絶望を告げる者







 卓越したナイフ捌きと、身のこなしを駆使し、ゴレムを圧倒する輝夜であったが。

 急に、電源が切れたかのように、その場へと崩れ落ちてしまう。




「はっ、……ははっ」




 ゴレムは呆気にとられながらも、これを絶好のチャンスと判断。残った左の拳を握り締め、輝夜に向かって思いっきり振り下ろす。



 だが、その寸前で。

 特大の魔力弾の直撃を受け、ゴレムは遥か彼方へと吹き飛ばされた。




「……最大威力、更新ですかね」



 間一髪、自身の攻撃が間に合い、カノンは一安心する。




「輝夜!」



 戦いが終わると、様子を見ていた栞が輝夜の元へと駆け寄った。




「なんで、こんな」



 突然の卒倒に、髪の毛の変色。明らかに普通ではない現象に、栞は戸惑いを隠せない。




「もしかしたら、魔界の環境が合っていないのかも知れません」



 体の痛みを気にしつつ、カノンがやって来る。




「……ありがとうございます。おかげで助かりました」



 その健闘を称えつつ、カノンは輝夜を抱きかかえた。









「では、行きましょうか」


「はい」





 ゴレムの襲撃により、若干の足止めを食らったものの。

 輝夜を抱えるカノンと栞は、巨大な光の柱、ルシファーの光へと飛び込んだ。





「うわぁ」




 光の中へと入り、栞は言葉を失う。

 そこは、神秘の空間だった。



 上から下まで、全てが光りに包まれた、天と地を結ぶトンネル。例えるのなら、”巨大な蛍光灯”の内側に入ったような感覚だろうか。

 そこには重力が存在せず、栞たち以外にも無数の悪魔が上下に飛び回っている。




「わたしの体に、掴まっていてください」


「は、はい!」




 重力のない、不思議な空間。ただの人間である栞には、ここで移動する術がない。

 カノンが魔力を放出することで、空を飛ぶように上を目指していく。




「あの。ここ、すごく寒くないですか?」


「ええ。大崩壊以前は、それなりに暖かかったんですけど。ここ最近は、まさに極寒ですよ」




 ルシファーの光の内部は、非常に温度が低く。栞は寒さに体を震わせる。




「子供の頃は、楽しい遊び場だったんですけどね」



 カノンは、遠いの日の記憶を懐かしんだ。









「さぁ、そろそろ着きますよ」




 カノンたちが、ある程度上層へと進んでいくと。柱の外側から伸びる、立て札のようなものが目に入る。恐らくは、その階層の名前が書かれているのであろう。



 その立て札のある場所まで近づいていき。

 カノンたちは、光の外へと。



 魔界、”第1階層”へと足を踏み入れた。















 人間界では絶対に体験できない、神秘的な無重力空間を抜け。カノン、輝夜、栞の三人は、魔界の第1階層へとやって来た。


 第1階層は、崩壊した第5階層を除けば、最大の敷地面積を誇る土地であり。同時に、魔界随一の都市でもある。

 この階層ならば、地上へと繋がる転移装置の数も多く、テックマスターの追跡を振り切ることも容易になる。その考えで、カノンはここへ来ることを選んだのだが。




「……」




 初めて見る”魔界の都会”に、栞は圧倒されていた。


 無数に建ち並ぶ、超高層ビルの数々。


 ”車やバイクは空を飛び”、テクノロジーの圧倒的な差が見て取れる。




 悪魔の暮らす、恐ろしい世界。それが、栞の持っていた魔界へのイメージだった。

 だがしかし、それは容易く打ち砕かれてしまう。




 人間界のそれを遥かに凌駕する、圧倒的な未来都市。

 栞の胸には、驚きと不安が渦巻いていた。








