祝福






「で、あるからして」




 神楽坂高校、一年一組の教室。

 そこは平穏そのものといった様子で、いつもと変わらない授業風景が存在した。


 だがしかし、生徒たちの席には空きが一つ。入口側の一番前の席。そこにいるはずの少女の姿が、どこにも見当たらない。


 たった、それだけのことなのに。友人である花輪善人は、とても授業に集中できる状態ではなかった。

 頭の中にあるのは、自分の無力さへの憤りと、深い後悔の念。自分にもっと力があれば、もっと彼女のことを見ていれば。そうしたら、今も変わらず彼女の後ろ姿を眺めていたはずなのに。




 輝夜の欠席の理由を知る者は、当事者である善人と、彼から話を聞いた竜宮桜の二人だけ。その他の生徒たちは、ただの体調不良だと思っている。

 悪魔絡みの事件に巻き込まれて、魔界に連れ去られた。無駄な混乱を避けるために、ロンギヌスは完全に情報を遮断していた。




 今日は火曜日。彼女のいない学校生活を、これから歩まないといけないのか。善人がそう苦悩していると。

 彼のスマホに、通知がやって来る。




『昨日の夕方、輝夜さんが帰還しました』




 影沢舞から送られてきた、それだけの短い文章。

 善人の脳に衝撃を与えるには、十分過ぎる内容であった。


 授業の最中ではあるものの、善人は思考を送ってスマホを操作する。 




『大丈夫、なんですか?』


『何とも言えません。ですが、”とても動けるような状態ではない”ので、学校へは行かせていません』


(そんなっ)




