遥かなる家路
仮面の男、父親から渡された腕時計を見て。記憶通りと、輝夜は安心する。
「栞!」
こちらを見物していた栞を、手招きして呼んでみる。
「なに?」
「ほら、こいつを腕につけてみろ」
「ん? いいけど」
輝夜の言うことに素直に従って、栞は腕時計を装着する。
「おい、一体何を」
腕時計を欲した娘、その行動が予測できない。
その腕時計の持つ秘密は、龍一しか知らないはずである。
だがしかし、輝夜はかつて教わった通りに腕時計を操作する。
リューズを引っ張り。時計の枠を右に二回、左に三回ひねる。
「なっ」
自分しか知らないはずの行動に、龍一は言葉を失い。
栞を囲むような形で、地面に魔法陣が出現する。
「えっ、なにこれ」
突然の現象に、栞は戸惑うしかない。
「こいつの行き先は、姫乃タワーで合ってるよな?」
「……そう、だが」
まるで、全て知っているかのように。腕時計を操作する輝夜を見て、龍一は完全に思考が停止する。
同じように、戸惑う栞に対して、輝夜は優しく微笑みかけた。
「こいつは小型の転移装置だよ。こいつを使って、一足先に街へ戻っていてくれ」
「そんな。じゃあ、輝夜は?」
自分だけが、先に帰還する。そんなことは、栞も受け入れたくはなかった。
だがしかし、それを一番理解しているのは輝夜である。他の多くの生命を犠牲に、ここまで生かされてきたのだから。その気持ちは、痛いほどに分かる。
だからこそ、輝夜は自分なりのやり方として、栞に小指を差し出してみる。
いわゆる、指切りである。
「お前が決めてくれ。どういう約束がしたい?」
わたしもすぐに行く。絶対に帰ってくる。そんなありきたりな言葉では意味がない。
お互いが納得できるように、輝夜は約束の内容を栞に委ねた。
栞は、ほんの少し戸惑いつつも。目を閉じて、気持ちを整理し。
ちょっとだけ唇を噛みながら、輝夜と指切りをする。
「今度の週末、一緒に買い物に行きたい、かも」
「……ああ、分かった」
そんな、何気ない再会の約束を交わし。
輝夜が指を離すと。
小型転移装置、その魔法陣が起動し。
栞は一足先に、姫乃の街へと帰還した。
◇
「さて、と」
栞を送り返し、満足気になる輝夜。
そのまま何もなかったかのように、広間から離れようとするも。
龍一が、輝夜の腕を掴む。
「……お父さん、キモい」
「くっ、お前」
心を抉るような言葉に、龍一はダメージを受けつつも。
それでも、問わねばならない。
「なぜ、腕時計の仕組みを知っている?」
「……」
難しい質問に、輝夜はだんまりを決め込む。
「起動方法は俺しか知らないはずだ。”タマモ”だって、すでに死んでいる」
「……タマモ?」
輝夜にとって、聞き慣れない名前である。
だがしかし、
「――ミーのオリジナルと知り合いにゃん?」
輝夜の電子精霊、マーク2がやって来る。
その小さな姿を見て、龍一は驚愕した。
「まさかあいつ、自分の電子精霊を作っていたのか」
「マーク2、どういうあれだ?」
「にゃん! ミーのオリジナルの本名は、タマモ・ニャルラトホテプにゃん。親しい友人しか知らない名前にゃん」
「なるほど」
その話が確かなら、龍一はニャルラトホテプと交友関係があったことになる。
輝夜から見て、かなり意外な関係である。
「タマモ、なるらとっ。…………要するに、タマにゃんだな」
「タマにゃん!?」
タマモ・ニャルラトホテプ。
輝夜にとっては、絶妙に言いにくい名前であった。
「かつて、俺とタマモはコンビを組んでいた。この指輪を通じてな」
そう言って、龍一は王の指輪に触れる。
とはいえ、今は別の存在と繋がっているが。
「なるほど。確かにあいつの電子精霊なら、腕時計の仕組みを知っていてもおかしくはないか」
「……腕時計にゃん? それって――」
無駄口を叩こうとするマーク2を、輝夜が優しく握り締める。
「あぁ。こいつには前から、色々と世話になってるからな」
