崩壊






「まったく、これをつけた意味がないな」




 すでに自分の正体がバレていると知り、仮面の男は真っ白な仮面を外す。

 息子である、朱雨と似たような顔立ち。鋭い眼光からは、圧倒的な強者の風格が感じられる。


 彼こそが、紅月龍一。


 輝夜と朱雨の父親にして、ロンギヌス日本支部の長官。

 悪魔に、最も恐れられる男である。




『リュウ、やっちゃいなさいよ! こんな雑魚連中なんて、ワンパン!』




 龍一の持つ王の指輪から、幼い少女のような声が聞こえてくる。

 とはいえ、他の者には聞こえない、テレパシーのようなものであるが。




「そう簡単にはいかん。なにせ、相手は魔王クラスだからな」


『だったら、わたしの力を使えばいいじゃない』


「それは、最後の手段だ」




 いくら最強の人間とはいえ、彼は無敵の存在ではない。敵はバルバトスを筆頭に、合計で魔王が四人。もしも平常時であったら、決して戦おうとはならない相手である。

 とはいえ、今の彼には”意地”があるので、ただ逃げ出すわけにもいかなかった。




 頼れる相棒。激戦を潜り抜けてきた刀を手に、魔王へと立ち向かう。




 その身に宿る力と、放たれる技。

 それはまるで、一つの芸術のようだった。


 刀に灯る、鮮やかな青い炎。龍一が使うのは、たったそれだけ。

 しかし、それだけの力を、魔王たちは突破することが出来ない。


 剣は容易く弾かれ、放たれた矢は燃え尽くされる。

 ある魔王は無敵の鎧を纏っているはずだが、それすらも炎に貫かれる。




 彼とまともに対抗できるのは、魔王バルバトス一人のみ。


 無骨な大剣から繰り出される剣技と、龍一の放つ青い炎が衝突。


 それにより、凄まじい衝撃波が周囲に響き。

 他の魔王たちは、近づくことすらままならなくなる。





 魔王をも超えた、更に上の領域。

 限りなく頂点に近い二人が、真っ向から力をぶつけ合う。





「ねぇ、あなた。これが全力なの?」


「その口ぶりだと、お前は違うのか?」


「ふふっ、どうかしら」




 激しい戦いの中でも、バルバトスは決して笑みを崩さない。


 生まれて初めて、”本気”で戦えることを喜んでいた。


 しかし、そんな彼女の楽しみに付き合っていられるほど、龍一も暇ではない。




「力比べなら、また今度でどうだ? 今日のところは、それを返してくれれば十分だ」


「イヤよ」




 輝夜から奪ったイヤリング。何がそんなに気に入ったのか、バルバトスはまったく返そうとしなかった。

 しかし、”耳ごと取り返す”と豪語してしまった手前、龍一も引くことが出来ず。



 両者の戦いは、より苛烈さを増していった。









「……これは、噂以上の実力かも」




 アガレスの命令を受け、龍一を殺しに来た三人の魔王たち。

 しかしながら、激しすぎる戦闘を前にして、容易に手を出せないでいた。



 迂闊に近づけば、周囲の建物と同様に粉々にされかねない。それ故に、少々離れた場所で、機会を伺っていたのだが。




「?」




 魔王の一人。仮面をつけた弓使いの少女が、何かに気づいた。















 激しい戦闘の音から逃れるように。光の消えた街並みを、輝夜とカノンが駆けていく。

 あのまま観戦を続けていれば、きっと病院ごと吹き飛ばされてしまう。今の二人にできるのは、とにかく逃げることだけだった。




「はぁ、はぁ」




 路地裏の隅で、輝夜は疲れた様子でしゃがみ込む。

 どんな時でも、ままならない体であった。




「とはいえ、これからどうしましょうか」


「……」




 転移装置が使えない以上、次の手を考えなければならない。

 他の階層へ逃げるのか、ほとぼりが冷めるまでニャルラトホテプの隠れ家に籠もるのか。


 しかし、輝夜はそれどころではなかった。




(……あの仮面の男が、父親?)




