輝夜の難題






「ふぅ」



 温かいシャワーを浴びながら、輝夜は安心するように息を吐く。




 テックマスターのリーダー、アトムを斬り伏せた後。汗と返り血を流すために、輝夜はアジトにあるシャワールームを利用していた。

 その隣では、栞も一緒にシャワーを浴びている。


 事実上、このアジトには味方しか居ないため、二人もようやく安心することができた。





「本音を言えば、もっとまともな風呂が欲しかったな」


「まぁ。それは、家に帰った時のお楽しみということで」




 危機は去ったものの、ここが魔界であることは変わらない。あくまでも二人の目的は、安全に人間界へと帰還することである。




「シャンプーってどれだろ」


「その紫のやつだな」


「なるほど」




 異文化に戸惑いつつも、髪の毛を洗う少女が二人。


 以前の栞は、幽霊のように生えっぱなしの長髪だったが。今はおしゃれな猫耳風カットであり、その分洗うのも楽になっていた。


 しかし、輝夜は相変わらずの黒髪ロングストレート。しかも、手入れをしてくれる影沢が居ないため、かなり洗うのに苦戦していた。




「長いのって、ほんと大変だよね。……ちょっと待ってて、わたしも手伝う」




 栞は自分の髪の毛をさっさと洗い流し、苦戦している輝夜を手伝うことに。




「髪が長いと、本当に不便だよな」


「うん、同感。よく引っかかるし、地面には着いちゃうし」


「おまけに、座るときに踏むと痛くないか? あっ、ハゲるって感じで」


「分かる分かる」




 二人はロングヘアあるあるで盛り上がる。




「でもわたしと違って、輝夜は髪質が完璧だから羨ましい」


「そうか?」


「うん。絹のような肌触りって、こういうことなんだなって」





 生まれ持った髪質か。それとも、影沢が手入れを頑張っていたおかげか。栞が見惚れるほどに、輝夜の髪の毛は美しかった。




 一緒にお風呂に入り、影沢が輝夜の髪の毛を洗う。

 そんな何気ない日常が、今の輝夜にとっては何よりも恋しく思えてしまう。





(……頑張らないとな)




 強い決意を固めながら、輝夜は”念入りにカグヤブレードを洗う”。

 身体を洗うのと同じように。




「そういうのって普通、シャワーで洗わないんじゃ」


「いや、こいつはもうわたしの一部みたいなものだからな。大事に洗ってあげないと」


「……そっか」




 輝夜は単純に、カグヤブレードを気に入っていた。

 自分の感性をくすぐる、真っ黒でかっこいい刀。この刀のおかげで、今もこうしてシャワーを浴びれている。


 そして、テックマスターという、100人規模の”軍勢”すら手に入れることができた。




「でもその刀、本当に大丈夫? 急に、あの人たち敵に戻ったりしない?」


「……もしもそうなったら、わたしたちも一巻の終わりだな」




 カグヤブレードが、どういう仕組みで敵を味方に変えているのかは、輝夜にも分からない。

 とはいえ、不思議と不安は感じていなかった。





「あのカノンって人は、斬る前から味方なんだよね」


「ああ」


「どうやって味方になったの?」


「……色仕掛け、かな」


「え」




 正確には、色仕掛けをしようとしたら、向こうが折れた形だが。




「ほんとに大丈夫? イケメンだからって、あんまり信用するのは」


「大丈夫だよ」




 輝夜は、心の底からそう断言する。





「カノンは、”大事な仲間”だからな」





 今の段階では、仲間を裏切った自称紳士の悪魔にすぎない。

 しかし、輝夜は知っている。カノンという悪魔が、どれほど一途で、心に芯を持った男であるかを。



 そんな輝夜の様子を見て、栞はちょっとした勘違いをしてしまう。




「もしかして、ああいう人がタイプだったりするの?」


「……あー」




 思い返せば、前の時も二人で”恋バナ”のようなものをした気がする。

 だがしかし、以前の輝夜は寿命を半分吹き飛ばしたような状態で、いい加減な返ししかできなかった。


 ゆえに今回は、輝夜も真剣に考えることに。




「わたしは別に、顔の良し悪しは関係ないんだよ。ああいうイケメンだろうと、前髪が邪魔だろうと」


「うんうん。やっぱり、性格だよね」


「……というより、まぁ。正直な話、”男が好きなのか女が好きなのか”、自分でも少し謎なんだ」


「え」




 中々に衝撃的なワードに、栞の手が止まる。




「いや別に、悲しいとかじゃないんだが。前にカノンの裸を見ても、何も思わなかったし。今こうして栞の裸を見ても、わたしは何も感じない。……つまりわたしは、男も女も好きにはなれない気がする」