腕時計の起動方法は、マーク2に教えてもらった。
ということにしておく。
「……そうか」
マーク2の姿を、龍一は懐かしそうに見つめる。
「死してなお、娘を救ってくれるとは。まったく、お前という奴は」
たった、それだけの言葉で。彼とニャルラトホテプとの間に、深い繋がりがあったことが理解できる。
「それにしても、意外だな。ロンギヌスの長官さまが、悪魔と契約していたとは」
「……フォックス事件、あれが全ての始まりだ」
その事件の名は、かつて輝夜も影沢から聞いた覚えがある。
魔王の率いる軍勢が、アメリカの地方都市を占領した事件。
多くの死傷者が出たものの。当時、徒歩で世界一周中だった龍一によって、事件は解決に導かれた。
とはいえ、龍一は一人でこの事件を解決したわけではない。頼れる協力者の存在。ニャルラトホテプというパートナーがいたからこそ、それをなすことができた。
「人類側の技術力が近年著しく進歩したのは、タマモからの技術提供があったからだ。お前を延命しているナノマシンも、彼女が設計してくれた」
「……」
さらりと告げられた事実に、輝夜は驚くしかない。
ニャルラトホテプの人格を持った電子精霊が、自分の元へやって来たのも。何か運命的なものを感じる。
古の魔王であるアモンと、人類の英雄である龍一。その両方との繋がりを持つ天才悪魔、ニャルラトホテプ。
もしも、彼女が生きていれば、世界はどうなっていただろう。
もしかしたら、融和の道すらあり得たかも知れない。
あの、大崩壊さえ起きなければ。
「それと、まだ気になることがある」
「なんだ?」
まだまだ続く、龍一の言葉。
輝夜も何となくの察しがつく。
「あの黒い刀と、そのイヤリングについてだ」
「あー」
武器について問われ、輝夜は考える。
「刀に関しては、正直何とも言えないな。気づいたら、目の前に生えてきた」
「……本当、なのか?」
「……娘を疑うのか?」
「くっ」
そのパワーワードに、龍一は敗北してしまう。
とはいえ、別に輝夜は嘘をついてはいなかった。
「このイヤリングに関しては、前に露店で買ったやつだよ」
「ああ、それは知っている。”ステージ3の少年”と、同じ店で買った物だな」
「ステージ3?」
またもや、輝夜には聞き慣れない言葉である。
「……ルナティック症候群の、重症度合いを示す言葉だ」
いわく。
ステージ1と呼ばれるものが、ルナティック症候群の基本症状となる。
悪夢による睡眠障害は無いものの、月を直視すると不安な気持ちになる。
多くの人間がこのステージ1に当てはまり、龍一にもこの程度の症状があった。
そして、ステージ2がより重症な患者となる。一般的に、ルナティック症候群として認知されているのは、このステージ2の患者である。
慢性的な悪夢に苛まれ、脳インプラントによる治療を必要とする。
輝夜の弟である朱雨や、栞などもこのステージ2に該当した。
大なり小なり、人類はルナティック症候群を発症しており。
総人口の99%以上の人間が、このステージ1とステージ2に分類されている。
だがしかし、その唯一の例外とされる存在が、姫乃の街に暮らしていた。
その者の名前こそが、花輪善人。輝夜の友人である彼。
善人は前例のないステージ3。
その症状は、精神汚染とも表現され。錯乱による人格変化や、凶暴性の増大などが含まれる。
ステージ3の彼には脳インプラントによる治療すらも効果を示さず。発症以来、常に悪夢に侵され続けていた。
しかし、その話を聞いて輝夜は首を傾げる。
「でもあいつ、わたしと一緒の時は普通に寝てたぞ?」
「……なに?」
龍一は、信じられないという様子。
対する輝夜は、若干気まずそうに目をそらす。
「前にちょっと、あいつが月を直視してだな。派手に暴走したことがあったんだが」
それは、あの夜の出来事。
変態仮面こと、龍一と初めて会った日でもある。