 メッセージの内容に、心を抉られる。

 なにぜ、悪魔の世界に連れ去られたのである。どんなひどい目に遭ったのか、想像すらつかない。むしろ、帰ってこられただけで奇跡であった。




『お見舞いとかは、無理ですか?』


『いいえ、構いませんよ。学校終わりにでも来てください』




 たとえ彼女が、どのような姿になっていたとしても、友達として彼女を支えてあげたい。

 現実と向き合うべく、善人は輝夜のお見舞いに行くことを決意した。















「お邪魔します」


「しまーす」




 放課後、善人と桜は輝夜の家に訪れた。

 大きな家だとか、中にエレベーターがあるだとか。色々と驚きはあるものの、それを口にするような雰囲気ではなく。


 影沢舞の案内により、二人は輝夜の部屋へとやって来る。




「かなりひどい状態ですが、どうか気になさらずに」


「……分かり、ました」




 彼女の痛々しい姿など見たくはない。

 それでも、善人は勇気を出して扉を開けた。



 すると、善人と桜は衝撃的な光景を目の当たりにする。





「――う、うぅ。背中が、あっ」





 部屋の中にいたのは、ベッドの上でもがき苦しむ、パジャマ姿の輝夜。

 まるでゾンビのような動きをしているものの、特に怪我をしているようには見えなかった。




「これは、いったい」




 よほどひどい目に遭って、精神を病んでしまったのか。善人はそう考えるものの。

 影沢は、真面目な表情で答える。




「これはおそらく、”筋肉痛”です」


「「へっ?」」




 輝夜は、背中が痒くて苦しんでいた。

















「♪」




 鼻歌交じりに、影沢は夕食の準備を行う。

 今夜はカレーであった。



 そしてその頃、輝夜の部屋では。




「えーっと、つまり。父親とチャンバラごっこをしたり、悪い悪魔の親玉と戦ったりして、体を動かしすぎたってこと?」


「まぁ、主な原因はその二つだな」




 輝夜はベッドで寝転んだまま、こうなるに至った経緯を二人に説明していた。




「怪我とかは、ないんですか?」


「はっ、あるわけないだろ。わたしはもう無敵に近いからな、怪我一つしてないぞ」




 無論、嘘である。

 向こうに飛ばされた時点で、輝夜は左腕を負傷していた。


 オババの謎の薬により、すっかり完治していたが。




「機関銃みたいな武器で撃たれもしたが、それも刀で弾き返したからな」


「へ、へぇ」


「かぐっち、嘘が過ぎる」


「はぁ? わたしが嘘なんかつくわけないだろ」




 元々の体が弱すぎるので、話を信じてもらえなかった。



 事実、輝夜の体は依然として脆弱なままである。

 魔力で身体能力を強化することで、戦闘行為を行うのは可能だが。その後遺症として、とんでもない筋肉痛に襲われていた。


 あまりの痛さに、輝夜はベッドから起き上がることすらできず。人間よりも、芋虫に近い動きを余儀なくされていた。




「つらい。つらすぎる」




 バカみたいに動き回った結果、まさかこんな地獄が待っているとは。

 輝夜は筋肉痛を舐めていた。




「ヨッシー、肩とか揉んであげたら?」


「えっ、でも」




 桜の提案に、善人は戸惑うものの。

 輝夜は彼の顔を、じーっと見つめていた。


 やれ、と。瞳が訴えている。




「じゃあ、軽めに」




 いつもの学校の昼休みのように、善人はマッサージ人間になることに。

 うつ伏せになった輝夜の肩を、軽く揉み始める。


 すると、




「ッ、ちょっと待て! おかしいぞ」




 揉み始めて早々に、輝夜の様子がおかしくなる。




「えっと、どうかしました?」


「どうかって、お前……」




 一体、どうしたのだろうか。

 輝夜の顔はかなり赤くなっていた。




「……とりあえず、続けろ」




 ”今の感覚”はちょっとした勘違いだと判断し、輝夜はそのままマッサージを続けてもらうことに。



 だが、しかし。





「んん……あっ、んっ。……そこ、はっ、くっ」





 ただ、マッサージをしているだけなのに。

 部屋の中は、淫靡な空気に包まれていた。



 輝夜は顔を枕に埋めて、何とか声を我慢しているつもりだが。

 残念、声はめちゃくちゃ漏れていた。


 マッサージをする度に反応する輝夜の声に、善人は邪な思考が止まらなくなる。

 だがそれでも、輝夜は止めろとも言わないので。善人は輝夜の肩や、背中周りを揉み続ける。




(うわぁ)




