地獄姫






 寝て、起きて。寝て、起きて。その間に活動して。そんな毎日の繰り返しの中で、輝夜はずっと考えていた。果たして、自分は本当に生きているのだろうか、と。

 ここは現実の世界なのか、それとも悪い夢を見ているのか。誰にも教えられず、誰にも相談できず。それ故に、中途半端に生き続けてきた。


 前の人生は、あんな終わり方をして。気づいたら、この世の終わりのような体に生まれ変わっていて。だからこそ、ここはゲームの世界なのだと思っていた。

 だが、それは間違っていた。この世界は何よりも現実的で、全ての人々が真剣に生きている。現実を受け入れられない、輝夜一人を除いて。

 

 ずっと、現実から目を背けて、他人から向けられる感情をうやむやにして。中途半端な覚悟から、全ての選択肢を間違えて。


 紅月輝夜は、現在に至る。






「……」




 深夜の病室にて。輝夜は天井を見つめながら、完全に現実逃避をしていた。

 どれだけの時間が経ったのか、あれから何がどうなったのか。何も知りたくない、何も聞きたくない。

 月が、自分に悪夢を見せているのだと。そう思い込みたかった。


 すると、静かに病室の扉が開き。何者かが、音を立てずに忍び寄ってくる。

 視力は低下したものの、他の感覚は未だに鋭いため、輝夜はそれに容易く気づいた。




「あっ、ごめん。起こしちゃった?」


「いいや、元々起きてたよ」




 病室にやって来たのは、病院服に身を包んだ少女。

 猫耳カットが特徴的な、並木栞である。




「お前も入院してたのか」


「うん。一応、検査入院って形かな。魔界から帰ってきたから、体に異常があるかも知れないし」




 人の眠る、深夜の時間帯。

 栞は自分の病室を抜け出して、こうして輝夜に会いに来ていた。怪我をしていないか、心配な気持ちと。大きな感謝の気持ちを胸に抱いて。




「でも、本当に良かった。わたしたち二人とも、こうやって無事に帰ってこれるなんて」




 一般的な認識として、魔界に連れ去られた人間は帰ってこれない。永遠の別れに等しい出来事。

 しかし、輝夜と栞は帰ってきた。客観的に見れば、これは紛うことない”奇跡”である。




「あぁ、そうだな」




 輝夜だけが、これが奇跡ではないと知っていた。




「カノンさんも、上手く逃げれてたらいいけど」


「ッ」




 その名を聞いて、輝夜はぐっと拳を握り締める。

 上手く逃げれてたら? 一体、あの状況からどうやったら逃げられるのか。


 ”またいつか、会いましょう”。

 そんな優しい言葉を、残して欲しくなかった。




「輝夜、大丈夫?」




 もしも、願いが叶うのなら。

 輝夜は全てをやり直したかった。















 輝夜と栞は、共にベッドの上に座って。

 栞の買ってきた缶ジュースを飲む。


 もしも看護師に見つかったら、きっと注意されてしまうだろう。

 それくらいのドキドキが、妙に心地よかった。




「……」




 輝夜が口にするのは、いつも通りのオレンジジュース。初めてゲームをやった時に、少々やらかしてしまったものの。脳を刺激する甘さが、今でも止められない。




「ねぇ。輝夜は、好きな人とかいないの?」


「いない」


「じゃあ、好きなタイプは?」


「……言うことを聞く奴、かな」


「えぇ……」




 価値観の違う二人が、恋について話をする。




「まぁでも。好みの奴がいたとしても、わたしは誰とも付き合わないよ。絶対、ろくな終わり方をしないだろうし」


「……付き合う前から、別れることを想定してるの?」


「ああ、そうだな。どれだけ頑張ったとしても、長く続かないのは目に見えてるからな」




 今まで生きてきて、他人を好きになったことはない。だが、もしも好きになったとしても、それをどうしようとも思わない。自分には、明確な”終わり”が見えているから。




「多分わたしは、あと一年くらいで死ぬ」


「……え?」




 輝夜の放った一言に、栞は固まってしまう。