 色々と考えた結果、輝夜はそういう結論に落ち着いていた。

 少女として生きる以上、不本意ながらも男を好きになると思っていたのだが。5年経っても、そういった感情は芽生えず。

 かといって、かつてのように女性を好きとも思わなくなってしまった。


 つまり、性別が変わったことにより、”無性愛者”になってしまったのだと。

 輝夜は、そう思っているのだが。





「んー。でも、それって普通のことじゃない?」


「はぁ?」


「わたしだって、人の裸を見てもそんなに興奮しないと思う。だって、好きな人じゃないから」


「……女って、そういう感じなのか? 男の裸を見れば、問答無用で興奮する生き物かと」


「……やっぱり、輝夜って変わってるね」





 曰く。男と女では、脳の作りの関係から”人を好きになるタイミング”が違うと言われている。


 男の場合、異性の顔や身体を視覚的に認識し、その瞬間に好きか嫌いかを判断。相手の容姿が好みなら、すでに恋愛対象になっているほど。

 しかし、女の場合はそれほど単純ではない。相手がどういう人間か、自分と合うかどうかを考えてから、好きか嫌いかを判断する。



 栞のように、一瞬で恋に落ちるパターンもあるにはあるが。

 イケメンなら良い、というほど単純な恋にはなりにくい。



 つまり、輝夜の感性は何一つ間違っていない。

 むしろ、好きでもない男の裸に興奮していたら、それはそれで問題である。



 


