王道ヒロイン






「……」




 薄暗い部屋。清潔感のある簡素なベッドで、輝夜は横になる。


 これからのことに備え、なるべく体力を温存しておきたいのだが。それでも輝夜は、素直に眠ることができなかった。


 地獄を見て、絶望し、そして帰ってきた。

 最悪の事態は乗り越えられたものの、未だにここは人の暮らす世界ではない。


 唯一、輝夜の心の支えになっているのは、漆黒の刀、カグヤブレード。安心を得るために、ベッドのすぐ側に立てかけてある。

 驚くほどに扱いやすく、敵を斬ることで”その心を奪う”力を持つ。




 輝夜が手に入れたのは、テックマスターという悪魔たちの集団。

 前の時には、想像すらしていなかった。彼らの憎しみにも理由があり、信念すら持ち合わせているなどと。



 野放しにしていたら、きっとまた人間を殺すだろう。しかし、素直にこちら側に引き込めば、他の悪魔たちと敵対しなければならない。

 この魔界という土地では、人類は明確な敵なのだから。




(もしも、わたしが”全ての悪魔”を従わせたら、世界は平和になるのか?)




 そんな突拍子もないことを考えながら。

 輝夜は静かに、夢の中へと沈んでいった。















「グッモーニン!! おはようにゃん!!」


「……うるさい」




 耳元から聞こえてきた、甘ったる少女のような声。もとい、苛つくアラームよって、輝夜は目を覚ます。


 案の定、そこにいたのは自身の電子精霊であるニャルラトホテプMk-Ⅱ。

 彼女に起こされたことで、輝夜は一瞬、”日常”にいるような錯覚をしてしまった。


 ここは未だに、魔界だというのに。




「お仲間のおかげで、場所を特定できたにゃん」


「らしいな」




 輝夜の眠っている間、カノンがネットの海を通じてマーク2とのコンタクトを取ってくれていた。


 やかましい電子精霊ではあるものの。実際、これほど頼りになる存在も他にいない。

 輝夜は安心しつつ、大きなあくびをする。



 別のベッドでは、栞が静かに寝息を立てていた。




「静かにしていろよ」


「にゃ〜ん」




 再会の気持ちを分かち合うように、輝夜はマーク2をぐりぐりといじめる。




「あぁ、そうだ。アモンにメッセージを頼めるか?」


「にゃん? なんて送るにゃん?」


「……”約束は交わされてる。とりあえず、切り札の欠片をよこせ”、という感じで送ってくれ」


「了解にゃん!」




 アモンにメッセージを送るため、マーク2はどこかへ消えていった。


 途端に静かになった部屋で。輝夜はストレッチのように体を伸ばす。


 すると。




「やぁ」


「んん!?」




 唐突に、目の前に現れた存在。

 アモンに声をかけられ、輝夜は心臓が飛び出るほど驚いた。




「お前、魔界を支えてるはずじゃ」


「……なるほどね。それを知ってるってことは、どうやら確からしい」




 魔界を支えている。輝夜の口から出た言葉に、アモンはおおよその事情を理解した。

 どういう方法で、今の輝夜が存在しているのかも。




「つらい夢を、見てきたようだね」


「そうだな。……まるで、地獄のような悪夢だったよ」




 まだ起きていない出来事。

 あり得たかも知れない未来。

 それは確かに、輝夜以外の人間にとっては、夢にも等しい話であろう。


 その夢が現実にならないように、今の輝夜は生きている。




「今ここにいるのは、僕の分身みたいな物だよ。ごく少量の魔力で動かしてるから、戦ったりはできないけど」


「なるほど」




 アモンの本体は、未だに魔界の最下層で光の柱を支えている。

 その事実に、輝夜は安堵した。




「君は、どのくらい時を遡ったんだい? 数ヶ月? それとも数年?」


「いいや、一日ちょっとだよ、まったく。一ヶ月は戻せるって話だったのに、いい加減にもほどがあるぞ。……”こいつ”がなかったら、何もかも無駄になるところだった」




 そう言って、輝夜はカグヤブレードを見せる。




「……なにそれ」


「なにって。お前がくれたんじゃないのか? 正確には、未来のお前が」


「いや、どうだろう」




 アモンは興味深そうにブレードを眺める。




「……正直、僕には作れないかな」


「はぁ?」


「というより、驚いたよ。まさかこの時代に、こんな代物が現れるなんて」




 輝夜の予想とは裏腹に、アモンはブレードへの関与を否定する。




「じゃあ、どっから来たんだ? こいつは」


「さぁね。僕も長いこと生きてるけど、こんな力は初めて見る」




 アモンの目からしても、驚愕に値するほどの力が、カグヤブレードには込められていた。




「僕が言うのもあれだけど。あんまり、得体の知れない力を信用しないほうがいい」


「……」




 結局、謎は謎のままに。