 もしも、あれが本当に父親ならば、どうしてここに来たのか。

 親子であるならば、その理由も理解出来るものの。果たして、それを信じていいのか。


 あまりにも多くの事が一気に起こり、輝夜は感情がぐちゃぐちゃに揺れていた。




 しゃがんだまま動けない輝夜と、それを心配そうに見つめるカノン。

 二人だけしかいない路地裏であったが。




 そこに、小さな影が降り立つ。


 手に弓矢を持つ、仮面をつけた少女。

 先ほどやって来た、魔王の一人である。




「……指名手配。生け捕り」




 見た目から想像できる通り、声色は少女のもの。

 しかし、彼女はれっきとした魔王であり、紛れもない敵であった。




「くっ」



 まさか、追跡されているとは思わず。カノンは咄嗟に、輝夜を庇うように立つ。




「……」



 そんな彼を見つめながら、少女の魔王は無言のまま。




 両者ともに、睨み合う。




 目の前に立つのは、強力な魔王の一人。カノンでは敵わない、格上の悪魔である。

 だがしかし、バルバトスほどの存在ではない。生物として、そこまでかけ離れてはいない。


 故に、その心に”闘志”は宿っていた。




「ッ」




 まるで、早撃ちをするかのように。カノンは素早く右手を構えると、少女に向かって魔弾を発射した。


 常人からしてみれば、目にも留まらぬ動きであったが。

 少女はそれを、容易く回避。


 続けて、カノンは魔弾を何発も放つも。

 それを上回るスピードで、少女は全ての攻撃を回避した。




「……」



 カノンの後ろから、輝夜は冷静に敵を観察する。

 その動きを見るに、スピードとテクニックに秀でたタイプ。わざわざ避けるということは、それほど防御力はない。


 自分も加勢しようかと、そう考える輝夜であったが。




(あいつ、攻撃してこないな)




 奇妙なことに、少女の魔王はこちらに対して何もしてこない。

 攻撃行為はおろか、捕まえようという素振りすらなかった。


 ただ、一定の距離を保ちつつ、カノンの魔弾を回避している。




「……殺さずに捕まえる。難しい」




 どうやら彼女は、細かな手加減が出来ないようで。二人を捕まえる方法が分からずに、困惑している様子だった。




 とはいえ、彼女が立ち塞がっている以上、輝夜たちは逃げることが出来ない。


 面倒な相手を前にして、輝夜の表情が歪む。




(……あんな馬鹿をしなければ)