 決して、何でもないようなテンションで言うセリフではない。




「それって、どういう」


「……」




 困惑する栞に対し、輝夜はアドバンスを使ったことを説明した。


 テックのアジトで手に入れた薬品。寿命を代償に、超人的な力が手に入る。

 とはいえ、人間である輝夜とは相性が悪く、たった一回の使用で大幅に寿命を削ってしまった。

 髪が半分白くなったのも、それが原因である。




「とはいえ、お前を助けられてよかったよ」




 輝夜は、そう言って微笑むを浮かべるものの。

 栞には当然、納得できる話ではなかった。




「……よくない。いいわけがない」



 感情と共に、声が震える。




「なんで? どうして? 絶対におかしいよ」



 それは怒りか、それとも悲しみか。






「輝夜の人生を犠牲にしてまで、助けられたくなかった!」






 涙交じりに、栞は声を荒げる。


 助けてくれたこと、手を握ってくれたことには、感謝してもし切れない。しかし、そこに犠牲があったのなら、素直に喜べるはずもなかった。

 人の命、人生よりも大切なものは無いのだから。それが、誰の命かは関係ない。


 自分で思っているほど、輝夜の命は軽くなかった。




「……」




 栞の言葉を受け、輝夜は何も言い返せない。

 ただ静かに、胸の中の”後悔”が重みを増す。






「……ごめんね。輝夜も、わたしのためにしてくれたのに」


「いや、いいんだ。わたしのほうも――」




 輝夜と栞が、そうやって話をしていると。







 突如、凄まじい轟音と、激しい揺れが発生した。


 まるで、日常が崩れていくかのように。







「地震?」


「いや、今の衝撃は……」





 二人を病室を出ると、廊下の窓から外を見て。


 そこに広がっていた光景に、言葉を失った。





 真っ赤な月の下。

 姫乃の街が、燃えていた。




 至る所で爆発が起き、街を守る外壁にも穴が空いている。


 それはまるで、地獄のような光景だった。





「どうして。姫乃は、安全なはずなのに」


「……」




 輝夜は知っている。悪魔たちが、ずっと計画を進めていたことを。

 人に擬態する技術の開発に、電子精霊を利用した情報収集。転移を阻害するバリアへの対処法など。この街を攻略する方法を、彼らはずっと考えていた。


 だがしかし、なぜこうも動きが早いのか。ここまで、大胆な攻撃を行えるのか。

 それはきっと、彼らが知っているからだろう。




 この街に、”紅月龍一”がいないことを。




 もう悪魔たちは、この街を恐れない。人間を恐れない。


 魔法か、それとも兵器か。激しい攻撃によって、街が壊されていく。


 悪魔の軍勢が、侵攻を開始した。

















「速やかに、患者たちを地下のシェルターに避難させるんだ」




 破壊の足音は、すぐさま街中を駆け巡り。病院内でも、すでに避難が開始されていた。


 輝夜と栞も、それに連れられる形で移動していたが。

 見知った顔、担当医の”ダニー”を見つけると、その側へと駆け寄った。




「先生、街の外へは脱出しないんですか?」


「街の外? いいや、その必要はないよ。たとえどんな敵が相手でも、君のお父さんの力なら――」


「いいえ、父は来ません」




 輝夜は、そう断言する。


 真剣なその表情を見て、ダニーは察してしまう。

 なぜ、ずっと龍一と連絡が取れないのか。なぜ、彼女たちが戻ってこられたのか。




「……そうか。そういう、ことなのか」




 ダニーは、窓から外の風景を見る。






 真っ赤に燃える、姫乃の街。


 一つの歴史が終わることを、静かに悟った。







「”まどか”くん、ちょっと来てくれ」


「あっ、はい」



 ダニーは、一人の看護師に声をかける。輝夜にとっても、馴染みのある女性に。




「僕は他の職員と話して、避難先を街の外へと変更しようと思う」


「そ、外ですか?」