「ひとまず、人の多い場所へ行きましょうか」


「はい」




 木を隠すなら森の中。不自然に振る舞うと、面倒事に巻き込まれてしまう。

 というわけで、カノンたちは悪魔の多い街中へと向かっていく。


 目立つ可能性もあるため、眠っている輝夜は背負って運ぶことに。





 空を飛び回る車だけではない。

 悪魔の暮らす街には、栞の知らないものが溢れていた。


 見知らぬ言語に、見知らぬ技術。

 立体映像で出来た広告など、刺激的な光が目に入る。





「……」




 知らない世界に飛び込んでしまったようで、栞はどうにも落ち着かない。まるで、初めて都会へやって来た田舎者のようであった。


 この街に、この世界に人間はいない。自分と輝夜だけが、この世界では異常なのだと。

 それを知りながら、落ち着くことなど出来なかった。




「さて、これからどうしましょうか。転移装置のある場所といえば、やはり病院か……」



 人混みに紛れながら、カノンはこの先のことを考える。




「輝夜、大丈夫そうですか?」


「そうですね、呼吸は感じられます。それとほんの少し、体が熱いような」




 輝夜が卒倒した理由は、カノンには分からないものの。

 あまり、放置していい状態にも思えなかった。




「向こうの大病院には、確実に転移装置があるはずです。ここは急ぎましょう」


「はい」




 人間である輝夜を、患者として病院に連れていくことは出来ない。

 輝夜の体のためにも、早急に人間界へと帰還させる必要がある。


 あくまでも目立たないように、転移装置のある病院を目指すカノンたちであったが。






『――諸君。すまないが、しばしの間、わたしの言葉に耳を傾けてくれ』






 街中にある巨大なディスプレイに、一人の老人の姿が映し出される。

 すると、街行く悪魔たちは足を止め、みな一斉にディスプレイに目を向け始めた。


 有名な悪魔なのだろうか。当然ながら、栞にとっては見知らぬ人物である。

 しかし、カノンは深刻そうに表情を曇らせた。




「……まさか」




 カノンが考える中で、最悪の予想。

 そしてそれは、現実となる。




『どうやらこの魔界に、人間が侵入しているらしい。それも、悪魔が手助けをしている』




 老人の言葉に、悪魔たちは動揺の声を上げる。




『これが、手助けをしている悪魔の顔だ』




 そう言って、ディスプレイに映し出されたのは。紛れもない、”カノン”の顔写真。


 衝撃的な出来事に、栞も絶句する。




『こいつの名はカノン、3つ尾の上級悪魔だ。こいつは仲間の組織を裏切り、人間の娘を連れて他の階層へ逃げ込んだ。この者が発見されるまで、全ての階層は警戒態勢とさせてもらう』




 当然ながら、カノンは変装などしていない。

 周囲にいる悪魔の何人かは、すでにカノンの存在に気づいていた。




『善良なる市民たちよ。この者を見つけ次第、セキュリティへ連絡を入れてくれ。今日のうちに、事が済むことを祈る。――では、以上だ』




 緊急放送が終わり、街は再び動き始める。

 しかし、カノンたちのいる場所では、やはり様子が違っていた。


 なぜなら目の前に、とんでもない大罪人がいるのだから。



 周囲の悪魔たちが、カノンから距離を取る。

 悪魔とはいえ、彼らも単なる一般市民に過ぎない。強力な力を持つ犯罪者となれば、恐れも当然のように抱く。

 すでに何人かの悪魔は、手に持った端末からどこかへ連絡を入れているようだった。




 そんな注目を浴びる中で、カノンは表情を曇らせる。

 彼の中で渦巻くのは、焦りと怒り。




(まさか、これほどの”大物”と繋がっていたとは)