 冷静になって考えれば、”先ほどのカノンに対する行為”はどうかしていた。

 普通にありがとうと伝えて、装置を起動していれば、こんな結果にはならなかっただろう。




 少女の魔王と、輝夜たち。

 睨み合う両者であったが。




 突如そこへ、”青い炎の塊”。

 正確には、”龍”の形をした炎が飛来。


 少女の魔王へと直撃すると、そのまま彼女を吹き飛ばした。




 その光景に、輝夜とカノンが唖然としていると。

 そこへ龍一がやってくる。





 仮面をつけていない、正真正銘の素顔で。

 輝夜と龍一は、生まれて初めて顔を合わせた。





「”輝夜”、どうしてここにいる」


「え、あ。……停電で、装置が止まって」




 名前を呼ばれたことに、輝夜はドキッとしてしまう。


 それは、あまりにも複雑な心境であった。

 どうしてこんな時に、こんな場所で、こんな事になっているのか。


 予期せぬ衝撃に、頭の整理が追いつかない。




「……間に合わなかったのか」




 輝夜が、ここに取り残されたという事実を受け止めると。

 龍一は左腕につけていた腕時計を外し、それを輝夜に手渡した。




「これは?」


「とりあえず、腕に着けろ」


「……わかった」




 龍一の言葉に従い、輝夜は腕時計を左腕に装着する。



 そうこうしているうちに、バルバトスら他の魔王たちが集結してくるものの、龍一は意識を回さない。


 今、この瞬間。

 輝夜と一緒にいる時間のほうが、ずっと大切に思っているから。




「いいか。一度しか説明しないから、よく聞くんだ」




 龍一は、輝夜に腕時計の使い方を教える。

 リューズ、つまみの部分を引っ張り。時計の枠の部分を、右に2回、左に4回ひねる。


 すると、腕時計が起動し。輝夜の足元に、小さな魔法陣が発生した。




「これはまさか、転移門?」




 その現象に、カノンは驚く。

 腕時計という小さな機械に、転移装置の機能が備わっているのだから。




 転移門の発生を知り、魔王たちが一斉に動くも。


 鋭い視線とともに、龍一が刀を振り。

 その周囲を覆うように、青い炎が壁となる。


 熱く、強く、決して邪魔はさせないと言わんばかりに。




 がっしりと、龍一が輝夜の手を握る。




「俺が手を離すと、すぐに転移が始まる。行き先は姫乃に設定してあるから、何の心配もいらない」


「いや、ちょっと待って。とう……」




 こんな時だというのに。”なんて呼ぶべきなのか”、輝夜は一瞬迷ってしまう。

 会ったことがないから、話したことがないから。当たり前のように、父親を呼ぶことが出来ない。



 輝夜が、そうして言葉を詰まらせていると。



 ぽん、と。

 彼女を諭すように、龍一は輝夜の頭を優しく撫でる。




「すまない、輝夜」


「……え」




 どういう意味の言葉なのか、輝夜には分からない。




「出来ることなら、そばで見ていたかった」




 どうして、そんな目で見つめてくるのか。

 どうして、そんな最後みたいな言い方をするのか。


 二人の関係は、まだ始まってすらいないのに。




「ロンギヌスには頼るな。信じていいのは、そばにいる人間だけだ」




 最後にそう言い残して、龍一は手を離そうとするものの。




「まって!」



 輝夜が、逆に手を掴む。




「……一人だけ? わたしだけ?」


「……ああ」




 腕時計型の転移装置。

 魔界にも存在しない、優れたテクノロジーである。


 だがしかし、あくまでこの装置は一人用。ここから逃げられるのは、一人だけであった。


 もしも栞がいたとしたら、悩む余地があったのかもしれないが。

 この残った三人では、もはや悩むまでもなかった。




「お前は、どうするんだ?」



 輝夜はカノンに問いかける。




「微力ながら、彼に協力します」


「はぁ? お前の力じゃ」




 それが無理だというのは、カノンが一番良く分かっている。



 だが、それでも。

 カノンは微笑んだ。




「またいつか、会いましょう」




 そして、龍一が輝夜から離れ。

 足元の魔法陣が起動。




「いや――」




 そうして、輝夜は地上へと帰還した。










 栞を連れて帰る。

 その目的のために、魔界に飛び込んで。

 結果として、それは果たすことは出来た。




 ただ、その引き換えとして。

 絶望的なまでの後悔が、胸を貫いた。










◆◇










 全てが、終わり。

 第1階層の一角には、”巨大なクレーター”が出来ていた。




 戦闘による余波、などという次元ではない。まるで、核爆発が起きたかのような、圧倒的な破壊の痕跡。