 しかし、今さらこれを手放すという選択肢は、輝夜には無かった。









「さてと、本題はこっちだよね?」




 そう言って、アモンが懐から出したのは。

 手のひらに軽く収まるような、小さな黄金の欠片。




「おおー、これか」




 前回の時には、すでに輝夜は視力を失っていたため。実際に欠片を目にするのは初めてであった。



 王の指輪の材料でもある、禁断の遺物フォビドゥン・レリック

 善人の持つ力と、同質の物である。




「そもそも、これはどういう物質なんだ?」


「そうだね。詳しく説明するには、およそ3000年ほど話が遡るけど」


「あー、ならいい。さっさとよこせ」




 長話は不要と、輝夜は欠片を要求した。




「……ふむ。とはいえ、どうしたものか。指輪のような形にしてもいいけど、それにしては大きすぎるから」




 アモンは欠片を持ったまま、何かを考え始め。

 枕元に置いてある、輝夜のイヤリングに目が留まる。




「丁度いいし、それと同化させようか」


「ん?」





 アモンはイヤリングを手に取ると、それと欠片を近づけていき。

 見る見るうちに、欠片とイヤリングが”一つ”になっていく。



 やがて、欠片は完全に消失し。

 残されたイヤリングは、僅かに輝きを増していた。





「さぁ、これで君のものだ」




 アモンから渡されたイヤリングを、輝夜は左耳に装着してみる。


 すると、奇妙な温かさのようなものを感じた。


 ただの熱ではない。

 言葉では表せない何かが、体の中に流れ込んでくるような。








「僕は、君の辿った未来を知らないから。君との間に、どういう約束があるのかは知らない。だけど、君を信頼しているよ」


「なぜだ?」


「簡単さ。”自分の今いる世界を諦めてまで、君という可能性に賭けた”。そんな僕の覚悟を、裏切ることはできないさ」





 そう、輝夜の視点から見てみれば。アモンの手によって、もう一度やり直す機会をもらったことになる。


 しかし、アモンから見た場合はどうなのだろうか。


 輝夜の魂を過去に送って。向こうのアモンは、その後どうなったのか。

 もはや、輝夜には知る手段がない。




 一つの世界、一つの未来を無かったことにして。

 今の輝夜は、ここにいた。





「……なら、もう一度約束を交わそうか」





 輝夜は小悪魔のように微笑みながら。

 アモンに小指を差し出し、ともに指切りをする。





「人も悪魔も、わたしがどうにかしてやる。魔界の崩壊とかも、まぁ、うん」


「君にできるのかい?」


「もちろん。お前に、どうしてもって頼まれたからな」





 もう一度やり直す。そんなチャンスは、もう二度と訪れないだろう。

 それだけで、アモンには返しきれないほどの恩がある。



 ”君は悪くない”と、そう言ってくれたのを輝夜は一生忘れない。



 遠慮も、言い訳も、もう必要ない。

 輝夜は本気で生きると決めていた。





「とりあえず、魔王アガレスをぶっ殺そう。それが平和への第一歩だ」


「……え?」





 屈託のない笑顔で、輝夜はそう宣言した。

















 魔界、第1階層アガレス。

 都会の街並みを一望できるビルの屋上に、一人の男が立っていた。


 それは人間。刀一本であらゆる敵を薙ぎ払う、唯一の人間。

 その素性を隠すために、真っ白い仮面を装着していた。




 彼が見つめる先には、騒々しく、まばゆい悪魔たちの社会が広がっている。

 慌ただしく活動するセキュリティチームも、都会の喧騒に飲み込まれていた。





「……どうやら、かなり上手く逃げているらしい」




 セキュリティが動いているということは、目的となる人物が見つかっていない証拠。

 その事実に、彼は少なからず安堵していた。




『こんな事態になるなら、初めから側で見守ってればよかったのに。ほんっと、リューイチってバカ』



 仮面の男、龍一の持つ指輪から、幼い少女のような声が聞こえてくる。




「……何度言えば分かる。”秘密”を守るためにも、輝夜を目立たせるわけにはいかん。俺の娘というだけで、どれだけの存在に狙われると思う」


『あっ、確かにそうね。娘がいるって情報、リューイチのwikiにも載ってないもの。……正直、加筆しようか悩んでたのよ?』


「……お前、スマホを没収されたいのか?」


『はーい、ごめんなさ〜い』




 指輪からの声は、龍一にしか聞こえない。

 もしも側に人がいれば、かなりの奇行に見られていただろう。



 しかし、龍一は気にせず、人混みの中から”自分の娘”を見つけ出そうとしていた。




「……埒が明かんな」




 上から眺めるだけでは、効率が悪いと判断し。

 龍一はビルから飛び降りると、光の届かない路地裏へと入っていった。




(なんとしても、見つけ出さなければ)