 テックのリーダーであるアトムは、魔王との繋がりがある。それは有名な話であり、カノンも知っていた。

 しかし、”瓦礫の街のギャング”に手を貸す魔王など、せいぜい下層を支配する力の弱い魔王であろうと。カノンは、そう予想していた。


 しかし、現実は。




「あの、今の放送って」


「……”魔王アガレス”。この第1階層を支配する、魔界最大の権力者です」




 広大な魔界の中でも、絶対に敵に回してはいけない存在。

 それが、名指しでこちらを捕らえようとしていた。



 転移装置を破壊した時点で、なぜアトムが勝ち誇ったような表情をしたのか。それは至極単純な理由である。

 彼、というより、彼の支援者を敵に回した時点で、”魔界の全て”が敵になるのだから。















「振り落とされないよう、しっかり掴まっていてください」


「は、はい!」




 第1階層、アガレスの街並みを、カノンは疾走していく。

 輝夜を両腕で抱え、栞には背中にしがみついてもらいながら。



 そんな彼らを追うのは、無数の”セキュリティドローン”。



 カノンの力なら、撃退することは可能である。

 しかし、輝夜と栞を運びながらでは、ろくな攻撃も出来ず。




 ビルとビルの間を、持ち得る全力のスピードで。なおかつ栞が振り落とされないように。カノンは終わりのない逃走劇を続ける。


 この警戒態勢では、光を通って他の階層に逃げることも出来ない。

 とはいえ、この第1階層にも逃げ場は存在しない。


 完全に、カノンたちは詰んでいた。





「くっ」



 そんな彼らの行く手を阻むように、軍用車両のような物が空を飛んでやって来る。

 その車両を見て、カノンの表情がより一層歪む。




「セキュリティチーム。しかも、レベル3ですか」




 車両の中から、武装した悪魔たちが飛び降りてくる。


 最高水準の装備に身を包み、”全員が上級悪魔”で構成されている、最強のセキュリティチーム。

 カノン一人では、到底敵うような相手ではない。




「無駄な抵抗はせず、ただちに投降せよ」




 後方からは、ドローンの集団が迫っている。


 逃げ場は存在しない。

 ここには敵しかいない。


 万事休す、と。

 諦めかけるカノンであったが。





――周囲一帯の電子機器に、ノイズが走る。



 すると、変化はすぐに現れた。





「なっ、なんだ!?」



 セキュリティチームは混乱し始め、ドローンの動きもおかしくなる。




 一体、何が起こっているのか。


 ドローンとセキュリティチームが仲間割れを始め、戦場はカオスへと変貌。

 軍用車両も、機能不全を起こして墜落してしまう。




「これは……」



 突然の異変に、カノンが驚いていると。





「――今のうちに逃げるにゃん!」



 電子の海を越えて、救世主の声が聞こえてきた。










◆◇










「と、言うわけで。ミーのおかげで、みんな無事に乗り越えられたにゃん!!」


「……そうか」




 ニャルラトホテプのアジトにて、輝夜はカノンとマーク2から話を聞いていた。

 自分が気絶した後、どのような道を辿り、この場所へ行き着いたのか。




「つくづく、お前は役に立つな」


「そうでもないにゃ〜ん」




 つんつんと、指先でマーク2を弄る。

 これほど小さな存在なのに、一体どれほどの叡智が詰められているのだろう。






「あっ、大事なことを忘れてたにゃん!」




 マーク2は何かを思い出し、その場に”無数の錠剤”を具現化させた。

 見たところ、輝夜の服用するナノマシン錠剤のように見える。




「……どうやって出したんだ?」


「電子精霊は、ある程度の質量ならネットを通じて転送できるんですよ」



 輝夜の疑問に、カノンが答える。




「これで”人間の血液”を集めるのが、副業として結構流行ってるんです。月の呪いも軽減できるので、結構高値で売れるんですよ」


「……悪魔の所業だな」




 対価として血液が必要だと。そんな条件をつけて、電子精霊に人間の血液を集めさせる。

 そのような悪行が、人間界では蔓延していた。




「ふむ」



 出されたなら仕方がないので、輝夜は錠剤を服用する。






「カノン。この近くにある施設で、転移装置のある場所をリストアップしておいたにゃん。侵入難易度も、ついでに予測しておいたにゃん」


「感謝します。流石はニャルラトホテプ、とても優秀ですね」


「当然にゃん!」




 カノンはマーク2の用意したデータを使い、恐らく最後になるであろう作戦を考え始めた。




「……」