「たぶん、輝夜はまだなんだと思う」


「何がだ?」


「ふふっ」






「――まだ、”恋”を知らないってこと」






 恋の経験者として、栞は微笑んだ。








「ああ?」



 とはいえ、その言葉は輝夜には容認できず。 




「高一のガキが、愛だの恋だのうるさいぞ」


「えぇ? 輝夜も同い年じゃん」


「やかましい。わたしは少し特別なんだよ」


「どういうこと? 実は飛び級ってこと?」


「あぁ、もう」





 素人と初心者が、恋愛について言い争う。


 その声は無駄に大きく、シャワールームの外にまで鳴り響いていた。





「ふふっ」



 通路の壁にもたれ掛かりながら、カノンはそれを楽しそうに聞いていた。










◆◇










 悪魔によるギャング組織、テックマスターのアジト。その広間に、多くの構成員たちが集められていた。



 彼らのほぼ全員が、何らかの改造手術を施した下級悪魔たち。

 魔王アガレスの支援のもと、人類を殺戮しようという集団である。



 しかし、今彼らの前に立つのは一人の人間の少女。


 その側には、カノン、アトム、ゴレムという面々が並んでいた。





「おい、台座か何かは無いのか?」



 話を始めようとする輝夜であったが、目線の高さが気になってしまう。




「探してきましょうか?」


「あー、いや。いい」




 カノンの提案を却下すると、輝夜はゴレムの方を見る。




「ゴレム、肩に乗せてくれ」


「へいよ」





 ゴレムの肩に乗せてもらい、輝夜は高い地点から悪魔たちを見下ろす。





「さて。栞が部屋で寝てるからな、声は小さめにさせてもらう」



 そう言って、輝夜は悪魔たちに語り始める。





「知っているだろうが、今日からわたしがリーダーだ。文句のある奴は前に来い、とりあえず殺してやる」




 なんて挨拶だと、メンバーの気持ちが一つになる。




「わたしがリーダーである以上、人間界への攻撃は許さない。当然、アガレスの命令にも背いてもらう」


「とはいえ、そうなったらアガレスが黙っていないだろうからな。お前たちの命を守るためにも、テックマスターは一度、”壊滅した”ことにする」




 その言葉には、流石に驚きを隠せないのか。テックのメンバーたちはざわめき出す。




「おい、クソガキ。どういうつもりだ?」




 代表する形で、アトムが口を挟むも。

 輝夜には、”別の部分”が気になるようで。




「クソガキ? それは、わたしに対して言ってるのか?」


「ああ、テメェ以外にいねぇだろ」


「……まったく、口の聞き方がなってないな」





 カグヤブレードで殺した以上、従順な仲間として蘇ったはずである。事実、ゴレムを筆頭にした悪魔たちは例外なく輝夜に従っている。

 しかし、アトムはよほど頑固なのか、輝夜への態度があまり変わっていなかった。





「いいか? これからわたしのことは、”輝夜様”と呼べ」


「ああ? ふざけたこと言ってんじゃねぇ」


「ふざけてない。いいか、これは命令だぞ」


「ッ」





 上から目線の輝夜に、アトムは怒りを露わにするものの。

 ブレードの力が効いているのか、流石に手を出したりは出来ない様子。





「とはいえ、だ。それでアガレスが誤魔化せると思ってんのか? ぽっと出の人間に、俺らが全滅したなんて。調べられたら、すぐにバレるぞ」


「確かに、それも一理あるが。まぁ安心しろ、わたしにも考えがある」




 輝夜は不敵に笑うと。




「カノン、例の紙を配ってくれ」


「ええ」




 予めカノンにコピーを頼んでいた、とある紙をメンバーたちに配布する。


 紙に描かれているのは、輝夜の書いた下手くそな絵。

 ”刀を背負った仮面の男”のイラストである。





「そいつの名前は、えぇっと。……変態仮面だ」





 変態仮面。

 そのワードに、一同はざわつく。




「見ての通り、わたしは”いいところのお嬢様”だからな。親が捜索願いを出して、こういう感じの奴を魔界に送り込んでるはずだ。お前たちは魔界の各地に散らばって、この仮面の男を見つけてくれ」