 桜は、完全に見入るモードに入っていた。


 これは本当に、ただのマッサージなのか。なにか別のことが行われているのではないか。そう疑いたくなるほどに、輝夜の反応は凄まじかった。




「――ッ」




 なぜ? なぜそこでビクンとなるのか。


 善人の手に、ゴッドハンド並みの技術があるのか。

 それとも、輝夜がちょっと”アレ”なのか。




 なにはともあれ、高一の桜には刺激が強すぎた。




「ちょっとストップ!! 二人とも、一回ちょっと止めよう」




 桜の一言により、善人はようやく手を止める。


 輝夜はうつ伏せになったまま、少しぐったりとしていた。




「……かぐっち、声がエロすぎる」




 桜は正直に話す。




「ッ、わたしは悪くない! こいつの揉み方が異常なんだよ」


「えっ、そんな。僕はいつも通り、むしろ弱めにやってるくらいなのに」


「嘘をつくな!」


「嘘じゃないです!」




 両者ともに、自分は正常であると主張。

 これでは埒が明かないため。




「あー、ほらほら、わたしが足とか揉んであげるから」




 場の空気を変えようと、桜が輝夜の足に手を伸ばす。

 だがしかし、それがマズかった。





 紅月輝夜という人間にとって、足は”特別な部分”である。

 胸と足、どっちを触られるのが恥ずかしいかと聞かれれば、足と答えるくらいには重要な部分。


 善人にマッサージを頼む際にも、頑なに触らせてこなかった。


 その足を、桜にギュッと掴まれて。





「――ッ!?」





 輝夜は、色々な意味で爆発し。

 善人と桜は追い出されてしまった。















 姫乃タワーの上層部。

 長官室の中で、龍一は真剣に考え事をしていた。


 すると、彼のスマホに着信が。




「――わたしだ」


『わたしだ、じゃない!』




 電話相手の少女に、龍一は理不尽に怒られる。




「輝夜か。番号は舞に聞いたのか?」


『違う。マーク2に調べてもらっただけだ』


「……聞いてくれれば、普通に教えたんだが」


『うるさい。今はそれどころじゃない』




 わざわざ電話をしなければならないほど、輝夜は深刻な問題を抱えていた。




『体の調子が、”ちょっとおかしい”というか。みんなこうなるのか?』


「……どういう意味だ」




 輝夜の話す内容に、龍一は首を傾げる。




「輝夜、具体的な内容を教えてくれ。一体、体のどこがおかしいんだ?」


『ッ、言えるわけがないだろ! この変態!』




 一体何が、彼女の機嫌を損ねたのか。一方的に電話を切られてしまう。

 分からないことだらけだと、龍一は頭を抱えた。


 そうこうしていると、彼のスマホに再び着信が。

 今度は輝夜からではなく、別の知人からの電話であった。




「わたしだ」


『あー、どうも。お久しぶりです』




 電話の相手は、若い男の模様。




「”ウルフ”、丁度いい時に電話してきたな。実はお前に頼みたいことがある」


『俺に頼みですか? 珍しいですね』


「まぁ、な。その内容だが、お前には”娘の護衛”を頼みたい」


『へぇ。そりゃまた、どういう風の吹き回しで?』


「魔王アガレスと、一悶着あってな。もしかしたら今後、輝夜が狙われる可能性がある」


『なるほど、それで俺の手を借りたいと』


「そうなるな」




 輝夜の護衛を任せられる相手。

 龍一は、ウルフという男をかなり信頼していた。




『いやー、なら楽しみですね。噂のお嬢さんと、ついにご対面できるとは』


「ウルフ、護衛を頼むだけだ。無駄な接触は許さん」


『あー、はいはい。了解でーす』




 軽い口調ながらも、ウルフは龍一の頼みを了承する。




「それで、お前の要件はなんだ?」


『あー、そうっすね。まぁ、なんと言いますか。”エーテル”で、ちょっとした動きがありまして』


「何があった」


『どうやら、魔女が日本へ向かうらしいです』


「……まさか、”月の魔女”か?」


『ええ、その通り。日本へ向かう理由は不明ですけど、あれはロンギヌスの直系ですからね。一応、龍一さんに報告しておこうかと』




 その報告を受けて、龍一は深刻そうな表情になる。




「嫌な予感がするな。お前は一刻も早く、こっちに来い」


『了解でーす』




 ウルフとの通話を終えて、龍一はスマホを懐にしまう。

 そして目を閉じて、深くため息を吐いた。




『リューイチ、なにか面倒事?』



 指輪から聞こえる少女の声。




「……そうだな。面倒事が起こりそうだ」




 龍一は、頭を抱えた。

















「さぁ、輝夜さん。口をあーんしてください」


「……あーん」




 紅月家のリビングで、家族三人が夕食をとる。

 まだ色々と段階というものがあるので、龍一はこの中には入らない。



 輝夜は腕が痛くて動かせないので、影沢にカレーを食べさせてもらっていた。


 だがしかし、




「辛い」



 カレーの辛さに、輝夜は涙目になる。




「おかしいですね。いつもと同じ味付けですが」


「それでも辛い」


「……まったく。帰ってきたと思えば、情けない奴だな」




 朱雨が茶々を入れると。

 輝夜は、当然キレる。




「お前、わたしに叩かれたいのか?」


「はっ、寝言は寝てから言え」




 輝夜からの暴力など、蚊に刺された程度のもの。ゆえに朱雨は輝夜を煽るものの。

 今の輝夜には、しっかりとした”暴力手段”が備わっていた。




(絶対、魔力ビンタを食らわせてやる)



