ソロモンの夜 Ver.1.41421356237
奪われたモノ
この世界に生まれ変わって、多くの変化、多くの違いを実感した。
悪魔という、特大の異常。
豊かに発展した科学に、普及した技術。驚くほど貧弱な自分でも、何とか生きていけるのはそのおかげと言っても過言ではない。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
輝夜は今、人生最大のピンチに直面していた。
すなわち、”テスト勉強”である。
「……」
薄々、気づいてはいた。もしかしたら自分は、勉強が苦手なのかも知れないと。
生まれ変わったことで、脳の作りが変わったのか。暗記や計算能力が著しく低下していた。
とはいえ、絶対に認めたくはない。
自分が”馬鹿”であるなどと。
腐っても、前世では大卒程度の学力があった。高一でやる内容など、ちょっと復習すれば余裕だろう。そう、思っている時期もあった。
だがしかし、どうしても頭に入ってこない。以前と同じようなやり方では、まったくもって学習できない。
戦闘に特化した結果、それ以外がダメダメな人間だなんて。
そんな残念な美少女とは思われたくない。
授業終わり、輝夜が鬼の形相で黒板を見つめていると。
そこへ、一人の女子生徒がやって来る。
「紅月さん、何か分からないことある?」
「あぁ?」
眼鏡をかけた、真面目そうな女子生徒。
ニッコリと善意で話しかけてきたのだが、輝夜は思いっきり睨み返した。
「もう、そんな顔しないで」
しかし、そんな輝夜の態度など気にせず、彼女は分からない箇所を教えてくれる。
魔界での一件を経て、輝夜は学校でも素の性格を出すようになった。
溢れ出る粗暴さに、様々な反応があったものの。意外にも、クラスには普通に溶け込むことができた。
「セレス教関連が苦手なの?」
「苦手というかまぁ、意味が分からん。セレス? キリストはどうした」
「んん?」
言い寄ってきた三年の男子生徒を、ビンタでぶっ飛ばした後、男子は驚くほど近寄らなくなり。
密かに女子からの人気が高まったことを、輝夜は知らない。
◇
お昼休み。
輝夜たちは屋上ではなく、普通に教室で昼食をとるようになっていた。
やはり、足腰的に階段はキツかった。
「で、お前たちはどうなんだ?」
善人と桜、いつもの面子に問いかける。
「どう、とは?」
「テスト勉強だよ、テスト勉強」
前髪の邪魔ったるい善人に、典型的金髪ギャルの桜。この二人が勉強などできるわけないと、輝夜はたかをくくるも。
「えっと、あたしは余裕だけど」
「僕も、隙はないかなと」
悲しいかな、二人は向こう側の人種だった。
輝夜とは、見ている景色が違う。
「……」
輝夜は、無言で弁当を食べ始めた。
敵とはもう、話さない。
「でも、仕方ないんじゃ。輝夜さん、学校行ってなかったんですよね?」
「……まぁ、な」
そう、輝夜には免罪符がある。ずっと入院していて、学校に行っていないという免罪符が。
しばらくは、そういうキャラで乗り切れるだろう。
(……テスト内容を、マーク2に盗ませるか?)
輝夜の思考は、ダメな方向にシフトしていた。
「そういえば、もうマッサージとかいいの? お尻痛くない?」
「……今のわたしは、そんなに脆弱じゃないんだよ」
身体の調子を心配されるも、輝夜はそう言い放った。
◇
「あ〜、う〜」
帰宅後。
輝夜はリビングで、マッサージチェアに沈んでいた。
買ったばかりの代物であり、もちろん輝夜の専用機。
夕食の準備をする舞が、それを見つめている。
「そんなに気持ちが良いですか?」
「ああ。お前に比べると、こいつはまさにプロ級だな」
「むっ。機械の腕を持つ者として、それは屈辱的です」
輝夜が魔界から帰還した後、紅月家には最高級マッサージチェアが導入された。
生きているだけで疲労がたまる。輝夜は以前より、他人にマッサージを頼むことが多かった。
しかし厄介なことに、今の輝夜には容易にマッサージを頼めない”理由”ができてしまった。
「効くぅ」
とはいえ、買ってもらったのはハイスペックな最高級品。
輝夜は非常に満足である。
「そういえば、龍一さんは魔力で身体能力を強化できるそうですよ。輝夜さんも、それで補助をしてみては?」
「……それをやると、”副作用”が出るのは知ってるだろう?」
輝夜は”力”を手に入れた。常人を遥かに凌駕できる、望み通りの力を。
だがしかし、実質的にそれは封印状態になっていた。少なくとも、日常生活の中では安易に使えない。
「あらゆる感覚が100倍になる、でしたっけ?」
「……まぁ、100倍は言い過ぎだな」
戦闘能力を求めすぎた結果、輝夜は異常なまでに五感が鋭くなってしまった。魔力を使用すると、更に鋭さが増してしまう。
視覚や聴覚など、ものによっては我慢できるのだが。
問題は、”皮膚感覚”。
優しめに表現すると、何でもくすぐったく感じてしまう。
正直、日常生活もままならない。
「わたしも色々調べましたが、世の中には感度3000倍でも生きている人がいると……」
「いるかバカ!」