「ああ。第三倉庫にあるパイプを使えば、街の外へ逃げられるはずだ。自力で歩ける患者は、きっとその方がいい」




 もしも、姫乃が悪魔に占領された場合、地下のシェルターすら無意味になる。ならば、一刻も早く街を出る必要があった。




「君はこの二人を連れて、先に脱出してくれ」


「……分かりました」




 とても、大きな不安に包まれながらも。

 看護師のまどかは、輝夜たちと共に一階の倉庫を目指すことに。















 きっと、今夜中にかたをつけるつもりなのだろう。

 悪魔による侵攻は、人々の想像を超えていた。




 並の銃火器では刃が立たない、血の鎧、BAパッケージを装着し。恐ろしい悪魔たちが堂々と街を闊歩する。


 最初の破壊工作で、街を覆っていたバリアが消え。悪魔たちは街の中へと際限なく転移してくる。


 ロンギヌスの戦闘部隊も、全武装を駆使して対抗するものの、まるで勝負にならず。




 姫乃は、炎に沈もうとしていた。








「そんな、タワーが」




 三人で、倉庫を目指す輝夜たちであったが。窓から見える光景に、思わず足を止めてしまう。


 街の中心に位置する、ロンギヌスの拠点。姫乃タワーが、真っ二つに倒壊しようとしていた。

 まるで、怪獣の出現する特撮映画のように。呆気なく、壊されていく。




「……嘘、でしょ」




 その光景に、ショックを受ける栞であったが。

 立ち止まる暇はないと、輝夜がその手を引っ張っていく。


 せめて、栞だけでも守らないと。今まで犠牲にしてきた、何もかもが無意味になってしまうから。

 輝夜はもう、振り返ることなど出来なかった。








「もうすぐ、倉庫に着きます」




 まどかの案内に従い、病院の一階まで下りてきた輝夜たち。このまま行けば、とりあえず街の外まで避難できる。


 その後どうするかなど、考える余裕もなく。走り続ける彼女たちであったが。




 突如、その行く先で壁が爆発し、何かが病院内へと入ってきた。

 まさか、悪魔が来たのかと、輝夜たちは身構えるも。




 そこにいたのは、輝夜の家族である”影沢舞”であった。




「ッ」



 何やら負傷しているのか。

 腹部に穴が空き、機械部分が剥き出しになっていた。




「舞!」


「ッ、来ないでください!!」




 影沢が叫んだ、その直後。

 巨大な人影が彼女の側に現れ、その首を掴み上げる。




「うっ」


「ったく、ネズミみてぇに逃げ回りやがってよ」




 その声、その姿に、輝夜は覚えがあった。


 前に見た時よりも、一回りほど体が大きくなっているものの。

 その姿は紛れもなく、テックのリーダー、”アトム”であった。


 カノンによって、一度倒されたはずだが。より凶悪な力を得て、そこに立っていた。




「ああ? 誰かと思ったら、カノンと一緒にいたガキか」



 アトムが輝夜の姿を視界に捉える。




「よぉし。このサイボーグを殺したら、次はお前で遊ぶか」




 もはや、この街に彼らを止められる者はいない。

 抗いようのない理不尽が、牙を剥く。






「くっ、この」



 影沢が腕を銃に変形させ、アトムの顔面に銃弾を浴びせる。

 しかし、その必死の抵抗でも、アトムは微動だにしない。




「今のうちに、早く逃げてください!!」




 影沢の声に従って、まどかと栞は震える足で前へと進む。


 だがしかし、輝夜の足は動かない。


 逃げろという言葉を聞きながらも、拳を握らずにいられない。





「輝夜、早く!」


「急いでください!」




 栞たちの声は、もう届かない。



 目の前で、影沢が危機に直面している。そこから目を背けるなど、輝夜には出来るはずがなかった。

 この人生の中で出会った、家族、友人の中でも。影沢舞という存在は、何よりも特別なのだから。



 姉のような、母のような。

 あるいは、最も大切な友だち。





 もうこれ以上、失いたくない。

 何も奪われたくない。





(……悪いな、栞)