「軽く手を握ってあげたら、めちゃくちゃ安心する。みたいな感じだったから、まぁ」
だったら仕方がないと、輝夜は善人の手を一晩中握ってあげた。するとその日、彼は悪夢を見なかったという。
ゆえに、輝夜はこう思った。
「もしかしたら、わたしは月の呪いを”無力化”できるんじゃ――」
「ッ」
咄嗟に、龍一が輝夜の口を手で塞ぐ。
それには、輝夜も目を見開き。
「ちょっ、近い!」
その手を振りほどき、龍一と距離を取った。
「急になんだ?」
「……今の話、他にもしたことがあるのか?」
「はぁ? 何が」
「月の呪いを打ち消した、という話だ。俺以外に、その話をしたのか?」
「……してない、と思う。まぁ、善人は一緒にいたから、例外だけど」
「……そうか」
他の誰にも話していない。それを聞いて、龍一はひとまず安心する。
「この話は、もう絶対口にするな」
「どうして?」
「……今は、説明ができん」
「はぁ? そんないい加減な」
「”分かってくれ”」
「ッ」
それは、嘘偽りのない本気の言葉であった。
月の呪いを無力化する、輝夜の秘密。
龍一はそれを知っているものの、今は教えることができない。
そこには、大きな事情がある。
きっと自分のためなのだと、輝夜は何とか納得してみるものの。
とはいえ、怒りは生じる。
「あー、もう。疲れたからシャワー浴びてくる。”お前”は、わたしの部屋で待ってろ!」
「……お前、だと」
何よりも大切な娘に、お前と呼ばれ。
その父親の背中には、哀愁が漂っていた。
◆
テックマスターのアジト、リーダーである輝夜の部屋。
輝夜はリーダーらしく、ソファに堂々とくつろぎ。
その後ろには、カノン、アトム、ゴレムの三人が立っている。
それと対峙するのは、仮面の男、紅月龍一。
アトムとゴレムに関しては、威圧するように龍一を睨んでいた。
「おい、リーダー。こいつを見つけて、どうなるってんだ?」
アトムが問いかける。
「この仮面の男は、紅月龍一。わたしの父親だ」
――父親!?
カノンたちは、三人揃って驚いた。
このリーダーは、実の父親を変態仮面と称して探し回っていたのかと。
「こいつらはわたしの仲間だから、仮面を取っていいぞ。魔王とも繋がってない」
「……そうか」
それならば大丈夫と判断し、龍一は真っ白な仮面を取る。
弟の朱雨にも似た、かなりのイケオジだが。
「ふんっ」
その顔を見て、輝夜は若干機嫌が悪くなる。
すると、アトムが何かを思い出す。
「待てよ、紅月龍一? ……まさか、”魔王殺し”か」
かつてここのリーダーだったこともあり、アトムはその名を知っていた。
魔界に悪名を轟かせる、全ての悪魔の天敵。
カノンとは比べるまでもない、正真正銘の賞金首である。
「テックマスターは、紅月龍一の手によって壊滅させられた、ということにしよう。そうすれば、アガレスはお前たちが死んだと勘違いして、スムーズに手を切れるだろう?」
それこそが、輝夜の考え。
疑われることなく、スムーズに裏切ることができる。誰も不幸にならない素敵な案。
しかし、それを聞いた龍一は頭を抱える。
「……そもそも、ここの連中は何者だ? なぜお前に従っている」
何一つ説明されていないため、龍一はテックマスターについて知らなかった。
「この組織の名は、テックマスター。第5階層を拠点に活動する、ギャング集団ってところかな? ――それでもって。姫乃を襲い、人々を誘拐していた犯人でもある」
「……なに?」
その話を聞いて、龍一の声色が変わる。
不思議と、カノンたちもプレッシャーを感じた。
「そんな連中が、なぜ手下のように振る舞っている」
「……一度、殺したんだよ。このカグヤブレードで」
輝夜が手をかざすと、そこに漆黒の刀が具現化する。
呼ぶのも消すのも、輝夜の自由自在であった。
「この刀には、殺した相手を蘇らせる力がある。しかも、蘇った相手は強制的にわたしの仲間になる」