 ナノマシン錠剤を飲みながら、輝夜はマーク2を見つめる。




「にゃう。……ナルラト、ホテプ、だったか?」


「にゃん?」




 どうやら輝夜にとって、ニャルラトホテプは言いにくい単語らしい。




「お前を作った悪魔は、随分と凄いんだな」


「えっへん! ミーは、ニャルラトホテプを模した人格データにゃん。つまり、ある意味本人と言っても過言ではないにゃん」




 創造主の人格をコピーした、世界で一つだけの特別な電子精霊。

 それ故に、ニャルラトホテプの隠れ家へアクセスしたり、街のセキュリティシステムに干渉することも可能とする。


 その命は失われたものの。

 ニャルラトホテプの遺産は、まだこの世界で生きていた。




「お前のオリジナルは、随分と変わり者だったんだな」


「にゃん? どういう意味にゃん?」




 ゴスロリ衣装に身を包んだ、黒髪ぱっつんの猫耳少女。しかも、語尾にいちいち”にゃん”が付く。

 これが生きて動いていたら、色々とキツいものがあった。








「ふぅ」




 時間をかけて、輝夜は全ての錠剤を飲み切った。


 とはいえ、特に体に変化は現れない。相変わらず右目は見えないままで、髪の色も戻りはしない。

 ここまで”削ってしまった”ものを、元に戻すほどの効力は無かった。




「……申し訳ないにゃん、マスター」


「ん? 急にどうしたんだ?」



 唐突に、マーク2が輝夜に謝罪する。




「ミーが、もっと早く駆けつけられたら。”そんな代物”を使わせることは無かったにゃん」




 カノンとは違い、マーク2はアドバンスに関する知識を有していた。

 それ故に、今の輝夜がどういう状態なのか理解できてしまう。



 もしも、輝夜が飛ばされた階層が、もっと文明的な場所だったなら。マーク2も迅速に見つけることが出来たであろう。

 しかし、何もかもが遅すぎた。




「そう気にするな」



 落ち込むマーク2を、輝夜は指先で撫でる。




「元々少なかった寿命が、半分になった程度だよ」




 ”なんてことはない”。

 ”たった、それだけのこと”。


 そう心から思っているように、輝夜は微笑む。





「……」



 なぜ自分の主は、こうまで自分の命を軽視できるのか。





「……おかしいにゃん」



 マーク2には、理解が出来なかった。

















「もうじき、ネクロ大病院に着きますよ」




 数多の悪魔たちが行き交う、大都会の街並み。

 その中を、輝夜たち三人は進んでいく。



 街は未だに警戒態勢の真っ只中。

 けれども、指名手配されているカノンは、特殊なマスクによって顔を変えており、その存在を悟られることはない。

 マーク2が存在するため、万が一、セキュリティが相手となっても問題ではない。




「輝夜、体は平気?」


「ああ。絶好調だよ」




 白と黒という、目立つヘアカラーになりつつも。輝夜は何も変わってない。

 変わっていないように、振る舞っていた。


 いざとなれば、アドバンスをもう一度使うことだって出来る。

 人間界に帰ることさえ出来れば、もう思い残すこともない。




 今の輝夜には、不思議と精神的な余裕があった。

 かろうじて見える左目で、魔界の街並みを眺めていく。



 悪魔は、人間よりも進んでいる。

 アモンの言っていた事は本当だった。




(こんな体でも、まだゲームは出来るかな?)




 この人生、”最初で最後の大冒険”。

 もしも無事に帰れたら、アモンにこの出来事を話してみよう。


 そんな事を思いながら、転移装置のある病院へ向かう輝夜であったが。






「……なんだ?」




 一体、どうしたのだろうか。


 三人の向かう先から、”なにか”がこちらへ近づいてくる。


 まるで、それを恐れるかのように、他の悪魔たちは道の端へと避けていた。





 人混みを散らしながら。

 悠然とやって来るのは、”美しい白銀の髪を持つ女性”。


 漆黒のドレスに身を包み、身の丈ほどの巨大な剣を背負っている。


 おまけに、輝夜も思わず感心するほど、整った顔立ちをしていた。




 やけに綺麗な女が現れた。

 輝夜と栞は、その程度の感情しか抱かなかったが。 





(……バカなッ)



 カノンは、静かに”絶望”していた。

 




 銀髪の女は、何かを探すように周囲を見渡し。


 輝夜と目が合うと。





「――見つけた」





 冷たい表情の中で、微かに微笑んだ。





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