後悔の物語






「急激な老化、ですか?」


「どういう理屈なのか、皆目見当もつかないけどね」




 怒りと恐怖、そして”嘆き”。

 数多の感情と共に走り切った冒険の後、輝夜は再び”始まりの場所”へと戻ってきていた。


 すなわち、病室にあるベッドの上。あれから五年が経ち、変わった事と言えば髪の毛の色だろうか。

 ほんの僅かな力を得るために、犠牲にしたのは人生の半分。別にそれは後悔していない。せいぜい、一年か二年の差なのだから。

 この犠牲のおかげで、友達を一人救うことが出来た。そう考えれば、安いものである。




「もしかしたら、魔界で何らかの薬品を投与されたのかも知れない」


「薬品、ですか?」


「うん。彼女の所持品の中に、注射器が一本入ってたんだ。これから成分を調べてみるけど、僕の予想じゃ、きっとろくな代物じゃないと思う」




 輝夜の眠るベッドの隣では、担当医であるダニエル・バトラーと、影沢舞が話をしている。とても深刻そうに、嘆くかのように。


 その隣で、輝夜は本当に眠っているわけではない。ただ、彼らと話すのが恐ろしいために、ひたすら目をつむり続けていた。

 どんな顔をして、彼らと話せばいいのか。まだ心の整理がついていない。




「それより、まだ龍一とは連絡が取れないのかい?」


「はい。メールも電話も、全く。輝夜さんがこんな目に遭っているのに、あの人はどうして」


「……そうだね。彼は昔から、気難しい所があるから」




 輝夜の父親、紅月龍一。その名前を聞いて、輝夜の胸がキュッと痛む。

 どうして、こんな事に。こんな結末になってしまったのだろう。思い通りにいかない人生への怒りと、”猛烈な自己嫌悪”が渦巻いている。



 ごめんなさい。

 本当に、ごめんなさい。



 もしも、父親ともう一度会うことが出来たのなら、輝夜はそう謝りたいと思っていた。自分の行った選択が、勇気が、このような結末を招いたのだから。


 影沢舞や、弟の朱雨と、これからどう接していけばいいのか。

 ただでさえ、母親を呪いで殺してしまったというのに。

 まさか自分の行動のせいで、”父親”まで犠牲にしてしまったなどと。




「彼女が目を覚ましたら、また連絡するよ」


「お願いします」




 怖くて、目を開くことが出来ない。




(……わたしは、本当に馬鹿だ)




 輝夜は、自分の愚かさを呪った。










◆◇










 魔界、第1階層アガレスにある、ネクロ大病院。

 医者や病院の必要ない魔界において、ほぼ唯一と言っていい大病院である。

 悪魔の治癒能力をもってしても、どうしようもないレベルの治療や、美容整形、インプラント手術などを主に行っている。


 その大病院が今、パニックに陥っていた。




「お二人共、ついてきてください!」


「ああ」


「はい!」




 大々的に報道されている、指名手配犯カノンの侵入に加え。病院の外では、魔王バルバトスが謎の敵と熾烈な戦いを行っている。

 戦闘技術を持たない彼ら一般市民は、それに対し怯えることしか出来なかった。




「今のうちに、レッツゴーにゃん!」




 脅威ではない、一般悪魔たちを尻目に、輝夜たちは病院内にある転移室を目指す。

 厄介なセキュリティシステムは、マーク2が無効化し。イレギュラーであるバルバトスは、さらなるイレギュラーである仮面の男が食い止めている。彼女たちを止めるものは、この病院には存在しなかった。








