魔界の王
ソファの上で仰向けになりながら。輝夜は瞳を閉じ、静かに精神統一をする。
長い髪の毛が地面についてるが、そんなことは気にしない。
部屋の外では、テックの悪魔たちが偽装のためにアジトを破壊中だが、それも気にしない。
「……ふぅ」
死ぬほどうるさいが、それでも気にしない。
怒りを鎮めるように、輝夜は深呼吸をした。
自分の性格が、あまり良くないこと。ほんの少し、野蛮なのは自覚がある。だからこうして、精神統一をすることで怒りを鎮めている。
(危ない危ない。危うく、父親相手にキレるところだった)
――うるっさい!!
と、思いっきり怒鳴ったものの。輝夜の中では、あれはセーフ判定。怒りを我慢できたことになっている。
感情に任せて怒りまくっていては、まるで年頃の反抗期のように思われてしまう。輝夜としては、それは避けたかった。
(わたしは大人だ。精神的には大人なんだ)
そうやって、自分に言い聞かせる。
そもそも、この怒りは正当なものである。
輝夜の中で、ふつふつと湧き上がる怒り。
その多くの原因は、一人の悪魔へと集約される。
魔王アガレス、それが諸悪の根源。彼が姫乃の襲撃を計画したのが、全ての原因であった。
アガレスの命令を受けて、テックマスターという集団が動き、その果てに輝夜は地獄を経験した。
多くの人間が連れ去られたのも、輝夜が死にかけたのも、家族同然の命を失ったのも、全てアガレスのせい。
(……魔王アガレス、か)
強力な悪魔を意味する言葉、魔王。その魔王をも従える、魔王の中の魔王。
この魔界を支配する者は誰かと問われれば、きっと多くの者がアガレスと答えるだろう。それほどの力を、彼は有している。
ならもしも、その魔王アガレスを”従える”ことができたら?
輝夜には、それを可能にする力があった。
魔界の支配者を、更に上から支配する。
(これはもう、世界平和じゃないか?)
最高の思いつきに、輝夜は微笑んだ。
上手く事が運べば、アモンとの約束も果たすことができる。
人も悪魔も隔てなく、世界を救ってほしい。
かなりの難題に思えたが、案外簡単なものである。
(わたしが魔界を支配する)
ちょっと精神統一をした結果、輝夜はラスボス的思想に目覚めた。
◆
「ぬおっ!?」
淡い輝きに満ちた世界。
無重力の空間で、輝夜はくるくると回転する。
「ちょっ、助け」
とても無様に。あるいは、とても可愛らしく回転する。
「……まったく」
仮面をつけた男。父親である龍一が、輝夜の腕を掴んで近くへ抱き寄せた。
ここは、ルシファーの光。その内側に当たる部分である。
魔界の全ての階層を繋ぐ領域であり、重力すら存在しない。
悪魔にとっては、ここは慣れ親しんだ領域である。多くの悪魔たちは、魔力を放出することで無重力の中でも自由に移動できる。
人間で言う自転車のように、悪魔は子供の頃から無重力での動き方を練習する。
それゆえ、輝夜のような年代で飛べないのは、非常に悪目立ちをしていた。
「……吐く」
「頼むから我慢をしてくれ」
いくら仮面をつけているとは言え、目立つのは好ましくない。
龍一は輝夜を抱きかかえて、上層へと向かっていく。
以前にも経験があるのか、慣れた様子で龍一は移動をする。魔力操作はお手の物であった。
そんな龍一に抱えられながら、輝夜は必死に吐き気と戦う。
『輝夜さん、平気ですか?』
イヤリングを通じて、カノンの声が頭に響く。
しかし、今の輝夜に返事をする余裕など無かった。
ルシファーの光という、興味深い神秘に身を任せるのみ。
「……最後の確認だが。本当に、第1階層へ向かうのか?」
「……だから、そう言ってるだろ」
ぐったりとしながらも、輝夜は返事をする。
こういう有様だからこそ、龍一は上に向かいたくなかった。
ただ地上に帰るだけならば、正直いくらでも方法がある。適当な階層、適当な魔王を襲い、そこにある転移装置を奪えばいい。龍一だからこそ、可能な行為である。
事実、輝夜の暴走がなければ、龍一はその方法で地上に帰還する予定であった。
魔王を一人倒す程度なら、彼の手にかかれば容易なこと。
しかし、アガレスともなれば話が変わる。いくら龍一でも、喧嘩を売る気にはならない。
アガレスの恐ろしさは、個の力ではないのだから。
しかし、輝夜は頑として譲らなかった。
「テックマスターとしての立場を使えば、簡単に転移装置を使えるんだぞ? しかも運が良ければ、魔王アガレスにも会える」