 輝夜がそんな事を考えていると。




「ダメですよ、喧嘩は」



 影沢によって、無理やりカレーを口に入れられてしまう。




「……辛い」



 輝夜は泣いた。















 夜。


 当然、痛くてまともに動けないため、輝夜は影沢と一緒にお風呂に入ることに。





「ふぃ」



 心地よさそうに、輝夜はお湯に浮かぶ。

 輝夜は胸に脂肪を抱えているので、水に浮かびやすかった。




「快感」




 伸び伸びと、輝夜はお風呂を満喫し。

 一緒に入っている影沢は、それを微笑ましく見つめている。




「筋肉痛が治まれば、明日から学校へ行きますか?」


「あぁ、そうだな〜」




 お湯に包まれて、輝夜は完全に呆けていた。




「特に腕がつらそうなので、軽く揉んでおきましょう」


「う……優しめで、頼む」




 善人たちに見せた”醜態”を思い出し、輝夜は控えめを要求する。


 だがしかし、




「ん、あっ」


「輝夜さん!?」




 腕だろうが足だろうが、どうにもそういう声が漏れてしまうようで。

 まさかの反応に、影沢も戸惑う。




「なんて言えば、いいんだろうな。戦いの後遺症というか、なんというか。……ちょっと、”感度”が上がっているらしい」




 何を言っているのか、輝夜は自分でも分からなくなる。

 しかし、そうとしか言いようがなかった。


 肩に触れられても、手や足を触られても。以前とは比べ物にならないほど、刺激を強く感じるようになっていた。

 触覚、あるいは痛覚に異常が出ているのだろうか。


 輝夜からしてみれば、かなり困るレベルである。




「……この後、お体を洗うつもりですが」


「……たぶん変な声は出るが、気にしないでくれ」




 他の人間はともかくとして、影沢に聞かれるのはセーフ。

 輝夜は自分にそう言い聞かせて、”我慢”を決意した。















「うぅ……」




 体を洗い終わり。

 火照った体のまま、輝夜は再び湯船に浸かる。


 どうやら声を我慢できなかったようで、影沢の顔も若干赤くなっていた。




「その、過敏な感覚、治るといいですね」


「……じゃなきゃ、病院に行く必要があるな」




 体の感覚に関しては、これ以上考えないように。

 輝夜は話を逸らす。




「舞の体は、どうなんだ? 肌の感じ方とか、普通の人間と変わらないのか?」




 影沢舞は、人体改造を施されたサイボーグである。

 しかも、両腕を武器に変えられるほどに機械の度合いが高かった。




「そうですね。他のサイボーグは知りませんが、わたしは生身の体と変わらぬ感覚を持っていますよ。だからこうして、輝夜さんのぬくもりを感じられます」




 お湯の中で、影沢は輝夜の手を握る。




「そう、か」




 手を握って、互いの感覚に触れる。

 ただ、それだけの動作なのだが。




「輝夜さん?」




 輝夜は”大粒の涙”を流していた。

 心の底から、喜びを感じているように。


 その様子を見て、影沢は察する。




「……魔界で、よっぽど怖い思いをしたんですね」




 安心感からくる涙。

 そうであると考え、”輝夜の体を優しく抱き締める”。





「ッ」



 それは奇しくも、あの時と同じようで。





――今のあなたも、これまでのあなたも。わたし、は……





 絶望の中で抱き締められ、そうして彼女は息を引き取った。


 血の繋がりはなくとも、最も大切な家族。


 初めて会った時から、無償の愛を注いでくれた人。




 それを、もう一度抱き締められる。

 それだけで、輝夜は涙が止まらなかった。




「全部、話してください。それできっと、楽になれますよ」




 輝夜の心を、少しでも癒そうという優しい言葉。

 だから輝夜も、もう一度言おうという気持ちになる。




「わたしは、”違う未来”を見てきたんだ」


「……どんな、未来ですか?」




 輝夜の言葉を、影沢は真剣に受け止める。

 それがどれほど突拍子もない内容でも、決して笑わずに。





 それは、輝夜の選択が招いた最悪の未来。


 輝夜のために、龍一が命を落とし、悪魔が姫乃を攻めてくる。


 街は火の海になって、病院も襲われて。


 最終的に、輝夜の腕の中で影沢が死んでしまう。


 そんな、未来。





 その全てを聞いて、影沢は妙に納得ができてしまう。


 輝夜の変化と、成長。たった数日間で、一体どのような経験を積めば、今の彼女へと至るのか。


 もう一つの未来こそが、鍵であると。




「……未来を変えるために、頑張ったんですね」




 その頑張りを。

 誰にも理解されない努力を悟り、影沢は輝夜の頭を撫でる。




 だがしかし、輝夜はここまで頑張ったのは、ただ未来を変えるためだけではない。


 もう一つ、大きな理由が存在していた。




「……舞の言葉を、最後まで聞きたかった」


「わたしの、言葉?」




 それが、一番の”後悔”。

 輝夜が絶望した理由。





――わたしには、前世の記憶がある。





 誰にも言っていない秘密を、舞に告白した。

 嘘をついたまま死にたくなくて。

 自分という存在を受け入れてほしくて。




 自分には前世の記憶がある。

 この世界を、ずっとゲームか何かだと思っていた。

 こんな自分だから、普通の女の子みたいには生きられない。

 誰に言えるはずもなく、現実と虚構の間で恐怖して。




 それでも輝夜は、もう一度全てを告白する。


 包み隠さずに、自分の全てを。


 影沢は、それを最後まで聞いてくれた。




「それでわたしは、なんと言ったんですか?」




 その問いに、輝夜は首を横に振る。

 それが、一番の悲しみだった。




 最後の言葉を聞く前に、死が二人を引き裂いた。




 輝夜の告白を聞いて、影沢はどう思ったのか。

 なんて言おうとしたのか。



 ただもう一度、その言葉を聞きたくて。

 輝夜は全てをやり直した。




「……未来のわたしが何と言おうとしたのか、わたしには想像もつきません。……ですがその代わりに、”今のわたしの気持ち”を率直に伝えようと思います」




 その言葉は、






「今のあなたも、これまでのあなたも。――わたしは、”心の底から愛しています”」






 あまりにも単純な、答え合わせ。

 影沢の口からは、そんな言葉しか出てこない。


 いつ、どこであっても、それはきっと変わらない。





「でも、わたしには、男だった時の記憶とか」


「そんなことは、”わたしには関係ありません”。わたしにとっては、ここにいる輝夜さんが全てですから」





 嘘も偽りも脱ぎ捨てて。

 身も心も裸になって、全てを打ち明け合う。





「生きていてくれて、ありがとうございます」





 この日。


 紅月輝夜は、本当の意味でこの世に生を受けた。





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