 生まれてからずっと、病院暮らしで。社会も常識も知らず、ガラスのように体が脆い。

 輝夜に対して、龍一はそのような印象を持っている。




 一秒でも早く、見つけ出さなければ。

 そうやって、龍一が焦りを募らせていると。





「――あのー、ちょっといいっすか?」





 チンピラにしか見えない、一人の悪魔に声をかけられる。


 その手には、一枚の紙が握られていた。















「はっ」




 テックマスターのアジト、その広間にて。

 イヤリングをしっかりと身につけたまま、輝夜はそれっぽい動きで、何か力が使えないかと奮闘していた。




 腕を前に突き出して、傍から見れば必殺技の練習をしているようにも見える。


 そのすぐ側では、カノンが温かい目で見つめていた。





「どうだ?」


「頑張りましょう」


「ちっ」





 アモンから欠片を託され、イヤリングにその力が宿った。

 それゆえ、指輪を持つ善人のように、それっぽい力が使えないかと試しているのだが。


 かれこれ一時間ほど経つものの、未だにそれらしき力は感じられなかった。




「アモンのやつ。偽物じゃないだろうな?」




 本当に、王の力とやらが宿っているのか。

 輝夜がそう疑っていると。





「リーダー、連れてきました!」





 テックのアジトに訪問者が。

 輝夜の知る限り、最も強い人間がやって来る。




 構成員に連れられて来たのは、刀を背負った白仮面の男。

 こんな場所にいてはならない、人間世界の大物である。





「おお〜」




 その風貌を見て、カノンは思わず声を漏らす。

 輝夜の描いた下手くそなイラスト。その通りの人物が現れたのだから、当然である。





「……小娘、わたしを探していたのか?」





 輝夜と仮面の男が対峙する。



 そう。今はあくまでも、彼は”仮面の男”という立ち位置にある。

 彼が自ら名を明かさない以上、輝夜にはその正体を知る術がないのだから。



 少なくとも、龍一はそう思っているため。

 仮面の男として、輝夜に問いかけた。





(……どうしようか)





 輝夜は考える。


 自分たちの最大の目標、無事に人間界へ帰還すること。それに必要な手段は、すでに揃っている。

 敵の技術を無力化できるマーク2に、カノンという協力者もいる。

 おまけに今回は、カグヤブレードという追加装備と、役に立つかわからないイヤリングもある。

 ここに、紅月龍一という戦力が加わったと考えれば、地上への帰還などすでに容易いものである。




 しかし、輝夜はそれだけでは物足りなかった。

 前回と違い、今の輝夜には”明確な目標”がある。




 アモンとの約束を果たすため。そして、テックマスターという集団を率いる者として。

 どうにか上手いこと、”アガレスをぶっ殺したい”と考えていた。




 姫乃への侵攻を命じられているため、テックとしての立場を使えば、アガレスに近づくチャンスはあるはず。

 しかし、流石に魔王を殺すとなれば、こちらも父親である龍一の助けが必要不可欠となる。



 なら、どうやってそれを伝えるべきか。





 そうやって、考えていくうちに。輝夜の中にある感情が芽生えていく。



 それは、”怒り”。





(……そもそもわたしが大事なら、こうなる前にもっとやることがあっただろ)





 娘と接することを避け、今もこうして仮面で素性を隠している。

 この親子の関係を”客観的”に見た場合、あまりにも”娘”カグヤが不憫すぎる。





(どんな事情があるのか知らないが)





 輝夜は思い出す。



 確かに、前回の最後の時には、素顔を見せて父親らしい台詞を言っていたが。



 そもそも輝夜は、この父親のことが”大嫌い”であった。






「――娘の反抗期がどれほど恐ろしいか、その体に刻んでやる」






 いつの間にか、輝夜の手にはカグヤブレードが握られており。


 父親に対する、”物理的なコミュニケーション”が始まった。





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