「ふぅ、さて」




 妨害の手もなく、輝夜たちは転移室へと到達。

 カノンとマーク2は、急ぎ装置の起動を始める。




「姫乃にはバリアがあるから、近くにある検問所に飛ばすにゃん」


「了解です」




 そんな彼らを眺めながら、輝夜と栞は、安心したように地面に座る。

 魔王が現れた時は、万事休すかと思われたが。何とか乗り切ることが出来た。




「大丈夫か?」


「うん、何とか」




 魔法も、特別な力も持たない。ここに座るのは、そんな少女が二人。

 地上への帰還を前にして、ようやく笑えるだけの余裕が戻っていた。




「帰ったら、学校もあるね」


「……下手に騒がれたら、面倒だな」




 なにせ、悪魔に誘拐された上に、自力で魔界から帰ってきたのだから。

 こんな修羅場を潜った人間など、そうそういないだろう。




うちが、こんなに恋しいと思ったの、生まれて初めてかも」


「ふふっ。だな」




 輝夜としては、色々と失うものもあったが。

 それでも、一人の友達を救うことができたのだから、後悔は無い。


 非現実とは別れを告げ、再び日常が戻ってくる。

 そう、思っていた。








「準備完了、一人ずつ円の中に入るにゃん!」




 わずか数分後、転移装置の起動が完了する。

 あとは一人ずつ、地上へと送り返すだけ。




「栞、お前が先に入れ」


「う、うん」




 一足先に帰るのは、栞。

 若干緊張した様子で、転移装置の側にあるサークルの中へと入る。




「じゃあ、先に行くね」


「ああ。わたしもすぐに行くよ」




 輝夜たちに見守られながら、転移装置が起動。

 光の粒子と化して、栞は魔界から姿を消した。




「次はマスターにゃん」


「……ああ」




 続いて、輝夜の番。同じようにするだけでいいのだが。

 何か思うことがあるのか、カノンの側へとやって来る。




「おや、どうかしましたか?」


「……」




 純愛派だか、何だか言っていたが。仲間をこれでもかと裏切り、カノンは尽くしてくれた。輝夜としても、これ以上無いほどの感謝を抱いている。

 もしも彼が悪魔ではなく、普通に人間であったのなら、よき友人になれたかも知れない。


 しかし、どこまで行っても、人間と悪魔は相容れない。

 きっともう二度と、会うことは叶わないだろう。


 だから、しっかりと最後の別れを行いたかった。




「お前、これからどうするんだ? 魔界には、もう居場所がないだろ」


「確かにそうですが。きっと、探せばどうにかなりますよ。輝夜さんを送り届けた後、わたしもこの転移装置で別の階層へ逃げる予定なので」


「そう、か」




 魔界には、全部で68の階層がある。アガレスの手が届かない田舎でなら、生き残る道はあるだろう。


 死という、永遠の別れではない。

 いつかきっと、会える日が来る。


 それだけで、カノンは十分であった。

 なにせ、少女を二人も救ったのだから。彼としても、この結末に後悔はなかった。




「……ッ」




 しかし、輝夜はどうしても納得が出来ない。

 これだけ助けてもらったのに、何一つ恩返しが出来ないなど。完全に庇護下に置かれているようで、怒りすら覚えてしまう。

 お姫様扱いされるのは、まったくもって趣味ではなかった。




「ちょっと、待ってろ」


「あの、輝夜さん?」





 輝夜は覚悟を決めると。

 なぜか、その場で靴とソックスを脱ぎ、”素足状態”となる。


 当然ながら、カノンには意味が分からない。






「……舐めろ」


「!?」






 まさかの言葉に、カノンは言葉を失う。

 一体なぜ、彼女は何が気に食わなかったのかと。



 だがしかし、輝夜のこの行動には別の意味があった。



 今までずっと、ひた隠しにしてきたことだが。

 輝夜が一番恥ずかしいと思っている部分は、何を隠そう”足”であった。

 足に触れられることを、何よりも恥ずかしいと思っており。他人にマッサージを頼む時も、頑なに足には触らせていない。



 ましてや、”素足”を舐めさせるなど。

 輝夜にとっては、キス以上の行為であった。

 