とにもかくにも、日常的に魔力を使っていたらとんでもないことになってしまう。
ゆえに輝夜は、苦労を続ける必要があった。
輝夜がマッサージチェアに沈んでいると、弟の朱雨が家に帰ってくる。
いつも通りのクールフェイスである。
「おー、おかえり」
「ああ」
輝夜の出迎えに対し、返す言葉はそれだけ。
「おいおい、弟よ。おかえりの後は、ただいまって習わなかったか?」
「ちっ」
舌打ちをして、朱雨はリビングを出ていってしまう。
「……舌打ちしたな」
「……しましたね」
輝夜と舞は、そう言って顔を合わせる。
「あれは、典型的な反抗期ってやつだな」
「ですね」
本人が聞いたら、怒りそうな内容である。
「そういえば。”以前の輝夜さん”にも、そういった時期がありましたか?」
「……あぁ?」
輝夜の機嫌が一瞬で悪くなる。
「ふふ、なるほど」
その反応で、舞は色々と察した。
「それにしても。こんなに可愛い姉がいて、普通あんな態度になるか?」
「さぁ、どうでしょう」
数年前までは、小生意気なクソガキに過ぎなかった。
しかし今となっては、常に不機嫌な顔をしている。
その心の内は、誰にも分からない。
◆
街の中心、姫乃タワーの上層部。
長官室に龍一の姿はあった。
部屋にいるのは彼だけ。
しかし、机の前には立体映像が映し出されており、龍一はその映像の先と話をしていた。
映し出されているのは、”魔王アガレス”その人。
『……悪いが、その妙な”アプリ”には関与していない。貴様との取り決めは守っているつもりだ』
「そうか」
魔界において、正面から衝突した両者だが。
互いに互いの”秘密”を握ったがゆえに、このように連絡を交わしていた。
『それにしても、”ソロモン”か』
「知っている名前か?」
『……うむ』
ソロモン。
この世界の歴史には、残されていない名前。
『人が悪魔の存在を消したように、かつて我々も一つの神話を消した』
「神話、だと」
『ああ。存在ごと抹消された、”古の王”だ』
2000年以上の時を生きた、最古の悪魔の一人。彼だからこそ、知っている事実がある。
人類史より失われた、神話の時代。
「”
龍一は、自らの持つ王の指輪に触れる。
悪魔をも従える、禁断の遺物に。
『我々としても、
「お前の手を借りるつもりはない」
『……それで、娘を守れるのなら良いがな』
「……」
どちらかが死ぬまで、双方の秘密を口外しない。それが、龍一とアガレスの間に交わされた取り決め。
ゆえに、味方でも協力者でもない。
『そもそも貴様は、どこで
「……」
これ以上の対話は不要と、龍一は通信を切った。
◇
姫乃から遠く離れた土地。
そこにある大きな屋敷に、一人の老人がいた。
庭の池で泳ぐ鯉を眺めながら、老人はタバコを吸い。
その隣には、真っ黒なスーツを着た長髪の男が佇んでいる。
「……霧島の奴が、また幹部会を要求してるらしいな」
「ええ。前回のように、指輪に関する話を切り出すかも知れません」
「……それだけだったらよぉ、まぁいいんだが」
困ったような表情で、老人はタバコの煙を吐く。
「こいつがバレんのも、時間の問題だな」
「ですね」
老人の手には、黄金の指輪が。
”右手と左手”、両方の人差し指にはめられていた。
「ことが公になる前に、わたくしが回収してきましょうか?」
「はっ、よせよせ。いくらお前でも、奴には勝てんよ」
「なら、どうします?」
「そうだなぁ」
老人は、しばし考える。
広さの割に人の少ない、ただ大きなだけの屋敷を見つめながら。
「死ぬ前に一回くらい、孫に会ってみてぇなぁ」
「と、言いますと」
「まぁ、なんだ。普通に会わせてくれって頼んでも、奴は当然無視するだろう?」
「ええ」
「だったらよう、こっちに勝手に連れて来ちまえばいい」
「つまり、誘拐ですか?」
「まっ、そうなるかな」
誘拐と、彼らは軽々と口にする。
「とはいえ、あくまでも丁重に頼む。大事な孫だ、怪我はさせたくない。腕の立つ奴を何人か送り込んで、必要なら輸送機だって使っていいぞ」
「……ですが、あの姫乃ですよ? 下手したら撃墜される可能性も」
「だったら、おめぇも一緒に行ってくれや。ミサイル撃ち込まれようが、おめぇが居りゃ問題ねぇだろ」
「なるほど」
老人の要求に、長髪の男は納得する。
「大事な息子が誘拐されたとなりゃ、奴も黙ってはいられねぇはずだ。そしたら、指輪を取り戻すチャンスもある。てなわけで、いっちょ頼むわ」
「かしこまりました、”組長”」
大きな力が、姫乃に迫ろうとしていた。
◆◇
朝。
学校の下駄箱で、輝夜は凍り付いていた。
するとそこへ、桜がやって来る。
「おっ、どしたの? またラブレター?」
「……無い」
「無い? 今日は一通も?」
「……いや」
下駄箱を前にして、輝夜は拳を震わせる。
そこにあるべきものが、跡形もなく消えているのだから。
「――上履きが、無い!!」
中間テストを前にして、輝夜は大事件に遭遇してしまった。
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