人の脳では強化された嗅覚に処理が追いつかず、頭痛という形で悪影響が出始めていた。


 おまけに、ここは学校という環境。

 生徒数百人の生活臭が、輝夜の脳に突き刺さる。




(やらなきゃよかった)




 すでに輝夜は、涙目で後悔していた。

 だがしかし、




「……ん?」



 輝夜は”妙なもの”を感じ取り、天井へと視線を向けた。

















 施錠されていない扉を開けて、輝夜は屋上へとやって来た。


 屋上にいたのは、一人の女子生徒。

 その後ろ姿は、輝夜にも見覚えがあった。




「あっ、やっと来た」




 振り返ったのは、眼鏡が特徴的な少女。

 輝夜に勉強を教えてくれる、クラスメイトの女子である。


 しかしその手には、輝夜のものと思しき上履きがあった。




「どうしてここが分かったの?」


「……”魔力”を、感じたんだよ」




 研ぎ澄まされた感覚によって、輝夜は他人の魔力をも強く感知できるようになっていた。

 しかし、学校内で輝夜が感知した魔力は二つ。一つは善人のものとして、もう一つは一体誰なのか。

 それを確かめるために、輝夜は屋上へ来たのだが。


 待っていたのは、予想外の人物であった。




「やっぱり、紅月さんも力が使えたんだね」



 物知り顔で、女子生徒は微笑む。




「ごめんね、上履きは返すよ。変なことはしてないから安心して」




 床に輝夜の上履きを置いて、彼女は後ろへと下がる。




「……」




 相手の動きに警戒しつつ、輝夜は上履きを回収し。

 イタズラされていないかを念入りに確認してから、上履きを履いた。




「それで。わたしをこんな場所に誘い出して、何が目的だ?」


「ふーん。その口ぶりからして、やっぱりアプリを知らないんだ」


「アプリ?」




 言っている意味が分からず、輝夜は首を傾げる。




「……仕方ない、か」




 その反応に、女子生徒はどこか決心した様子で。

 胸元から、ネックレスを引っ張り出す。





 ネックレス自体は、大したものではないのだが。

 その先には、”黄金の指輪”が付けられていた。





「ッ」



 輝夜は本能で感じ取る。彼女のネックレスにある指輪が、自身の持つイヤリングと”同質”のものであると。




 警戒する輝夜を見つつ、女子生徒は微笑む。




「お互いの遺物レリックを賭けて、”悪魔バトル”をしない?」




 巡り巡って、輝夜は決闘を申し込まれた。





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