「これが、わたしからの気持ちだ」


「いえ、その。気持ちと言われても……」


「早くしろ! 恥ずかしいだろうが!」


「どういう感情ですか!?」




 まさかそれが、一種の愛情表現であろうとは。

 純愛派、カノンには理解できず。


 足を舐めさせようとする輝夜と、ただただ混乱するカノンという、不毛なやり取りが行われる。




 そんなさなか、マーク2が何かに気づいた。




「にゃん!? マズいにゃん!!」




 だがしかし、気づいた時には何もかもが遅く。


 プツン、と。突如として、周囲が真っ暗に。

 病院中の照明、というよりも、第1階層全域の明かりが消失した。


 すなわち、電力が無くなったということ。

 転移装置も、完全に停止してしまう。




「あ」



 馬鹿でも分かる最悪の事態に、輝夜が声を漏らす。




「停電、でしょうか」



 カノンが指先に魔力を集め、簡易的な明かりとするものの。

 当然ながら、事態は最悪のまま。



 そして、最悪は連鎖する。




「電力が何もないにゃん! これじゃミーの同期も――」




 周囲に電力が無い以上、電子精霊は実体化を維持できない。


 頼みの綱であるマーク2は、儚くも消えてしまった。





「……」



 輝夜は冷静になり、とりあえずソックスを履いた。

















 何らかの要因により、第1階層から電力が失われた。悪魔たちにとっても、それは死活問題であり。街全体が活動を止めていた。

 だがしかし、そんなことなどお構いなしに、戦いを続ける影が二つ。



 大剣を振るう、魔王バルバトスと。

 それを刀で受け止める、仮面の男。



 たとえ世界から光が失われようと、その熾烈な戦いは止まらない。

 すでに、いくつものビルが倒壊し、今なお被害が増え続けていた。

 決して、都会のど真ん中で戦っていい二人ではない。




「これは、凄まじいですね」


「ああ」




 病院の窓から、輝夜とカノンはその戦いを眺める。

 電力が失われた今、転移装置にも頼れないのだから。




 周囲の建物を粉々にしながら、バルバトスと仮面の男が激しく斬り結ぶ。


 バルバトスの戦法は、パワーとスピードに物を言わせた力技。

 だが、対する仮面の男は少々違う。


 刀に、青い炎を纏わせて。

 圧倒的な力の中にも、美しさのようなものが存在していた。




「きれい、だな」




 その炎の煌めきに、輝夜は瞳を奪われる。

 あれ程に、美しい力があるのかと。




 互いに一歩も譲らず、互角の戦いを繰り広げる両者であったが。

 仮面の男が何かに気づき、咄嗟にその場から退避する。



 すると、男の立っていた場所に、光り輝く無数の矢のようなものが突き刺さり。

 その直後、爆発を引き起こした。



 仮面の男に対する、明確な攻撃行為。

 しかしそれは、バルバトスによるものではない。




「……」



 仮面の男は、倒壊したビルの瓦礫の上を見る。

 そこには、三人ほどの人影が立っていた。




「何かしら」



 どうやらバルバトスにも、彼らの登場は予想外だった様子。




「わたしが戦ってるのよ。あなた達、邪魔をする気?」



 若干、威圧するように言葉をかけるも、”その程度”では彼らは動じない。





「アガレスからの命令です。どんな手を使ってでも、その男を殺せと」





 三人の悪魔のうち、その筆頭。剣を持った金髪の男が、バルバトスと話す。

 まるで彼女を恐れていないように。




「……もう一度言うわ。――”このわたしが、戦ってるのよ”」




 今度は明確な殺意を込めて、バルバトスは三人の悪魔を睨んだ。

 並の悪魔なら、ショック死してもおかしくない状況だが。


 三人の悪魔は、それでも動じない。

 実力では彼女に及ばないものの、立場的には”同格”なのだから。





 光り輝く剣を持った、金髪の男と。


 全身を鎧で包んだ大男。


 そして、仮面で顔を隠した、弓矢を持つ少女。





 魔王と呼ばれる悪魔たちが、この場へと集結していた。


 ”たった一人の人間”を殺すためだけに。





「僕も、あなたが負けるとは思っていませんよ。ですがその男は、これまでに”三人の魔王”を殺しています」


「へぇ」




 魔王を複数人動かしてでも、絶対に仕留めておきたい。

 それがアガレスの意思。





「――”紅月龍一あかつきりゅういち”。その伝説を、今日で終わらせましょう」





 仮面の男は、それほどの存在であった。








「……紅月、龍一?」




 戦いの余波で、病院の窓ガラスも砕け散り。輝夜とカノンにも、その会話は聞こえていた。

 そして、その中で聞こえてきた名前に、輝夜は思考が止まってしまう。















 何年も前、まだ輝夜が入院していた頃。

 一度だけ、父親について影沢に尋ねたことがあった。




「龍一さん、ですか? とても立派な方ですよ」




 紅月龍一。

 対悪魔機関ロンギヌス、日本支部の長官。


 この街だけでなく、世界をも守っている。

 影沢の口からは、彼を称賛する声が溢れていた。




「遠くに? いいえ、彼はあそこのタワーにいらっしゃいますよ」


「……そうですね。きっと、どうしても会えない理由があるのかと」




 同じ街で暮らしているというのに、その父親は一度たりとも会いには来なかった。

 入院中も、退院後も。まるで存在しないかのように、完全に接触を断たれている。


 輝夜は何となく、嫌われているのだと思った。

 なにせ、自分とは一度も会ったことがないくせに、弟の朱雨とは普通に会っているのだから。

 双子の姉である自分だけを、何らかの理由で嫌っているのだと。


 そして、自分の心臓にある呪いと、母親の死について知った時。その考えは確信へと変わった。

 嫌っているどころではない、憎んでいるのだと。




――まぁ、どうでもいいか。




 精神的には、もう立派な大人なのだから。父親に嫌われていようと、輝夜にはなんてことはなかった。

 どうでもいい。向こうもこちらも、互いに一切の繋がりを断てば、もはや他人と変わらない。




 そうやって、割り切れていたはずなのに。

 どうして現実は、こうも残酷なのだろう。





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