「……仮に、アガレスに会えたとして、どうするつもりだ?」
「もちろん、ぶっ殺す」
迷いなく、輝夜はそう宣言した。
魔王アガレスを殺す。それを宣言できる者など、世界広しと言えど彼女くらいなものであろう。
「わたしの刀で殺せば、アガレスを下僕にできる。そうすれば、みんなハッピーだろ?」
「……」
自分の娘が持つ力。そして、野望の大きさに驚きつつも。
龍一の中では、静かに”闘志”が燃えていた。
輝夜と龍一、その根っこは似た者同士。
言葉よりも、”拳で解決する”のが好きなタイプであった。
◇
第1階層、アガレス。
高層ビルの建ち並ぶ都市部から、南に外れた地域。
”軍事基地”としか思えない場所に、輝夜と龍一は足を運んでいた。
施設全体が、強固な鋼鉄の壁に囲まれており。
飛行型の軍事車両が頻繁に行き来をしている。
(あぁ……)
ここに来たことを、輝夜は少しだけ後悔した。
「引き返すなら、これが最後のチャンスだぞ?」
「……うるさい」
敵地に乗り込むことは、元より想定内である。
輝夜は深呼吸をして、自分の中のスイッチを切り替えた。
「あ、”あーし”たち、アトムに言われて来たんですけどぉ!」
「!?」
アトムに渡されたIDカードをかざしながら、輝夜は施設のゲートに話しかける。
あまりにも”馬鹿っぽい話し方”に、龍一は絶句した。
『……テックマスターだな。話は聞いている』
とはいえ、この喋り方が正解だったのか。あるいは、単にIDカードのおかげか。
ゲートが開き、二人は施設の中に入れることになった。
中で待ち構えていたのは、軍人のような格好をした一人の悪魔。腕にはライフル銃を抱えている。
「二人だけか?」
「あー、はい。まずはあーしたちが、先行隊として派遣されましたぁ」
輝夜は、なるべく馬鹿っぽく。テックマスターの下級構成員を演じ切る。
対する龍一は、仮面もあるので無口を装う。
「なるほどな」
軍人らしき悪魔は、輝夜の顔をジロジロと見つめる。
「噂のヒューマンスキンというのは、これほど自然なのか」
「え、えぇ」
姫乃に潜入するべく、人間の皮を被った悪魔。それが輝夜の立ち位置である。
無論、これは素顔だが。
「随分と、美しい人間を素材にしてるんだな」
「あ、あはは。どうやら、権力者の娘らしくて〜」
「ほう、それは便利な立ち位置だな」
「えぇ、まぁ」
自分は下級悪魔。これから人間界に向かう、ちょっと馬鹿な悪魔。自分にそう言い聞かせながら、輝夜は適当に受け答えをする。
「そっちのやつは、どうして仮面を?」
「あー、その。まだ顔の筋繊維が定着してなくて、急いで固めてる最中なんです! だから、口も動かせなくって」
「そういうものか」
「あ、あはは」
まさに、ギリギリの綱渡り。
本当に大丈夫なのかと思いつつ、輝夜たちは施設への侵入に成功する。
――案外、余裕だったな。
輝夜と龍一は、同じようなことを思った。
悪魔に案内されながら、二人は施設の奥へと進んでいく。
その道中で目に入るのは、”悪魔の技術力の高さ”。
ここは、兵器製造を行う施設なのだろうか。見たことのない重火器や、軍用車両のようなものが製造ラインに乗っている。
テックマスターは、”上”から技術提供を受けていると言っていた。
もしかしたら、ハイテク武器やサイボーグなどの技術も、ここで生まれたのかも知れない。
ここまで深い領域に入るのは、龍一としても初めてであり。
興味深く感じつつも、周囲の警戒を続けていた。
貨物用の大型エレベーターに乗せられ、輝夜たちは施設内の深部へと到達。
だだっ広い部屋へと案内された。
部屋の中央には、巨大な台座と装置が置かれている。
あれが転移装置かと、一瞬思うも。輝夜の知るそれとは違っていた。
「えーっと、あれは?」
「新型の転移装置だ。大人数を、一度に転移させられるらしい」
つまり、この装置を使用して、大量の悪魔を姫乃に送り込む計画なのだろう。
それが果たされた未来を、輝夜は知っていた。
無意識に、拳に力が入る。
(……流石に、アガレスは姿を見せんか)
なにはともあれ、この転移装置を使えば無事に地上へ帰還できる。
龍一が、そう考えていると。
「――アトムの奴は来ぬのか」
装置の裏から、一人の老人が姿を現す。
この施設に似つかわしくない、軍人とも思えぬその姿。
「ッ」
輝夜は瞬時に理解する。
この老人こそが、湧き上がる怒りの元凶。
魔王、アガレスであると。