 輝夜から出された、そんな謎の命令に。

 テックのメンバーたちも、どう反応するべきか首を傾げる。


 当然、アトムも納得ができない。




「おい、くそ……リーダー。こいつを見つけて、一体何の意味があるんだ?」


「ふふっ、それは内緒だ。とはいえ、こいつさえ見つければ、アガレスだろうと怖くないぞ? なぜなら、”ヘイト”は全てこいつに集中するからな」


「……いや、どんな人間だよ」





 紅月龍一の手によって、テックマスターは壊滅させられた。

 それならば、アガレスも間違いなく事実だと信じるだろう。


 それだけの”説得力”が、彼にはある。


 とはいえ、それを今の段階で口にするわけにもいかないため、あくまでも”仮面の男”として捜索してもらうことに。




 メンバーたちの注目を集めるように、輝夜は手を叩く。





「よし、さっさと仕事にかかれ!」





 もちろん、文句はあるだろうが。

 輝夜の命令には逆らえないため、テックのメンバーたちはそれぞれ他の階層へと向かった。 

















 テックのメンバーたちに、仮面の男の捜索願いを出した後。

 輝夜は”幹部”たちともに、旧リーダーの部屋へと戻っていた。



 幹部とはもちろん、最も信頼を置くカノンと、アトム、ゴレムという三人である。



 先の戦闘の余波で、部屋は滅茶苦茶になっていたものの。

 使えるソファを他所から持ってきて、輝夜はそれに座っていた。





「それにしても、疲れたな」



 ソファの肘掛けにもたれながら、輝夜は疲労の色を隠せない。




「日本の時間で考えると、今は深夜の時間帯ですよ。例の電子精霊とのコンタクトは、わたしの方で取っておくので。輝夜さんは、もうお眠りになっては?」



 パソコンのような機械を操作しながら、カノンがそう提案する。




「……そう、だな」




 しかし、輝夜は素直に眠りにつくことができなかった。



 確かに、最悪の状況は解決できたものの、未だに問題は山積みである。


 前回と同じと仮定して、ここ以外の階層ではカノンと輝夜たちは指名手配されているはず。

 転移装置で地上に戻ろうにも、かなりのリスクが存在している。

 それゆえ、セキュリティに強いマーク2と、とにかく強い父親(仮)と合流する必要があった。


 まだ、本当の意味で安心することはできないため、輝夜は素直に眠れない。





「ふゅ」



 輝夜はあくびをしながら、残った三人の仲間に目を向ける。




 カノンはサイエンスルームから持ってきた通信機器を操作し、マーク2との接触をしようとしている。


 アトムは自分で破壊した部屋の片付けをしている模様。その背中からは哀愁が感じられる。


 そしてゴレムは、腕を組んだ姿勢のまま輝夜の真後ろで突っ立っていた。これでボディガードのつもりであろうか。



 突如現れた、”漆黒の刀”を手にしたことで。

 輝夜の辿る道は、想定外の方向へと進んでいた。





「そういえば。……おい、アトム。あの強化アーマーみたいのはどうしたんだ?」




 よく見てみると、アトムはあの恐ろしい外骨格を身に着けていない。




「ああ。あれは力を得る代わりに、命がガリガリと減ってく代物だからな。必要な時以外、外しててもいいだろ」




 装着するだけで、魔王に匹敵するパワーを得ることができる。それほどの力には、当然のように代償が必要だった。

 その話を聞き、輝夜は表情を曇らせる。




「それは聞き捨てならないな。必要な時だとか、勝手に決められては困る」


「ああ? なら、ずっと着けてろってことか?」




 アトムはきつく睨みつけるも。

 輝夜は真剣な眼差しで見つめ返す。





「いいや、”そういうアイテム”は二度と使わせない。誰も装着できないように、後で粉々に壊しておけ」





 前回と、同じ道は歩みたくない。


 自分を犠牲にして、他者の幸せを願ったとしても、それで相手が喜ぶとは限らない。

 むしろ、悲しませてしまうことを、輝夜は知っていた。





「ったく、残念だな。あのパワーフレームを使って、人間どもを血祭りにあげる予定だったんだが」




 アトムは、そんな”もしも”を悔いる。

 輝夜によって斬られていなかったら、当然今回もそうなっていただろう。





「……お前たちに聞くが、今まで人間を殺したことはあるのか?」




 そんな輝夜の問いに、作業をしていたカノンの手が止まる。




「輝夜さん。……その、わたしは」


「いや、いい。意地の悪い質問だったな。……ヒューマンスキンなんてものを使ってる時点で、なんとなく想像はついてたよ」




 ヒューマンスキン。人の皮を加工し、被ることで、人間界での活動を可能にする技術。

 カノンも、それを使って姫乃に侵入していた。





「……もしも、お前たちが人間だったら。きっと極悪人として、罪に問われるんだろうな」




 輝夜が小さくつぶやく。


 しかし、アトムは何一つ気にしていない様子。





「だがよ、俺たちは悪魔だ。魔界の法律に、”人間を殺すな”、なんて書いてねぇ」


「……」





 それは、とても冷たい言葉だった。

 同じ知性体でも、人と悪魔は違うのだと。





「わたしたち人間と、お前たち悪魔。そんなに違いがあるか?」


「ああ、あるな。……まず、俺たち悪魔には生まれながらの魔力がある。肉体強度も、寿命だって高い。尻尾も生えてる上に、何より住んでる世界が違う」


「……だからといって、そこまで憎み合う必要はないだろ」





 輝夜はこの濃厚な数日間で、カノンという一人の悪魔と友好を結んだ。


 住んでいる世界、持っている力が違うだけで。自分と何一つ変わらない存在だと、輝夜はそう思えるようになていた。


 しかしそれは、あくまでも一方的な認識に過ぎない。





「なぁ、お前。この第5階層を見て、どう思った?」



 アトムが真剣な声で問いかける。




「そうだな。……ひどい廃墟、瓦礫の山って感じだな」


「ああ。その感想は間違ってねぇ」




 しかし、アトムにはもう一つの意味がある。




「あの瓦礫のどっかに、俺の妹が埋まってんだ」


「え」


「いや。もしかしたら、次元の崩壊に巻き込まれて、跡形もなく消えちまったのかも知れねぇがな」




 輝夜は言葉を失った。



 ただ種族が違うだけ。

 それだけで憎しみを抱くほど、彼ら悪魔も単純な生き物ではない。



 彼ら一人一人に、それぞれの憎しみが存在していた。





「12年前の大崩壊に、たった一人の妹が巻き込まれて。それを探しに来たのが、俺の始まりだ。……そうしたら、一人ずつ仲間が増えていって。いつしか、”テックマスター”なんて名乗るようになった」





 それが、彼らの持つ信念。

 人間を憎むようになった、原点でもある。





「いいか、クソガキ。テメェが従えようとしてんのは、そういう集団なんだよ」





 人間を誘拐する化け物、人の皮を被った悪魔。それはあくまでも、人間側からの認識に過ぎない。

 奪われたものを取り返すため。そして、自分たちが生き残るために。


 テックマスターには、確かな信念が存在していた。





「ッ」





 カグヤブレードで殺して、仲間として蘇らせた。

 たったそれだけの言葉で片付けられるほど、”奪ったもの”は小さくない。




 斬れば斬るほど、多くの命と罪を引き受ける。

 これは、そういう力なのだから。






――僕はね、人も悪魔も、両方の世界を守りたいんだ。






 アモンの言葉が、輝夜の脳裏によぎる。




(……これは、途方も無い道のりだな)




 自分が斬ったものの重さ。

 そして、これから”斬らなければならない存在”の大きさに、ただひたすらに圧倒されながら。



 それでも輝夜は、自らの”難題”に立ち向かう。





「しかしまぁ、お前たちは”幸運”だぞ? なにせ、死ぬまでわたしの下僕になることが決まってるからな」


「ちっ、人間のガキってのは、ここまで外道なのか?」


「外道で結構」





 輝夜はソファから立ち上がると、アトムの元へと近づいていき。


 彼に向かって、手を差し出した。






「――わたし達は一蓮托生だ。地獄の果てまで、よろしく頼む」






 未来へと至る第一歩。


 そうありたいと、願って。





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