輝夜から、ブレードの説明を聞き。
同時に、龍一の顔が引きつる。
「まさかとは思うが。だから俺に、容赦なく斬りかかってきたのか?」
「ああ、もちろん。どうせ生き返るしな。それに下僕になれば、もう隠し事もできないだろう?」
大丈夫、死んでもドラ○○ボールで生き返る。
もはやその次元の考え方である。
「……」
輝夜の教育を影沢に任せたことを、龍一は今更ながら後悔した。
とはいえ、この性格は生まれつきだが。
「だが、つまり。お前の従えるこいつらは、多くの人々を殺した”残虐な悪魔”、ということだな?」
そんな言葉を受けて、輝夜の瞳に熱がこもる。
「確かに、そうだが。わたしの支配下にある以上、二度とそういうことはさせない」
「だが、犯した罪は消えん」
「ッ、そんなこと。言われなくても分かってる」
龍一に対し、輝夜は怒りを露わにする。
「あんただって、今まで悪魔を山ほど殺してきたんだろ? そいつらにも家族がいたかも知れないし、悲しむ奴だっていた。悪魔の世界からしてみれば、”残虐な人間”だろ!」
――魔界の法律に、人間を殺すな、なんて書いてねぇ。
かつて、アトムの言った言葉を思い出す。
この言葉は、悪魔だけでなく、人間にも当てはまる。人間の法律の中にも、悪魔を殺すなとは書いていない。
人間も悪魔も、同じ思考をしている。彼らは互いに、相手の生命を軽く考えすぎていた。
悪い連中だから、憎き種族だから。そんなくだらない理屈で自分を正当化して、自分とは違う種族の命を奪っている。
それが、輝夜には無理だった。
アモンやアミーと出会い、カノンという男を知って。
今の輝夜はもう、悪魔だからという理由で、相手を殺めることはできなかった。
だから前回、輝夜が初めてアドバンスを使った時。
ゴレムに対し、とどめを刺すことができなかった。
自分が奪おうとしている命が、”自分と同じくらい重い”と知ってしまったから。
人も悪魔も殺したくない。
命の重さは背負えない。
だがそれでも、戦わないといけない。
そんな歪みが、”カグヤブレード”という代物を生み出してしまった。
「……だが、しかしだな」
「なら殺すのか? わたしが命令すれば、きっと無抵抗で殺せるぞ」
「いや、そこまでしろとは」
「それに放っておけば、こいつらはアガレスに殺される。トカゲの尻尾切りみたいにな」
「そんな確証は無いだろう」
「いいや、ある。魔王アガレスは、目的のためなら仲間だろうと殺す奴なんだよ」
「何も知らないくせに、勝手な妄想を言うな」
何も知らない、勝手な妄想。
その言葉に、輝夜の怒りが爆発する。
「――うるっさい!!」
もう二度と、間違えないように。
もう二度と、後悔しないように。
もう二度と、あんな思いをしないように。
身近な人間はもちろん、テックの連中も見殺しにはできない。
世界を救うという、アモンとの約束もある。
今の輝夜には、やるべきことがたくさんあった。
「ふぅ……」
大きな声で叫んだため、それだけで輝夜は疲れ果てる。
輝夜と、龍一。
どちらも相手のことを思い、それでいて隠し事がある。
奇しくも、似た者同士。
だからこそ、輝夜は無性に苛立つのかも知れない。
人間、悪魔。
ここでそんな議論をしても、何の意味もなかった。
「……とりあえず、わたし達は第1階層に向かう。アガレスがテックのために転移装置を用意してるから、そいつを利用して姫乃に帰る」
魔王アガレスは、未だにアトムたちの裏切りに気づいていない。
だからこそ、利用できる手段があった。
「ついでに機会があれば、アガレスをぶっ殺すつもりだけど。……そんな危険なこと、娘一人にはさせないよな?」
「……」
悪魔に連れ去られた娘を助けるため、単独で魔界へと向かい。
それがどうしてこうなったのか、龍一には分からなかった。
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