◆
輝夜たちの前に現れた、魔王アガレス。
地味な色の着物を身に纏い、その辺りにいる普通の老人にも見える。
だがしかし、そこに立つのは魔界の半分以上を統べる大魔王であった。
「貴様ら、二人だけか?」
「あっ。は、はい。先行隊として選ばれました。人間どもの腹に、風穴を開けてきます」
「……うむ、期待している。姫乃を占領できれば、地上を奪う大きな足がかりとなるだろう」
ひとまず、輝夜は演技をし続ける。
その様子に、アガレスは疑う素振りもなかった。
「……」
龍一は、静かに感覚を研ぎ澄ます。
向こうとの距離、敵の戦力、そしてタイミング。
今ならアガレスを殺すことも、捕らえることも可能であろう。
しかしその前に、龍一には気になることがあった。
「失礼、魔王アガレス。一つ質問していいでしょうか」
龍一が沈黙を破る。
「なんだ?」
まさか、ここに”彼”がいるとは思わず、アガレスは問いに答える。
「我々テックマスターの戦力だけで、姫乃を本当に落とせるでしょうか」
「……何が言いたい」
「姫乃には、”魔王殺し”と呼ばれる者がいるはずです。魔王より遥かに劣る我々のみで、街を占領できるとは思えません」
それこそが、龍一の気になっていたこと。
テックマスターによる姫乃侵攻、それは確かに恐ろしい計画だが。龍一が居れば、簡単に対処できる程度の計画である。
想定外の出来事が起き、結果として龍一は不在であるものの。無理を承知で、姫乃への侵攻を命じたとすれば。
「我々テックマスターは、捨て石ということですか?」
姫乃を落とせば、魔王としての地位を約束する。そんな言葉でアトムを焚き付けて、成功不可能な任務を行わせる。
つまり、アガレスは知りたかっただけなのだろう。
悪魔の軍勢に襲われた場合、姫乃はどのように動き、どれほどの戦力で対処を行うのか。
テックマスターは、それを観測するための道具にすぎない。
龍一にそのような質問をされ、アガレスの表情が変わる。
「……どこから情報を得たのか知らんが、それは貴様らの憂慮することではない。兵隊は兵隊らしく、黙って任務を遂行しろ」
それが、アガレスの答えだった。
――魔王アガレスは、目的のためなら仲間だろうと殺す奴なんだよ。
輝夜の言葉が、脳裏をよぎり。
龍一の考えが決まる。
「――これが、魔界の王ということか」
ゆっくりと、仮面を外し。
龍一とアガレスが目を合わせる。
「貴様は、まさかっ」
アガレスもようやく気づく。
今ここに立っているのが、一体何者なのか。
「ふぅ」
輝夜も覚悟を決め、イヤリングに触れると。
彼女の最も信頼する悪魔、”カノン”がこの場に召喚された。
アガレスは、思わず後ずさる。
「馬鹿な。テックの連中はどうした」
「……この俺が、皆殺しにした」
龍一が刀を抜き。
青い炎が舞い上がる。
「そして次は、お前の番だ」
魔王アガレスを討伐すべく、龍一は刀を振るった。
◇
青く美しく、そして何よりも熱い炎。
それが部屋の中を駆け巡り、転移装置以外の機器を破壊する。
同時に、アガレス以外の悪魔を一瞬で焼き払った。
「……まったく、予想外の展開だな」
魔王、アガレスは動じず。
彼の体は半透明のバリアのようなもので覆われていた。
しかし、その程度の防御など、龍一の前では意味がない。
「待っていろ、すぐに引きずってくる」
「はいはい」
敵は、アガレス一人だけ。
他の魔王級の気配も感じない。
ゆえに容易く捕らえられると、龍一は考えるものの。
対するアガレスは、まるで焦る様子がなかった。
紅月龍一が現れたのは、確かに想定外。
だがしかし、負けるとも考えていない。
「丁度いい。貴様らには、”こいつ”の実戦テストに付き合ってもらおう」
輝夜たちの後ろ。
貨物用のエレベーターに乗って、それはやって来た。
「……何だ、こいつは」
百戦錬磨の龍一も、その存在には驚くしかない。
それは、鋼鉄の体を持ち、無数の足で体を支えていた。
形状は”蜘蛛”のようであり、強大な魔力を秘めた機械兵器。
「――人類殲滅用に開発された魔導兵器。その名も、”スキュラMk-Ⅱ”」
(あー)
輝夜は絶句する。
「ニャルラトホテプの残した叡智と、最強の人間。果たして、勝つのはどちらかな?」
最後の最後で、とんでもないピンチに直面した。
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