 そのクレーターの中心部に、一人の男が立つ。


 長い髭を貯えた老人。

 この階層を統べる者、魔王アガレスである。




「……まさか、あのような奥の手を持っていたとは。まったくもって、恐ろしい男だった」




 全てが終わった大地にて、アガレスは笑う。




 つい先刻まで、この場所では激しい戦いが行われていた。


 紅月龍一と、魔王バルバトス。

 生物としては、紛れもない最強クラスの存在たち。


 だがしかし、今ここにあるのは、巨大なクレーターのみ。

 人も悪魔も、全ての命が消失していた。




「これで、わたしの邪魔をする者は消えた」




 一人の人間の命を奪うために、多くのものを犠牲にして。それでも、彼に後悔はなかった。



 手駒はまた増やせばいい。

 仲間の命など、彼にとっては数字でしかないのだから。





「――世界は、わたしのものだ」





 全てが終わった場所で、アガレスは勝利を宣言する。

 人も悪魔も、誰も彼を止められない。

 一人の老人の野心によって、世界は塗り潰される。




 だが、そんなさなか。


 クレーターの中心部に、もう一人。

 音もなく、男の姿が現れた。



 派手な格好をした、黒髪の若い男。

 着ている服の一部だろうか、漆黒の羽根のような物が周囲に舞う。



 その男は、どこか憂いを帯びたような表情をしていた。




「貴様。もしや、”アモン”か?」



 突如現れた男に対し、アガレスが問いかける。




「そうだけど、君は?」


「わたしは魔王アガレス。この第1階層と、魔界全土を統べる王だ」


「……へぇ、そうなんだ」




 アガレスの言葉に、アモンはまるで興味を示さない。

 まるで、眼中にないかのように。




「ここへ、何をしに来た」


「人間を助けに来たんだ」


「紅月龍一か?」


「いいや、違うかな」




 アガレスと話しつつ、アモンは周囲の風景に目を向ける。


 街の原型も残らない、巨大なクレーター。

 ここで、一体何が起こったのか。なぜこのような有様になったのか。


 アモンはその瞳を通じて、全てを悟る。




「残念だ。僕がもう少し早ければ、彼らの命を救えたのに」




 自分の不甲斐なさを悔いるように、アモンはため息を吐く。


 すると、




「あれは……」




 クレーターの中で、唯一”輝くもの”を見つけ、その側へと近づく。


 そこにあったのは、人か悪魔の残骸。

 もはや原型も留めていなかったが。その手には、一つの物体が握られていた。




 アモンは、残骸の手からそれを。

 ”月とうさぎのイヤリング”を拾い上げる。




「これだけ無傷、か」




 先程と同様に、その瞳を通じて。

 アモンは、イヤリングの辿った歴史を覗く。


 これが誰の持ち物で、どのような道を辿り、この場所へ至ったのか。




「……そうか」




 その全てを知り、彼は拳を震わせる。


 怒りか、嘆きか。


 まるで、彼の感情に呼応するかのように。





 世界が、揺れ始める。





「何だ、これはッ」



 理解不能な現象に、アガレスは動揺する。

 世界が揺れるほどの力など、たとえ魔王であっても有り得ない。




「……随分と、君は身勝手なんだね」



 アガレスに対し、アモンは冷たい視線を送る。




「何が言いたい」


「……あの悪魔たちも、決して負けてはいなかった。それなのに君は、”まとめて吹き飛ばした”」




 この巨大なクレーター。

 龍一とバルバトスが、相打ちになって出来たものではない。


 双方が全力を出し尽くした瞬間を見計らい。

 アガレスが、”爆弾”を起動した結果によるものだった。


 街が消し飛ぼうと、仲間が死のうと、彼には関係ないのだから。




「そうやって、”12年前”も君がやったのかい?」




 12年前の大崩壊。

 人類側の攻撃により、魔界が大打撃を受けたとされる事件。


 あの事件によって、”人類に友好的な魔王”が全滅し。

 そして、悪魔たちの憎しみが人類に向かう中で、”ある魔王”が大きな力を持つようになった。





「何を今さら。たとえそれが事実だとして、もはやわたしは止められん。――貴様は遅すぎたのだ。どれだけ力のある悪魔でも、結末を塗り替えることは出来ん」





 アモンの問いを、アガレスは一蹴する。

 この場における勝者は、紛れもなく彼なのだから。





「……確かに、僕には何も変えられない」





 何かを、決意をするように。

 アモンはイヤリングを握り締める。





「――でも、”彼女”なら」





 止まっていた時計が、動き始めた。





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