 自分の命を犠牲にしてまで、他人を救う必要はない。その気持ちは理解できる。


 だがもしも、それが自分よりも大切な人だったら。

 その人のいない世界に、心が耐えられないとしたら。






「――舞から、離れろッ!!」






 この混乱の中で、先生の部屋から回収したナイフと、最後のアドバンスを握りしめ。



 輝夜は、絶望に抗った。










◆◇






◆◇










「はぁ、はぁ」





 一体どれだけの間、戦っていたのだろうか。



 ナイフは折れ、足は潰され。

 それでも、最後に立っていたのは輝夜であった。



 アトムの脳天には、折れたナイフの先端が突き刺さり。流石の彼も、完全に機能を停止する。



 決して、一人では敵わなかった。

 輝夜と舞、二人の力が合わさることで、魔王にも匹敵する敵を倒すことが出来た。





「……舞、どこだ?」



 しかし、その代償は致命的であり、輝夜はすでに両目が見えなくなっていた。





「こっちです、輝夜さん」


「あぁ」



 声を頼りに、影沢の元へと近づいていく。





「お、と」




 抱きつくような、倒れ込むような。よく見えないものの、輝夜は影沢の元へと辿り着いた。


 血のような液体や、機械部分が手に触れるも。

 間違いなく、そこにいると感じられる。





「驚きました。まさか、これほどお強いとは」


「ふふっ、だろう? わたしは、やれば出来るんだ」


「ええ、知っています」





 言葉を交わしながら、影沢は輝夜の頭を撫でる。





「すみません。こんな体で、気持ち悪いですよね」


「……ううん、そんなことない」





 目が見えないなら、せめて。輝夜は思っきり、影沢の体を抱きしめる。たとえ、体が何で出来ていたとしても、影沢舞に他ならないのだから。





「よかった。こんな体になって、ずっと大変だったけど。輝夜さんを守れて、本当によかった」





 どちらの体から流れているのか。

 大量の血液によって、地面が真っ赤に染まっていく。










「ごめん、なさい。わたしはずっと、騙してた」


「……輝夜、さん?」





 もう、動けない。これが最後だと悟り、輝夜は自身の”秘密”を打ち明ける。

 それを謝らなければ、きっと死ぬに死に切れないから。





「わたしは、みんなが思ってるような、普通の人間じゃないんだ。普通の、紅月輝夜じゃない。――わたしには、”前世の記憶”がある」



「前世じゃ、普通に男だし。年齢を合わせれば、舞と同じくらい歳を取ってる」



「だから、こんな性格なんだよ。わたしは子供じゃないから、甘えたりとか出来ないし。性別もおかしいから、人を好きになったりも出来ない」



「それにずっと、この世界をゲームか何かだと思ってた。わたしが、前世で最後にやろうとしてたゲームに似てて。それだけじゃなくて、自分で設定した雑魚の主人公みたいになってて」



「だからわたしは、こんな有様になってる。心臓にある呪いも、それで母が死んだのも、全部わたしのせい」



「ごめん、ごめん。ずっと、怖くて。舞と、どう話したらいいのかも、分からなくなって」



「わたしが、普通の人間だったら。もっと素直に、家族になれたのに」






 湧き出る感情と、涙をこぼしながら。

 輝夜は今までの全てを謝罪し。



 そんな彼女の体を、影沢は優しく抱きしめる。






「そう、でしたか。それでずっと、悩んでいたんですね」



 どうしようもない、愛しい我が子を抱くように。




「確かに。素直な輝夜さんも、見てみたかった、ですけど」



 ほんの僅かに、後悔するように。




「今のあなたも、これまでのあなたも。わたし、は……」



 ゆっくりと、瞳を閉じ。








 影沢舞は、息を引き取った。

















「……なんで、なんで、なんで」





 最も大切な人の亡骸を、その腕で抱きしめながら。

 自分自身の命も、あと僅かで尽きてしまう。





「こんな、こんな」





 悪いのは世界か。

 それとも、愚かな自分か。


 もはや、それを問う時間すら残されていない。





「こんなのって」





 そうして、紅月輝夜の物語は完結した。


































「――なら。もう一度だけ、やり直してみるかい?」







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